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第18回 「評価について」


皆さんこんにちは。小学生の児童が大人の魔の手にかかる事件が続発し、私も心痛が絶えません。ちょうど2週間前に起きた、塾講師が教え子を刺殺するという前代未聞の事件には、心底驚きました。亡くなられたお子さんと、ご遺族の皆さんには心よりお悔やみ申し上げます。

教員になる前に、塾で大学生が指導経験を積むのは、良いことだと思います。ただ、まだ未熟な部分が多いので、管理者の指導やフォローが欠かせません。現在の日本は少子化なのに、塾は乱立しています。講師のレベルも千差万別でしょう。ですから、塾には、「上層部の目が行き届いていて、講師が塾の方針をよく理解している」ことが必要不可欠です。

塾の問題に限りませんが、子どもと常日頃コミュニケーションをよく取り、「塾帰りにファーストフードで待ってるように言われた」など、おかしな点があれば、ただちに上層部に話をして、改善してもらうことが大事でしょう。ご心配な点があれば、メールをいただければ、お返事致します(アドレスは、第8回連載記事をご参照下さい)。

今回は、「評価について」について考えます。
  通知表をお子さんが持ち帰ったら、まずは「今学期頑張ったね」と、お子さんの努力をねぎらっていただきたいです。そして、その上で内容をよく見て、「何が得意で、何が苦手なのか」親子で見極め、「得意なものはさらに伸ばし、苦手なものは、どこでつまづいているのか」よく話し合っていただきたいです。その上で、「塾に行く」などのことをお決めになって下さい。

今はお子さんが少ないので、お子さんの意思を確認する前に、あれこれ保護者が心配し、先回りして決めてしまうことがあります。そうすると、最悪の場合、いつの間にか「親に何を言っても聞いてもらえない」と子どもが思い、コミュニケーションをあきらめることも起こる可能性があります。こうなると、思春期以降に子どもが感情を爆発させたり、別の形(不登校、友だちとのコミュニケーション不全など)で現れてしまうこともありますから、この事態だけは避けなくてはなりません。

(私のかつての同級生にも、母親が厳しくいろいろ言うので、大人になっても母親をうとましく思い、出産の時さえ「母は手ぐすねひいている。でも、助産師ではないから、手伝ってもらうことなんてない」と、驚愕の発言をした人がいます)

資料

時間はかかりますが、親子でよく話し合い、「お子さんが納得して」物事に進ませることが大事です。自分で納得していれば、子どもは自然にやる気を出すものなのですから。ですから、私も、時間はかかりますが「本人に気づかせる」ような指導を心がけています。

本題に入ります。新指導要領になり、公立校の評価の基本は「絶対評価」になりました。これは、「全体の中で、どの程度の位置にいる」のを示すのではなく、「どの程度内容を理解しているか」ということを示しています。この点が、以前の「相対評価」と大きく違う点です。私立中学、また、高校以上では、学校によって異なるかと思います。

わかりやすく言えば、「クラス全員ががんばっていれば、全員5段階の5」ということも考えられるのが、今の「絶対評価」です。だから、5がついた、というのは、良く言えば「その教科では良い成績を修めた」と言えます。

ただ、別の角度からの見方、「だからといって、クラスで1番とは限らない」ということを理解しなくてはなりません。もしかしたら、その教科では「3以上の成績しかついていない」状態なら、4というのは「ほぼ中間層に位置している」という意味になってしまうからです。

(なお、「通知表がない」という私立校がまれにあります。もちろんそれでも良いでしょうが、それならば、それに代わる学校独自の評価基準があるはずですし、また、「その評価が生徒自身に正しく伝わって」いなければ、その学校の姿勢は無意味になってしまうのではないでしょうか。もしそのような学校を志望される場合、学校の方針を、親子そろってじゅうぶん確認なさる必要があります)

このような状態ですから、率直に言って、今の公立中学で「2」というのは標準以下、内容をほとんど理解できていないか、または、態度がとても悪いなどのことが考えられます。お子さんの通知表に2以下の数値がついていたら、叱る前に、「なぜそうなるのか」、「このままでいいのか」話し合いをなさって下さい(正直申しまして、中3で2以下の数字があると、標準レベル以上の高校に進学するのが困難になってしまいますので)。

さて、「絶対評価」には、以下のようなメリットとデメリットがあります。
【メリット】
・ 生徒の意欲が具体的に反映されやすい
・ 能力的に低い生徒でも、意欲があれば1がつきにくい
【デメリット】
・ 全体の中での自分の位置が見えにくい
・ 公立校の場合、学校間格差がありすぎる

メリットに関しては、補足説明は不要でしょう。 デメリットの1点目については、先ほどの説明を理解していただければ、こちらもすぐに理解可能かと思います。実際に、絶対評価の弊害でしょうか、中学時代「4や5が多い」と言って有頂天になっていた生徒が、高校に入って苦しんでいるケースも目にします。

2点目は、「意欲のある生徒の多い学校では、4や5の成績の生徒が多い」一方で、「荒れている、と言われる学校では、1や2の生徒が多い」という事実があります。

ですので、たとえ公立校に進む場合でも、進学予定の学校をよく調べる必要があります。口コミの情報も無視できませんが、実際に中学の授業を見学し、「この学校に子どもを安心して任せられるか」確かめることをおすすめします。

そして、評価、といえば、スポーツの大会や音楽・作文などのコンクールなどにもついて回ります。
  絶対評価とも関係があるのかわかりませんが、このところ、「実力がないのに、自分では実力があるとカン違いしている」生徒が目に付きます。

たとえば、このようなケースです。「俳句や短歌を作りました」と言って持ってくるのですが、良い作品にはほど遠いものばかり。コンクールに出しても、かすりもしません。

その生徒に、「なぜこういうのを作るの」と聞くと、こんな返事が返ってきました。 「みんなと違うものを作りたいから」 他人と違うものを作りたい。その気持ちはわかりますが、だからと言って、俳句や短歌を作る基準から大きく外れたものを作っても話になりません。

そこで、私が「もしそういう方面で食べていきたいのなら、自分だけで作っていないで、勉強する会に入りなさい。そうしないと上達しないし、その道で生きていくことは難しいよ」と諭すのですが、聞く耳を持ちません。「俳句や短歌を詠んでいる祖父母に見てもらうからいい」と言うのです。

でも、祖父母がその道のプロでないのなら、そんなことをしてもその生徒の作品の向上にはつながりません。ですから、私には、「現実逃避のため、自己満足のために作品を作っているだけ、他人から批評されて向上させようという意識はない」ように見えるのです。

資料

また、「自分は同級生よりも本を読んでいるのに、国語ができない」と私に訴えてくるケースもありました。でも、「じゃあ、どんな本を読んでいるの」、と聞いても、本の名前はあまり挙がりません。また、もし本当に読んだ本の内容を理解していれば、語彙力や読解力がついているはずです。ですが、その生徒には、その力があるとは思えませんでした。

「本を読んでいる」という生徒の中には、「難しい言葉があってもそのまま読み飛ばし、なんとなく全体をわかった気になっている」ケースがあります。こういう場合は真の実力がついていないのです。
(不安をお持ちなら、お子さんと本の感想を話し合えば、内容を正しく理解できているかどうか、判断できるはずです。ざっくばらんに、日常の会話の中で、おやつを食べながら、などで構いません。お試しになってみて下さい)。

このようなケースに当てはまる生徒は、たいてい、自分では「同級生よりも実力がある」と思っているのに、実際には「同級生の平均か、それ以下」の実力しかありません。ですので、このギャップから、友人とコミュニケーションもうまく取れないのです。また、それがエスカレートして不登校、退学といった事態になることも珍しくありません。

私は、このような生徒を見ていると、「彼らはこのまま社会に適応できなかったら、将来、ニートやフリーターになったり、あるいは(極端なケースでしょうが)、こんな自分を認めてくれない、と長年積もりに積もったフラストレーションを爆発させて、他人を傷つけたりしないだろうか」という不安を抱きます。そして、「彼らは家に帰れば“お前が一番だよ、悪くないよ”と言われているのだろうか」とも想像してしまいます。

スポーツの大会は結果が数字になって現れるので、このようなことはあまり起こらないのかもしれません。でも、音楽や文学などの場合、「自分では優秀だと思うが、実際はひどい」こともあるかもしれません。

おおむね、コンクールは審査員の構成や大会の意図で結果が左右されますが、それでも、真に実力があれば、どこかで必ず高い評価を得るはずです。また、どんなものでも、他人に評価を受けつつ、切磋琢磨していかなければ、上達など望むことはできません。

評価を受ければ、傷つくこともあるでしょう。でも、それを生かして次はステップアップしていくようにしなければ、何事も上達などできないはずです。子どもの時にそれを経験していなくて、大人になっていきなりできるでしょうか?そんなことはないはずです。自分の今の力量を正しく理解し、そして、更なるステップアップを目指すよう導くのは、大人の大事な役割のひとつではないでしょうか。

ですから、わが子かわいさのあまり、かごの鳥のような扱いをしたり、盲目的にほめる保護者を見ますが、それは「百害あって一利なし」なのです。

教育、育児において、ほめることは重要ですが、同じくらい、叱ることや、傷ついて立ち上がることも重要です。「どう言って子どもをほめるべきか」、「どう言って叱るのが良いのか」、そして、「どうやって失敗から立ち直らせたら良いか」、これらの点については、今後改めて書く場を持ちたい、と考えています。

さて、この連載も今年4月に始まり、月2回のペースで更新してきました。皆さまあっての連載です。読者の皆さま、そして、連載に携わっている関係者の皆さまに、改めてお礼申し上げます。   次回は約1ヵ月後、2006年の1月末の更新を予定しています。どうぞお元気で、そして、良いお年をお迎え下さいますように。

2005.12.25 掲載

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