ロゼッタストーン コミュニケーションをテーマにした総合出版社 サイトマップ ロゼッタストーンとは
ロゼッタストーンWEB連載
出版物の案内
会社案内

第45回 「大学院」について


皆さんこんにちは。
  ウィンタースポーツの季節になってきましたね。先日行なわれた、全国高校サッカー選手権大会の東京都予選で、都立三鷹高校が、都代表校2校のうちの1校に選ばれました。 スポーツでは「私学優勢」の流れが止められず、学校の広告塔として部活動に力を入れる学校が、強豪校として有名になっています。東京にも、サッカーはもちろん、多くのスポーツの強豪校が存在します。

ただ、グラウンド、コーチなど恵まれた設備や人材の揃う私立高校では、その分、資金面で保護者の負担が重くのしかかります。「私立校ではスポーツを続けられる余裕がないけれど、公立校なら続けられる」という家庭が増えているのかもしれません。その結果、才能ある生徒が公立校で努力し、実を結ぶ結果になっているのだと私は考えています。

サッカーは、プロ選手になるためには、Jリーグのユースチームに入る以外に、高校・大学などで活躍する道も開かれています。サッカーに限りませんが、「お子さんの才能を伸ばし、決して『スポーツしかできない』(他のことはまったくできない)大人にするのではない」学校選びを、公立・私立校、幅広い視点で持っていただきたいと思います。もちろん、お悩みなどがありましたら、この連載へのコメント、また、私へのメールで聞かせていただきます。

今回は「大学院」について考えます。メルマガ「週刊 みどりのひとりごと」Vol.014(2004/4/3発行)でも考えましたが、今回は別の視点からも考えてみたいと思います。よろしければメルマガのバックナンバーもご覧下さい。

先日、ある電車の車内で、友人とこのような会話をしている男子大学生の話が耳に飛び込んできました。
「俺、大学院に行って公務員試験受けようかな、フリーターで受けるより、どこか所属していたほうがいいかも、って思って」

image

思わず、私は、
「試験受けるために進学するなら、卒業を延期して留年して、試験がんばったほうがいいかもしれないよ。もう一回考えたら」 そう話しかけそうになりました。

大学院に進学するのは、一般的には、大学で学んだことを生かし、さらに高度な研究をすることを意味します。まずは、2年間で修士課程(博士前期課程とも言います)を終え、修士号を取得します。大学院の場合、卒業ではなく、修了と言います。最近は社会人の方が大学院で学び、修士号を取得するケースも増えています。

その後研究を続けたい場合、博士課程(博士後期課程とも言います)に進学し、博士号を取得する準備をします。博士号は論文を提出し、審査に合格することで授与されます。在学中、または卒業後3年以内に取得した人は「博士(○学)」と正式には表記されます。この年数を過ぎたり、また、博士課程を出ずに論文を提出した場合、「○学博士」と表記されます(「○」には、「法・文・医・経済」などが入ります)。なお、博士課程を出ずに論文を提出する場合、審査料として、一般的に数十万円のお金が必要です。

これだけの課程を終えているのですから、大学院修了後は、「専門性が高い仕事に就く可能性が高く」なります。私は、大手出版社から現在も発売されている、国語関連の辞典の項目を書いた経験があります。これは大学院に進学し、専門的な研究を深めたからできたことです。

ですが、このことを別の側面から見れば、「専門性を生かした仕事にしか就けなくなる」ことを意味し、一般的な会社員などにはなりにくくなってしまいます。また、進学したからといって、弁護士を目指す法科大学院ならまだしも、公務員試験などの対策をしてくれる大学院ばかりでもありません。試験に受かるかどうかは、結局、自分の努力次第です。

私の同級生でも、就職が思うように行かず、進学した人を見ましたが、だからと言って大学院を出ても、良い成果が挙げられるかはわかりません。一般的には、大学院で修士号を取得するためには、1年目に講義に出て単位を多く取得し、2年目には修士論文と並行しながら、就職活動などをするのです。高い意識を持って取り組まねば、あっという間に過ぎてしまうことがお分かりいただけると思います。

ですので、大学院に進学するというのは、まず第一に重要なのは、
「自分が大学での研究課題に深く興味があり、それをさらに深めたい」
という動機があることです。文科系・理科系、どちらでも同じだと私は考えています。

というのは、大学院生になれば、学会発表や修士論文などで、実験やデータなどをもとに、自分の学説を主張しなければならないからで、これは誰かの言いなりになってできるものではないからです。「先生が助けてくれる」と思って進学する者も見てきましたが、たいてい、どこにも就職できないなど、悲惨な結末になっています。

また、大学と大学院での研究テーマを変える人もいます。それは構わないことですが、それで大学院で優れた論文を書いたりするためには、本人の大変な努力が必要です。私は、まったく違う分野の大学院から日本文学を学びにきた人を知っていますが、その人は結局、元の分野ともまた違う分野に移っていきました。大学院はカルチャースクールではありません。このようなことを繰り返しても、成果が出る可能性は非常に低いと言えるでしょう。

大学院は学校なので、当然ですが、学費がかかります。自分の卒業した大学の系列大学院に進学しても、入学金がかかります(この場合、割引になることもあります)。授業料も納めなくてはなりません。お子さんが大学院に行く、と言うのは、大学に入ってから言い出すことが多いはずで、保護者にとっても資金捻出は急な話、頭を痛めることも多いでしょう。

ですので、まず、「本人の勉学の意思、熱意」を確認し、その上で、たとえば、「奨学金を借り、修了後就職して返還させる」ことや、保護者が教育ローンを借り、「本人に返還させる」ことも考えて、よく親子で話し合っても良いと思います。

先ほど、私は「修了後就職して」と書きました。この、「学生を終えたら社会人として巣立ち、社会に貢献する」、ごく当然のことを意識していないように見える大学院生を、私は何人も見てきました。

大学院生になれば、学会発表をしたり、また、修士論文をきちんと完成させ、今後の自分の進路に結び付けて行かねばなりません。ですが、「学会発表などをせず、ただ学生でいて、社会に出るのを延期するために大学院に在籍している」ような人も、存在するのです。一生大学にいられる、または、大学で研究の仕事にすぐ就けるとでも思うのでしょうか。そのようなことは決してありません。

「○○さんは、□□和歌集について調べていれば幸せなんじゃないのかなあ」
私の大学院生時代、同級生が、上級生について語ったことです。
「でも、仕事に結びつかなければ意味がないじゃないの。一生学生でいられるわけじゃあるまいし」
私は、そう反論したのを覚えています。その上級生は、一度も学会発表などすることなく、当然、就職できませんでした。

大学院生、研究者の中には、「自分の研究が、今後、社会とどのように結びつけていけるか」という視点がない人を見ます。学問しかしない、閉鎖的な場しか見ていなければ、そのようなことも起こりえるかもしれません。極端な人では、学内で発表会をすることになったら、体調が悪くなり、そのまま大学院を休学、やがて退学までした人も見ました。文章だけ優れていても、プレゼンテーション能力に欠けていたのでしょうが、そのような人を採用したいと思う企業や学校が、いったいどこにあるでしょうか。

まして、大学は冬の時代です。合併や倒産などが当たり前のように起こってくる時代です。教授たちは自分のポストの確保に必死で、大学院生の指導に力を入れていない場合も珍しくありません。

大学でずっと研究できるかどうかはわからないのですから、「社会で今、何が必要とされており、また、自分には何ができるのか」ということを考えながら、大学院で研究に励んでいくべきだと私は思います。この視点が欠けていれば、社会に出て行くことはできません。

日本では、博士課程を終えた人の就職率が悪く、今、社会問題化しています。その主な原因は、大学院生を国は増やす政策を取ったのに、就職先までは考えていなかったという「国の無策」がありますが、他に、「大学院生は社会との関わり、社会への貢献という意識が希薄で、社会人として役に立たない」という、企業から見た厳しい意見もあります。

私自身を振り返って考えると、日本文学に携わる仕事、面白さを人に伝えられる仕事をしたい、という思いが大学入学当時からありました。その頃から、漠然と、「理系と異なり、文系では『○○研究所』というのは少ないから、研究だけしていればいいことはないだろう。教育に関わることが避けて通れない」という考えがあり、大学1年生の時から塾などでアルバイトをし、教育に携わってきました。

その結果、4年生で教育実習に行く頃にはすっかり慣れていて、生徒からは「落ち着いていて、授業が安心して聞けた」という声があがる一方、「初々しさがない」という声も出ました。でも、この考えと経験が、間違いなく今の私の基礎となっています。

大学院生になると、教授と関わる時間が増えます。論文の指導を受けたり、授業で大学生の指導をしたり、教授の授業の手伝いをすることなど、文系・理系、また、指導教授によって内容に違いはありますが、指導を受けつつ、大学院生は自分の研究を深めていきます。 大学とは、教授の権限が重い機関です。大半の方は常識がある方だと思いますが、中には、大学以外での勤労経験がなく、研究活動しかしたことがなく、社会情勢や、同年代の人と比べて社会性が低い方もいる可能性もあります。

教授なら「一般常識では『白』とされていることも、自分が『黒』と言えば『黒』である」ということも珍しくありません。権限が重いので、その教授の言うことが、指導している学生たちに「無理が通れば道理引っ込む」とばかりに、通ってしまうのです。
  特に理系では、すぐれた研究成果を挙げている教授のもとには、文部科学省や企業を通じ、多くの研究資金が集まります。教授と意気投合すれば研究もはかどり、良い成果も得られるでしょうが、そうでなければ、自分の研究成果を教授が横取りする、といったこともあります。研究費を裏金としてプールし、別目的で利用して問題になる教授も時折出ます。また、女性でしたら、セクハラの被害を受けることもあります。

このようなことはもちろん許されないのですが、大学院生が「自分には○○の道しかない」と思いつめていると、教授とトラブルがあっても、方向転換ができず、自ら命を絶ってしまう不幸なケースも多々あります。閉ざされた空間で思いつめるのではなく、「社会で今、何が必要とされており、また、自分には何ができるのか」と常に意識して、もしも行き詰まったら、思い切った方向転換をすることが、幸せへのドアを開けることにつながるのではないでしょうか。

なお、最近、水月昭道『高学歴ワーキングプア』(光文社新書)という、ショッキングな題名の本が出ました。私のブログのトップページから買えるようにリンクしています。これは、博士号取得を目指す人、その保護者は一度読んでおくべき本だと思います。

【今回のまとめ】
  1. 大学院に進む場合、「自分が大学での研究課題に深く興味があり、それをさらに深めたい」という動機が重要。
  2. 修了(卒業)後は、専門性を生かした仕事に就く場合が大半なので、ただ「就職延期」などの目的で行くと、あとで苦しむことになる。
  3. 保護者にとっては予定外の学費出費のことも多いので、奨学金などを上手に利用する。
  4. 大学院生の間は学生であっても、近い将来社会人になる。だから、いつどんな場合でも、「社会で今、何が必要とされており、また、自分には何ができるのか」ということを念頭において研究、就職活動にあたるべき。

2007.11.29 掲載

著者プロフィールバックナンバー
上に戻る▲
Copyright(c) ROSETTASTONE.All Rights Reserved.