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ロゼッタストーン日記

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第20部 「世の中を逆に見る」


女編集長起業奮戦記
ロゼッタストーン日記
ついに書籍化!
「ロゼッタストーン日記」第1部(ロゼッタストーンは本当に創刊できるのか)が、
『女編集長起業奮戦記』という本になりました!
>>詳しくはこちら

いつもご愛読ありがとうございます。

昨年のテーマが「足腰を鍛える」だったのに、その甲斐なく、2018年の新春早々に道路で転んで右手首を骨折。全治2週間でたいしたことはないのですが、どうやら鍛え方が全然足りなかったようです。

さて、波乱の幕開けの今年は、いったいどんな年になるのでしょうか。今年もロゼッタスト―ン日記をよろしくお願いいたします。

ロゼッタストーン 弘中百合子


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◆秋の気配…8月15日日記
田舎に帰ると、これまで疎かにしてきたようなこともするようになる。例えば、お盆の前にお墓掃除をしたり、「おはちさま」といって、炊き立てのご飯を一番に仏壇に供えたり、神棚にサカキを供えたり、親戚の家を訪ねたり…。一つ一つの行為がなんとなく新鮮である。

ナスやキュウリやトマトやゴーヤは、いまでも律儀にたくさんの実をつけている。ありがたいことだ。まだまだ猛暑が続いているが、田んぼの稲は穂をつけ、夜になると虫の声も聞こえるようになった。季節は少しずつ秋に向かって進んでいる。

秋に出版予定のロゼッタストーンの新刊も、亀のような歩みではあるが、少しずつ完成に向かって近づいている。初めての医学関係書なので、慣れない部分も多く、試行錯誤の日々だ。本当にこれで完成するのかしら?と思うけど、いままでもどの本だって何とか完成にこぎつけたので、今回も何とかなるのだろう……と信じたい。

母親はほぼ圧迫骨折前の体調に戻ってきた。3月から通っていたリハビリも無事終了。今月で90歳になった父親も、大腿骨の骨折で立てなくなってしまった以外は、なんとか変わりなく毎日を送っている。この穏やかな状況が少しでも長く続くとよいのだけれど。

そんななかで一番の問題は、私の体重の増加だ。これまでは一日2食だったのが3食きっちりとそれなりの量を食べるようになった。そのうえ、車で移動するようになって歩く距離がめっきり減った。つまり、摂取カロリーは増え、消費カロリーは減っている。そりゃ太るわねえ。

そろそろ人生何度めになるかわからないけど、ダイエットを開始しないといけないかも。でも、まあ、この猛暑が終わってからかな……。


◆大雨の後遺症…8月5日日記
通行止めになっていた国道への道(ほとけ坂)が先月30日にやっと通れるようになった。久しぶりに通ると、土砂崩れのあとが思ったより大きくて驚いた。山の上のほうから幅5〜10メートルぐらいにわたって土砂が流れてきたようなところもある。茶色くえぐられた山肌が痛々しい。いまも3か所ぐらい片側通行になっている。

大雨が降り始めた日、うちには姉が来ていて、ほとけ坂を通って帰っていったのだ。何事もなくて本当によかった。自然災害というのは他人事ではなく、いつ自分の身に降りかかってくるかわからないものなのだと改めて思う。

大雨後、台風12号がきたときは、私の住む熊毛地域にも避難勧告が出された。「雨もあまり降っていないし、風も強くないのになぜ?」と思ったけれど、先日の大雨被害の教訓で、早めに避難勧告を出そうという方針になったのだろう。ただ、実際問題として、避難勧告地域の全員が避難所には入れないだろうし、避難勧告に慣れてしまうと「今回も大丈夫」とみんな勝手に判断してしまいそうだし、避難の誘導というのは難しいなあ。

母は無理はできないけれど、一人でも十分生活できそうな状態にまで回復してきた。父も無事90歳の誕生日を迎えることができた。明日は何が起きるかわからないけれど、一日一日を大切に過ごしていこう。

先日、友人に誘われて山口市で開催されている「毛利敬親展」を見に行った。併設された喫茶店で食べたのは、毛利家の家紋(一文字三星)の形にケーキを並べたスイーツ。友人が教えてくれたそのお菓子の由来が面白かった。

幕末、京都では「長州おはぎ」というお菓子が大流行したのだとか。お箸を漢字の「一」になるように置いて、その手前におはぎを3つ三角形に並べ、毛利家の家紋の形にしているのが特徴。値段は36文。「おはぎ」は地名の「萩」、36文は長州36万石を暗示しているのだという。「まけてくれ」「いや、まけぬ」(一銭もまけない⇒一戦も負けない)という会話を楽しみに、人々が競って購入したのだとか。幕府が長州征討を布告するなかで、庶民がこっそりこんな形で応援してくれていたとは。

※興味のある方は「やまぐちきらめーる」をご覧ください。
http://kirara.pref.yamaguchi.lg.jp/vol322/yamaguchigaku/index.php

そういえば、ロゼッタストーンWEB『外国特派員クラブの窓から』の著者、渡辺晴子さんも京都出身だし、『努力する人間になってはいけない』の著者、芦田宏直先生も京都出身だし、私も京都の方にはいろいろお世話になっている。今年は明治維新150年。なんだか京都に行きたくなった。


◆年を取るということ…7月25日日記
私の同世代の友人たちの親はだいたい80歳以上で、集まると介護の話がよく出てくる。「80歳過ぎると急に弱るよね」「85歳過ぎると、もう放っておけない感じ」「で、90歳過ぎると認知症が出てくる」「でも、そうなったとき、その人の人生とか生き方が態度に出るんだよね」「ほんとほんと」…といったふうに。

私の父親は今年90歳。普通に会話は成立するが、時々夢の中の出来事と現実の出来事の区別がつかなくなることがある。父が夢を見るのは、たいてい仕事のことだ。車の修理や販売の仕事をしていたので、「お客さんから修理を頼まれたけど、もう仕事道具を売ってしまったから修理ができない」などと、本気で心配していたりする。

真面目で仕事一筋だったから、ベッドで寝たままの時間が長くなっても、頭のどこかで仕事をしているのだろう。一生懸命働いて私を育ててくれたんだなあと思うと、感謝の気持ちが湧いてくる。

若い頃から「ありがとう」「ありがとう」と周りに感謝して過ごしていた人は、認知症になっても周りに感謝の気持ちを忘れないらしい。最近、「介護職員の7割以上が介護している相手やその家族からセクハラや暴力の被害を受けている」というニュースを見た。実際に介護の現場にいる友人に聞くと、「あるある。50代の女性でも触られる」という。「大変な仕事だねえ」というと、「大変だけど、“ありがとう”って感謝してもらえるから、この仕事を続けたいの」と、彼女。

私も仕事ばっかりやってきたから、90歳ぐらいになったら「原稿が来ない」とか、「誤植が見つかった」とか夢の中で仕事をしちゃうのかな。それとも、食いしん坊の私は「ご飯はまだ?」とか催促して、回りの人を困らせてしまうかも。

理性で自分をコントロールできなくなっても、せめて周りの人を困らせないように、日頃からきちんと生きていかなきゃいけないな……なんて思うようになった。もちろん、これは私の周りの体験談で、すべての人にあてはまるわけではないけれど。


◆西日本豪雨の影響…7月15日日記
先週の大雨で、西日本各地は大変な被害が出ている。おまけに梅雨が明けてからの猛暑! 被害にあった方たちやボランティアで復興支援をされている方たちはどんなに大変だろう…。

山口での被害も全国ニュースで流れていたようで、次々にお見舞いメールをいただいた。さいわい、私の家は何の被害もなく、畑に少し水がたまった程度だ。しかし、国道に出る道は土砂崩れで通行止めになり、母をリハビリに連れていくには、別の道を通らざるを得なくなった。この道には、車一台しか通れないような細いところが何か所かあるのだ。交通量は少ないので滅多に車には出くわさないのだが、もし運悪く対向車と出会ってしまうと、どちらかが場合によっては何十メートルも、すれ違えるところまでバックしなければならない。

豪雨後2回リハビリに行き、細い道で3回車と出会った。1回目は相手がバックしてくれ、2回目と3回目はたまたま少し幅が広くなっているところですれ違ったのでお互いバックせずにすんだ。通行止めになっている道はまだ復旧の見通しがたっていないため、しばらくは細い道を通うことになりそうだ。いつかは私がバックしなければならない事態がくるのではないかと心配している。私の運転技術で大丈夫かしらん。

大雨にあったにもかかわらず、野菜たちは元気だ。私が母と一緒に植えたナスやキュウリやトマトがいまどんどん実をつけている。野菜って、こんなに1日で大きくなるものなのかと感動する。もっとも、農薬も囲いもしていないうちの畑は、虫たちの楽園。畑にはひらひらと蝶が舞い、その幼虫たちがせっせと野菜を食べている。小松菜なんて穴だらけで、虫たちが食べた残りを人間がいただいているようなものだ。まあ、体には安全だけどね。

「大腸がん」の本は、原稿が完成し、いま図版の手配をしているところ。医療のイラスト(メディカルイラスト)は専門性がある分、通常のイラストよりもかなりギャラが高い。このままだと大幅に予算オーバーしてしまうので、頭を悩ませているところだ。

4年前に発行した『自由の国平等の国』は韓国で増刷を重ねている。初版2000部でスタートして、昨年末の時点で9000部印刷しているらしい。テーマが韓国の状況にぴったりだったというのもあるだろうが、韓国の人たちは知的好奇心が旺盛なのだろう。日本の若者にも読んでほしいんだけど。


◆穏やかな日常…7月5日日記

※今月からロゼッタストーン日記は、月3回更新です。

山口に帰ってからはや2か月。週に2回母親のリハビリのため病院へ行き、帰りにスーパーで買い物、週に2回父親の散歩、月に2回母親と近くの日帰り温泉施設へ、週1回くらいは簡単な畑仕事…と、だいたい生活のペースが固まってきた。母親は杖は手放せないものの、骨がくっついてすっかり元気になってきたので、このところの家事は母が中心で、私はサポートに回っている。

父は施設の中で寝たままのことが多いので、季節や時間の感覚がなくなっているように見える。ちょっとでも季節を感じてもらおうと庭に咲いている花を持っていっては部屋に飾るのだが、男性だからか、花にはさほど興味を示さない。

だが、自然の力は偉大だ。同じ道でも、花が咲いたり枯れたり、田んぼの稲が大きくなったり、少しずつ景色が変わる。散歩で外に連れ出すと、「緑が深いのう」「空が青いのう」「昼からは雨が降るかもしれん」「あじさいが咲いちょる」など、父の言葉も自然を感じたものが増えてくる。考えてみれば私自身、自然を感じながらゆっくり散歩するなんて、これまでほとんどなかった。田舎にいると移動のほとんどは車になるので、父との散歩は私の運動不足の解消にもなって一石二鳥なのである。

日頃は母と二人、父を散歩で連れ帰ったときは親子三人、時には姉が遊びに来て親子四人…と、家族で過ごす時間が増え、穏やかな日常に幸せを感じることもある。

……が、のんびりした田舎の空気に浸っていては、仕事が全然進まない。今月からはもっと仕事の比重を増やしていかないと。

会社移転の登記がやっと終わった。登記の書類はいろいろ面倒くさくて、自分でやろうとすると必ず提出時に不備を指摘されてしまう。会社移転の手続きは、本来もとの会社があった豊島区の法務局ですませるものなのだが、引っ越し後に郵送での提出もできると聞いて、山口に帰って書類を作成することにしたのだ。

書類に不備がないか周南市の法務局で相談しようとしたら、なんと法人の登記相談は、山口市の法務局でしかやっていないのだという。山口県に限らず、地方はそんなところが多いらしい。山口市までは自宅から車で約1時間半だ。往復3時間! やれやれ。地方の自治体はUターンだのIターンだのを奨励しているけど、まずはこういう不便を解消してくれないかなあ。


◆親孝行な生活(?)…6月15日日記
山口県の実家に帰って1か月半。山のような段ボール箱も片付き、仕事部屋もなんとか形になってきた。気分的にはすっかり田舎になじんできて、東京に住んでいたのが夢のようである。

心配だった母親は、体調がだいぶよくなってきたようだ。最近では私が料理の支度をしようとすると、すでに母親が作ってくれていたりする(ワンパターンな私の料理に耐えきれなくなったという説もある)。帰った直後と比べると、杖はついているものの、足どりも随分しっかりしてきた。圧迫骨折がだいぶ回復してきたのだろう。

大腿骨を骨折してほぼ寝たきりになっていた父親も、車椅子での外出ができるようになった。父が入っている施設は、私の家から車で5分、歩いて20分くらいのところなので、お天気のよい日は車椅子を押して家まで連れて帰ったりしている。家の庭先でお茶をして施設に戻れば、ちょうどよい散歩コースだ。外に出ると、気のせいか父がシャキッとする気がする。

そんなわけで、私が実家に帰ったことは、いまのところうまく回っている。手遅れになる前に、親のサポートができたことは本当によかった。

先月種をまいたほうれん草や小松菜は、すっかり大きくなり、いまが食べごろだ(できすぎて、食べきれない)。葉物野菜ってあっという間にできるんだなあ。

知り合いのライターさんに、「誰のためでもなく自分のために、今の日常と気分を記録することを勧める」とアドバイスされた。とはいえ、根がぐうたらなので、個人的な日記など続いた試しがない。せめて、このロゼッタストーン日記の回数をこれから少し増やしていこうかなと思う。

目標はweb更新日の5日、15日、25日の3回更新。今年の日記のテーマ「世の中を逆に見る」は、田舎から東京を見るという意味になりそうだ。視点が変わると、新しい発見があるかしら。

※ロゼッタストーン日記は来月から月3回更新します。お楽しみに!


◆山口での生活スタート!…5月15日日記
4月28日に東京の荷物を送りだし、5月2日に山口で荷物を受け取り。引越しが無事終わった。いやー、大変だった。手伝ってくれた人に「まさか、こんなに終わっていないとは…」と呆れられてしまった。最後は分別する余裕がなくて、とりあえず段ボール箱にぶっこんで運んでもらった。

考えてみると、これまでに何度か引越ししているが、そのたびに、誰かが呆れつつ手伝ってくれ、何とかギリギリ間に合っている。どうしてこんなに進歩がないのだろう。この次引越しすることがあるとしたら、何か月も前から準備して、余裕で引越し日を迎えたいものだ。

引越しにあたって、金庫も処分した。創業直後に購入したものの、ほとんど使わなくなっていたので、中には古い書類しか入っていない。が、長いこと使わなかったため、カギはあるが、ダイヤル番号がわからなくて開かなくなってしまっていた。引越しの数日前に行ったマッサージ店で「金庫は鍵が開いていないと処分してもらえませんよ」と教えてもらい、慌てて頼んでいた不用品回収業者に確認すると、やはり鍵が開いていないと回収はできないという。仕方なく「鍵110番」みたいなところに電話して鍵を開けてもらったが、それだけでなんと3万4000円ちょっと。たか〜〜〜い!! みなさん、金庫のダイヤル番号は、絶対なくしちゃだめですよ。

山口の生活はのどかだ。昼はウグイスが鳴き、ツバメが舞い、夜はカエルが鳴いている。母に教えてもらい、ピンチヒッターとして初めてクワを持って、裏の畑にサトイモ、ほうれん草、小松菜、ピーマン、ナスなどを植えた。まさか自分が畑仕事をする日が来るとは思わなかったけど、初めてのことはちょっと楽しい。無事収穫できますように。

母も近所の施設に入っている父も、本当に年を取ってしまった。それでも、これから少しでも一緒にいられる時間が持てることを感謝したいと思う。

問題は本業の仕事だ。実家で物置のようになっている部屋を仕事場にしようと思うのだが、まず物の整理をしないと、私が持ち帰ったものが入らない。本の注文を受けたり、納品したりといった日常業務は東京の業者に委託しているので、山口では編集業務が中心になる。が、まだまだ仕事をする環境が整わない。重いものを移動したりするうちに、腰痛になってしまった。とほほ。

前回バスは1日数本と書いたけれど、いつのまにか路線バスは廃止されていた。いまは、コミュニティーバス(?)が走っているらしい。auの電波は弱く、携帯が通じないこともある。スーパーやコンビニまでは車で20分。不便なことこのうえないが、新緑はとても美しい。さて、ナベヅルの里、八代(やしろ)でのロゼッタストーンの再出発は、これからどうなっていくのでしょうか?


◆さよなら東京…4月15日日記
今年になって、田舎に住んでいる母親(86歳)が急激に弱ってきた。圧迫骨折による腰の痛みで、日常生活が不自由になってきたらしい。実家から車で30分のところに住んでいる姉が、仕事のかたわら様子を見に行ってくれているのだが、母の気力はどんどん衰え、食事もあまり食べなくなってきているという。施設に入っている父の見舞いに行ったり、孫2人の子守りをしたり…と、姉は毎日大忙しで、姉が倒れないかも心配だ。

こんな状況で私だけが東京で好きなことをやっているのも申し訳ない気がして、考えた末に思い切って田舎に帰ることにした。両親に残された時間は決して長くない。いま多少の親孝行をしないと後悔するような気がしたのだ。

というわけで突然だが、今月末には山口県周南市にお引越し。30年間住んだ東京に別れを告げることになった。帰るとしても、東京オリンピックが終わってからかなあ…なんてぼんやり思っていたのだけど、人生というのは、自分でコントロールできないことが多いものだ。

周囲を見ても、私と同世代の知人は、みんな何かしらの介護問題を抱えている。誰もが通る道を私も進んでいるわけだ。

私の実家があるのは、本州唯一のナベヅルの渡来地、八代(やしろ)。自然は美しいが、高齢化が進み、食品や日用品を買おうにも、歩いていけるところに店はない。バスは1日数本だけ。現在は、1日の乗車数が約56万人(日本で第2位)の池袋駅まで歩いていけるところに住んでいるのだから、環境が極端に変わることになる。

インターネット時代になって、どこにいても仕事はやりやすくなった。多少不便にはなるけれど、出版の仕事は地方でもできるはずだ。いずれ会社も正式に八代に移すことになる。店もないような本物の田舎に出版社ができるというのも、ちょっと面白いんじゃないかしら。子供の頃は、どうして田舎には出版社がないんだろうと不満に思っていたのだけれど、まさか何十年か後に、自分が地元で出版社をやることになるとはねえ……。

親の介護をしながら、田舎からの情報発信。どこまでできるかわからないけれど、これまで頑張ってきた自分を信じることにしよう。これまでも、ロゼッタストーンは数々のピンチを切り抜けてきたのだもの。

とはいえ、これまでお世話になった人へのあいさつ、もろもろの手続き、東京でやっておかなければいけない取材、引越しの片付け…、やるべきことが多すぎて気が遠くなる。片付けは全然進んでいないし、私は本当に引越しできるんだろうか……。

※前回のメルマガで購入したウォーキングシューズが小さすぎたと書いたけれど、購入したお店に相談に行くと、靴紐の結び方がゆるすぎて足が動くからだと指摘された。きつく結ぶと、確かに親指は痛くなくなった。ただ、靴紐を結ぶのに時間がかかるので、その靴を履くのは遠出をするときだけで、日常ではあまり履いていない。靴選びってなかなかむつかしいなあ。


◆私の足のサイズは22cm!?…3月15日日記
前回の日記で、フィギュアスケートの羽生選手にあまり期待しすぎないほうがいい…みたいなことを書いてしまったけど、結果は金メダル! いやー、参りました。足が完全に治っていないのに、4回転ジャンプをきれいに飛ぶなんてすごすぎます。脱帽。

私はといえば、右手首の骨折はほぼ治ったものの、動かさなかった分、筋肉が硬くなってしまっているので、まだリハビリ中。日常生活に支障はないが、腕をひねったり手首を曲げたりが左手ほどスムーズにできない。やっぱり羽生選手は偉大だわねえ。

去年は「足腰を鍛える」をテーマに私なりにけっこう体を動かしたのに、結果は転んで骨折……。一般には足の筋肉が衰えると転びやすいと言われている。しかし、私の場合、本当の原因は違うんじゃないかと思い始めた。

ふだんはウォーキングシューズで歩きまわっているのだが、よく小石が靴の中に入ってくるし、しょっちゅうつまずく。ラクはラクだけど、もしかしてシューズが足にあっていないのでは……? なんてことを考えていたときに、ウォーキングシューズ専門店を見つけたので入ってみた。

店長さんの話では、そのお店は、お客さんの足のサイズを正確にはかって、足にあったウォーキングシューズを提案しているのだという。「足にぴったりの靴をはいている人って、実は50人に1人ぐらいなんです」と店長さん。それなら私も…と、足のサイズを測ってもらった。

日頃私が履いているウォーキングシューズは23cm。デザインよりも、履いてみて足に痛みがなく、かかとが浮き上がらないものを選んだ。私の足は22.5cmの靴だときつく、23cmの靴だとちょっとぶかぶかするので、選ぶのにはいつも苦労するのだ。だから、22.75cmくらいじゃないかしらと思いきや…。

「あなたの足のサイズは22cmのEEEEです」だって。ええええーっ、そんなに小さくて幅広なの〜〜っ!?(Eの数が多いほど、幅が広くなる)

「これまでの靴だと、足と靴で屈曲する位置が違っていたんです。ぴったりのサイズの靴をはくと、足が喜びますよ〜」と店長さんが、私の足に合ったサイズのウォーキングシューズを出してきてくれた。

「日本人は靴の履き方を知らないんですが、靴を履くときは、必ずかかとを地面につけて、つま先を挙げて靴紐を結んでください。まずかかとを合わせ、足が動かないように固定することが大事なんです。靴紐は、上のほうから順にぎゅっと絞って、しっかり結んでください」

これまでのらくちんなシューズと違って、かなり窮屈。これが正しい靴なのかあ…と買って帰った。

翌日、新しいウォーキングシューズを履いてかなり歩き回った。足の親指が詰まった感じがして「足が喜んでいる」感覚はあまりない。それでも、不思議なことにこのシューズで歩くと、足が自然にかかと着地になるのだ。これならつまずきにくいかも…。やっぱり、私がつまずいて転んだのは、シューズのせいだったんじゃないかしら。

しかし、長時間歩いていると、親指がどんどん痛くなった。足が泣いてるじゃん…と、家に帰ってシューズを脱ぐと、がーん、なんと両足のタイツの親指のところに穴が開いていたのでした。これって足に合ってないんじゃないの!?

私の足は、結局何センチなのでしょう???


◆オリンピック選手に敬礼!…2月15日日記
平昌オリンピックが開幕し、毎日熱戦が繰り広げられている。

競技を見ていて、人間業とは思えないパフォーマンスに絶句する。私は、ただ歩いていて転んで骨折したというのに、選手たちはすごいスピード、すごい回転の演技だ。これをマスターするために、何百回、何千回と転んでいるに違いない。その衝撃を想像すると怪我をしないほうが奇跡なんじゃないだろうか。

人に話すと「同じに考えるな」と言われるのだけど、年齢もスポーツの才能もかけ離れているとはいえ、おんなじ人間だ。そりゃあ怪我するよ…と、勝手に共感している。

私の骨折は思ったよりも長引いていて、今週金曜日までは添え木(?)が外せないのだが、筋肉は回復してきている。まだペンやお箸は握れないが、右手で爪切りもできるようになったし、ハサミも使えるようになってきた。が、動かさなければ痛みはないものの、手をひねろうとすると痛くてまったく回らない。

冬のスポーツは、フィギュアスケートくらいしか日頃からチェックしていないのだが、怪我をして試合を離れていた羽生選手、宮原選手、メドベージェワ選手の演技が気になる。私のような低レベルでも、元に戻すのが大変なのだ。世界レベルの演技をするまで回復しようと思えば、どれほど努力しなければいけないのだろう。

特に日本中の期待を背負っている羽生選手は大変だろうなあと同情する。予定していた試合を欠場したことから考えても、まだ「4回転が成功したらラッキー」ぐらいの段階だと思う。あまり期待を煽ることはせず、彼のいまの演技を応援してほしい。


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