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第21回 テレビ局スタッフとの全面戦争!?


もうすぐ発売されるロゼッタストーン本誌には書いたのですが、なんと私・加藤は、キャラメルボックス公演『太陽まであと一歩』初日前日の2月25日に客席の階段から落ちて右の足首を骨折した上に靱帯を切ってしまいましたっ!!とっても痛いので、皆さん、ほんとに階段には気を付けてくださいねっ!! (←普通落ちないってば)

 さて、シアターエクスプレスのお話でした。

 リハーサルが終わったその週の土曜日、忘れもしない(←実は資料を見ている)1994年の5月12日、 あの読売新聞東京版夕刊1面のほぼ全ページ扱いで大きなカラー写真とともに「やまびこ、乗っ取られる?!」という東スポか?!というような見出しで、 シアターエクスプレスのリハーサルの模様が紹介されてしまったのです!!
 もう、まさに読売新聞の特ダネ、って感じ。

 写真に写り込んでいた近江谷太朗や坂口理恵を見てびっくりした、というキャラメルボックスのお客さんもいらっしゃいましたが、誰がいちばん驚いたって、僕でした。 演劇関連の記事で、なにしろこんなメジャーな新聞の1面トップを飾ったなんて、聞いたことがありません。少しは話題になってもいいのにな、とは思っていましたが、 これは話題になりすぎです。

 それまで、実はかなり残っていた42000円(宿泊費など全部込み)のチケットも、即時完売。JR東日本には取材申し込みが殺到してしまいました。


全車両のお客さんに楽しんでもらえる仕掛けが満載

 そして迎えた当日。

 たった2回だけの公演ですし、限られた客席はほとんど販売してしまっていたため、テレビなどの取材クルーは車輌と車輌の間に乗っていただくことになりました。 ちなみに、取材申し込みがあったのは、最終的に在京キー局の全て(ほとんどワイドショー)と、なんとアメリカの某通信社、イギリスのTV局まで、 数えるのもイヤになるほどの数になりました。

 上野駅に集まってきてくれたお客さんのほとんどが、キャラメルボックスをもともと見てくださっていた人たち。みんな、整然と乗車の受付を待ってくださいます。
 お客さんと一緒に乗車する「ツアーコンダクター」の役の役者が、車輌分の人数いて、受付をお手伝いしています。

 ホームに滑り込んだやまびこ号への乗車が始まります。数車輌にひとりずつ、乗客役の役者が乗り込みますが、 ちゃんと全車両を「ここ何号車ですか?あら、全然違うわね」などと、わざとお客さんに顔を見せながら歩き回ります。

 全員の乗車を確認して、ついに発車。発車と同時に音楽をバックに車掌役の役者のアナウンスが流れました。 東北新幹線の車内放送で、ホンモノの車掌さん以外の声が初めて流れた瞬間でした。

 この列車は、「演歌歌手・西川浩二郎と行く盛岡おいしいもの探検ツアー」と銘打った団体旅行で、お客さんたちは、そのツアーの参加者、 という設定に無理矢理引きずり込まれます。演歌歌手が車内を練り歩き、車内放送でクイズが行なわれたりして楽しいひとときが過ぎていきます。

 しかし、なぜか宇都宮駅で緊急停車(という設定の、普通の停車)。1号車と11号車の扉だけが開けられ、11号車に隠しておいた犯人役の黒ずくめの男たちが、 もう、絶対マシンガンが入っているだろうことは間違いないことぐらいサスペンス映画などを見たことがある人にはわかりまくる「バイオリンケース」を持って、 ホームをわざと怪しげに駆け抜けます。窓際のお客さんたちの一部が気付き、ちょっとざわつきます。 そして、1号車から犯人たちが乗り込みます。そして、放送室のある11号車まで、またまた車内を歩き回ってたどりつき、乗務員室を占拠します。

 ……と、このように、ちゃんと全車両のお客さんに「物語」を楽しんでいただけるような仕掛けを満載したのです。 ただし、その分、役者達はスゴイ距離を移動しまくるわけですので、まさに体力勝負です。

 ちなみに僕は途中の車両の乗務員室にこもり、トランシーバーで全車両間に潜んでいる製作部員と連絡を取りながら、進行状況をチェックする、 という係をしていました。


役者たちはストレスをためまくって駅に到着

イラスト そして、めでたく(?!)新幹線は乗っ取られ、この新幹線に乗っているはずの標的を探すため、マシンガンを構えた男達が大声を上げながら車内を走り回ります。 各車両毎に乗っているツアコンたちは、立ち向かおうとするヤツがいたり、迎合するヤツがいたり、いろんな対応をしてお客さんを笑わせます。

 しかし、実はこの犯人達の車内移動も、主犯の男の車内アナウンスがキッカケになっていて、秒単位で各車両に滞在する時間が区切られていたのです。 犯人役達もツアコン役達も、キッカケのアナウンスが来るとうまいこと次の車両に移動させていく、というわけです。 これが狂うと、ストーリーが先に進まず、目的地に到着しても物語が終わらなかった、という最悪の事態を迎えることになってしまうわけです。

 ……と、緻密な計算に基づいて創り上げられてきたシアターエクスプレスに、予想外の出来事が起こりました。
 取材で乗りこんできた、テレビ局の人たちです。

 彼らには、「車内の通路を舞台として使うので、絶対に車両と車両の間のスペースから動かないで」と全員を前にして釘を刺してありました。 それは、マシンガンを持った犯人達が走り抜ける、というところもあったり、実は後半戦で、犯人と刑事が全速力で8両分を駆け抜ける、 というシーンがあったりするので、本当に、役者も取材クルーも、お互いにとって危険が伴うための注意事項であったのです。
 しかし、ストーリーが盛り上がってくると、彼らはお構いなしでした。

 犯人が放送で「携帯電話はすぐに電源を切れ。外部と連絡を取ったものはその場で射殺する」 「カメラを出すな。我々の姿をカメラに収めたものは、その場で射殺する」とまで言っているというのに、 どんどん車両の中にまで入ってきて役者達の姿を撮ろうとするのです。

 犯人役のメンバーが、テレビ局のクルーに「殺すぞ!!」と叫んでも、逆に「いい画が撮れた」みたいな感じでにやにやして喜んでしまうわけで、 この壮大な物語に参加しようなどという意識はどこにもありません。

 とあるツアコン(女優)は、ついにキレて、「危険ですっ!!下がってください!!」とテレビカメラの人を突き飛ばして車両の外に追い出したそうです。  しかし、ほとんどの犯人役たちは、なにしろ時間の制限がありますし、車内放送を聞き逃したら大変なことになるわけですので、 いちいちかまっていられずにどんどん先に進んでいってしまったそうです。

 そもそも演劇とテレビというのはわかりあえない(と当時は思っていた)媒体同士ですので、もう、全面戦争状態に突入しました。 各車両間に配置されていた製作スタッフに「マスコミは体を張って止めろ!!」とトランシーバーで指示を出しましたが、 そんなことを聞く人たちでもありません。結局、このシアターエクスプレス第1回は、ストーリーはなんとか終了したものの、 役者達のストレスを思いっきり溜めまくって、盛岡駅に到着しました。


車内では平気だったのに、ホームではなぜかフラフラ

 結局、翌々週の第2回では、マスコミ対策のために僕が「西川浩二郎のマネージャー」という役を演出の高橋いさをさんに作ってもらい、 マスコミが乗っている車両に同乗して、乗っ取られて「携帯電話は切れ」という指令が出たと同時に、 動揺して「携帯電話の切り方がわからないんですぅぅぅっ!」と叫びながら3両ぐらいを走り回る、ということをしながらマスコミの動向を探っていました。

 ……ただ、2回目の時に乗ってきたクルー達は、第1回で僕らが怒り狂っていたのを聞いたJR東日本のスタッフが対応してくれたのか、 みんな僕たちの言うことを聞いておとなしく取材してくださっていたので、骨折り損でしたが……。  

 こうして車内の芝居は終了したものの、ちゃんと(?)乗客の皆さんには新しい謎を残してありました。次は、観光地での「ヒントイベント」です。
 が。ここで、想像もしない事態が起きました。

 新幹線の中で縦横無尽に走り回っていた刑事やツアコンたちが、駅で降りた途端に立っていられなくなってしまったのです。 正確に言えば、車内では平気だったのに、動いていない駅のホームの上で足元がふらついてしまったのです。

 たった数両を走り回っていただけの僕でさえ、膝がガクガクしていましたので、役者達はよっぽどひどかったと思います。
 これは、いつか医学的に研究していただきたい事象ですね(←もう判明しているでしょうが)。 おそらく、数時間の間に微妙な揺れの中で動くことに慣れた身体が、固い地面に動揺してしまった、という不思議な出来事だったのではないかと思います。

 でも、ふらついてはいられず、ツアコンたちはお客さん達を誘導して次の目的地へと旅立っていったのです。

 みんな(お客さんとツアコン達)はそれぞれのバスに乗って、ヒントイベントが行なわれる観光地へと散っていき、 その裏では犯人役たちや車内で殺されたはずの人たちが、盛岡運転所で車内の様々な機材を撤去、 東北自動車道を走ってきたために車内で何が起きていたのかわからないという可哀想なスタッフが運転するトラックに積みました。

 ちなみに、ヒントイベントとは、車内で残された謎を解くヒントを寸劇で見せる、というもの。 そこでも犯人役が全く別な役で登場したりして現場を盛り上げていました。
 そして、それぞれの仕事を終えたみんなは、温泉へと向かったのです。


すでに殺されたはずの役者が、浴場でお客様とはち合わせ

 そうなんです、実は、このシアターエクスプレスに参加する条件の一つとして、「僕たちもみんな温泉に泊まらせてほしい」という、 とってもピュアなお願いも含めてあったのです。車内で走り回ってへとへとになった身体を、温泉で癒せるなんて、まぁ夢のようなお仕事じゃぁないですか。

 ……ところがっ!!

 僕らが泊められたホテルは、お客さんといっしょのホテルだったのです!!

 なので、車内のお芝居ですでに殺されてしまったはずの役者が大浴場でお客さんと会ってしまって、どう対応すればいいのかであたふたしたり、 ということがありました。お客さんはすっかり物語の中の人になっちゃっているので、「そっくりな別な人?」なんて言いながら対応してくださっていたのですが、 いくらなんでもお客さんと「ハダカの付き合い」をするとゆーのは、どういうものなのでしょうか。

 結局、半分ぐらいの役者達は大浴場をあきらめて部屋の内風呂に入っただけに留めてしまい、僕らの要望(野望?)は叶わずに終わってしまったのです。

 翌日、盛岡市公会堂で「エンディングシアターイベント(解決編)」が行なわれました。 とんでもなく古いホールで、雰囲気は最高。戦前に建ったホールらしく、もう、設備なんてほとんどありません。

 しかし、前日までやっていた劇場はなにしろ新幹線。新幹線に比べれば、少なくともここはホール。 新幹線の中では出番の無かった照明スタッフも参加していたので、もう、なんだか、異様に楽しくらくちんに準備を進めて、あっという間に終わってしまいました。

 こうして、なにもかもが、誰もかもが「世界で初めて」だった特大の実験演劇が終わりました。

 終わった時には、参加した劇団員の誰もが「こんなもん、二度とやるもんかっ!!」と憔悴しきっていました。
 あまりにも怒りが大きかったので、反省会を開いて、不満だったことを手当たり次第に書き出し、 イベント中に名刺交換をしたJR東日本のエライ人にほとんど「絶縁状」のような手紙を直接郵送してしまいました。  

 もう、これで気が済んだ、と思っていたある日。
 そのエライ人から、お手紙が来ました。
 「あなたたちの要望と条件は全部飲むから、再来年にもう一度やってくれないか」。

 ……結局、2年後の1996年、リベンジを誓って、シアターエクスプレスは再演されました。そして、その最後の回、スタッフ達と温泉に浸かっていたら、 最も怒っていたはずの音響の早川さんが「いやぁ、これだけ毎週やってられるんなら、いくらでもやっちゃうよー。また再演しようよ、再演!」と豪快に笑っていました。

 未知の世界を切り拓いて成功させたという充実感が僕らを包み、花巻の夜は更けていったのです。

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