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第9回 劇中音楽をオリジナルにした理由 ―番外編その2―


前回の状態から、なんと16曲を仕上げたのは、初日の寸前25日。稽古の最終日にも本当の音は間に合わずに、最後までデモテープの状態でやっていたというのも久しぶり。

そんなわけで、キャラメルボックスではここ数年、劇中で使う音楽を全部オリジナルでやる、ということに挑戦しています。

以前は、すでに市販されているCDを山のように聴いて、その中からあんまり人に知られていないけどいい曲、というのを選び出し、それをシーンに合わせてかけていく、という方法で選曲をしていました。

おそらく、「小劇場演劇」と呼ばれているジャンルの若手の劇団は、ほとんどがそういうやり方をしてきているのではないかと思います。

なぜかというと、音楽の世界との接点が少ない、ということに尽きます。

もっとも、1970年代から80年代頃の「小劇場運動」と言われていた頃は、フォークミュージシャンと組んだりして、けっこうナマのオリジナル曲でやっているお芝居が多かったですし、そもそもロンドンやブロードウェイで「ありもの」の曲でやっている舞台などない、ということからもわかるとおり、「CDの曲で芝居を創る」とい うのは、日本の、しかもつかこうへいさん以降の「エンタテインメント演劇」独特の文化なのではないか、と思うのですね。

僕は、そもそもロック好きだったのに加えて、鴻上尚史さんの「劇団第三舞台」を観て衝撃を受けて選曲を始めたので、特に海外のロックを徹底的に聴き込みました。キャラメルボックスを始めた当時、自宅の近くに「アメリカンロック専門レンタルレコード店」があって、そこにあったアルバムのほとんどを聴き尽くしてしまい、 最後には店長から個人持ちのプレミア付のアルバムを借りたりしたこともあったくらいです。

その後も、ポップスはもちろんのこと、ジャズからクラシック、ニューエイジに至るまでありとあらゆるジャンルの曲を聴き続けました。が、聴いていたのはほとんどが外国曲ばかりでした。なぜなら、当時の日本のロックやポップスのほとんどは、まだ海外の影響がそのまんまわかってしまう「借り物」っぽいものばかりだったか らで、心に響く曲というのはほとんど見つからなかったからでした。

1980年代後半までの時期は、ロックとポップスの境目がクッキリとあってわかりやすかったのですが、その後次第にジャンルが細分化されていくようになり、音楽が聞きづらい時代になっていきました。

それと時を同じくして、日本のポップミュージックも「歌謡曲&フォーク&ロック」だけで済んでいたジャンルもどんどん細分化していき、90年代前半からはそれら全てをひっくるめた「J-POP」という呼称が一般化していきました。

しかし、それと同時にビートルズたちの直接の影響を受けていない新しい世代が勃興してきました。

1993年春、徹夜作業をしていた明け方、まだ放送前のNHKから流れてきた音楽が僕の心を捉えました。NHKに問い合わせてみたら、「春畑道哉」という人の曲だそうです。そんな人、知りませんでした。そこでレコード店に行って、その人のコーナーを探しましたが、見つかりません。そこで店員さんに聴くと、「TUBEのコーナ ーにあります」とのこと。なんで?と思いつつ行ってみると、確かにありました、何枚も。

そして、何も疑うことなくアルバムを聴いてみると、ギターのかっこいいインストゥルメンタル曲がいっぱい。秋の公演で使わせていただくことにして、翌年の秋の公演のために楽曲提供をしていただけないものか、と、CDに書いてあった連絡先に連絡を取りました。そして、呼び出されて行ってみた先が、なんとTUBEの事務所。

……そーなんです、春畑道哉さんって、TUBEのギタリストだったんです……!!(←早く気づけよ)

でも、結局春畑さんはキャラメルボックスに1曲書き下ろしてくださいました。大興奮!!

で、ちょっと時間を巻き戻して1993年夏、ラジオから流れてきた曲のイントロに心が奪われました。聴いたことがない雰囲気。透き通った声。よーく聴いてみると、歌詞は日本語!! どう聴いても、外国曲にしか聞えないセンスでした。そこで、即座にラジオ局に問い合わせをして、調べたところ、デビューしたばかりのバンド「ス パイラルライフ」。

ついに日本人で僕の心にヒットした人たちが次々と登場してきたのがこの年だったのです。


楽曲を頼んでいたバンドが、直後に大ブレーク!

ちょうどその頃。

当時事務所を兼ねていた僕の家に、JASRAC(日本音楽著作権協会)から手紙が届きました。「おたくの劇団の公演で、音楽を使ってますよね?ちゃんとその分の著作権使用料を払ってくれないと困りますよ」という内容のものでした。

それまで、誰からも何も言われなかった、ということもあり、僕らは「音楽著作権」について考えたことがなかった、というか、無頓着に過ごしてきていたのです。

しかし、考えてみれば当然のこと。

それからは、1ステージにつきいくら、という方法で使用料を支払うようになりました。

イラストでも、それをやっているうちに徐々に「音楽著作権」について考えるようになってきました。僕らはそもそも「劇団」であり、劇団とは何かというと「演劇」を創る仕事。脚本から役者から舞台美術から照明から衣裳から、全てオリジナルなのになぜか音楽だけが借り物(たまに小道具や衣裳も借りますけど)。これって、根本的に 間違ってるんじゃないか?ということです。

それと並行して、「ありもの」からの選曲にも限界が見えてきました。70年代、80年代のロックやポップスは、ほぼ網羅して聴き終えてしまった。「いい曲」と思える曲で、他の劇団やテレビドラマで使っていなくて、キャラメルボックスで使えそうな曲は、全てピックアップしてしまった。じゃ、どうする?! ……という状況にも なってきたのです。

この時が、ちょうど93年頃のことだったのです。

93年秋、『ジャングル・ジャンクション』という舞台で春畑さんの曲を使わせていただき、翌年春の『アローン・アゲイン』では、全曲スパイラルライフで上演。これが、キャラメルボックスが日本人の曲で全曲をやり遂げた最初の公演でした。

この時は、メンバーもデビューしたてだったということもあり、全面的に協力していただいて未発表音源などまでお借りして選曲を終えることが出来ました。芝居の方も、今までとは違う世界を作り出すことが出来て、「オリジナル化」の時代に突入したきっかけの作品となりました。

しかし。

その後がタイヘンだったのです。

スパイラルライフが登場した頃は「渋谷系」と言われるギターポップサウンドの走り。音楽の世界というのも、ファッションの世界と一緒で「流行」がかなりあって、ギターポップが流行ると、メジャー系のレコード会社が出すのはギターポップ・バンドばかり。「本当にいい曲」を聴きたいと思っても、それらは表に出てこないの です。そしてまた、出てきても、僕のところまで届かなかったりもするのです。

そして、1997年。

ソニー・ミュージックのディレクターの方が「キャラメルボックスで使えそうなアーティストを探す仕事をしようと思う」とおっしゃってきてくださいました。それが、現・デフスター・レコードの吉田敬さん。吉田さんの部下の藤原さんが、これまた音楽オタクな方で、何本もキャラメルボックスの作品を観てくださり、僕とも何 度もお話をして、「このバンド、絶対キャラメルに合うと思うんですよ」とデモテープを持ってきてくださいました。

なんでも、ソニーの新人発掘オーディションで落選してしまったバンドで、頑なに英語の歌しか作らない、というのが落選の理由だった模様でした。

が、数十曲に及ぶ彼らのデモテープは、めちゃくちゃ新鮮でした。スパイラルライフ以来の、「カキーン」と来るものがあったので、至急会わせてもらうことになったのですが、いかんせん関西在住ということだったので、さんざんデモテープ学習をしてから本人たちにお会いすることができました。

会ってみると、とてもフランクで、でも音楽おたくな感じ。ライブよりもデモテープを作っている方が楽しい、という変わり種でもありました。

しかし、彼らの曲とヴォーカルの女性の声とキャラクターがとてつもなく素敵だったので、「このあたりの曲、とってもいいので、こんな感じの曲を創ってくださいよ」と注文したりして、何度かやりとりを重ねて、エンディングテーマ曲だけを提供していただきました。

それが、the brilliant greenの『Green wood diary』でした。

とてつもなく気に入ってしまったので、その冬の公演では何曲か提供していただく予定で準備を進めていたところ、なんと脚本家が胃潰瘍で倒れてしまって予定の新作が上演できないことになってしまったのです。というわけで、the brilliant greenとの2回目の仕事は流れてしまったのです…………がっ!!その直後に彼らは、大ブ レークを遂げてしまったのでした……。


と、話が逸れまくっておりますが、まぁ、本誌じゃないんでどんなに長くても載るでしょうからどんどんいきます。


「音楽著作権」の支払い方は、テレビと演劇で全然違う

こうして、「楽曲やアーティストの発掘」と「著作権とのかねあい」の狭間で、徐々にオリジナル化を進めていったわけです。

そんな中、ふと不思議に思って、「テレビの音楽著作権の支払いはどうなっているの?」ということをとある業界関係者の方に尋ねてみたら、なんと「使用した楽曲のリストは細かく提出しているが、著作権使用料は年間契約で支払っている」というのです。つまり、リストさえ提出すれば、どんな曲でも使いたい放題なわけです。

演劇は、そうはいきません。

テープに録音して編集したものを使ってしまえば、「録音著作権」に抵触するので著作権法違反。だから、CDをそのまま本番で流さなければなりません。つまり、喫茶店とかと同じ扱い、というわけ。

おかしいじゃないですか、それって。

テレビなんか、やりたい放題編集したりなんかして、どんどん音楽を消費しているのに画面に曲名が出るなんてことはほとんどない。あるとしても、それはなんらかのタイアップをしている時。裏で金やらなんやらが動いているときだけです。

一方、演劇の方は音楽との相乗効果でシーンを盛り上げるわけですので、本当にいいと思う曲を探し出すまでに選曲担当者はめちゃくちゃ苦労をして、演出家もその曲に惚れ込んでシーンを作っていくわけですので、お客さんへの音楽の伝わり方が圧倒的に違うはずです。それが証拠に、初期の頃のキャラメルボックスでは初日が開 くと「あのシーンのあの曲は何ですか?」という問い合わせで事務所の電話が鳴りっぱなしになる、という事態が起きていたので、やむを得ず「使用曲目リスト」というものを作ってコピーしてお配りするようにまでしていました。つまり、頼まれてもいないのに音楽の宣伝をやっていたわけです。

それなのに、編集も許されない、ビデオ化も許されない。

なんやねんそれ、って感じです。


てなわけで、文句を言う前に、まず自分たちが力をつけなければ、と誓ったわけです。

で、何を始めたか。

the brilliant greenが売れてしまって、その後平井堅さんやらケミストリーやら、とにかくどんどん売れっ子を抱えてしまうようになって僕らの相手をしてくれなくなった吉田さんたちと並行して暗躍していたポリスターの、元・スパイラルライフ担当だった道司さんという方が、「そろそろ、完全オリジナルでやりまへんか?( ←関西人なんです)」と提案してきてくださったのです。

これは、渡りに舟。早速、その次にやる新作公演『TRUTH』の、完全オリジナルサウンドトラック製作に向けて、手探りでプロジェクトを立ち上げました。とは言っても、向こうもこっちも初めてのことだらけ。まずは、担当になったポリスターのディレクター高岡さんから、手当たり次第にバンドから作曲家から歌手からアレンジ ャーから、どどーーっとデモテープを受けとりました。そして、それらを手当たり次第に聴いていきました。

しかし、いるもんです、いい人っていうのが。

1人、ピーンと来たアレンジャーを発見。その人は、ムーンチャイルドというバンドでかつてキーボードを弾いていて、作曲もできるというアレンジャー。ちょうど、新人女性歌手のファーストアルバムのレコーディングが終わったところ、ということで、その方とまるまる一本、サウンドトラックを作ってみよう、ということにな りました。

連日連夜、どんどんデモ曲を書いてもらい、「ここはあーして、こっちはこーして」と言いたい放題に注文を出し、10数曲を1ヶ月で仕上げていく、という作業をしました。レコーディングは20時間近くに及ぶこともあり、まさに「地獄」を見た日々でした。

そのレコーディングの後半戦で、彼がアレンジとキーボードを担当している、その新人女性歌手が初めてテレビに出るのでバックで弾く、ということで、いったんスタジオを離れることになりました。で、他のみんなはテレビをつけて「わぁ、出てる出てる」とひやかしながら見ていました。

なんと、それが、アレンジャー・河野圭さん。その新人女性歌手は、宇多田ヒカルさん。

結局、河野さんもその後、ヒッキーが忙しくてちっとも僕の相手をしてくれなくなってしまいした…………。


しかし、その『TRUTH』のサウンドトラックアルバムは、爆発的な売れ行きを記録。あれから3年経った現在では、12000枚を越えるセールスとなっています。これは、実に凄い数字。1000枚も売れない新人アーティストがあたりまえ、という中で、かなりな健闘を見せたもの、ということなのだそうです。


音楽の神様と演劇の神様の話し合いが実った!?

それから、何枚ものアルバム製作を重ねてきて、今回の『アンフォゲッタブル』(やっと、前回の頭の話題に戻るわけです)。

今回は、脚本が遅れた、という事情もあったのですが、あえて「選曲」に戻りました。つまり、バンドとして、アーティストとして、すでに創ってあるけど発表されていないもの、というものを集めて、このサウンドトラック用に正式に録音し直したのです。

つまり、いいものを創っているのになんらかの事情で今まで世間には発表される機会がなかったアーティストたちと出会うことが出来たのです。


ようやく、「そのまま」で使えるクォリティのアーティストが生まれてきた、とも言えるかもしれません。

いや、もしかしたら今回の出会いが奇跡だったのかもしれません。

しかし、僕は信じているのです。

音楽の神様と演劇の神様が話し合いをして、なんとかこれからの演劇が盛り上がるように、お互いにいい方向にいくようにしようよ、ということになったのだろう、と。

そうじゃなかったら、XASH、ライプニッツ、wood flower、HAK、そしてATEETA、なんていう才能とまとめて出会うなんてことがあるわけない、とさえも思えるほどの奇跡だったからです。



「いい曲と出会いたい」「いいアーティストと出会いたい」「珠玉の名曲に彩られた芝居を創りたい」という、一心不乱な想いが、今回のサウンドトラックの完成になんらかの影響を及ぼしたことは、間違いないと思っています。


ちなみに、今回のこの原稿にあえて登場しなかったけど、キャラメルボックスとは切っても切れないアーティストたちがいます。

SCUDELIA ELECTROとZABADAK。

このお二方については、きっとまたいつかねっとりと書かなければいけないときがやってくると思いますので、その時またっ!!


願えば必ず叶う。

40歳を過ぎても、性懲りもなくまだまだそう言い続けたいと思います。

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