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第11回 「国語(日本語)の能力アップ」について


皆さんこんにちは。少し前までは、9月といえば、学校では「2学期のスタート」でした。ですが、今は授業時間の確保などのため、「2期制」を導入する学校が増えました。この場合、1年を前半・後半に分けるので、そのような学校ではまだ「前期の途中」となります。そういった場合、夏休み明けに「期末テスト」を行なうケースも多いのではないでしょうか。いつまでも夏休み気分でいると、何も準備しないままテスト当日、ということになりかねないので、2期制の学校に通う生徒さんは、早く気持ちを切り替えなければならないですね。

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さて、今回は「国語(日本語)の能力アップ」について取り上げます。さまざまな切り口がありますが、今回は「ディベート」や、「討論能力」について考えます。

この連載をさせていただくにあたり、打ち合わせをした際、編集長さんから「学校では討論などの教育はどうなっているのですか」との質問が出ました。また、先日、あるお母様からご依頼を受け、直接お目にかかって教育相談をさせていただいた席でも、同様の質問を受けたので、「こういった問題は、世間でも注目されているのだ」と、改めて実感した次第です。

連載第3回「ゆとり教育問題」の際にも触れましたが、新しい学習指導要領で、国語の柱の一つに「話すこと」が重視されるようになりました。各社の教科書にも、「クラスで討論をしてみよう」、「話し合いをしてみよう」などの項目が立てられています。お子さんが中学生の保護者の方は、教科書をご覧になると、よくおわかりいただけると思います。

このこと自体は、「アピール力不足」、「スピーチ力不足」としばしば指摘される日本人の傾向を改善しようという試みで、評価できると私は考えています。
  でも。ここにも大きな落とし穴があります。それは、「学校間・教員間で指導能力に格差があり過ぎて、お話にならない」、ということです。

以前、「○○先生は、授業でリベートをやっているんだってね」(!!)という教員を、私は見たことがあります。どうも「ディベート」のつもりで「リベート」と言っているみたいでしたが、こういう発言をするということは、要するに、「ディベート」も「リベート」もその人は理解できていない、という証明なのでしょう。

私はたまたま、高校時代にディベートに関心のある同級生がいたため、文化祭でその友人を中心に、有志で「ディベート大会」を開きました。今でこそ、ディベートと言っても通じる場面も増えましたが、私の高校時代は、ディベートと言っているのは校内でも私たちグループだけ、日本全体でもおそらく限られた人だったと思います。その頃の世相は、バブル景気まっただ中の頃でした。

今になって改めて気づくのは、当時の経験が、現在の私の教員生活の中に生かされている、ということです(この時の同級生には大いに感謝しています)。授業で生徒にディベートを試みることもありましたが、その時にもちろん改めて勉強するにしても、青春時代に仲間と経験した、ということは貴重な財産となって私の中に残っています。

でも、同僚を見渡してみると、国語の教員だけでなく、社会科の教員にも熱心に実践している方も見ますが、「ディベート」と「リベート」を間違えてのほほんとしている人もいるくらいなのですから、きちんとしたディベート教育を実践できている人は、おそらくほんの一握りの教員だけなのではないでしょうか。

そういう人に、もしも「ディベート教育に取り組んで欲しい」と言ったところで、「習ってないことはできない」と、開き直られてしまうかもしれませんし、「できません」と言って拒絶されてしまうかもしれません。また、「そんな時間はありません」と言われるかもしれません。でも、国際社会でも通じるような討論の能力をつけることは、日本人のコミュニケーション能力のアップだけでなく、公的な場でのアピール力の向上にもなり、ひいては、日本の国際社会での地位の向上にもつながるはずです。ですので、今後の教育においては、ディベートや討論の能力を養うことは、非常に重要なことだと私は考えています。

ただ、教員間の能力差があり過ぎる現状では、日本中の教員に研修を受けさせるようにでもしないと、日本の若者に実力がつくのは遠い先の「見果てぬ夢」にでもなりかねません。ひとりでも多くの、未来を担う若い世代にディベートや討論の能力を身につけてほしいのなら、まずは教員の能力アップが先決です。

また、生徒には、討論そのもののあり方や、「討論は討論、普段の交友関係とは別物」といった理解をさせることも重要ですが、それ以外に、論理力や語彙力がないと、ただの「言い合い」や、「薄っぺらな内容」になってしまいかねないことを理解させるのも大事でしょう。最近は小学校で、「ゆとり教育」で勉強の範囲が減ったから、と、漢字テストなどをおろそかにしている「カン違い」教員もいると聞きますが、こういった意味でも、年齢に応じて漢字や語彙の知識を増やしていくことは重要です。もしも不幸にしてそのような教員に当たってしまったら、ご家庭で親子一緒に漢字の勉強などをしてみることをおすすめします。

ディベート・討論の能力を養うことは、今すぐに子どもの学力に直結することではないかもしれません。でも、長い目で見れば、それは必ず自分の力になり、また、大人になっても役立つ「財産」となるものです。このことをひとりでも多くの教育関係者が認識すべきなのではないでしょうか。

2005.9.10 掲載

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