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中島陽典の
不運から風雲


みなさま、大変長らくお待たせいたしました。
著者がついに連載に復帰しました!



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第154回  マニュアル対応は大嫌い


昨年末のことだった。電子書籍「真夜中の虹」の加筆修正作業をパソコンで行っていると、突然パソコンの電源が落ちた。三年間の無料修理サポートサービスに入っているので、すぐさまパソコン会社に電話をして指示を仰ぎ、言われるままにいろいろやってみるもウンともスンとも動かない。結局、修理に出すことになり、電話口のオペレーターに「明後日の夕方に宅配業者が受け取りに参ります」と言われた。

仕方がないのでパソコンが修理から戻ってくるまでは、加筆修正は手書きで続けることになった。しかし、数話分だけバックアップを取っていない。そのデーターがどうなるのか、それだけが気がかりだった。最悪の場合、せっかく修正した数話がまったく無くなってしまうのだ。それでも締め切りは迫っている。とにかく先を急ぐしかない。さっそくコピーしていた原稿を取り出し、そこに赤を入れていった。

次の日の夕方、赤入れ作業に疲れて風呂に入っているとインターホンがピンポンと鳴った。身体を拭き、バスタオルを巻いて玄関に出向く。
「○○運輸ですが、パソコンを受け取りに参りました」
「えっ? 明日じゃないの?」
「今日ですよ」
「でも昨日、『明後日』って言われましたよ」
「えっ? そうですか? 今日じゃ駄目ですか?」
「いえ、いいですよ」

そのままの姿でパソコンを取りに部屋に行き、運送屋さんに手渡す。そのとき玄関の扉を開けた向うに雨が降っているのが見えた。パソコンが濡れないか心配だったが、そのまま玄関扉を閉めた。

原稿に直接赤を入れていく作業は思ったより順調に進んだが、それをまたパソコンに打ち直すのかと思うと気分は憂鬱だった。そのまま赤入れ原稿をFAXで送る手もあるのだが、あまりに字が汚いため、自分にしか判別がつかないから無理。とにかくパソコンの修理を待つしかない。落ち着かない日が続き、修理センターから電話があったのは三日後だった。

「キーボードに水滴が付いた跡が見られます。水滴が付いた場合、無料サポートは受けられませんので有償となりますがよろしいでしょうか」
  若くて事務的な女性の声だった。
「えっ? 水滴ですか?」
「はい」
「水を零した記憶はありませんが…」
「いえ、しっかり跡があるそうです」

うーん、水滴を零した覚えはまったくないが、修理はすぐにでもしたい。とりあえず有償の場合の値段を聞いてみた。
「七万円になります」
  七万? 十万ちょい払えば新品が買えるのに、修理に七万!! ちょっとビックリした。
「もう一度言いますが、本当に水滴を零した記憶はないのですが…」
「そう言われましても…」
「あのー、その水滴は湿気ということも考えられますか?」
「ないとは言えません」
「ひょっとしたらクシャミとかも原因に考えられますか?」
「それもないとは言えません」

湿気もクシャミも水滴としてパソコンにダメージを与えるらしい。それじゃあ、花粉症の人のパソコンはきっと故障ばかりだろう…。
「えーっと…、宅配業者がパソコンを取りに来たとき、雨が降っていたのですが、それが原因と言うことはありませんか?」
「えっ? 当社ではお客様からパソコンを受け取る場合、お客様の目の前でしっかりビニールの袋に入れて持ち帰るように教育を徹底しておりますが」
「目の前でビニール袋には入れませんでしたよ」
「少々お待ちください」

待たされること数分。
「お待たせしましたぁ」
  電話の相手が先ほどとは違う、柔らかめの声を持った女性に変わった。その優しそうな声を聞いただけで、幾つかの修羅場をかいくぐった手強そうな相手だとすぐにわかった。

「目の前でビニール袋に入れていないということですが、何でもお客様は風呂上がりのようだったと聞いておりますが」
「はい、そうですがそれが何か?」
「ふつう、お客様がお風呂上がりの場合、玄関の扉をすぐに閉めて、外でビニール袋に入れて差し上げるのが常識ではないでしょうか?」
「はい。そう思います。でもお宅の会社は、お客の前でパソコンをビニール袋に入れるように徹底していると、さっき自信を持って言ってましたよね…」
「でもどうでしょう、目の前に風呂上がりのお客様がいる場合、すぐに失礼するのが普通じゃないでしょうか。お客様ならどうなされます?」
「…会社の規則で…、規則でお客の前でビニール袋に入れることが決まっていれば、お客様が着替えるのを待って、それからビニール袋に入れますねぇ…」
「…本当にそうするでしょうか?」
「…たぶん」
「お客様がバスタオル一枚なんですよ」
「だって、規則なんでしょ、それが」
「業者に聞きましたら、その日は雨が降っていなかったそうですよ」
「そこに関しては自信があります。調べてみてください。場所は世田谷区です。雨は降っていました。もちろん本降りではありませんが、家の玄関先は多少の雨が降り込んできます。」
「わかりました。では、なぜ宅配業者が来るのがわかっていながらお風呂に入っていたのですか?」
「宅配業者が来たのは、そちらが指定した日の前日ですよ。予定通りの時間に来ていたなら風呂には入りませんよ」
「……」
「…もうやめませんか…時間が無駄です。お金は払うので修理をしてください。その代わり、そちらが水滴を付けた可能性もゼロではないことを認めてください。それでいいです」
「いえ、料金は結構です。修理は無償でやらせていただきます」

んっ? なんだろう、この変化は…。これでは、こちらがクレーマーのように思えてくる。それはそれで腹が立つ。
「じゃあこうしませんか。中を取って折半と言うことで」
「折半って何でしょうか?」
「修理費は半々にするということです」
「それはできません」
「なぜですか?」
「システムにありませんから」

なんじゃそれ。呆れてものが言えない。結局、無償で修理をして貰えたが、案の定データーは全て消え、数話分は書き直すことになった。それよりなにより、その時のオペレーター女子のものの言い方に、思い出す度に不愉快な気分になり、こんな嫌な気持ちになるのだったら、お金を払ってでもいいからすっきりしたかったと、あとになって思った。

無償というのは、それはそれでかなり後味が悪い。電話だからまだいいものの、これが面と向かっての会話だったら、かなり嫌な空気をお互いぶつけ合ったに違いない。いや、電話だから嫌な感じが残ったのか…。いや、それよりなによりマニュアルに沿ってでしか物事を進めることができない姿勢に間違いなく原因はある。どちらかに責任を押しつけるしかない融通のきかなさに、大企業の弱さを見た。もっと客を人として扱わないとこの先大変なことになると、他所のことながら心配になったが、まぁ、大きなお世話なのだろうな、きっと…。

* * * * *

先日、息子がバイトで忙しいから、代わりに戸籍抄本を取りにいって欲しいというので、近くにある役所の出張所に行った。受け取るために必要な書類に筆を走らせていると、戸籍の筆頭者名を書く欄があった。筆頭者は確か前妻のはず。彼女は離婚後、元の姓に戻らず、中島のままだった。しかし前妻は数年前に再婚し、名字が変わり、ブラウンさんになった。さて、どちらを書けばいいのか…。係の人に聞いてみると、中島の方でいいと言う。今はブラウンなのに、中島でいいのもおかしなものだが、役所の人間が言うのだから仕方がない。とにかく、今は存在しない、前妻の中島姓の名前を書いて提出した。そしたらすぐに名前を呼ばれ、今度は「この方の生年月日を教えてください」と言われた。えーっと、たしか…彼女は二つ上だから昭和三十三年生まれで…うーん…その先がわからない…。

「すみません…昭和三十三年生まれの…たしか…早生まれです」
「それでは困ります。ちゃんと思い出してください」
  そんなこと言われても前妻と暮らしていたのは二十年以上前だ。生年月日なんか覚えているわけがない。仕方がないので長女に聞こうと電話するも繋がらない。続けて次女に電話する。コール十回目くらいにやっと出た。
「もしもし父だけど、母の生年月日教えてくれ」
「何で? 教えたらなんかくれる?」
「うるさい!早く教えろ!!」
「なに怒ってるの? 一月三十日だよ」
「わかったサンキュウー」

電話を切り、役所の人に生年月日を告げ、しばらくして戸籍抄本が貰えた。初めて見る息子の戸籍抄本。戸籍の筆頭者は中島姓の前妻の名前が記載されてあった。そして、母親の欄にはブラウン姓の前妻の名前があった。なんだかおかしなものだと思いながら列記されている事柄を目で追っていくと、親権の欄に目がとまった。

 親権を定めた日  平成6年2月16日
 親 権 者  母
 届 出 人  父母

親権は半々にしようと話したはずなのに、結局は母親に上手く騙されて、親権を取られていたことは知っていたが。届出人が父母になっていることに驚いた。こっちはそんなことを届け出た覚えもないし、判を押した覚えもない。勝手にこちらの判を押したか、誰かを父親として立てて届けを出したか、どちらかに違いない。自分の知らないところで、こういうことが行われていると思うとなんだか怖くなった。

今年は春になってもなかなか暖かくならない。それでも例年よりは遅くなったが、桜はしっかりと咲いた。普段の散歩コースになっている東大や明大のキャンパスにも、まだ学校に慣れない緊張気味の新入生の姿を見かける日が増えた。

先日、明大のキャンパスを通ったら、その日はクラブ勧誘の日でもの凄い人出だった。ごった返す人混みをかき分けて進むと、四方八方から新入生勧誘の声が耳に飛び込んできてうるさい。新入生も勧誘を断ったり、話を聞いたり、忙しそうだ。そんな喧噪の中、一人のおっさんがゆっくりと渦の中を歩き、立ち止まり、ジッとしている。もちろん誰も声をかけてくれない。やっぱり新入生には見えないらしい…。ほんの少しだけがっかりする。当たり前だ、五十過ぎた男が新入生に見えたら、それこそどうかしている。しかし淋しい…、若かったあの日はもう帰ってこないのだ。

侘びしさと同時にトイレに行きたくなった。しょぼくれたまま、人気の少ない校舎を選び、便器の前に立った。ジャージの紐を解き、小物を掴み出して発射を試みる。しかし…出ない…。おかしい…おしっこが出ない…。というより小物を掴んでいる感覚が無い。これはどうしたことか…。とうとう自分の感覚が無くなってしまったのか…。慌てて握っていた小物に眼を落とす…と、それは小物に非ず、なんとジャージの紐だった…。ジャージの先を握っていてもオシッコが出るわけがない。あまりの馬鹿馬鹿しさに声を出して笑い、その笑い声が予想外に自分に跳ね返り、より一層虚しくなった。

気を取り直して再び便器の前に立ち、用を済ませ外に出ると、空だけは思いきり青く澄んでいた。頑張らなければと、ウッと胸を張ったら、今度は首がギクッと鳴った。ため息がひとつ出る。それでもゆっくり足を前に出し、再び学生達の渦の中に足先を向ける。
  まだまだ負けないぞ、そう小さく心の中で呟いた。


2012.4.26 掲載

著者プロフィール
中島陽典(なかじま ようすけ) : 1960年名古屋生まれ。中学のとき映画「ポセイドンアドベンチャー」を観て映画にハマる。高校に入り劇団自由劇場の芝居「上海バンスキング」に遭遇、 日大芸術学部演劇学科に進む。その後、石井聰互監督に出会い映画に出演、不可抗力により俳優の道に入る。30歳からは舞台演出や文章の方にも手を染め現在に至る。 C型肝炎のキャリア。芸名は本名と同じ中島陽典。
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