「ヴィーナスはぁと」バックナンバー バックナンバー一覧

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2001年11月22日発行(毎週木曜日配信)
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          女性国会議員メルマガ『ヴィーナスはあと』 第2号

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  ***   ***  「ヴィーナスはぁと」は超党派の女性国会議員19人が集まり、
 *****v*****  情報を発信していくメールマガジンです。
 ***********  創刊号の反響は大きく、女性議員に対する国民の期待の
  *********  大きさを感じました。マスコミにもたくさん取り上げて
   *******  もらい、まずは、順調な滑り出しです。
     ***  「『ヴィーナスは、後』だと思っていた」という声が
      *  寄せられたので今回から「あ」の字を小さくすることにしました。
    「ヴィーナスはぁと」をこれからもよろしくお願いします。


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目次
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■ヴィーナス議員たちは、なぜ政治家をめざしたのか?
水島広子(民主党) 武山百合子(自由党)
石井郁子(共産党) 千葉景子(民主党)
山内惠子(社民党) 八田ひろ子(共産党)
■「ヴィーナスはぁと」参加議員一覧
■編集後記

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ヴィーナス議員たちは、なぜ政治家をめざしたのか?
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先月にひきつづき、それぞれの議員に、自己紹介と「なぜ政治家を目指したのか」
を語っていただきます。精神科医、大学助教授、主婦、教師、銀行員……、それぞれ
の人生を歩んでいた彼女たちでしたが、「危機感」に駆り立てられて、「政治家」へ
の道を踏み出しています。
 人生を変えるほどの「危機感」とは、いったい何だったのでしょうか。

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水島広子(民主党・衆議院・栃木)
「精神科医として、子どもたちの心の状態に強い危機感を抱きました。
子どもたちが健康に育たない国に未来はありません」
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なぜ精神科医の私が政治に?

精神科医として働いていた私は、今の日本の社会が私たちの心の健康をいかに蝕ん
でいるかを痛感してきました。特に、一番の専門であった思春期前後の子どもたちの
心の状態には強い危機感を抱きました。子どもたちが健康に育たない国に未来はあり
ません。子どもたちを育てているのは大人社会ですから、大人社会がいかに病んでい
るかのあらわれだと言えます。

日々の診療の中でそのことを痛切に感じた私は、社会全体を治療しなければならな
いという危機感を持って、いろいろな活動に取り組んでまいりました。98年に初め
ての子どもが生まれたことも、その気持ちを強めました。

そんな折り、雑誌で、民主党の「女性候補者公募」の広告を目にしました。自分自
身が政治家になるなどと全く考えたこともありませんでしたが、社会を変えるにはそ
のくらいのことをしなければならないと思い、応募し、採用されました。ところが、
与えられた選挙区は、栃木1区。東京で生まれ育った私には縁もゆかりもないところ
で、しかも、現職の閣僚経験者が堅い地盤を持つ保守的な土地柄です。

非常に迷いましたが、多くの人がこのような状況で後込みしてきた結果が今の日
本なのだと考え、夫とも相談した結果、思い切って立候補を決意しました。そして直
ちに、当時1歳半の娘と夫とともに、宇都宮市に引っ越し、地元の方々に徐々に受け
入れてもらいながら活動を続けました。東京とは全く違う厳しい寒さにも耐え、8カ
月間、毎日、街頭演説や戸別訪問を地道に続け、「子どもたちが健康な心を持って成
長できる社会の実現」という一点だけを訴え続けました。そして、奇跡とも言える当
選を果たすことができたのです。

 当選直後の臨時国会では、新人議員としては異例の「代表質問」の機会を与えてい
ただきました。また、今年の9月には第二子が誕生し、衆議院議員としては初の産休
を取得しました。これからも当たり前の生活をしながらの政治活動を続けていきたい
と思っています。

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武山百合子(自由党・衆議院・北関東)
  「アメリカで20年間生活して、初めてわかったんです。
日本は、国民中心の社会じゃないんだってことが……」
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こんにちは!自由党衆議院議員の武山百合子です。私は今、衆議院の石炭対策特
別委員会の委員長、文部科学委員会の委員、そして自由党の環境部会の部会長を務め
ています。93年に衆議院議員になって3期目です。でも10年前の私に、今の私は
想像できませんでした。

中央大学を卒業して3年ほどOLをした後、結婚と同時にアメリカに行きました。そ
して93年まで20年間アメリカにおりました。アメリカでは3人の子供を育て、
ニューヨークの補習学校で15年間先生をしていました。その私がなぜ国会議員に
なったのか不思議に思う方もいらっしゃるでしょう。でも20年間アメリカで生活し
たということがポイントになっているんです。

外の世界から自分の生まれ育った日本を見ていたら、良いところも悪いところも含
めて、日本の現状が初めて理解できました。日本は経済大国と言われています。でも
アメリカと比べたら規制で抑えられていることが多くて、国民中心の社会とは決して
言えないんです。また誰もがおかしいと思っていることもなかなか変えられない状態
なんです。

そんな日本が見えてきて、私はいつの間にか「普通の主婦が普通の感覚で政治に
参加できないものかしら」と考えるようになりました。20年の海外経験を活かし
て、女性、妻、母の立場から広い視点で、今までの日本を正論で正したい、理想の社
会に向けて一新したいと思うようになりました。

そんな頃、日本新党が総選挙の候補者を募集しているという話がアメリカにいた私
の耳にも入りました。「これはきっと二度とないチャンス!」そう直感し、腰が抜け
るほど驚いた夫を必死に説得し政治の世界に入りました。


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石井郁子議員(共産党・衆議院・近畿)
「『日本をアメリカの浮沈空母に』という発言があった頃でした。
子どもや女性が不条理に泣くことのない世界を作らなければ、と」
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こんにちは。石井郁子です。

 1984年の夏、44歳のとき衆議院選の候補者にと、日本共産党から要請されたときは
青天の霹靂でした。人生には自分の意志とは別に急展開するときがあるものです。
 この頃、私は、大学の助教授として研究と教育に没頭し、一方「日本をアメリカの
浮沈空母に、その乗組員をつくる」という中曽根首相発言(当時)に危機感を募らせ
ていました。

 子どもは政治を選べないのです。私自身、政治を変えなければと歩んできたのでは
なかったか。この時私は、日本共産党員として私に与えられた試練と受け止める決心
をしました。1986年総選挙で初挑戦、初当選。フィリピンではアキノ大統領が誕生し
た時。私も黄色をシンボルカラーに華やかな選挙をたたかいました。公約に掲げた
「子どもらに愛と希望の教育を」は、今も私の熱い思いです。

 私は、教員をしていた父のもと北海道の農村と炭鉱の町(芦別市)に育ちました。
北海道学芸大学に入学し、教師への道を志したのは、父の影響もさることながら、貧
しい生活を変えねばという思いと、女性として生きがいのある仕事を考えてのことで
した。

 北海道大学大学院へ進学、8年間の大学院生活で、就職を半ばあきらめかけていた
時、最後の挑戦のつもりで、大阪教育大学に公募し就職。家族あげて北海道から大阪
へ移り、息子たちの保育所通いなど、大阪での共働きの忙しい生活をその後14年間続
けました。立候補する時、当時中学生だった息子は「お母さんの人生だから」と言っ
てくれたことが決断につながりました。

 1996年秋、2期目、国会に戻りました。党文教委員会責任者を経て、2000年11月か
らは、党副委員長、党女性委員会責任者として全国駆け巡っています。国会では「児
童虐待防止法」の提出者になり、新法が成立。また、30人学級法案を3野党で提出す
るなど、子どもと教育問題で全力投球しています。

 女性が「一人の人間として社会に役立って生きたい」と思うとき、どれほど壁は厚
く、困難に出会わなければならないことか。政治を変えたいという私のエネルギーは
ここから生まれてきます。女性や子どもが、不条理に泣くことがないように、日本と
世界の平和な未来のために、女性の共同の輪を広げたいと思っています。


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千葉景子(民主党・参議院・神奈川)
「昔の夢は天文学者。一生の仕事と決めていたのは“弁護士”。
それが、突然の立候補要請に、思わず“はい”と……」
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こんにちは。千葉景子です。
 生まれも育ちも横浜で、選挙区は神奈川です。

 いわゆる団塊の世代で、何事につけ、イモの子を洗うような状態にあり、小学
校では午前午後の二部授業も行われていました。現在の30人以下学級編成など
想像だにしませんでした。まわりの目が行き届かなかったことが良くも悪くも影
響したかどうかはわかりませんが、それぞれ個性的にたくましく生きてきた世代
かもしれません。

 さて、私のそもそもの将来の夢は、天文学者になることでした。小学校の頃、
渋谷にあった「五島プラネタリウム」を見たことがきっかけになったように思い
ます。しかし、夢とは現実にならぬが世の常。理数系に限界を感じて私の夢は消
えました。大学の法学部を選択、女性でも自ら仕事を持ち、社会の一員として自
立した生活をしたいと考えたからでした。大学時代はいわゆる全共闘運動の高揚
期で、私も大いに政治的に過ごしました。

しかし、だからといって政治家をめざしたわけでは全くありませんでした。その
後紆余曲折を経て司法試験に合格、弁護士として歩みだしたものです。金とは縁
遠い事件ばかり、働く人々、女性、住民の課題、在日外国人、そして刑事被告人
等と悩みを分かち合い、これを一生の仕事と覚悟を決めていたものです。

 人生何があるかわかりません。私の前任者が「元気なうちに後進に道を譲ろ
う。新しい候補者はできれば30代、女性はどうか」との考えを示され(先駆的
だったと思います。何しろ現在から15年以上前ですから)、関係者の頭に浮か
んだのが、地味な風さいで重いカバンを提げて裁判所通いをしていた私だったと
のこと。話を受けた私も、あまりに突然なことで前につんのめり、思わず「ハ
イ」。政治家への第一歩が始まりました。それ以来現在まで、身なりは少し派手
になったものの活動の基本は"市民"。人権にこだわり、天文への夢は趣味となっ
て続いているのです。


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山内惠子(社民党・衆議院・比例)
「憲法が危ない!教育基本法が危ない!それで、引き受けました。
『きっぱり護憲・子どもに元気・核のない北海道』を!を公約に」
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はじめまして!北海道・旭川市出身の山内惠子です。夫あり、子どもなし、ピレ
ネー犬の愛犬ゴーギャンとマリーが家族です。

 私は、30年間小学校の教員をしました。その間、4年間、北海道教職員組合の女
性部長(当時は婦人部長)として、札幌で専従をしました。退職前の4年間は、日教
組(日本教職員組合)の専従で女性部副部長・女性部長をしました。

 8年間も単身赴任生活をしましたから、退職したら、車の免許をとって、愛犬ゴー
ギャンをレガシーに乗せて、さわやかな緑の風の中を颯爽と走って、母の看病にかけ
つけたり、少しはスケッチなんかして暮らしを楽しみたいと思っていたのです。お世
話になった友人知人には、「北の大地を私の車で案内します」なんて散々PRして北
海道に帰ったのでした。

 でも、それはつかの間の夢でした。「1月に憲法調査会がスタートした」とか、
「教育勅語にもいい所がある」などと危ない発言が新聞をにぎわし始めた5月・・。
「神の国」発言もありましたね。「社民党から6月の衆議院選挙に出てほしい」と言
われた時は悩みましたが、「わかりました。6月25日の投票日まで全力をあげて北
海道をまわります」と答えました。当選するとは思っていなかったのです。

 その時、10歳を過ぎて体調をくずしていたゴーギャンは妹に、入院していた母の
ことは兄に託しての選挙戦でした。ゴーギャンは、私の当選を見届けて昨年7月12
日に亡くなりました。母のことはとうとう看病もできませんでしたが、「社会でいい
仕事をしてくれることが何より嬉しい」と言うのが母の言葉でしたので、許してもら
うことにしました。もうすぐ90歳という今年9月6日に亡くなりました。いい仕事
で応えることが母に報いる道と思いながら、課題の重さの前にたじろぎを覚える日々
です。

 いま、日本は本当に危ない道を歩き始めてしまっています。何とかしなくてはと思
います。空爆の下で身をふるわせているアフガンの子どもたち、人々に想いをはせて
・・・。

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八田ひろ子(共産党・参議院・愛知)
「同期入社で同じ仕事なのに、半年ごとに男女の賃金格差が開いていく。
みんな“いい人”なのにナゼ? と疑問が広がってきて…」
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みなさん、こんにちは。日本共産党の八田ひろ子です。どうぞよろしくお願いしま
す。

私は、日本国憲法がつくられた年に生まれました。小学校や中学校で憲法を特に勉
強した記憶はありませんが、人を人として大切にすること、二度と戦争をしないこと
が日本の国だと教えられてきました。
この年頃には、アフリカ諸国の相次ぐ独立、国内では安保条約改定に反対する運
動に胸をときめかすだけで“政治”は嫌いだと思っていました。

しかし、高校時代のアメリカによるベトナム侵略戦争、銀行に就職しての、思いも
かけなかった男女差別を知って人生観が変わりました。当時は、テレビや新聞の報道
で「ベトナムの人を助けてあげる米国」と思いこんでいた私は、「アメリカの侵略」
を鋭く追及する新聞“赤旗”(日本共産党の機関紙)の写真や記事を学友に見せら
れ、大きな衝撃を受けました。反射的に「赤旗はウソ!」と思いました。

でも、それからしばらくして“NHK”も“中日新聞”も赤旗と同じような記事と
写真を報道するようになりました。職場の問題では、同期で入社して同じ仕事なのに
半年ごとに男女の賃金の格差が開いていく制度! サービス残業・結婚退職 etc、
みんな“いい人”なのにナゼ?という思いが募りました。そんな時、疑問を解明する
ために学び、改めて日本共産党を知りました。問題意識を持たないように過ごしてき
た、それまでの日々に答えが出なかった多くのできごと。平和・人権・差別・“女ら
しく”よりも人間らしく生きるということ…。社会の進歩と発展の中でこそ、一つ一
つ解決できる。自分も社会の変革者の1人として働きたいと日本共産党に入党しまし
た。特に国会議員になりたいと思ってきた訳ではありませんが、共産党員としてス
タートした初心を大事にして、一生懸命勉強してがんばりたいと思っています。

岡崎市で初めての女性議員として送っていただいた1975年は、ベトナム戦争の勝利
の年。国際婦人年でもありました。その後、夫の両親の介護や3人目の子どもの出産
など、たくさんのみなさんのお世話になって感謝するばかりです。

人間を大事にしたい。政治に愛を! 国政でこそ実現したいと今日も「憲法9条」
バッチをつけて走っています。

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「ヴィーナスはあと」参加議員一覧
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「ヴィーナスはあと」に参加してくださったのは、次の19名の方々です。詳しいプ
ロフィールを知りたい方、顔写真を見たい方は、ロゼッタストーンホームページで公
開しています。⇒ http://www.rosetta.jp/

●衆議院
  石井郁子(共産党・近畿) 川田悦子(無所属・東京)
  瀬古由起子(共産党・東海) 武山百合子(自由党・北関東)
  中林よし子(共産党・中国) 松島みどり(自民党・東京)
  水島広子(民主党・栃木) 山内惠子(社民党・北海道)
  山口わか子(社民党・北陸信越)

●参議院
有村治子(自民党・比例) 井上美代(共産党・東京)
岡崎トミ子(民主党・宮城) 小宮山洋子(民主党・比例)
千葉景子(民主党・神奈川) 西山とき子(共産党・京都)
八田ひろ子(共産党・愛知) 広中和歌子(民主党・千葉)
福島瑞穂(社民党・比例) 吉川春子(共産党・比例)

計19名(敬称略)


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編集後記
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「ヴィーナスはぁと」第2号は、いかがでしたか?
彼女たちと同じような危機感や疑問は、誰もが感じたことがあるのではないでしょ
うか。
「この人なら自分の考えていることをわかってくれるかもしれない」という議員を見
つけたら、ぜひ要望や質問などお寄せください。来年1月には、読者の方からの疑問、
要望をヴィーナス議員たちにぶつける予定です。
批判、中傷だけでは、社会は変わりません。難しいけれど、なるべく前向きで建設
的な意見をお願いします。

(ロゼッタストーン・弘中百合子)

 御意見、ご要望はこちらまでお願いします。vheart@rosetta.jp

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■次号予告
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次回は、11月29日(木曜日)発行。執筆者は

松島みどり(自民党)、 広中和歌子(民主党)、 井上美代(共産党)、
山口わか子(社民党)、 西山とき子(共産党)、 岡崎トミ子(民主党)、
中林よし子(共産党)

の7名です。


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女性国会議員メルマガ『ヴィーナスはぁと』
編集長:ロゼッタストーン 弘中百合子
発行 :株式会社ロゼッタストーン
(〒171-0021 東京都豊島区西池袋5ー27ー9ー101)
Copyright(C)ロゼッタストーン 許可無く転載することを禁じます

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