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バックナンバー Vol.53

硫黄島からの手紙
リトル・ミス・サンシャイン
イカとクジラ

シネマの達人が語るとっておきの一本 : 第1回 タンポポ

(今月の監修:にしかわたく)

巻頭コラム : 『映画とギャンブル』
ギャンブルくん
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 みなさん『007 カジノ・ロワイヤル』はご覧になりました?ダニエル君演じる新ボンド、ポーカーで負けが込んでキレまくってましたね。恋人に向かって「あと5千万ポンドよこせー!」とか叫んじゃって。結婚したら、ちゃぶ台ひっくり返して家の生活費をふんだくっていくタイプです。あーゆーオッサン、府中競馬場でよく見かけます。いくらクールに決めてても、負ければ熱くなるのがギャンブル。脳の毛細血管が切れるくらいまでのめりこまなきゃ、賭け事をする意味なんてありません。
 ギャンブルを扱った映画は世に腐るほどあります。アメリカ映画で、カジノもポーカーも出てこないのを探す方が難しいくらい。ただ、ギャンブルそのものをテーマにした映画となるとどうでしょう。スティーブ・マックイーンの出世作『シンシナティ・キッド』、ニール・ジョーダンのフィルム・ノワール『ギャンブル・プレイ』、マット・デイモンが天才ギャンブラーを演じた『ラウンダース』、麻雀映画の最高峰『麻雀放浪記』、P・T・アンダーソンのデビュー作『ハードエイト』etc…人が人の道を踏み外すギャンブル。こんなにドラマチックで映画的な素材は他にないのに、その割には意外と少ないような気がします。
 先日、そんな私の“ギャンブル映画リスト”に、ひとつラインナップが加わりました。2003年のカナダ映画『LUCK』。いや、別に大した映画じゃないんですけど、私のようなギャンブル狂には他人事とは思えない物語でした。この映画のテーマはずばり“ギャンブル依存”。
 主人公は作家志望の男。幼なじみのパツキンねーちゃん(サラ・ポーリー)に惚れてるんですが、告白する勇気がない。うじうじしてるうちにねーちゃんは元彼とよりを戻してしまい、失恋して自暴自棄になった男はカジノへ行くんです。ずぶずぶとギャンブルにハマって行く男。借金を返すためにギャンブルをし、その負けを払うためにまた新たな借金をする。泥沼です。にっちもさっちも行かなくなった男は映画の終盤、命を懸けた大勝負に出ますがこれも負け、もはやこれまで…というところである奇跡が起こり、今までの借金が棒引きになって自由の身に。そこへ憧れの彼女が戻ってきて「私、やっぱりあなたを愛してるの!」と実も蓋もない告白。定番のハッピーエンドかと思いきや、男は彼女を無視して立ち去ります。またもう一勝負をするために、カジノへ…。男はギャンブルに取り憑かれ、人生で一番大事なものを見失ってしまったのでありました。ちゃんちゃん。
 世のギャンブル好きどもにとって、これほど教訓的なストーリーはありません。私自身を振り返ってみても、ギャンブルにうつつを抜かして失ったものが今までにどれほどあったか…小学生の時から続けているパチンコの負け総額を目の前に突きつけられたら、その場で卒倒すると思います。外車の高級車…いや、安いマンションくらい買えるかもしれません。いや、本当に深刻なのはお金ではなくて、時間とエネルギー。人生でギャンブルにつぎ込んだ情熱を全部漫画(私の職業は売れない漫画家です)に向けてたら、今頃鳥山明くらいの地位にはいたんじゃないでしょうか。(口だけです…許して…)人間関係も同じ。パチンコのせいですっぽかした約束、今までに数知れず。ギャンブルのせいで別れた彼女も…うう、否定したいけどできない。まさに「ギャンブルで失ったもの:プライスレス」なのです。
 で、そんな私がこの『LUCK』という映画を見て何かを学んだかと言われれば…。答えの代わりに、ある友人が言った台詞を紹介しましょう。私がおそらく死ぬまで忘れないであろうその言葉とは「人は映画から学ばない」。映画は人生を映すけど、人生は映画を映さない。映画の中で感じた痛みは、決して人生の糧とならない。だから人は映画館に行くのです。「それは違う」と言う人も多いと思いますが、これは私が30年映画を見てきて学んだ、数少ない真理です。
 さ、これで原稿も片付いた。パチンコパチンコ。今日はウルトラマンが出そうな気がするんだよね。何の根拠もありませんけど。るるる。
(文とマンガ:にしかわたく)


最新映画星取表 =1点、=0.5点。最高得点=5点

『硫黄島からの手紙』 (2006年・米/ワーナー)  
監督:クリント・イーストウッド
出演:渡辺謙、二宮和也、中村獅童、伊原剛志、加瀬亮
『父親たちの星条旗』に続きイーストウッドが渾身の力で送る“硫黄島二部作”の第2作。硫黄島で日本軍が展開した地下トンネル篭城戦と、兵士たちの生き様・死に様を重厚に描く。「戦場の正義とは何か?」を問う意欲作。

団長             ★★★★★
 戦争には真の勝利者はいない、ということを痛切に感じさせられた作品でした。生きるとは何たるか、涙も出ないほど全身で受け止めました。今日ここで死すとも、その魂を後の世の人たちが敬意とともに語り継いでもらえる、といった軍人の誇りと希望…何とも言えない気持ちであります。それに対して、僕は何もしてませんし、きちんと考えたことすらありませんでした。今さらかもしれませんが、戦死者に心からの祈りを捧げます。自分の人生をとことん楽しみ全うしたい、そんな気にさせてくれる作品です。
中沢志乃          ★★★★☆
 最近、「すべての人間に共通する考え方は何か」という話を聞きました。答えは、「幸せになりたいと思うこと」でも「平和を願うこと」でもなく、「誰もが自分を正しいと思っている」ということでした。この映画はまさに、それを描いた作品。見る前は、てっきり硫黄島で戦った日本男児たちの家族や故郷への思いをつづったお涙ちょうだい作品かと思っていましたが、ポイントは全く違うところにありました。硫黄島に攻めてきたアメリカ人青年も、島を守ろうとする日本人青年も全員、お互いが「正義」のために戦っていた…。分かっていたことだけれど、この映画を見て改めて、独り善がり(&一国善がり)の正義が戦争を引き起こすと再確認。歴史と現代をさりげなく交差させ、人間を冷静に中立的に見つめる目。さすが、イーストウッド監督です。演技が、とか映像が、とか細かいことはさておいて見る価値アリ。後からジワジワ来る作品です!
野川雅子          ★★★★
 「それぞれの信念に向かって進め、それこそが諸君の正義だ」という西中佐の言葉が、この映画からもらった最大のメッセージだ。日本軍も米軍も一人一人が大事な人のために戦っている。自分の心に従って進む方向が、自分にとっての正しい道へつながっていたのだと思う。これは、現代を生きる私達にも共通している事ではないだろうか?人それぞれに大事にしたいものも違う。自分の心が訴える言葉に従って生きることが、自分らしい人生へとつながっていくのだと私は思う。「生きている」という幸せを十分に感じながら、毎日を大事に生きていかなければならないと強く感じた。
くぼまどか         ★★★★
 つい最近、戦争モノの小説を読んだ私は、その劣悪な戦闘現場で蓄積する「臭い」についての詳しい記述を読んだためか、スクリーンの中に累々と横たわる死体、汚れ放題の兵士の体、便所代わりのバケツ・・・、などの臭いを想像するだけで、ぞっとした。「寝ても覚めても戦場」というのは、映画の時間枠の関係だけでなく、硫黄島が本当にそうだったんだろうな。こんなに辛い「戦争」を、私たちは2度としてはいけない!というメッセージ、となりの席で最初から最後までポップコーンの香りをプンプンさせていた親子に伝わったのだろうか、とあらぬことが気になってしまった。あっ、それから本人の性質なのか、軽めの台詞回しに徹した二宮和也は、作品に「危ういバランスのエンターテインメント性」を提供した意味で、よかったと思う。


『リトル・ミス・サンシャイン』 (2006年・米/FOX)  
監督:ジョナサン・デイトン、バレリー・ファリス
出演:グレッグ・キニア、トニ・コレット、スティーブ・カレル、アビゲイル・ブレスリン
娘のミスコン出場のため、オンボロのミニバンに乗って“不揃いな家族”がアメリカ横断。一癖も二癖もある登場人物たちのアンサンブルが爆笑を呼ぶ。低予算映画ながら東京国際映画祭で“観客賞”と“主演女優賞”を受賞。

悠木なつる         ★★★★★
 東京国際映画祭で鑑賞し、あまりの面白さに再び劇場へと足を運んだ。ひと癖あり協調性に欠ける一家6人が、黄色いミニバスでの旅を通じて次第に心を通い合わせていく過程が、シニカルなユーモアを織り交ぜてテンポよく綴られる。一見、美少女コンテストとは無縁であろうサエない少女だが、その素直さゆえ、いつの間にか魅力的なキャラクターに変貌を遂げているのだから不思議。また、独自の成功論を唱える父親が、じつは負け犬人生まっしぐらという皮肉と言ったら! 美少女コンテストで家族が一致団結するダンスシーンはとびきり痛快で、笑いと同時に感動の涙が流れた。オンボロのミニバス旅行だって、家族の心が一つになればハッピーなのだ。
カザビー          ★★★★★
 笑いと感動が絶妙なバランスで融合されたダメダメ一家のロードムービー。 観終わった後、家族ってものすんごく煩わしいけどとてつもなくいいもんなんだって心底思える素晴らしい作品だ。 このフーヴァーファミリーってそれぞれが超個性的で面白いのだけれど特にヘロイン中毒のおじいちゃんが最高! ときには「ちびまる子ちゃん」の友蔵であり、ときには「カタクリ家の幸福」の丹波哲郎のようでかなりいい味だしてる。 それと黄色いミニバスも要チェック! 家族をひとつにする重要アイテムで、色が黄色いのはきっと「しあわせ」を表しているに違いない。 今年映画館で観た一発目の映画がこれで本当に良かった。 速攻で心のデトックスしたい方にごり押しでオススメいたします。
伊藤洋次          ★★★★★
 強烈な個性の面々がそろい、もめ事やトラブルが絶えない主人公一家。アクの強さと家族の一体感の無さが見事に(?)表現された冒頭のシーンから、一気に物語に引き込まれた。黄色いオンボロバスが極上の味わいを醸し出していることに加え、トラブル続きの道中に大笑いしたり、ハラハラしたり、しかし時にはホロリとしてしまう構成も素晴らしい。最後のステージのシーンは大興奮! おかしくも涙がこみ上げてきて、家族みんながこの上なくいとおしくなった。
南木顕生          ★★★
 ロードムービーとホームドラマ、ともに私の大好物。この二つを組み合わせると大抵失敗はしない。ホームドラマは様々な世代と嗜好の人間を家族という枠組みのなかで無理なく成立さすことができる。ロードムービーはバラバラの価値観の持ち主たちを無理やりひとつの空間に押し込めて共通の目的で移動することでそれぞれの調和を計ることができる。このやり方はキャラクターが面白ければ面白いほど設定したテーマが明快になる。
 今回の作り手たちが設定したテーマは「負け犬賛歌」。よくまとまっていて面白いけど、それ以上でも以下でもない。家族という縦軸は描けているが、アリゾナからカリフォルニアという横軸が薄い。この「家族」の「移動」から「負け組」を作ったアメリカの構造を描けるのではないだろうか?
 モーテルのTVでブッシュとラムズフェルドのイラク戦争の記者会見が出てくるのだけど、「関係ねぇよ」的にすぐTVは消されてしまう。関係ねぇよ、ではない。アンタたちが負け犬になった事情とどこか関係あるかもしれないでしょ。政治とはそういうもんだ。
 ひとつひとつのエピソードは練られていて楽しいし、みんなで押さなきゃ走らないワゴンのアイディアもいい。でも、現在のアメリカが見えてこないのが極めて惜しい。凡百の馬鹿ハリウッド映画よりも「映画」してるだけに残念である。勿体無いよ!


『イカとクジラ』 (2005年・米/ソニー)  
監督・脚本:ノア・バームバック
出演:ジェフ・ダニエルズ、ローラ・リニー、アンナ・パキン
80年代のニューヨークを舞台にしたインテリ家族の悲喜劇。いつまでたっても大人になれない父親と母親、そんな両親を愛しつつ、同時に憎みながら成長していく子供たち。全米の批評家が絶賛した、ペーソス溢れる小品。

南木顕生          ★★★★★
 インテリであっても馬鹿な人間は当たり前のようにいる。知識なんか頭の良し悪しとは全く関係ないのだ。その当たり前のことが父親も主人公もまったくわからない。彼らの極めてリアルな無自覚さは、こうして映像にして初めてわかることなのだ。やがて主人公は気づく。この父親がまったくの馬鹿で自分も同じ種類の人間であることを……。
 知識の水先案内人である父親は同好の先輩のように接するのだが、それはけっして父親ではない。主人公には幼少の頃の父親の記憶がないのだ。恐らく父親が主人公と接するようになったのは彼が言語を解するようになってからだと思われる。この父親にとって子供など取るに足らないモノに過ぎなかったに違いない。主人公が幼少の頃、ニューヨーク自然史博物館で見たダイオウイカとマッコウクジラが格闘する原寸大のジオラマがトラウマになっているのだが、その正体こそが得体の知れぬ当時の父親だったことを知る。
 いやぁ、身に詰まされました。恥ずかしながら父親と主人公の中に自分を発見した。俺は自分をインテリだと思ったことはないが、それがコンプレックスであるかのような知的好奇心はある。時には学習の歓びを開陳したりする。しかし、それが醜悪であることについては主人公同様無自覚だった。この映画を観て、いつか子供が出来たときに俺は父親になれるのだろうか、と怖くなった。
岡崎圭            ★★★★
 子供の頃、両親が不仲だった。代々職人の父と教師一家で育った母とでは価値観が違いすぎていたのかもしれない。
 『イカとクジラ』を観て、幼い日に起こったある出来事を思い出した。あれは確か日曜日だった。私は5?6歳くらいだっただろうか。その日は家族4人、車で遊びに出かけることになっていたが、出かける間際になって両親が喧嘩をし始めた。当時、家族で出かける時に両親は決まって喧嘩した。きっかけはいつも些細なことで、「支度が遅い」と父が母に文句を言い、母が怒って家に引き籠る、といった具合。いつもなら母が機嫌を直して出て来るまで待っている父だったが、その日は構わず兄と私を連れて出かけてしまった。行き先は大きな川の土手だった。途中で父は兄と私に菓子を買い与えた。それは子供の口には贅沢な高級クッキーだった。土手に着き、私と兄は車のボンネットに登って鉄橋を通る新幹線を眺めた。生まれて初めて新幹線を見たのがこの日だったと思う。天気の良い暖かい秋の日だった。夕方になって私達は帰宅した。母は部屋から出てこなかった。私は車に酔い、家の廊下に吐いた。父から買ってもらって食べたクッキーもすっかり吐き出してしまった。
 『イカとクジラ』のラストシーンで、兄が子供の頃の唯一楽しかった思い出の場所へ赴く。そこで唐突に映画は終わり、私は泣いた。私にとっての"イカとクジラ"はなんだろう?今はまだ思いつかないけれど、必ずや思い出してみたい。そう思った。
藤原ヒカル         ★★★★
 思春期の息子にたずねられ、母親の浮気が原因で離婚したとを正直に告げる父親。また、そんな息子に、これまで浮気した男たちについてのことを話す母親。離婚後、小学生の息子のテニス・コーチと親密になってしまう母親。けっこう身勝手な両親に振り回される2人の息子だが、誰にも言えない複雑な葛藤を抱えながらも成長していく姿がシュールに描かれている。
 親、子供など、家族としての役割を意識せず、とにかく、1人の人間として自由に楽しもうという西洋文化の価値観の中で、子供たちは次第にたくましくなっていく。西洋人のドライな個人主義的な考え方は、こんな環境で培われるものなのかと理解できたような気がする。
「今夜は彼女の家に泊まる」と電話をかける高校生の息子に対し、ガンバレと応援する父親など、日本ではまずお目にかかれない。また、共同親権のため、子供たちは数日おきに父親と母親の家を行き来するのだが、小学生の子供が父親に向かって、「父さんの家にはもう行かない」とはっきり言い切ってしまうのも、西洋の子供独特だと思った。
 ただ、私はこういう?日本的に言えば?めちゃくちゃな両親でも、子供を理由として自己犠牲を感じている両親より、子供はもちろん愛しているが、自分の人生も満足させたいと考える彼らの方が、ずっと健康的ではないのかと思った。本作では、両親の離婚がきっかけで子供は成長し、両親は子供を1人の対等な人間と扱いはじめる。もちろん、離婚がいいと言っているわけではない。ただ、親子の愛情を感じながらも、それぞれがお互いを客観的に受け入れるといったユニークな親子関係も、そう悪くはないのではないだろうか。
高井清子          ★★★
 他人の批判とでまかせばかりの父親と上の息子にうんざりしながら見ていて、かといって母親も愛情や母性がことのほか強いわけでもなく、だから普通にありがちな家庭不和と希望の片鱗がこぢんまりと描かれている、といった印象だ。本国の賞レースではすこぶる評判がよいようだが、この業界にこういうエセインテリが多いだけじゃないだろうか。笑えるけど、そのブラックが映画批評家タイプの人たちに「効きやすい」だけであって、そんなに賞賛されるほどかな?と思ってしまう。それもまた私の個人的な嫌悪感(本当に嫌なタイプの男たち!)からだけど…(笑)。


新連載 シネマの達人が語るとっておきの一本 : 第1回 タンポポ

そのノイズ感、(多分)グローバルスタンダード
「タンポポ」伊丹十三 ‘85

 「とっておきの一本」と言われて迷うほど大量の映画を見ている訳ではないですが、リニューアル記念とのとこで、こちらも人生で大切だと思われる記念の一本を晒させていただきます。内容や自身の人生への影響等の要素で選ぶのではなく、単純に「初めて」をピックしました。

 私が人生で初めて、自分の金で見た映画は「タンポポ」(’85 伊丹十三)です。
 ちなみに人生で初めて、男と見た映画は「子猫物語」(’86 畑正憲)です。
 ちなみに初めては川崎駅前のホテル「パリ」(’93 あきら)です。

タンポポ
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  そんな、結構な幼少期から男に対して何かと残念な感じの垣間見える人生なわけですが、もちろんその頃の私に、この映画の海外での評価やそれを支えるすんばらしい要素の数%も理解できるはずはなく(理解できなくても娯楽できる所がまた凄いのですが)、ずっと後に映像論の授業で教授がこの作品について触れていたり、トルシエの通訳さんがこの映画を見て日本に興味を持ったと言う事実(「タンポポの国」の中の私、参照)を聞くにつけ胸を熱くしていました。

 本筋である、ラーメン屋と流れ者の西部劇調ストーリーと平行して、もう1つの柱である役所&黒田のエロティックな関係。それを取り巻く、全く持って心地良い雑音としての食エピソード。全てのキャラクターが、色っぽく、魅力的で、愛すべき人々足りえていて。ここで凄いのは、どんな短い場面の人間でも、魅力のない人がいないんです。若い海女さん、パスタを食べる気取った女性たち、乳のみ子だって老婆だって、余すところ無く色っぽくていとおしい。

 この作品の魅力は「ノイジー」と言うことに尽きると思うんです。

 最近映画に限らず、小説、ゲームや歌詞、世界観の表現において「純度の高い」ものがとても増えてきているように感じる今日この頃。セカチューや、ファイナルファンタジー、ジブリ、バンプオブチキン…。ストーリーテリングするにあたって、ノイズと思われるものを省いて共通コードを用い、純度を高めていく工程は大変に必要かつ重要です。でも、本当にこれは個人の好みの問題になってしまうんですが、さらにそこにノイズ感があれば気持ちがいい。もちろんただの雑音ではなく、そこにきちんとグローバルなマジョリティの共通言語足り得る表現も持っている。そんな底力を、伊丹監督の作品には感じます。

 伊丹作品のノイズの心地良さを、その当時幼き私が感じていたかどうかははっきりしませんが、当時の日記帳に「チャーハンの親子が好きだった」「役所こうじがカッコよかった」とその二つが明記してあったことから言って、少なからずノイズの一部を楽しんでいたんじゃないかなあ。

(文:乳原シモーヌ/イラスト:にしかわたく)

2007.1.25 掲載

著者プロフィール
にしかわたく : 漫画家・イラストレーター。生まれて初めて劇場で見た映画は『グリズリー』『テンタクルズ』の2本立て。現実逃避のスピードを極限まで加速すればいつか現実を追い越せると信じ、今日もロスト・ハイウェイをひた走る37歳、デブ専。イラスト映画ブログ「こんな映画に誰がした?」稼働中。 http://takunishi.exblog.jp/

団長 : スーパーロックスター。メジャー契約なし、金なし、コネなしながら、来秋、日本武道館でライブを行う。ラジオDJ、本のソムリエ、講演、コラムニストなどとしても活躍中。大の甘党で"スイーツプリンス"の異名をとる。バンドHP http://www.ichirizuka.com

中沢志乃 : 1972年5月8日、スイス生まれ。5年間、字幕制作に携わった後、2002年4月、映像翻訳者として独立。夢は世界一の映像翻訳者。現在、トゥーン・ディズニー・チャンネルで吹替翻訳を手がけた「X-メン」が絶賛放映中。10月25日、字幕翻訳をした「ラストサマー3」発売。

野川雅子 : 1985年山形県生まれ。19歳で映画に出会い、それ以来、映画に恋愛中。人の心を描いた邦画が特に大好き。日本中に映画の魅力を幅広く伝えられる映画紹介をするのが夢。

くぼまどか : 「人生すべてが経験値」をスローガンに、ピアニストからライターへと変身を遂げ、取材記事は元よりコラム・シナリオ、最近では創作活動にも手を染めつつあります。基本的に映画は何でも好きですが、ツボにはまると狂います。「ロード・オブ・ザ・リング王の帰還」封切りを観る目的だけでロンドンに飛んだのがちょい自慢。

悠木なつる : 1973年生まれ。安定していたOL生活をあえて手放し、現在、映画ライター見習い中。「食えるライター」を目指してジャンル問わず映画を観まくる日々。

カザビー :  1978年生まれ。映画とお笑いをこよなく愛するOL。「パッチギ2」のエキストラに参加。井筒作品おなじみの乱闘シーンをかなり近くで見られて大興奮!迫力あったなぁ。

伊藤洋次 : 1977年長野県生まれ。業界紙の会社員(営業)。メジャー映画はなるべく避け、単館系しかもアジア映画を中心に鑑賞。最近気になる監督は、廣末哲万・高橋 泉、園子温、深川栄洋、女池充など。

南木顕生 : 1964年生まれ。シナリオライター。日本シナリオ作家協会所属。映画は劇場のみ鑑賞をモットーに現役最多鑑賞脚本家を目指している。ここ二十数年、年間劇場鑑賞数百本を下回ったことがないのが自慢。怖いもの知らずの辛口批評は仕事を減らすのでは、と周囲に心配されているとか……。

岡崎 圭 : "GEROP"(Grotesque-Eros-Psyche)探求者。または如何物喰い。どちらかというと邦画が好きです。

藤原ヒカル : カンガルーの国、オーストラリアでジャーナリズムを学び、その後は現地で新聞記者に・・・。業界へのデビューを果たすが、目指すところは"パレスチナ"ではなく、"ミュージックシーン"だったりする。10歳の時にテレビで聖飢魔IIのライブを見て、デーモン閣下に一目惚れ。普通は逆だが、後にKISSを知り、「英語を話せればインタビューできるかも!」とミーハーな理由で英語を猛勉強。HR/HM歴20数年。現在は日本在住。企業や国家の政策などのコアな記事から外国人クリエーター、芸術家たちにインタビューして記事を書くのがお仕事。

高井清子 : 1966年生まれ。企業勤めの後、ロンドン留学を経て、フリーの翻訳者に転身。映画の脚本やプログラムなどエンタテインメント関連の翻訳をする。今は韓流にどっぷりはまり、『韓国プラチナマガジン』にもレビューを寄稿している。

乳原シモーヌ : 富山生まれ、大森育ち。高校が神奈川方面の京急線沿いだった為、学校をサボった日は黄金町&日出町の「横浜日劇」や「シネマジャック&ベティ」で過ごす。映画祭は好きだがいつまで経ってもシネコンに慣れず、入ると挙動不審になる。
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