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第33回 「カリキュラム」について


皆さんこんにちは。
  いじめで命を絶つ子どもが後を絶ちません。ひとつの事件が大きく取り上げられると、連鎖反応的に次々起こってしまう部分があると思いますが、それにしてもいたましい限りです。
  まず、今、いじめなどで苦しんでいるお子さんに、次のメッセージを送ります。


「今は毎日つらいかもしれないね。こんな日がずっと続くかと思うと、死にたくなる気持ちもわかるよ。でもね、君が死んでも、“あの子がいなくなった”って、喜ぶのはいじめっ子だけだよ。自分を苦しめている相手を喜ばせるなんて、そんなことはやめたほうがいいよ。

今すぐできなくても、いつか、自分の得意なことで、その子を見返してほしい。嵐のように暗い毎日は、ずっと続くことはないよ。だから、どうか、生きることをあきらめないでほしい。

親、先生、周りの大人が誰も話を聞いてくれなくても、どこかに、誰か必ず助けてくれる大人がいるから、話をしてみてほしい。チャイルドライン、っていう、話を聞いてくれるところもあるよ。このアドレス【http://www.childline.or.jp/】を見てごらん。

そして、もし、誰も相談できる相手がいないと思ったら、私までメールをちょうだい。いつでも待っています」


事件の報道を見ていると、「教員が忙しくて、子どもの話をきちんと聞いていないのではないか」ということを強く感じます。急用があれば別ですが、子どもがやってきた時には、必ず、私は話をよく聞くようにしています。その中で思いがけないことに気づくこともあるものです。

さて、今回は「カリキュラム」についてとりあげます。
 「必修科目の未履修問題」が、今、日本中で大騒ぎになっています。「本来、履修していなければ高校を卒業できない」はずの科目を学習せず、「他の科目にすりかえた」ということで、その大半は「受験勉強で必要とされない科目を学習せず、受験で必要な科目の時間にした」というものです。大半が「世界史を他の科目にすりかえた」というものでした。

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世界史を必修にしたのは、世界の情勢がわかるようになり、国際化にふさわしい人材を送り出すはずでした。ですが、これでは「必修のはずの世界史を高校で履修せずに、社会に出た」方は、将来、困ることが多く出るのではないでしょうか。

当初、この話が出た時、すぐ私は「地方の公立校が多いだろうな」と考えました。大都市部ですと、学校で受験に必要ない科目を教えても、塾や予備校でカバーすることができます。ですが、予備校が少ない地域ですと、学校の教員が全て教えなければなりません。首都圏でも、大手予備校や塾の多くある地域、そうでない地域で、補習の実施状況など、もともとの学校の姿勢に大きな差があるのが現実です。

週5日制が実施されて、その中で「学校の授業も、受験対策も」となれば、どこかにしわ寄せが来るのは当たり前です。まして、ゆとり教育のデメリットで、「小学校で習っていたことが中学で」、「中学で習っていたことが高校で」と、先送りが行なわれています。その中での「学校の授業も、受験対策も行なう」というのは、毎日7時間授業にするとか、受験目的の補習を土曜日に毎週行なうなど、学校が重い負担を強いられているのではないでしょうか。

このような重い負担の中で、学校は、「受験ですぐれた合格実績をあげ、校名を有名にする」ことを求められています。そこで、「科目のすりかえ」という手段が生まれてしまったように私には感じます。

もちろんこのような判断をした校長や教員は責められるべきですし、私も悪いことだとは思いますが、ゆとり教育の弊害、と、学校に求められている合格実績、という事情も忘れてはならないと感じます。

今回、公立校だけではなく、私立校の調査も行なわれました。私立校の履修漏れも多く報道されていますが、「調査されていい迷惑だ」と思っている学校が多いのではないでしょうか。(もちろん、私は、公立校も私立校も、同じ「学校」なのですから、同様に調査すべきだと思います)

私立校は、第12回連載でも書きましたが、教育委員会が「監督」するものではありません。実は、カリキュラムなどは都道府県の担当部署(東京都で言えば「生活文化局私学部」です)に「報告」すれば良いことになっています。ですので、実態と異なる「報告」があっても、不思議ではありません。

また、都道府県も「何かあったら処分する」つもりでチェックしているわけではないので、確認が甘くなることもあるでしょう。事実、東京都に学校が誤解に基づいたカリキュラムを提出して、都が気づかなかったケースも出ています。

また、私立校のなかで、家庭科を教えていなかった、という報道が出ているところがあります。家庭科は現在、「男女とも必修」ですが、これが実施されたのは、中学校では1993年から、高校では1994年からです。ですので、この年以降、男子校でも家庭科を教えなくてはならなくなりました。

ですが、家庭科の教員はたいてい女性です。女性教員をひとり採用すれば、トイレや更衣室を増やすといった設備の改善はもちろん、同僚の男性教員も、女性を気にして今までどおりの仕事ができなくなる、といったことが起こるかもしれません。私がかつて、アルバイト先の塾で教えていた男子校の生徒には、「養護の先生も男性だ」と言われたことがあります。

男性教員が研修を受けて、家庭科の免許を取得し、家庭科を男子校で教えている、といったケースも聞いたことがありますが、中には、そのようなことをせずに、ごまかしていた学校もあるようです。これは「男性は勉強や仕事ができさえすればよく、家事など必要がない」という考え方に基づいているのではないでしょうか。

ですので、その学校を出れば、学業面では優秀かもしれませんが、家事のできない大人になるに過ぎない可能性があります。高校生の時は気づかなくても、一人暮らしや結婚後、困る場面も出るかもしれません。

今回の調査で、「受験科目へとすりかえた」学校はもちろん、このような形で「授業をごまかしていた」学校も明るみに出てしまいました。

今回のことを受け、来年度以降、公立校ではカリキュラムのすり替えに対して、厳しいチェックがされるようになるのではないでしょうか。校長の処分などもあるかもしれません。 ですが、私立校の場合、教育委員会が上部機関として存在しませんので、自ら襟を正す、と宣言し、来年度以降のカリキュラムを「本当に」変えないと、また来年は「ごまかし」が起こるかもしれません。

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私立校は、「私学の独自性」が重視されています。学習指導要領の枠を越え、高い志を持ち、独自の理念で素晴らしい教育を行っている学校、教員がたくさん存在することを、私は知っています。

ですが、「独自性」と言うのは、「中学校・高校卒業に必要だと決められているカリキュラムを無視してもいい」ということではないはずで、「必要なことは行って、その上で独自性を追求する」姿勢でなくてはならないはずです。私学関係者は、このことを改めて肝に銘ずるべきではないでしょうか。

なお、11/9付の「朝日新聞」の記事で、「履修漏れの疑いある私立校へ、東京都は電話で調査を済ませた」という内容がありました。記事には、「履修漏れの疑いのある学校も、適切にやっている、と電話で言った」、「学校の言い分を信用するしかない」と書かれていました。その一方で、正直に履修漏れを認めている学校もあるのです。

これは、「正直に申告したものが損をする」と受け取られても仕方がないことです。このような私立校があることを、関係者として本当に恥ずかしいことだと感じます。履修漏れの疑いのある学校には、東京都の担当者が責任を持って調査すべきです。

もし、「我が校は大丈夫か」と心配するお子さんや保護者の方がいらした場合、メールでご連絡をいただけましたら、ご相談に乗らせていただきます。
【参考】「電話だけで『問題なし』と判断 必修漏れで都私学部」
http://www.asahi.com/special/061027/TKY200611080412.html

さて、カリキュラムについて、未履修問題以外に、皆さんにお話したいことがあります。

学校説明会などで、「本校のカリキュラムはこのようになっています」と示されることがあります。その際、どこを主にご覧になったら良いのかわからない保護者の方も多いのではないでしょうか、

そこで、「カリキュラムを見る上での一番重要なポイント」をお伝えします。 中・高一貫校で中学から入学しても、高校からの入学でも、重要なのは「高校2年生のカリキュラムを見ること」だと私は考えます。

高校2年生になると、大半の学校が、生徒の進路希望に応じたクラス分けを実施し、時間割編成をします。たとえば、「難関大学受験を意識した内容」にするとか、「文系・理系の希望進路別に振り分ける」などです。生徒の自主性を重んじて、「選択科目を大幅に増やし、生徒に考えさせて時間割を決めさせる」場合もあります。

その時に、「難関大学受験」目的なら、2年生のうちに受験のための基礎を固めることが必要とされます。「文系・理系」の振り分けなら、それぞれの系列の科目の授業が多くなければならないでしょう。

2年生のカリキュラムを見ると、「その学校が生徒の進路をどのようにサポートすると考えているか」が、一目瞭然です。生徒の自主性を重んじる学校も良いとは思いますが、「主要教科の勉強もきちんと取り組まずに、高校を卒業する」ことにもつながりかねません。単に「楽をさせて、少ない勉強で卒業させる」だけかもしれないのです。

高校と言うのは、単に受験科目を教えたり、「楽して生きて行ける」ことを教える存在ではないはずです。勉強はもちろんですが、目先のことにはすぐに結びつかなくても、世間に出た時に生かされる知識や教養、そして、礼儀などを学ぶ場ではないでしょうか。受験科目を教えればいい、というのでは、予備校と同じになってしまいます。学校には独自の存在意義があるはずです。

そもそも、このようなことが起こるのは、少子化で学校間の競争が激しく、「学校が生徒の合格実績をアップさせなければならない」という方向で動いている、何よりの証明です。

そして、「大学入試に関係ないものは勉強しない」というのなら、大学入試を変えるのが一番良いのではないでしょうか。この点については、回を改めて詳しく考えたいと思っています。

今回取り上げた未履修問題や、カリキュラムには、「学校の考え方」が良く現れています。ひとりでも多くの方が、この連載をご覧になり、今後のご参考にしていただけることを願っています。

2006.11.9 掲載

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