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中高生が読んだ『独立のすすめ』(感想文抜粋)


●第1章 『平等』
(世の中こんなに格差があるのに、なぜ「人間は平等」なんて言えるの?)

「人間はみな平等」と言われているが、私は「本当に人間は平等なの?」と思っていました。頭の良い人もいれば頭の悪い人もいる。運動神経の良い人もいれば悪い人もいる。こんなにみんなちがうのにどうして平等と言えるのだろう。しかし、そんな考え方は私のまちがいでした。独立のすすめ「平等」を読みその事に気づきました。人間の貧富の差、強弱の差、知恵の差などは、人の現状でありみんながいっしょなわけはありませんでした。「人間がみな平等」というのは人の権利であり、生きている人の命は全部同じ重さという事でした。(H・K/中1女子)

日本は、いや世界は、今平等なのでしょうか。皆が「平等ではないか」と言っても、私は納得できません。理由はいくつかありますが、二、三つ述べます。一つ目は「外国人だから」という言葉です。何故、外国人だから、○○ができないとか決めつけるのでしょうか。日本人だって、他の国に行けば「外国人」です。(中略)二つ目は、世界の貧富の差です。なぜ貧富の差がなくなるように、自分の国の技術を教えたりしないのでしょうか。時間はかかるにせよ、少しずつやっていけば、近いうちに皆が平等になるのではないでしょうか。結局、他の国の人々のことを考えているようで、自分の国のことしか考えていないのです。(S・S/中3女子)


●第2章 『偽装』
(食品、建築物、商品……どうしてこんなに偽物が多いの?)

地位や身分と言った物は強い者が強さを保つために作っていると考えていた。しかし筆者はこの考えを効率の良さという観点から否定した。筆者は誰も意見を言わずに、命令に服従させ、上の者で判断し処理すれば、社会全体が効率よく動くと考えている。つまり自分を守るという考えではなく、社会を発展させたいと願う人情であると考えているのだ。また、筆者は身分が世の中で当てにならないと考えている。確かに身分は世の中を発展させるほど強力な物であるが、それは悪い方向にも強力な力を発揮する物である。それ故に多くの人がこの身分を悪用するのである。(K・T/高1男子)


●第3章 『自由』
(自由に生きるってどういうこと?自由とわがままはどう違うの?)

周囲に気を配りながら過ごすことは疲れることではあるし、面倒だと思うことも多々ある。だからといって外界との交流を自ら遮断してしまうと、そこで以前からの付き合いである人たちとの交友関係は一気に冷めてしまう。そこで、これで自由だと感じるかと考えると答えは否だろう。外に出て人と関わるのは嫌になるから働かない。結局は親・兄弟に頼るようになるのではないか。そうなれば、福沢諭吉が言うように他人の権利を妨げたことになる。(Y・F/高2女子)

日本人には他人からの影響を受けすぎてしまう人があまりに多すぎるのではないだろうか。諭吉の言う、「精神的な独立」が未だにできていないのだ。昔からの集団主義の名残が、二十一世紀になっても抜けきらない。この国で生活していくには常に周囲に気を配っていなくてはならず、もしうっかりそれを怠ろうものならたちまち「空気が読めない」だの「非常識」だのと笑われてしまうのだ。「KY」なんて略語まで流行した。他の国の人から見れば信じられないことであろう。(R・F/高2女子)

私たち高校生にとって「流行」という言葉は、一種の魔法のようなものだ。「流行」という言葉がつくものは、なんとなく気になってしまい、買わずにはいられなくなる。そして、一人が持ち始めると、二人、三人とどんどん広まり、ついにはクラスの子全員が全く同じものを持っているということも珍しくない。(中略)そんな私がこの本の「自由」という章を読んで、「『自由とわがままの違い』『精神の独立』というものを考えなければならないのではないか」と感じた。今まで、私は「他人と同じが安心だ」という考えを持っていた。しかし、他人と同じものが、実は間違いだったということも少なくない。(Y・K/高2女子)

今日、自由という概念が一人歩きしているように私は感じている。その結果、自由は制限の中で成立しているという条件が忘れ去られ、そして、自由は正義になってしまっている。例えば、アメリカは自由を強く主張している。そして、他国に対しても、自由が尊重される国を作るようにと圧力をかけている。確かに独裁者によって自由を奪われ、苦しんでいる人々がいる国に対してはアメリカの主張は正しいと思う。しかし、イスラーム国家に対して自由な国家を作るように政教分離をせまるのは間違っていると思う。(K・S/高3男子)


●第4章 『独立』
(どうして優秀な人たちに国を任せておくだけじゃだめなの?)

現在日本国内では政治に関する不信感が強まっている。なかなか決まらない予算案・解決に向けて発展しようとするが進まない国際問題、総理への支持率低下……など多くの問題点が挙げられるが、本当に悪いのは政府だけなのであろうか。(中略)投票する権利を持っているのに面倒臭いからと国の代表を決める議員の投票に行かない。その上決まってからケチをつける……といった「独立」をせずに責任から逃げている国民がたくさんいると感じている。これでは日本を良くしようと活動に励む正しい人達は報われない。正しい行いをしても不満を言われ、あげ足ばかり取られそれが原因で次々と辞任してしまうからだ。(R・M/高2女子)

外国との距離が縮まった現代、「国家の独立」の重要性は増した。密接な対外関係では、一国の立場や見解を明示していく場が無論多いからである。その中で日本は、諭吉のいう「家に飼っている痩せ犬のよう」であってはならない。国力の凋落は国民にも大きく悪影響が及ぶ危険がある。そのようなことにならないように、私達は自身の独立を志すことで日本を守っていかなくてはならないのだと思う。現代、守るべき対象は戦争や帝国主義からの日本ではなく、国際問題の中での日本である。(K・K/中2女子)

独立した個人となるには、どうしたらよいのでしょうか。第一に二国間の問題の処理を例に考えました。仲の悪い二国間で、角と角を合わせるのは無意味なこと。それよりも、国際連合を舞台に、各々が自国の考えを述べ合い、国際社会に問えばよいと思いました。(中略)第二に、私は、これから、どんどん海外に出かけて行き、積極的に自身の気持ちや考えを、海外の人たちにぶつけていくことにしました。(中略)個人が、自身の義務に、そして可能性に気づき、しっかり独立をする。そのうえで、他者に働きかけていく。そんな過程が、いま、求められていると、私は福沢先生から学びました。(T・O/高2女子)


●第5章 『就職』
(自分に合う仕事が見つからない時はどうすればいい)

就職しない人間は周りを責めるということですが、いわゆるニートがそのような現象だと思います。時や運を待っていたらいつまでたっても仕事をすることができません。そういう人たちは、上手くその場をごまかして仕事をする気がないだけなのです。私はそんな、就職もしないで偽善者ぶった人間には絶対なりたくないです。私は時や運に任さず、自力で自分に向いている就職先を見つけたいと思っています。もしそれが理想と違っていても、それを受け止められるような人になりたいです。(C・Y/高3女子)


●第6章 『失敗』
(どうして人は失敗するの?なぜ人生は思い通りにいかないの?)

僕は、これはまさに僕のことを表していると思いました。夏休みや中学校生活などとにかくたくさん時間があるので、つい終わらせる時だけを考えてしまって、実際どうやって終わらせるかも考えていなかったと思います。だから、口から出まかせというわけではないけど、言っていたことができなくなってしまったのだと思います。僕はこれから計画を立てたりするときは、実現にかかる時間、しなければならないことなどをしっかりと考えていきたいと思います。それと、できるかぎり期限を短い間にしぼって確実にできるようにしていきたいです。(Y・U/中2男子)

決意がある人というのはそれを成せる余裕がある人なのに、それができないのはどこかに決意を崩す思いがあるということです。その弱い心とは、きっと決意を成功させなくても大丈夫だという余裕なのだと思います。(中略)これらのことを通じて、僕が心がけたいことは、決意の後に、余裕がまだあるという気持ちをなくすことです。大事を成す人はそういった余裕を考えず、必死で何かを頑張った人が多いので、僕もそれを見習っていきたいと思います。(S・Y/中2男子)

その他にも失敗から生み出されたものが数多くあります。現在の社会は失敗から成り立っているといっても過言ではないかもしれません。そして現在の社会には人間の失敗が引き起こしている問題があります。例えば地球温暖化です。温暖化に限らず、地球の環境問題は全て人間が引き起こした失敗です。しかし、先ほどから述べている通り人間には失敗から学び乗り越えていく力があります。これらの問題について人間一人一人が失敗を見直し、学び乗り越えていく必要があると思います。(K・S/高1男子)

失敗を重ねることで新たな発見をたくさんしていき、それが積み重なっていくことによって、一つの成功・一つの喜びが生まれるんだと今なら思うことができます。この章を読むまでは気づかなかったけど、一つ一つの失敗には必ず何らかの不足があって、その不足とは自分の体験不足ということに置き換えられるような気がするのは私だけでしょうか。意味がないと思える体験だとしても、何年か後には「良い経験だった」と思うことができ、誰かが自分と同じことをしようとするならば一つの目安として教えることができるはずです。(中略)人と手を組んで一緒に考えれば、失敗を一つでも減らすことができ、次のことに対するやる気が増してくる、と私は信じています。(M・U/高3女子)


●第7章 『学問』
(いったい何を学べばいいの?この先どこまで学べばいいの?)

十四章ある中から、僕は七章目の「学問」を選びました。なぜこの章を選んだかというと、勉強についていろいろな疑問があったからです。(1)毎日の生活の中でどうして勉強しなくてはいけないのか、(2)はたして勉強は世の中の役に立つのか、(3)父母は「社会に出てからも、日々勉強が必要なんだよ。」と言うけれど、いったいいつまで勉強しなくてはいけないのだろうかという疑問です。目次をみていて、これらの疑問に答えてくれるのではないかと思いました。(T・S/中2男子)

この本を読むまで、僕は福沢諭吉というのは一万円札の人ということしか知りませんでした。そこで調べてみると今の慶應義塾大学を百五十年前に始めた人だということを知りました。百五十年前というと、江戸時代の終わりで明治になろうとする頃でした。その頃はペリーが黒船で日本にやってきたのを始めヨーロッパの国々が日本に開国を迫っているときでした。坂本竜馬が活躍したのもその頃でした。こんなふうに外国の圧力を受けていたので、明治時代になっても、日本の将来を考える人達は日本は強い国にならなくてはならない、しっかりと独立しなければならないと考えていました。(T・U/中1男子)

この本によると学問を研究する上で大切なのは議論や講演による知識の交換であるが、恥ずかしがってそれをしようとしないのが現在我々が抱えている学問の課題らしい。たしかに、「物事の真理を推理し自説を述べる」というのは学問において重要なことであり、それをするには議論をする場が必要である。しかし、この本にも「学問の本質は精神の働き」とあるように、学問を身に付ける上で最も大切なのは真理を追求するためにその分野をとことん研究しようとする心だと思う。(K・K/中2男子)

国際的な学習到達度調査(PISA)の結果が先日発表された。この調査は経済協力開発機構(OECD)が行っている、学力に関するものである。今回のテストでは六十五か国、地域の四十七万人が参加した。日本は読解力が八位、数学の応用力が九位、科学の応用力が五位という結果であった。これは客観視するとそう悪くはない。だが、上海の結果と比較してみるとどうであろうか。上海は前期の三つのテスト全てで一位を獲得している。(中略)これが近年散々言われ続けてきた「ゆとり教育」の産物ではないだろうか。(K・Y/中2男子)


●第8章 『品格』
(人間の品格は何で決まるの?品格を高めるにはどうすればいい?)

四つ目は「我々の責務は、今日この世において我々が生きた証を残し、これを遠く後世の子孫に伝えるという一事にある」というところです。この部分を読んだとき、人はなぜ生きているのかが、少し分かった気がしました。今、こうやって僕たちが豊かな生活を送っているのは、自分たちの先祖のおかげだと思います。ただ、金持ちになるのではなく、先祖がやってきたことを受け継いで、それをさらに進化させていくことが、僕たちの役目だと思います。そして、今僕たちが先祖の人を尊敬しているのと同じように、子孫に僕たちを尊敬してもらえるような存在になっていきたいです。(I・T/中2男子)

この頃、社会の役に立つ人であろうとか、後世に何か恩恵を残そうとか考えている人は、ほとんどいないように思えます。時が経つにつれて、周りはどんどん進化していき、私たちにとって便利でよりよい生活のできる世の中になっています。でも、それは後世へ恩恵を残すため、生きる証を残すためではなく、人間の「欲求」から生まれてきたものではないでしょうか。私たちの衣食住をよりよくするために文明は進化をとげ、その進化の上にさらにまた新しい発見が積み重なっていくだけであって、人が自分達のことを考えていくことをすると偶然、子孫に感謝されるような結果になったというように思えます。なので、生きた証を後世に残すことが責務だという考えにはあまり納得できません。(H・F/高2女子)

同じものを子孫に伝えていくだけでは、何も変わらないのだと思いました。自然まかせではなく、自らが行動をおこせば、その土地に人類進歩の痕跡を残せると思います。実際に、歴史に名前の出ている人達は、自然に流されることなく、自らの意思で行動をおこしている人です。衣食住を得て満足しているだけでは、生まれて死ぬだけだと書かれていたのを見て、本当にその通りだと思いました。私は、そんなに立派な事はできないけれど、せめて誰かの心に残るような“何か”をしたいと思います。(A・M/高2女子)


●第9章 『真実』
(どうすれば真実が見抜けるの?疑問はどうやって解決するの?)

「何を信じて何を疑うかが大事」というタイトル、これこそが一番大切であり、また一番難しいことでもあるように私は思っています。といいますのも、私が今しているインターネットを使ってのオークションやネットトレードなどがあげられます。オークションでは、売る側は「新規の方や評価の低い方は無断でキャンセルさせて頂く場合がございます」と書かれており、また買う側は出品者のこれまでの評価を見て落札します。さらに、ネットトレードなどの場合はお互いの住所を教えあって品物を送るのですから、慎重に相手を選ばなければなりません。(T・S/高1男子)

福沢諭吉は「世間の愚かな人々は、人の言葉を信じ、本に書かれた言葉を信じ、俗説を信じ、噂を信じ、神仏を信じ、占いを信じている」と記していましたが、果たしてそうでしょうか。確かに信憑性のないもの、それを裏づけるものがないものが多く、う呑みにしてしまうと多少の損をしてしまうこともあるでしょう。ですが、それらを信じることによって、夢や希望を得ていることもあります。また、それを偽りと知りながら信じている人もいるからです。私は決して愚かだとは思いません。むしろ夢のある話で、その夢が人生を豊かにするものの一つになっているのではないでしょうか。(A・T/高3女子)

私は本を読むことがあまりありません。ですが、これから読んでいこうと思うようになりました。いろいろな知識を身につけ、あらゆる視点からの考え方を身につけることが今の時代の私達に必要だと思ったからです。そうすると真偽はたちまち変わって、昨日確信していたことが今日は大きな疑問となったり、今日疑ったことが明日完全にわかることもあるかもしれない。そういう風に考えるととてもおもしろく興味深くなりました。(S・M/高2女子)


●第10章 『怨望』
(人間の性質で一番タチが悪いのは?なぜ人は他人を妬んでしまうの?)

現代が昔の大奥があったような時代だとしたら世の中はどうなるのだろうか。世間の最大の災いは、怨望であって、怨望の源が「自由のなさ」から生じているのだから、人の言論の自由は保障しなければいけないし、人の行動を制限してはならないのだ。人間が自由を制限されている限り、怨望の源は変わらない。災いは減らないのだ。現代は昔に比べて人は自由に生きれているし災いは減っている。私たちは幸せな時代に生まれたと思った。(M・K/高3女子)

ここに書かれている隠者というのは現代でいう引き籠もりではないのかなと思う。なぜ、今の日本に引き籠もりが多いのか、この章に書かれているように、心が弱く、物事に接する勇気がなく、度量が狭くて、人を受け入れることができない。まさにこの通りだと思う。自分が相手を遠ざけると向こうも遠ざけると思う。自分が相手を敵視すると相手も自分を敵視すると思う。(中略)イジメも自殺も引き籠もりも言葉は変わっているけども、明治時代からあったもの。それらは全て人間のもつ「怨望」からくるものだ。(Y・Y/高3男子)

学問の自由も言論の自由もある現代になってもなぜ怨望は消えないのか。それは、福沢諭吉の言う「嫉妬の気持ちを断って、お互いが競争し合うような勇気を持ち、幸福も不幸も世間の評判も自分の力で選び取る」ということができない人がいるからだ。確かに、最初から競争から抜け嫉妬するだけというのは、とても楽である。しかし、皆平等に努力できるようになった現代では、運だけで幸福になるのはもう難しい。努力しなければその分幸福はつかめないのだ。このような世の中が「いい意味での『自業自得』の社会」なのだと思う。(A・K/高1女子)

この視点で見ると残念ながら現在の日本の政治の世界で同じことが起きているのではないかと思います。国の問題が山積みになっているにもかかわらず、与党・野党の対立だけでなく、同じ党の仲間同士でさえいがみあっている状態はあきれるばかりです。このような状況を福沢諭吉は見通していたのでしょうか。彼のはっきりとした指摘を読むと「怨望の災い」が生まれにくい状況は明治時代、欧米の方が優れているということでしたが、日本はまだその時代から全く進歩していないのでしょうか。(S・I/高2男子)

この本には人生を活発に生きようという気力は、物事に接しなければ生じにくいもので、自由に発言し、自由に働き、どうなっても本人の行動の結果に任せるべきで、他人でもその行動を妨げてはいけないと書いてありました。(中略)わたしは自分自身が妨げてもいけないと思います。自分で自分に素直になるだけでいろいろなことに接することができるようになり、人生はどんどん活発になるはずです。私も本音を大切にして、いろいろな人と付き合えるようになりたいです。(C・I/中2女子)

今、日本全国に自殺する若者がいると聞きます。それはいじめが原因になったケースもあるそうです。いじめは悪意を持ったものだけでなく、なかにはいじめている当事者は冗談のつもりでも、その言葉や行動で相手は傷ついてしまうこともよくあると思います。これはお互いのコミュニケーション能力の低さが原因にあると思います。お互いが直接話をして、自分の思っていることを言えば、いじめたりふざけたりしているほうも自分の反省点に気づけるはずだと思います。(中略)この本にいじめに直接関係することは書いてありませんでしたが、いじめや友達とのつきあい方を考える上でヒントとなることが書いてあり、とても参考になりました。(I・M/中2男子)


●第11章 『人望』
(やっぱり人は見かけなの?人に好かれるにはどうしたらいい?)

福沢諭吉は「人望」について、知恵や仁徳を手に入れ、人望を集めるには、活発に動いて多くのものに接し、知っていくことが大切であると説いた。そのために必要なことの一つとして、日本語をしっかりと使って演説などをし、話を上達させることを挙げている。私はその考え方に共感を覚えた。私は常々、英語を学ぶことも大切ではあるが、まず、日本語をしっかりと学ぶことのほうが大切ではないか、と思っていたからだ。(中略)日本語を豊かに使えるようになるということは、自分の感性を広げ、より深く物事を考えることにつながると思う。(S・H/中2女子)

世の中に「これが正しい」という教えがあったらどんなに楽かと、この本を読んで最後に思いました。だってその教えにただすがって生きていれば何一つ間違いがないのだから。だけどそういうわけにもいきません。「人を教育する学者」が数え切れないほどいるからです。(中略)ちょっとずつ違ういろんな考えを持った人がいる。たぶん世の中とはそういうものなのだと思います。福沢諭吉さんもその世の中に自分の考えを出して大きな影響を人に与えたので、それは本当にすごいことだと思います。私も将来は少しでも自分の周りとちょっとずつ違う考えを伝えることができたらなあとこの本を読んで思いました。(N・M/中2女子)

「立場が違う人とも友人になろう」という題を見て、数ヶ月前、テレビ番組で見たことを思い出しました。それは、柔道のジュニアで世界中の子どもたちが集まって、交流を深めようという内容でした。(中略) 柔道を習っている子どもたちが気づけたので、世界のみんなも気づくことがいつかは必ずできるはずです。同じ人間だから分かり合える日が来て、仲良くすることができるということに。私はそんな日が一日も早く来てほしいです。福沢諭吉さんが生きていた時代にも、この本を読んで、私と同じことを考えた人がいたらいいなと思いました。時代というのも立場の一つに入ると思います。こんなふうに、時代をこえて、人と人がつながれるということも素敵だなと思いました。(S・Y/中2女子)


●第12章 『政治』
(国民主権ってどういうこと?政治に不満があったらどうする?)

今の国民は懐疑的になっている。確かに疑ってかかれば何でも怪しく見えてくるし、信じられなくもなる。そこから政治的無関心は生まれてくる。諭吉は恐らくこんな風な日本を想像していなかっただろうし、またなっても欲しくなかったに違いない。諭吉は国民と国家は同一のもので、当然そこには強い信頼関係があるものだと思っているに違いない。諭吉が想像だにしなかった前提の段階で我々は苦しんでいる。(N・F/高2男子)


●第13章 『法律』
(変な法律でも守るべきなの?どうして復讐しちゃいけないの?)

今の日本では善人は守られていないように見える。政府が動き出すのはいつも悪人が善人に危害を加えた後だ。現代の日本で諭吉の思いが達成されるのは難しいだろう。また、被害者にも犯人を罰する権利はないとあるが、これもその通りだ。いくら自分の大切な人が殺されたからといって、その殺した人間の命を自らの手で奪うことは許されない。しかし、人間なので感情というものが存在し、頭で理解していても衝動を抑えることは難しい。なので、このような被害者が自らの手で罰しようと思わないような罰を政府が犯罪者に与えるべきだ。(S・Y/高3男子)

このように、昔も今も法律違反をするのはなぜだろうか。それは、見つからなければ何をしてもいいという意識の低さもあるが、法律が複雑で膨大なせいもあるだろう。本屋で六法全書を見たことがある。あんなに厚い本に法律がたくさん載っていると思うと、気が遠くなる。国民は、こんなにたくさんあって複雑な法律は覚えられるはずがない。だから、もっと簡単な分かりやすい法律に変えれば国民が覚えやすくなると思う。その点については、福沢諭吉が「法律はできるだけ簡素なほうがいい」と言っている通りである。(T・S/中1男子)


●第14章 『国家』
(国のために何をすべきなの?国と民間の関係はどうあるべき?)

国家とは集団である。そのコミュニティに属する人間によって構成される。(中略)日本に生まれれば日本人、アメリカに生まれればアメリカ人だ。しかし、現在はハーフや国籍の変更などによって、そのような固定観念はなくなりつつある。それは悪いことではない。それゆえに、国家とはなにかという問いがより大きくなるとも言えるだろう。では、企業などとは何が異なるのか。選択の自由がないのだ。人間は生まれたとき、今居る場所、両親、血筋、なんらかの要素で国籍が決定される。望むと望まざるに関わらず、だ。そこで生まれたからには、その巣のルールに従わなければならない。巣の外に放り出されるようなことになれば、生きていくことは簡単ではないからだ。(T・O/・高2男子)





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