「ヴィーナスはぁと」バックナンバー バックナンバー一覧

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2001年11月15日発行
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          女性国会議員メルマガ『ヴィーナスはあと』 創刊号

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  ***   ***    女性国会議員たちが集まってメッセージを送るメールマガジン
 *****v*****    「ヴィーナスはあと」を創刊しました。
 ***********    小泉メルマガ「らいおんはーと」と同じく、毎週木曜日の配信です。
  *********    小泉首相の場合は、おひとりだけでもスーパースターですが、
   *******    こちらは、グループで存在感を示す永田町の「モーニング娘。」を
     ***    めざしたいと思います。暗く物騒な世の中だからこそ、
      *    らいおん(野獣)の勇ましい声だけでなく、ヴィーナス(美女?)た
ちの優しい視点も必要なのではないでしょうか。「ヴィーナスはあと」に
は、党派を超えて、19人(女性国会議員の4分の1以上)が集まりました。

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  目次
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  ■「ヴィーナスはあと」参加議員一覧
  ■ヴィーナス議員たちは、なぜ政治家をめざしたのか?
    福島瑞穂(社民党)    川田悦子(無所属)
    吉川春子(共産党)    小宮山洋子(民主党)
    瀬古由起子(共産党    有村治子(自民党)
  ■編集後記


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  「ヴィーナスはあと」参加議員一覧
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「ヴィーナスはあと」に参加してくださったのは、次の19名の方々です。詳しいプ
ロフィールを知りたい方、顔写真を見たい方は、ロゼッタストーンホームページで公
開しています。⇒ http://www.rosetta.jp/

●衆議院
  石井郁子(共産党・近畿)    川田悦子(無所属・東京)
  瀬古由起子(共産党・東海)   武山百合子(自由党・北関東)
  中林よし子(共産党・中国)   松島みどり(自民党・東京)
  水島広子(民主党・栃木)    山内惠子(社民党・北海道)
  山口わか子(社民党・北陸信越)

●参議院   有村治子(自民党・比例)    井上美代(共産党・東京)
  岡崎トミ子(民主党・宮城)   小宮山洋子(民主党・比例)
  千葉景子(民主党・神奈川)   西山とき子(共産党・京都)
  八田ひろ子(共産党・愛知)    広中和歌子(民主党・千葉)
  福島瑞穂(社民党・比例)    吉川春子(共産党・比例)

計19名(敬称略)


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  ヴィーナス議員たちは、なぜ政治家をめざしたのか?
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今月は、それぞれの議員に、自己紹介と、「なぜ政治家を目指したのか」を語ってい
ただきます。ヴィーナス議員たちは、最初から議員をめざしていたというより、世の
中への強い疑問が引き金になって、この道に進んだ人が多いようです。あなたと価値
観の近い議員はいませんか?


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 福島瑞穂(社民党幹事長・参議院・比例)
  「結婚しても名前を変えたくない、と市民運動を続けてきた。
   でも、民法改正が進まないことに怒りを感じて…」
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こんにちは。福島瑞穂です。
私は、弁護士になる前から、選択的夫婦別姓制度の導入や婚外子差別撤廃の市民
運動をやってきました。私自身が、名前を変えたくないと思い、パートナーがいて、
いっしょに暮らしていて、子どもがいるというライフスタイルをとってきたからで
す。
「戸籍名を強制しないで欲しい、旧姓をそのまま使いたい」という国立大学の教授の
裁判を他の弁護士と一緒に10年間担当したり(東京高等裁判所で、和解が成立しま
した)、住民票や戸籍の続柄欄をなくして欲しいという裁判も担当してきました。私
にとっては、選択的夫婦別姓制度の導入も婚外子差別撤廃も、趣味と生きがいと実益
をかねてやらざるを得ないという感じです。
弁護士としては、職場や学校におけるセクシュアル・ハラスメントの裁判を担当
したり、離婚の相続をはじめとする事件を担当し、また、女性たちの緊急避難所「女
性の家」HELPの協力弁護士もしてきました。女性への暴力や外国人の権利の問題など
に関わってきました。
「弁護士は天職だ」と思ってきたけれど、国会へのロビー活動をし続けるなかで、な
かなか民法改正が進まないことについて怒りを感じるようになりました。それが、
「よし、国会議員になろう」と思った1つ目の理由です。
2つ目は、社民党党首の土井たか子さんから、4年前、「これから有事法制がさ
みだれのように出てくる。だから、国会のなかで一緒にがんばって欲しい。」と言わ
れたことです。国会議員になるというハードルは高く、人生を変えることに本当に不
安があったけれど、「えいやっ、やるっきゃない。」と決意をしたのは、時代がどん
どん悪くなっているという実感だったかもしれません。そして、それはその通りにな
りました。
どんどん有事法制といった法律案が国会に出てきて、どんどん通っていってしまいま
す。大変な時代、大変な国会のなかで、とにかく元気に明るくがんばろうと思ってい
ます。
最近、社民党の幹事長になりました。幹事長とは、党内のまとめ役です。不慣れ
ですが、この点についてもがんばります。


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 川田悦子(無所属・衆議院・東京)
  「エイズと闘っている龍平の『政治を変えたい』という言葉に、
   ここでひき下がるわけにはいかないと思いました」
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議員になった理由は、昨年の秋に息子龍平から「やってみたら」と言われて、ひき
下がるわけにはいかないと思ったからです。
それまで私は選挙に出るなどとはまったく思ってもいませんでした。それどころか、
選挙には関わりたくないという気持ちの方がつよかったのです。その理由は、実は私
の父は私が子どもの頃に選挙に何度か挑戦し、毎回落選していたのです。そしてその
度に土地を売ったりしていたので、選挙はたいへんだという意識になっていました。
さらに、家族の間でも、「好きなことばかりしていて!」と父への風当たりは強く、
選挙の度に父のポスターがあちこちに貼られるのも、かなりつらかったのです。

 そんな私が突然選挙に立候補したのですから、周り中は衝撃を受けました。でも一
番驚いたのは、誰よりも私自身だったのでした。本当に一瞬のうちに決めてしまった
のです。

 ドイツに留学中の龍平から『政治を変えたい。選挙に出てよ』といわれたとき、や
るしかないと思って決断したのです。

 龍平は薬害エイズの被害者であり、19歳で実名公表して薬害エイズ裁判をたたかっ
てきました。生後後6ヶ月のときに血友病と診断されて、治療に使用した血液製剤で
HIVに感染させられました。原因は、厚生省や一部の専門家が非加熱濃縮血液製剤は
危険だと知っていながら何の対策も取らなかったためです。いえ、何もしなかったの
でなく、製剤の在庫計算をしていたのです。つまり患者の生命よりも製薬会社の利益
を優先した結果引き起こされたのです。薬害エイズ事件は政官財の癒着によっておこ
された血友病患者皆殺し事件です。

 龍平は10歳のときに母親の私からかHIVに感染している事実を知らされ、その後
すぐに、たいへんつらいエイズ発症予防の治療を開始しました。そして薬害エイズ裁
判の原告に加わってからは、国を相手にした裁判に勝つため、マスコミの前に出て
いったのです。

 医師への不信、発病への不安、死への恐怖、エイズへの偏見と差別、将来に対する
絶望感の中でも、龍平は勇気をもって立ち上がったのです。実名公表したらどんなこ
とが起きるかわからないなか、前に出ていったのです。その結果多くの人が一緒に立
ち上がってくれて、薬害エイズの裁判は画期的な原告勝利になりました。国に責任が
あることが指摘され、国も責任を認めたのです。

 龍平は裁判をたたかってくる中で「人は信じられる。人を信じて生きていこう」と
いう人間に成長できました。何よりもうれしいことでした。どんなに社会がひどく、
絶望的な状況でも、そんな社会をつくってきたのは、一人ひとり人間なのだから、そ
のひとりひとりが変われば、社会を変えることができると龍平は確信したのです。時
間がかかっても、必ず変えることができると。龍平はいつも前向きです。絶望的な状
況の中でも、いつも明るく前向きです。そんな息子から「24歳で被選挙権がないから、
おかあさんやってみて!」と言われたとき、「できないよ」とは言えなかったのです。

 まったく選挙を知らないひとりの母親が無所属で小選挙区で当選したならこの社会
に衝撃を与えることができると思い、無謀な挑戦をしたのです。


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 吉川春子(共産党・参議院・比例)
  「“女だから”と大学進学を親に反対され、就職先の銀行でも女性差別。
   その時の体験が原動力に」
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 私は東京で生まれましたが、太平洋戦争が激しくなって一家で父の実家の長野県に
疎開しました。銭湯の帰り道で手ぬぐいが凍ってしまうほど、冬は大変寒く、それだ
けに澄んだ夜空の天の川、秋の紅葉の山が美しく、夏は依田川で泳ぐなど自然に抱か
れて幼い頃を過ごしました。中学の時上京しました。上野公園の中の高校は、春は谷
中の墓地の桜並木が通学路で、映画街は近いし、社会科の授業は博物館で過ごす等自
由な雰囲気でした。放課後は上野図書館や国会図書館で世界の文学や石川啄木などに
読みふけりました。「真理が我らを自由にする」という言葉は当時から国会図書館の
壁に刻んでありました。戦争によるインフレで預金は紙切れ同然、両親は子ども3人
を抱え大変な思いをしたことでしょう。

 進学の時人生最初の試練が訪れました。私は法学部を希望していましたが、父は
「女の子にそんな道楽をさせる金はない」と許してくれません。仕方なく就職した銀
行も女性差別で、若い私のプライドを痛く傷つけたのです。私が今、戦争や女性差別
に熱心に取り組むのはこうした子供時代の体験に裏付けられているからだと思いま
す。
 埼玉県八潮市の市議会議員に当選した時、長男は保育園、次男は生後5ヶ月でし
た。選挙の中心は同じ団地に住む20代から30代前半の女性とその夫達でした。新
しい団地でコーラス部、卓球部、自治会を作り、商店街の協力を得て夏祭りも成功さ
せました。その仲間達が、東京から引っ越したばかりで知名度もない私をトップ当選
させてくれたのです。

 私は初めから国会議員になりたかったのではありません。性格が子どもの頃から臆
病で引っ込み思案だからです。私を「自己分析型」と評したのは共産党元幹部の宮本
賢治氏です。無党派の方々が団地住民の要求を託して私を市議にしてくれた、そして
共産党員の方々が倦まずたゆまず必死で押し上げてくれた、それで国会議員になれた
のです。


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 小宮山洋子(民主党・参議院・比例)
  「番組の中継で、一面“ドブネズミ色”スーツの国会議場を見た時、
   ここを変えなければ日本の社会は変わらない、と」
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 「ヴィーナスはあと」を読んでくださっている皆さん、こんにちは。仲間に入れ
ていただいた小宮山洋子です。私は、NHKでアナウンサー、解説委員として26年
間仕事をしていました。その間、3人の男の子(現在は27歳、24歳、20歳)を
育てていましたので、育児など家族への責任と仕事が両立できるようにするために
は、何が必要か身をもってわかっているつもりです。解説委員としては、女性を中心
にした労働、子どもや家族の問題、男女共同参画、消費経済などを担当していまし
た。
 女性のアナウンサーとしては、初めて国会中継など政治の番組も担当し、本会
議場の2階の中継席から議場を見たときに、一面“ドブネズミ色”=男性のダークの
スーツばかりで、ここを変えなければ日本の社会は変わらないと思ったのが、議員に
なった原点かもしれません。3年前の参議院選挙のときに、自民党から強く誘われ、
多様な価値観が認め合える社会を作るためには、一党が強すぎてはだめと考えていた
ので、それなら、二大政党になれる可能性のある民主党から出ようと、3日で決断し
ました。
 議員になって3年余り、なってよかったと心から思っています。これまで
に、「子ども買春・ポルノの禁止法」「男女共同参画社会基本法」「配偶者からの暴
力(DV)防止法」といった、議員立法にかかわることができました。特に、DV防
止法は、参議院の共生社会調査会で超党派で女性議員がつくったもので、プロジェク
トチームの副座長として1年間、法案作りをし、十分なものではありませんが、3年
後の見直しも盛り込み、今年4月に法律を成立させることができました。ひとりひと
りが安心して生き生きと生きられる社会を作るために、せいいっぱい仕事をしている
つもりです。どうぞ、情報やご意見をください。これからの議員は、市民の皆さんと
のネットワークがたいせつだと考えています。


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 瀬古由起子(共産党・衆議院・東海)
  「保育所づくりの運動がきっかけで市会議員に。当時は11ヶ月の長男を
   背負っての活動で話題になりました」
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みなさん、はじめまして
 私は衆議院議員の瀬古由起子といいます。東海ブロック比例選出で、住んでいると
ころは愛知県名古屋市です。現在2期目。1947年生まれ。いのしし年です。長所
はいのししのごとく、「前をむいてまっしぐら」短所はこれもいのししのごとく「後
ろも振り向かずまっしぐら」というところでしょうか。
 私の趣味というのか気分転換は絵を描いたり、映画や芝居を観たり、テニスや料理
をしたりです。得意の料理はお好み焼きとたこ焼きです。大阪生まれなので年季がは
いっています。味は誰もが「う〜ん」とうなるほど。ホントです。
 27歳の時、住んでいた瀬戸市の団地で市議候補が突然病気になり、保育所づくり
の運動をしていた私に「白羽の矢?」が当たってしまいました。「一期だけなら」と
の気楽な約束で市議会はじめての女性議員として当選しました。当時は11ヶ月の長
男を背負っての活動で話題になりました。議員は「一期だけ」など通用しないこの世
界。二期目の挑戦も当然となり夫は「約束がちがう」と抵抗しましたが、「それなら
子どもを連れて実家へ帰って」との私の決意にとうとう夫も覚悟してこの道づれとな
りました。地方政治の立場から国に施策をいつも批判していた私の国会立候補は自然
でした。14年活動した市議会を去るとき、全会派の議員が異例の議場での送別の行
事をしてくれました。 しかし国政への道のりは厳しく参院選3回、衆院選2回目の
立候補でようやく国会にたどり着きました。
 現在国土交通委員、法務委員、そして私のライフワークとしている「ハンセン病題
日本共産党プロジェクトチーム」責任者、「ホームレス問題チーム」の委員長代理で
す。いつも「女性差別」も含めて人権問題に迫る活動をと願っています。どうぞよろ
しくお願いします。


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 有村治子(自民党・参議院・比例)
  「『明日の日本のために、体を張って仕事をしよう!』という気概を持った
   若い世代がいないのは、これこそ国家的な危機だなぁ・・・ と」
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 今回指定された文字数がとても少ないので、文字数削減に随分努めてみましたが、
真剣に読んでくださる皆さまには、私自身やっぱりどうしてもお伝えしたい!と思う
ことを真剣に書きたいと思うようになりました。このため、「う〜っ」と悩んだ末に、
800字程度というリクエストの範囲で、聞こえのよい文章を並べるよりも、800字にこ
だわらず、現在までの実直な経過を報告することを選びました。今回のこのロゼッタ
ストーンさんの企画に賛同した女性議員は、すべてボランティアで、それぞれの考え
るところを、皆さんと共有すべく、たまる一方の仕事の中から時間をしぼり出して、
文章を書いている方がほとんどだと思います。生真面目になっちゃったかもしれませ
んが、私も少ない睡眠時間をさらに短くして、精一杯取組んで書いてみたので、ご一
緒いただければ嬉しいです!(ニコッ)

※編集部注:本当にとても長い原稿だったので、19日(月)に臨時増刊でみなさまに
      お届けします。


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  編集後記
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日本の女性国会議員は74人で、全国会議員の約1割です。
昨年1月の調査では、下院(日本では衆議院)の女性議員の割合は4.6%で94
位。なんとイラク(6.4%、82位)や、イラン(4.9%、92位)よりも低い
(00年2月8日付『東京新聞』より)。これは、やっぱり変だなあと思うのです。
では、その数少ない議員になった女性たちは、どんな人なのか。今回は、6名の
方々に自己紹介を兼ねて「議員になった理由」を教えていただきました。みなさん、
毎日の生活のなかで感じた怒りや疑問が原動力になっているのがわかります。
「ヴィーナスはあと」では、参加議員の紹介が終わったあとは、それぞれの議員に、
一番力を入れている政策を披露していただきます。その後、読者からの質問や要望を
ぶつけますので、「この人にこんなことを聞いてみたい」という質問や、「こんな政
策を実現させてほしい」という要望がございましたら、ロゼッタストーンまで、どし
どしお寄せください。
「ヴィーナスはあと」の配信希望者は、女性がほとんどかと思いきや、男性の登録者
が過半数を占めています。男性たちのなかにも、女性議員の活躍を期待する人は多い
ようです。「男だから」「女だから」にこだわらず、みんなで良い知恵を出し合って
いければと思います。
では、これからの「ヴィーナスはあと」にご期待ください。
                      (ロゼッタストーン・弘中百合子)


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■次号予告
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次回は、11月22日(木曜日)発行。執筆者は
  水島広子議員(民主党)、武山百合子議員(自由党)、
  石井郁子議員(共産党)、千葉景子議員(民主党)、山内惠子議員(社民党)、
  八田ひろ子議員(共産党) の6名です。


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女性国会議員メルマガ『ヴィーナスはあと』
 編集長:ロゼッタストーン 弘中百合子
 発行 :株式会社ロゼッタストーン
     (〒171-0021 東京都豊島区西池袋5ー27ー9ー101)
Copyright(C)ロゼッタストーン 許可無く転載することを禁じます

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