「ヴィーナスはぁと」バックナンバー バックナンバー一覧

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2001年11月29日発行(毎週木曜日配信)
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          女性国会議員メルマガ『ヴィーナスはあと』 第3号

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  ***   ***  「ヴィーナスはぁと」は超党派の女性国会議員19人が集まり、
 *****v*****  情報を発信していくメールマガジンです。
 ***********  今月は、それぞれの議員が自己紹介と、
  *********  「なぜ議員になったのか」を語っています。
   *******  今回ですべてのヴィーナス議員が登場します。
     ***  自分が共感できる人、同じような問題意識を持っている
      *  議員を見つけたら、ぜひ、質問や要望などお寄せください。



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  目次
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■ヴィーナス議員たちは、なぜ政治家をめざしたのか?

  広中和歌子(民主党)  井上美代(共産党)  山口わか子(社民党)
  西山とき子(共産党)  岡崎トミ子(民主党)   中林よし子(共産党)

 ■「ヴィーナスはぁと」参加議員一覧

 ■編集後記

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  ヴィーナス議員たちは、なぜ政治家をめざしたのか?
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 女性が「政治家」をめざすのには、いくつかの傾向があるようです。弁護
士や教員、医者など、自分の仕事を通じて社会の矛盾を感じる。海外に出た
ことで日本の問題に気づく。職場で受けた女性差別が社会を考えるきっかけ
になる。市民運動をしているうちに政治に興味を持つ。身近な家族の苦労を
見ているうちに、世の中が抱えている問題に行き当たる……etc.よほど特
別な事情があったというよりは、意外に、普通の市民が感じているような疑
問から出発しているような気がします。
 さて、今回の議員たちにも、政治家をめざした時の「初心」を語っていた
だきましょう。


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  広中和歌子(民主党・参議院・千葉)
  「アメリカに長期滞在する中で、母国日本を強く意識しました。
  女性の生き方についても、国際比較の視点で考えるようになり…」
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 私の生まれ育った時代では、政治は男の世界というイメージがありました。
しかし、戦中、戦後を体験した私は子供心に政治の大切さを痛感し、政治の
リーダーシップによって国の命運だけでなく、国民の生活、幸福も左右され
ることを強く意識しておりました。

 その後、アメリカに留学、結婚し、長期滞在する中で、私は母国日本を強
く意識し、ボストン周辺の日本人とよく日本論、日本人論を語り合い、国際
社会の中での日本のあるべき姿を考えたものです。そんな中、"Japan as
No.1"を翻訳出版しました。

 又、アメリカの中でウーマンリブを経験し、女性の生き方についても国際
比較の視点で考えました。近所のハーバード大学で歴史や心理学などを聴講
したり、有吉佐和子の「華岡青洲の妻」を英訳し、日本の家制度、その中で
生きる女性のたくましさと哀しさを紹介したりしました。又、日本の雑誌に
アメリカの社会、家庭、教育、女性の生き方などについてエッセイを書いた
りしました。1979年には日本での国際女性学会の設立に関わり、第1回国際女
性会議を成功させ、又、翌年にはウーマン・リブの母と言われる
ベティ・フリーダンを日本に招きました。

夫の仕事の都合で日本に戻ると、京都市教育委員、文部省教育課程審議会
委員、そして講演の機会を頂くようになり、こうした一連の活動を通じて、
1986年参議院比例区に公明党の推薦を頂き、出馬し、当選しました。幸い二
人の子どもも大学生になっており、フルタイムで政治に関われる立場でした。
以来15年、細川内閣で閣僚も体験させて頂き、政界再編を経て、現在民主党
の一員として政治というすばらしい分野で働けることを感謝し、頑張ってい
ます。

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  井上美代(共産党・参議院・東京)
  「平塚らいてう氏らと連動して、女性の地位向上を訴えてきました。
  女性や障害をもった人、高齢者の願いを国政につなぎたい」
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 みなさん、お元気ですか?

 私は、4姉妹で育ったこともあり、女性蔑視もあまり知らず、戦後の新憲
法の下、希望と意欲に燃えた青年教師の教育を受け、新鮮で自由な教育環境
で育ちました。新しい日本をつくるのだと、子ども心にも、政治への関心を
もち、大学でも政治を学んできました。

 卒業と同時に外務省に入りましたが、社会での男女差別、女性への偏見な
ど体験するなか、問題意識も広がり、女性の地位向上をすすめる連帯行動の
大切さを感じています。

「元始、女性は実に太陽であった。今、女性は月である。他の光によって輝
く、病人のような蒼白い顔の月である。私どもは、隠されたわが太陽を取り
戻さなければならぬ」と、女性が無能力扱いをされていた明治の末期に主張
し、1971年まで女性の自立と解放、そして平和を訴え続けてきた
平塚らいてう氏や、羽仁説子氏、丸岡秀子氏らが創立した新日本婦人の会に
加わり、その創立の時期から連動してきました。

 女性の願いには、助け合いや、女性の創意で解決できる問題、自治体への
働きかけで実を結び、実現できるもの、平和の問題や男女賃金格差是正など、
国政段階の政治が良くならなければ実現しないものなどあります。広範な
人々と知り合い、学び、さらに力を寄せ合って、女性の地位向上、くらし、
子どもの幸せ、米軍基地のない日本、核兵器のない、戦争のない平和な日本
と世界をつくろうと運動を続けています。いのちを育む女性や障害をもった
人、高齢者の願いなどを国政につなぎ、実現させたいと国会議員になりまし
た。参議院議員として仕事をしてみて、女性が政治に参加することの重要性
を一層つよく感じています。

 私は「常に世界規模で考え、運動は草の根で」をモットーに行動していま
す。1975年は国連が決めた「国際女性年」でした。以来、地球上の女性たち
の連帯が始まりました。第1〜4回までの世界女性会議のように、国際会議
や連帯行動で、話し合うことも多くなりました。その結果、女子差別撤廃条
約をつくり、各会議での採択文書など世界の女性は運動の成果を共有し、連
帯行動をするようになっています。

 今後、メールマガジンで大いに交流していきましょう。新しい出会いを楽
しみにしています。


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  山口わか子(社民党・衆議院・北陸信越)
  「保健婦として生活するなかで、“健康で生きたい”という、ごく
  当たり前の思いが通らない政治に苛立ちを覚えて…」
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政治を市民の手にとり戻す為に

 人生って本当に予期しないことが起こるものです。まさかこの年で(現在
66歳)衆議院議員になろうとは・・・。今でも国会の中にいる自分が別人の
ような、不思議な感覚で毎日を過ごしているというのが正直なところです。

 保健婦として人口3万人弱の自治体に働き、後半は管理職、最後に三役の一
人(収入役)となり、働き続けた42年の幕を閉じました。ようやく開放され、
自由の身になったものの、まだ楽隠居の気分にはなれず、今までできなかっ
たボランティア活動に精を出そう、若者に負けないようパソコンにもチャレ
ンジしようと行動を起こしたそのときに、前北沢成功議員から、後を引き継
ぎ、衆議院議員選挙に出るように言われたのです。

「なぜ私に?」まさに青天の霹靂でした。若くも無く、お金も無い、もちろ
ん知名度も皆無ですから、当然断るだろうと周囲の人たちも思っていたよう
です。

 にもかかわらず無謀にも「よし!挑戦しよう」となったのは、多分私が女
性であるから。そして、保健婦として仕事をする中で、人々の「健康で生き
たい」というごく当たり前の思いが通らない政治に苛立ちを覚え、「女性の
生活者としての視点で政治を変えなければ」と痛感したからだといえます。

 私の暮らしている町は、農山村地帯で、長年専業農家が大半でしたが、今
では減反政策で、農地は荒らされ、生活できなくなり、女性はパートで働き
ながら農業を支える日々となっています。その結果、健康破壊が進み、病を
押して働きつづけているのが現状です。そして今、国会活動を経験する中で、
第一次産業を支えている人々が報われる政治を実現したい、その思いはます
ます強くなっています。


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  西山とき子(共産党・参議院・京都)
  「スイスへの夫の留学を機会に、家族5人がゆったりした人間らしい
  暮らしを体験。このことが『家族色の政治』をめざす原点に」
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 みなさんこんにちは、西山とき子です。「いのちくらしを大切にする家族
色の政治を」公約に、定数二の京都選挙区から選ばれて、今2期10年目で
す。家族色とは、家族の団欒を願ってつけた私の造語です。

 政治家になるまでには私自身の自立の長い道のりがありました。父は医者
でしたが12歳の時に病死。母は3人姉妹をかかえ貧乏のどん底に。「これ
からは女も手に職を持って自立せんとあかんよ。」が母の口癖でした。私は、
高校から奨学金をうけながら京都大学で心理学を学び、児童福祉の仕事をめ
ざしました。

 60年安保にも全く無関心だった私が、政治に目覚めたのは、やはり学生
運動でした。その時、日本共産党の存在をはじめて知りました。あの日本の
侵略戦争にいのちがけで反対し、しかも男女平等・貧困と搾取のない未来社
会を提唱しているということを知ったときの驚きは、まさに目から鱗でした。
叔父は広島で原爆死、平和は私の心からの願いだったからです。「歴史を創
る人間になりたい」と、政治家への第1歩は、19歳の入党でした。

 大学を卒業し、京都市児童相談所の心理判定員として働きながら、結婚、
出産、共同学童保育所作りに自宅を開放すること7年。組合や女性運動にも
参加して、協力的な夫ともに、家庭と仕事の両立に悪戦苦闘の毎日でした。

 「地方自治の灯台」といわれた京都の民主府市政の中で、身近に政治を変
える醍醐味をつかんだ私は、74年、公務員を辞して日本共産党の勤務員にな
りました。「まだ女性の幹部が少ないのでぜひ。」の要請に「エイ!」とば
かりに決断したのです。政治家への第2歩は、党の女性部で18年歩みまし
た。81年から1年間夫の留学を機会にスイスで家族5人がゆったりした人間ら
しい暮らしを体験しました。このことが「家族色の政治」の原点となりまし
た。

 92年佐川・リクルート事件に「こんな金権腐敗政治が続けば、子どものい
のちも平和も守れない」と党から立候補を進められると、これまた「エイ!」
と決断。公約に掲げた「家族そろって夕食を」のスローガンが、反響を呼び
厳しい中の思いがけない初当選。以来10年、いつも家族色に思いを馳せなが
ら、根アカで前向き「明けない夜はない」が信条。落ち込んだ時には、
ひばりちゃんの歌に癒されている私です。

 これからよろしくお願いします。



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  岡崎トミ子(民主党・参議院・宮城)
  「アナウンサー時代に感じた、職場での女性差別。
  組合活動を通して、政治とのかかわりの大事さを知りました」
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 私の国会の部屋は、参議院議員会館の3階にある314号室です。部屋で
最初に目につくのは、かごの中に積まれた“トミコせっけん”かも知れませ
ん。この、表に「トミコ」、裏に「政治の腐敗を洗い流す」と型押しされた
“100円せっけん”を買っていただき、“100円カンパ”への協力をお願いし
ながら、ボランティアに支えられた草の根選挙を展開して、1990年2月の総選
挙で初当選させていただいたのでした。以後5回の国政選挙は、このときの原
点を忘れずに闘ってきました。

 高校卒業と同時にラジオ福島に入社し、その後東北放送に移りました。当
時の身分は嘱託アナウンサーで、3年後に社員待遇となりましたが、正社員に
なって契約時より給料がダウンしました。労働組合に入って社会の仕組みを
教えられるにしたがい、女性社員への会社の対応が気になりだしました。民
間放送局には男女間の賃金格差はもとより、嘱託アナと社員アナの待遇の違
い、結婚退職制度や女子差別定年などがあったのです。

 二十歳の時に組合の婦人部長を引き受け、仲間の嘱託アナウンサーの社員
化闘争や不当配転に抗議する裁判での闘いを経験しました。組合活動を通し
て政治とのかかわりの大事さを知るようになります。この間、国連では女子
の差別を撤廃することが宣言され、ILO100号条約で男女間の同一賃金を決め
られました。また日本の国会では1986年に男女雇用機会均等法が成立すると
いう動きがありました。

 アナウンサーとして数々の番組づくりに従事しながら、社会との接点を環
境、人権、女性差別問題に取り組む市民運動に求めるようになりました。派
手な事件ではない、日常の問題を真摯に受け止めて現状を変えようとしてい
る多くの人々と出会いました。こうした出会いを経て、市民の地味な活動が
生きる政治を目指して、先ほど触れた1990年の総選挙に立候補しました。
このとき、政治の金権腐敗を無くすことと、平和、環境、そして人権問題へ
のとりくみを訴えて国会に送り出していただいたというのが、私が国会議員
になった経緯です。

今年の十月の参議院議員選挙で再選されたあと、民主党のネクストキャビ
ネットで特命大臣として男女共同参画、人権、消費者問題を担当しておりま
す。ぜひ応援してください。

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  中林よし子(共産党・衆議院・中国)
  「父が病死し、ずっと母の苦労を見ながら育ちました。母子家庭であろうが、
  みんなが幸せに暮らせる政治でなければ、と思い続けていたのが原点」
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 「中林が当選すればすぐ解散があるよ」と言われるくらい、一期目7ヶ月、
二期目2年半という風に、今4期目ですが、やっと通算7年を越えたばかり
です。

 私は、広島県の山間地で生まれ、母子家庭で育ちました。私が二才の時、
父が病死をして本当に貧しい暮らしでした。戦争がなかったら、きっと父は
生きていたでしょう。母の苦労を見ながら、二度と戦争のない世の中にしな
ければという思いと、母子家庭であろうが、みんなが幸せに暮らせる政治で
なければならないと思い続けて大きくなりました。これが私の原点です。

 私が29才の時、衆議院島根県全県区の予定候補者の女性の方が、病気で
活動できなくなり、ピンチヒッターとして私へ出馬の要請がありました。一
人息子は4才で、とてもその条件にないと断ろうと思いました。しかし夫か
ら、「協力するから(実際はそうなりませんでしたが)」という後押しがあ
り、私も、「日々の暮らしのやりくりをして子育てをしている共働きの平凡
な女性の声が、まっすぐ国政に届いてこそ、当たり前の国民本位の政治に変
えることができるのではないかしら」と改めて考え直し、決断をしました。

 33才で初当選。その後、当落を繰り返して参りましたが、いつも住民の
方々の温かい支えと家族の協力があったから今日も元気で活動できているの
です。

 この間、農林水産委員として、日本の食料と農林漁業を守るために力を注
いできました。「安全な食べ物は日本の大地から」ということが貫ける政治
なら、必ず食料自給率は上がります。そのためには農産物への価格保障、農
家への所得保障、そしてセーフガードなど発動させての輸入規制が必要です。
財源は、あります。諫早干拓などの無駄遣いをやめさせれば、安心して、安
全な食料を生産することができるでしょう。

 私の住んでいる松江市に、中海と宍道湖があります。国の干拓・淡水化事
業を中止に追い込むことが私のライフワークです。住民運動の力で、干拓は
中止させました。環境と深く結びついた農林水産業です。

 21世紀は環境を守る世紀でもあり、ますます意欲的に取り組んでまいり
ます。

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※今回、執筆を予定していた松島みどり議員(自民党・衆議院・東京)は、
都合により、12月からの参加となります。

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  「ヴィーナスはあと」参加議員一覧
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「ヴィーナスはあと」に参加してくださったのは、次の19名の方々です。詳しいプ
ロフィールを知りたい方、顔写真を見たい方は、ロゼッタストーンホームページで公
開しています。⇒ http://www.rosetta.jp/

●衆議院
  石井郁子(共産党・近畿)  川田悦子(無所属・東京)
  瀬古由起子(共産党・東海)  武山百合子(自由党・北関東)
  中林よし子(共産党・中国)  松島みどり(自民党・東京)
  水島広子(民主党・栃木)  山内惠子(社民党・北海道)
  山口わか子(社民党・北陸信越)

●参議院
  有村治子(自民党・比例)  井上美代(共産党・東京)
  岡崎トミ子(民主党・宮城)  小宮山洋子(民主党・比例)
  千葉景子(民主党・神奈川)  西山とき子(共産党・京都)
  八田ひろ子(共産党・愛知)  広中和歌子(民主党・千葉)
  福島瑞穂(社民党・比例)  吉川春子(共産党・比例)

            計19名(敬称略)

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  編集後記
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 ヴィーナス議員たちの文章のなかには、「夫の協力もあって」とか、「驚
く夫を説得し」とか、時々、夫に関する記述がでてきます。ロゼッタストー
ン本誌で、ちょうど「結婚」特集の取材をしていることもあって、女性国会
議員の夫たちはどんな人なのか興味があります。また、こんなに多忙で、パ
ワーあふれる女性議員たちは、家庭ではどんな女性なのでしょう。どうやっ
て仕事と家庭を両立させているのでしょう。
 今後、機会があれば、そういうことも聞いてみたいと思います。
 さて、次回からは、いよいよ政策を語ってもらいます。ヴィーナス議員た
ちには、「自分が一番力を入れている政策を教えてください」とお願いして
います。日頃なかなか見えない彼女たちの活動状況がわかるはずです。どう
ぞお楽しみに。
                      (ロゼッタストーン・弘中百合子)

 御意見、ご要望はこちらまでお願いします。vheart@rosetta.jp

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■次号予告
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次回は、12月6日(木曜日)発行。執筆者は

  福島瑞穂議員(社民党)、  有村治子議員(自民党)、
  吉川春子議員(共産党)、  小宮山洋子議員(民主党)

の4名です。


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女性国会議員メルマガ『ヴィーナスはぁと』
 編集長:ロゼッタストーン 弘中百合子
 発行 :株式会社ロゼッタストーン
     (〒171-0021 東京都豊島区西池袋5ー27ー9ー101)
Copyright(C)ロゼッタストーン 許可無く転載することを禁じます

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