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第27部 「バランスのよい生活」
ロゼッタストーン日記 ついに書籍化! |
「ロゼッタストーン日記」第1部(ロゼッタストーンは本当に創刊できるのか)が、
『女編集長起業奮戦記』という本になりました!
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昨年の創業25周年行事を終え、ロゼッタストーンは創業30周年をめざして歩み始めています。「ロゼッタストーンがあってよかった」と思ってくださる方が一人でも増えるように、一つ一つの仕事を丁寧に大切にこなしていきたいと思います。まだ守るほどの何かがあるわけでもないので、チャレンジ精神を忘れず、新しい境地をめざしてがんばります。本年もどうぞよろしくお願いいたします。
ロゼッタストーン 弘中百合子
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| この時期、車を運転していると、毛虫が何匹も道路を横断している。右にも左にも草むらがあるのに、なぜわざわざ道路を渡ろうとするのか、謎である。一応よけながら運転しているが、全部よけきれたかどうか自信がない。運よく車にひかれずに道路を渡れた毛虫は、いずれ蝶になって空を舞うのだろう。蝶になるのもラクではないのだ。
先日、姪の子どもが自分のお気に入りのマンガ本を見せてくれた。「おもしろいから読んで」と言われて読んだのだが、困ったことにまったくおもしろくない。それどころか、ストーリーがまったく頭に入ってこない。比較的セリフが多めの「ドラえもん」ぐらいはついていけたのだが、セリフ少な目の戦闘系など、どこに面白みを見出せばよいかがわからない。もしかして、私はもうマンガを読む力、つまり絵を見て、その世界にのめりこむ力をなくしてしまったのではないか、子どものような感性が消えてしまったのではないかと、少々心配になった。
少々心配といえば、最近、左足の外反母趾が進行しているような気がする。ラクな靴しか履いていないのになあ。このまま悪化しては困るので、外反母趾用のサポーターを注文してみた。効果があるといいんだけど。 |
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◆織田信長の娘の墓が熊毛にある!?…4月15日日記 | ▲ |
| 若い頃は、歴史というものにまったく関心がなかったのだが、最近になって、地元の歴史に少し興味が湧いてきた。
いま「熊毛マップ」の改訂作業をしていて、今回は文化財も盛り込む予定だ。周南市指定文化財を調べていると、思いがけない有名人の名前が出てくることがある。
たとえば、「毛利元政の墓所」。元政というのは、有名な戦国大名、毛利元就の子どもで、熊毛地区「三丘(みつお)」の領主だったことがある。三丘には、「毛利元政の墓所」が残っていて、それが市の文化財に指定されているのだ。が、不思議なことに、元政の墓の横には、元政の妻ではなく、元政の子、元倶(もととも)の妻の母親の墓が並んで建っているのである。お墓は、元倶が建てたもの。お父さんと義理のお母さんの墓を並べて建てるなんて不思議だ。なぜ、実の母親の墓と並べて建てないの?
しかも、この義理の母のお墓がけっこう立派なのだ。形は違うが、隣の元政の墓とほぼ同じくらいの大きさ。元倶は、よほど、義理の母親を尊敬していたのだろうか。この義理のお母さん、「宍戸元続の前妻で織田信長の娘」と伝えられているらしい。お墓が建てられたのは江戸時代だから、とっくに織田信長は亡くなっているはずだけど、彼の威光はまだ残っていたのだろうか。「前妻」なんて立場弱そうなのに。
ちょっと気になってしらべていると、このお墓の女性について、山口県文書館が解説していた。 「信長の娘と伝えられた女性」https://archives.pref.yamaguchi.lg.jp/user_data/upload/File/smallexhibition/H27-07.pdf
文書館は、彼女は信長の実の娘ではなく、信長の息子で秀吉の養子になった秀勝に嫁ぎ、後に宍戸元続の妻になった女性のことではないかと、推察している。「どうも信長と縁のあった人らしい」という信長とのつながりの方が人びとの記憶に残って後世へ伝えられたのではないか,と考えられます≠ニいうのが、文書館の見解。
まあ、今の感覚でいえば、秀吉のところに養子に行ったとはいえ、信長の実の子どもの嫁になったのなら、「信長の義理の娘」といえなくもないものね。名前もよくわからないこの女性、なぜか従兄弟である毛利輝元の養女になっている。立派なお墓をつくったのは、毛利家当主の養女だからというのが大きかったのかもしれないな…。 |
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◆世の中には、いろんな論法があるんだなあ…4月5日日記 | ▲ |
| ある本を読んでいると、いろんな「論法」が紹介してあり、ちょっと面白かった。チャットGPTに手伝ってもらって、私も論法に沿った例文を考えてみた。
●ホワットアバウティズム(Whataboutism) 自分の問題を指摘されたときに、それに答えずに「でも○○はどうなんだよ!」と、別の問題を持ち出して話をそらす論法。
A:「ロシアのウクライナ侵攻はだめだよね」 B:「でも日本だって、昔は外国に侵攻したじゃないか」
●アド・ポピュルム(Ad Populum/多数派論証) 「みんながそう言ってるから正しい」「人気があるから正しい」と、多数の意見=正しいこととする論法。 「このダイエット法はSNSで100万人が試してるんだから、絶対に効果あるよね」
●アド・ホミネム(Ad Hominem/人格攻撃) 相手の主張そのものではなく、相手の人格や背景を攻撃することで、意見の正当性を否定しようとする論法。 「あなたは男だから、子育ての苦労なんてわからないでしょ」
●スリッパリー・スロープ(滑り坂) ある行動や決定をすると、極端で望ましくない結果に必ず至ると主張する論法。 「もし同性婚を認めたら、次は兄妹婚や人間と動物の結婚まで認められるようになるに違いない!」
●ストローマン(藁人形)論法 相手の主張をわざと歪めたり、極端な形にして批判する論法。 A:「動物実験は倫理的にもっと慎重に扱うべきだと思う」 B:「じゃあ君は、医学の進歩なんか全部やめて病気の人を見殺しにしろって言うのか!」
●エピソードによる論法 エピソードを入れることで、全体を否定する論法。 「東京に行ったら痴漢にあったの。東京の人はこわいよね」
よく考えると、「それは言い過ぎでしょ」と思うけど、その場では納得させられることもあるかもしれない。インターネットには極端な意見も多いから、「これは何論法かな?」と考えながら読むといいかもね。 |
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◆『僕には鳥の言葉がわかる』と、ナベヅル北帰行…3月25日日記 | ▲ |
| 『僕には鳥の言葉がわかる』(鈴木俊貴著・小学館)という本が売れている。著者はシジュウカラの言語能力の研究で評価されている人で、「動物言語学」を創設した学者。1983年生まれとまだ若く(私にとっては)、文章も軽快で楽しいので、動物好きの方にはおすすめである。
著者は「人間だけが言葉を持つ」という常識に対抗して、シジュウカラの鳴き声を徹底的に研究。シジュウカラ語に文法があることや、ヘビを見つけたときだけ「ジャージャー」と鳴くことなどを発見する。文法の証明は、ルー大柴さんの言葉の使い方を参考にしたというから、ユニークだ。
この本を読んで、私も猛烈にツル語の解明がしたくなってしまった。ちょうどナベヅルたちは、ここ八代からシベリアへと帰っていく季節。今朝もお見送りに行ってきたのだが、いったん飛び立ったツルたちは、黄砂で視界が悪かったのか、また八代に戻ってきた。風に乗って海を渡らなければならないので、気候条件が整わないと帰れないのである。
いつもは家族ごとに分かれているツルが、帰る前にはだんだん集まってきて、一緒に長い旅へと飛び立っていく。このとき、ツルはよく鳴くのだ。飛び立つ前には独特の短い声で鳴く。舞い上がったあとも、しばらく鳴きながら飛んでいる。ケガをしてケージで飼われている保護ツルも大声で鳴く。 「さあ、そろそろ行くよ」「あんたもついておいで」「僕も行きたいよー」など、勝手に想像することはできるのだが、やっぱり正しいツル語を理解したい。
本の著者、鈴木氏を八代に招いてみようかしら…。その前に、ツルの鳴き声が何種類くらいあるのかを調べないとね。ツルマニアたちに聞いてみようっと。 |
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◆Uターン者、移住者が運んでくる文化…3月15日日記 | ▲ |
| 3月12日の「日刊新周南」に「6年後、熊毛地区の小学生は3割減」というニュースが載っていた。周南地域の中でも、特に熊毛地区は子どもの人口が大幅に減少しているらしい。確かに、子どもの姿を見る機会は少ないもんねー。超高齢化社会到来??
私は20代の頃から「80歳まで働く」と言って、友人たちから引かれていたが、いまや60歳すぎて働くのが当たり前。できることなら働けるところまで働きたい…みたいな潮流がある(みんな、自分が何歳まで生きるかわからないからね)。こうなったら高齢者は75歳以上にしてもいいんじゃないのかな。(年金もらえる権利はそのままで)
そんな将来に不安いっぱいの熊毛でも、明るい話題がある。いま私は熊毛町商工会の仕事で、以前作成した熊毛のマップや、観光サイト「くまげランディングスポット」の更新作業をしているのだが、ここ1年ぐらいにできた店を取材すると、熊毛にUターンしてきた人と、熊毛に移住してきた人だった。
1人は東京からUターンしてきた人で、小さなジャズカフェを開いている。熊毛にジャズカフェだよ。ひえー! 店内にはレコードがびっしり並んでいて、オープンリールのテープに吹き込まれたものもあった。やけに本格的なのである。
もう1人は、神戸から母親の親元だった山口県に移住してきた人。キッチンカーやら、テイクアウトのお弁当やら、こども食堂やら、ライブハウス的な催しやら、いろんな活動をされている。熊毛にライブハウスだよ。ひゅー!
地域を活性化するのは「若者馬鹿者ヨソ者」というけれど、ヨソ者ってやっぱり大事だなあ。若いヨソ者がいっぱい入ってきたら、熊毛もどんどん活性化していくんじゃないかしら。子どもも増えるかもしれないし…。
でも、言ってみれば、私もUターン組の「馬鹿者ヨソ者」だし(若者と言えないのが悔しいが)。もうちょっと頑張らないとね。 |
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◆ハローアゲイン〜昔からある場所〜…3月5日日記 | ▲ |
| 先日FM山口の「ムーブマン」に出演した。パーソナリティはやすべえこと大谷泰彦氏。私が20代の頃からタレントとして活動されていたのだが、いまもバリバリ現役で活躍中だ。私が20代の頃はお互い放送業界に属していて、「名前は知っている」程度の関係だったのだが(大谷さんが私を知っていたかどうかはわからない)、まさか、何十年か後に、番組にゲストとして呼ばれるとは、人生何があるかわからないわねえ。
これまでも何度かインタビューされたことはあるのだが、今回改めて感じたのは、私自身が放送業界に何の未練もなくなっていたということ。20代の頃は、仕事を続けたかったのに続けられず悔しい思いをしたが(当時、女性は期限の決まった契約社員だったので)、おかげで私は出版界という扉を開き、編集者としての人生を歩むことができている。
今回の出演でリクエスト曲はときかれて、私が選んだのが「My little Lover」の「Hello, Again 〜昔からある場所〜」。東京にいる頃、よくカラオケで歌っていた。好きなのは2番の歌詞「自分の限界がどこまでかを知るために僕は生きてるわけじゃない…」
この歌詞について、面白い考察を見つけた。(川端寛之氏note) https://note.com/kawabatachannel/n/nc4ef8145c302
「記憶の中でずっと2人は生きていける」がサビのこの曲はラブソングだと思われているが、筆者は「君は過去の自分だな。幼き自分だな」と考えている。 曲の解釈は人それぞれだと思うが、作詞家の小林武史氏は「最初謙二(※ギターの人)が作ってきた楽曲は難解で(笑)、でもサビの転調とか既にあったし、クセはあるけど泣ける要素も感じて、そこから青春像というか、少年が慣れ親しんだ場所を離れる際の痛みと希望というか、そんな定型へと拡げていったのを覚えてます」と語っていたという。(同noteより)
「君」が幼き自分なのかどうかはわからないが、私にとっての「昔からある場所」は、八代であり、熊毛であり、山口県である。Uターンしてもうずいぶん経つが、私も「ハローアゲイン」だったんだよなあ。
20代の頃の「若い女性(しかも細い!)」ならではの強みはなくなったけれど、たっぷりの贅肉(泣)とそれなりの体験を身につけて、20代の頃にはできなかった仕事ができている。「雨はやがて〜あがっていた〜♪(ハローアゲインの歌詞)」。
2番の歌詞は「…僕は生きてるわけじゃない」のあとに「だけど 新しい扉を開け 海に出れば 波の彼方に ちゃんと"果て"を感じられる 僕は この手伸ばして 空に進み 風を受けて 生きて行こう どこかでまためぐるよ 遠い昔からある場所」と続く。本来の意味はわからないけれど、私自身は遠い水平線をめざして、まだまだ頼りないボートを漕いでいる感覚。「遠い昔からある場所」というのは、つまり「初心忘るべからず」ってことなのかもしれない。
「この手伸ばして 空に進み 風を受けて 生きて行こう♪」と思っている今日この頃なのでした。 |
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◆「常識」がよくわからなくなってきた…2月25日日記 | ▲ |
| トランプ大統領がやりたい放題である。それでも、常識が通じないゆえに、他の国が妥協してガザ地区やウクライナの「停戦」が実現するなら悪いことだけでもないと思っていたが、トランプ氏は「停戦」するだけでは飽き足らず、「ガザ住民を域外に移住させて、ガザは米国が所有する」などと言い出している。他にも「グリーンランドはアメリカが所有すべき」とか「パナマ運河の返還を求める」とか、植民地時代に逆戻りするかのような発言に驚いてしまう。それでも、アメリカファーストのトランプ大統領は、相変わらず、アメリカ国内で根強い人気を誇っているのである。
NHK党の立花氏もやりたい放題である。都知事選挙で、選挙掲示板を広告スペースのように販売して物議をかもし、兵庫県知事選挙では、出馬しながら他の候補を応援するという、いわゆる「2馬力選挙」で、斎藤知事再選に一役買った。
立花氏に、非公開だった百条委員会(兵庫県斎藤知事の疑惑を調べる会)のデータを渡したとされるのが、「兵庫維新の会」所属の県議会議員。百条委員会の委員だった彼らは、非公開の音声や、真偽不明の情報を「NHK党」の立花氏に渡し、立花氏がそれを拡散することで、当初不利と言われていた斎藤知事が、逆転勝利することになった。
百条委員会の委員が、情報を外に漏らしちゃだめでしょ…と私は「常識的」に思うのだが、「よくぞ隠された情報を表に出してくれた」と彼らを支持する声も多いようである。
本当かどうかは二の次で、言ったもの勝ち、面白いもの勝ち、断言したものがち。SNS時代になって、世界の潮流は、フェイクニュースが大手を振ってまかり通る傾向になってきたようである。もしかしたら、今後そっちのほうが「常識」になってしまうのかもしれない。そこには、オールドメディア(テレビや新聞など)と呼ばれるマスコミや、従来の組織への不信感も渦巻いている。「自分たちこそが正義だ」と思う人間は強く、時に排他的に、時に暴力的になる。
こんなことを書いている私なんかも、「古い常識」にとらわれた、排除すべき人間と認識されてしまうのかもしれないな。ああ、おそろしや…。 |
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◆「増補新版 学級経営実践マニュアルー教室がよみがえる」…2月15日日記 | ▲ |
| 周南市の臨床心理士、刀根良典先生の『増補新版 学級経営実践マニュアルー教室がよみがえる』がアマゾンなどで発売中である(手塚郁恵先生との共著)。発行はとね臨床心理士事務所だが、ロゼッタストーンも少しお手伝いしている。
もともと『学級経営実践マニュアル…』は、1988年に小学館から発行されたもの。教育の専門書ながら、よく売れていて、確認できただけでも4刷(4回増刷)までは行っている。年月が経ち絶版になったため、小学館の許可を得て、著者のひとり、刀根先生が新たに電子書籍で「増補新版」として復刊されたのだ。アマゾンのキンドル出版には1冊単位で紙書籍の発行ができる仕組みがあり、刀根先生の本は、紙書籍でも購入可能だ。
この本の中に書かれてある学級経営の方法は、非常に具体的で、特に小学校の先生の役に立つのではないかと思う。私が気にいったのは、ファンタジーで想像力を広げる授業。まずは1枚の白地図に、子どもたちが色鉛筆で砂漠や湖などを思い思いに書き込む。次の授業では、目を閉じ、先生の案内を聞きながら、想像の船に乗って、地図の島に上陸する。子どもたちは、想像の中で島での冒険を楽しむ。先生の案内で船に戻り、港に着くともとの教室へと戻る。目を開けてから、自分が想像した場面を、ハガキ大のカードに数枚描く。3時間めの授業では、自分の描いた絵を見ながら思いついたことを、どんどん小さなカードに短い文章で書いていく。1枚のカードにつき、書く内容は1つ。頭がからっぽになるまで書いたら、カードの順番を並べ変えて、1つの物語になるようにする。カードを決めた順番に沿って紙に貼りつけ、それを見ながら原稿用紙に物語を書いていく。……なんて楽しそうな授業なんでしょう! 私も子どものときに、こんな授業が受けたかったなあ…。
今回追加された増補原稿にある、「私の人生絵巻」の授業もいい。白紙の上に引いた1本の直線を人間の一生に見立て、自分の過去の出来事や未来の夢を書き込んでいく。そこで書き込んだ出来事をハガキ大のカードに絵で描いていき、できあがったカードをセロテープでつなぎ、「私の人生絵巻」を完成させる。書き終わった子どもたちの感想がいいのだ。「やっぱり人は1人ひとり違う人生を歩んでいくんだなあと思いました」「夢が同じでも、その夢に向かう道は、それぞれ違う」「夢なんて叶うわけない!と思っていたけど、少しは夢っていいなーと思いました」「人生には無限の可能性があると思った」など。
「子ども達が“カウンセリング・マインド”を持つ授業」を受けたあとの子どもの感想もいい。「発表した人は、みんな自信がついたって言っているので、なんだか魔法って感じ。先生!私達は魔法を使ったの?」
実は、刀根先生はもともと小学校教諭。この本は、実際に刀根先生自身が実践した授業のやり方をまとめたものなのだ。内容はいまでも古くなっていないので、現在の教師たちにも役に立つはず…と、今回復刊を決意したという。たぶん、すごくいい先生だったんだろうと思う。現役の先生方に是非読んでほしい内容だ。 |
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| 今年から「週に1日は仕事をしない日をつくる」と決めて実践しているのだが、こういう楽しいことはすぐに達成できる。去年だって、ずっと働き続けていたわけではなく、1〜2時間しか仕事をしない日だって何日もあったのだが、「完全に休み」という日が少なかったのだ。やりかけの仕事があると、なんとなく休むと良心が痛むので…。でも、今年は完全な「休み」をとることにした。
「完全に休み」はイイ。約束がない日は、たっぷり時間がある。この前の休みの日には、家で本を2冊読み、インターネットで映画「パーフェクトデイズ」を観た。そうそう。私にはこういうメリハリのある生活が必要だったのよ。
読んだのは、年賀状で知った知人関係の本。1冊は、大学の同期の女性が書いた『芭蕉の連句』(東山茜著・あいり出版)。芭蕉は俳句が有名だが、実は連句に自信をもっていたらしい。この本では、連句の基本ルールと、芭蕉が3人でつくった連句が2作品紹介されている。百句で完成するのが連句の基本だそうだが、紹介されているのは、36句で完成するもの。@「五七五」A「七七」B「五七五」C「七七」…と36まで順番に続けていく。「五七五」に「七七」をつけるのは普通の短歌のパターンだけど、「七七」のあとに「五七五」ってどうするのかと思いきや、やっぱり五七五を先に詠んで一つの世界をつくるようだ。
@「木のもとに 汁もなますも 桜かな」 A「西日のどかに よき天気なり」 B「旅人の 虱(しらみ)かきゆく 春暮て」 … (※一部平仮名にしています)
と続いている場合、「木のもとに汁もなますも桜かな 西日のどかによき天気なり」「旅人の虱かきゆく春暮て 西日のどかによき天気なり」と情景を変えながら、同じ言葉を使って歌にしていく高度な言葉遊びなのである。細かいルールもいろいろある。連句はちゃんと読んだことがなかったので面白かった。
もう1冊は『眠っている間にスキンケア』(宮本洋子著・東京新聞)。以前勤めていた会社の同僚が編集したという。夜のスキンケアをしない「美容断食」で肌がきれいになるというお話だ。夜は固形の「純せっけん」(浴用せっけんでOK)で顔を洗い、あとは何もつけないで寝る。朝は洗顔後、化粧水、美容液、クリーム。これを続けると、3週間で肌がよみがえり、シワが薄くなり、くすみがなくなるというのだ(詳細は本参照)。本当だったら、化粧品の節約にもなるし、魅力的。もうちょっと暖かくなったら、チャレンジしてみようかな…、暖かくなった頃には忘れてしまいそうだけど。 |
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| ロゼッタストーンも校正の段階で少しお手伝いした『関係性を生きる』(フェイス・フラー著・森川有理訳/CRR Global Japan発行)がアマゾンで発売中だ。私はかつて人間同士のコミュニケーションをテーマにした「ロゼッタストーン」という雑誌を発行していた。「人間関係」が持つ力については、かなり興味があるほうだ。そんな私に、まったく新しい視点を与えてくれたのが、この『関係性を生きる』という本だ。
フラー氏は、アメリカの心理学博士でコーチングの専門家。フラー氏がユニークなのは、人間関係を人と人との関係だけだととらえていないこと。人間関係には「私」システム(つまり、自分自身との関係性)、「私ーあなた」システム(二人の関係性)、「私たち」システム(チーム、家族、会社など、複数人で構成する関係性)があり、それぞれに、独立した生き物のように存在する「第三の存在」があるというのだ。
たとえば、「私」といっても、いろんな面を持っている。いま話題の中居君でいえば、愛される司会者という面もあれば、伝説のアイドルグループのメンバーだったという面もあり、女性と2人きりになったときに深刻なトラブルを起こしてしまった面もある(ここは私が勝手に例として出しているだけで、本に書いてあるわけではありません)。さまざまな自己は、お互いに影響を及ぼし合っている。そういういろんな自己を統合するのが「第三の存在」だ。
「私ーあなた」システムは、恋人同士、親子、兄弟、友人、同僚など、いろんな関係性が考えられる。どの二人の関係性にも、「第三の存在」がある。それは、まるで呼吸をしているような生きた存在だ。「私ーあなた」の関係は、無生物との間にも存在する。たとえば、ロゼッタストーン日記を読んでいる「あなた」と、ロゼッタストーン日記の間にも「第三の存在」がある。あなたと日記の間で、創造的なやりとりが行われている(はずだ。行われているといいんだけど…)。
チーム、家族、会社のような大きなシステム「私たち」システムにも、第三の存在がある。いまの話題でいえば、フジテレビには、フジテレビという組織の中のいろんな要素を包み込む「第三の存在」があるということだ(本には、もちろんフジテレビの例は書いてありません)。それは唯一無二の個性を持った存在だ。そして、組織が大きければ大きいほど、従業員はその独特な文化に影響を受けてしまう。なぜなら、人は「人気者グループの一員でいたい」と、ずっと切望しているからだ。システムの関係性を進化させるためには、システム内のすべての異なる声に耳を傾ける必要がある。
……といった内容が、この本では、具体例をまじえて、いろいろ述べられているのである。ちょっと新鮮な考え方でしょ? 本の中には「人間万事塞翁が馬」(中国の故事から生まれた、何が幸せで何が不幸かは予測できないということわざ)や、日本の壊れた陶磁器を修復する「金継ぎ」の話なども出てきて興味深い。
筆者は関係性のスキルを発展するために、自らの無知と戦いながら、「正しい関係性」への道のりを歩む「関係性の勇者」をめざすことを勧めている。私も「関係性の勇者」をめざしてみようかな…。「自らの無知」はよく知ってるんだけど、戦わずに受容してしまっているのが問題だな。 |
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