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第25回 「地方公演」の舞台裏


すっかり更新が遅くなってしまいました。勝手に自分の中で予定が狂っておりました。本当に申し訳ございませんでした。

 さてっ!!
 現在我がキャラメルボックスは、ジャパンツアーの真っ最中。2月26日に東京で幕を開けて、終わるのが6月22日の福岡。 こんなに長いツアーは、劇団始まって以来の出来事です。
 劇団の「地方公演」というと、皆さんはどんなイメージがあるのでしょうか。そもそも僕は「地方」という呼び方そのものが気に入らないので、 キャラメルボックスでは「ツアー」と呼んでいるわけですけど。
 でも、あえて「地方」という言葉を使って書かせていただきます。

 僕は、高校時代に1年間だけ長崎に住んでいたことがありました。それまで17年間を東京で過ごしていましたが、父の実家が岩手県盛岡市にありましたので、 こどもの頃は毎年夏休みと冬休みを盛岡で過ごしていましたので、全く地方を知らずに生きていたわけではありませんでした。 「旅行する」のと「住む」のとでは、感覚が全く違いますが、盛岡と長崎で、それぞれギクッとすることがありました。

東京公演と地方公演では、全然中身が違う!

イラスト まず、高校時代。当時大好きだったロックバンドのライブが、夏休み中の盛岡で行なわれることを知りました。 彼らのライブは、ちょうど盛岡に行く前に東京で見ていたので、「またアレが見られるんだ」と思いながら、どきどきしつつ会場に足を運びました。

 ところが。行ってみたら、東京公演では巨大なセットが組まれていたのに、盛岡ではセット無し。なおかつ、メンバーも減っていて、地味な編成。 そのうえに、東京では3曲ぐらいアンコールをやったのに、盛岡では1曲でおしまい。なんだか、いろんな意味でがっかりした覚えがあります。

 また、長崎でもそうでした。なにしろ高校3年生だったのでコンサートなんてそうそう行っちゃいけない時代ではありましたが、ちょっと行ってみちゃったんです。 そうしたら、やはり全然違うんです。

 その後劇団を始めてみて知ったのですけど、いわゆる古い世代の劇団は、東京公演をやって、 それを在京の新聞の演劇記者を招待して観に来てもらって記事にしてもらい、それをネタに地方の演劇鑑賞団体に公演を買い取ってもらい、 セットは旅公演用にワゴン車に入るくらいにまでシンプルにし、出演者も「旅メンバー」と言って二線級の役者達を揃えてマイクロバスに乗せて、 朝、それぞれの会場に入って昼と夜に本番をやって、バラして、そのまま夜車で移動して翌朝仕込んで昼夜本番……ということを繰り返し、 旅公演の買い取りで食っている、ということなのだそうです……。

 つまり、コンサートも(当時は)これといっしょで、ツアー用のパッケージというのが、東京公演とは全く別に組まれていた、というわけです。

 しかもその「買い取り」をする団体は、演劇にしろ音楽にしろ、それぞれ「演劇鑑賞団体」であったり、「音楽鑑賞団体」だったりして、 月々の会費を支払って会が誰かを呼んでくれるのを毎月待っている、というものだったのです。そして、それははけっこう左翼的な部分から始まっていて、 全国的なネットワークをきちんと創り上げている、まさにそういう時代にはとても必要な団体だったのです。

 もちろん、そういう団体のおかげで、劇団側も潤い、観客側も、ほっといたら見られないライブパフォーマンスに出会うことが出来たわけですから、 決してコレに関しては僕は否定はしませんし、これからも残っていくべきものだと思います。

 しかし、問題は、「旅を回すために東京と違うものを用意する」という点です。  劇団民芸の故・宇野重吉さんは、亡くなる寸前までご自分で旅を回っていられました。きっと、それは僕と同じ心からだと思うのです。

旅公演は、「ワゴン車で、お寺で、ノーギャラで」 !?

 では、キャラメルボックスのツアーの始まりからお話しちゃおうかと思います。

 結成直後から、怒濤のように観客動員数が増えていったキャラメルボックスには、実は地方公演のお話が次々と舞い込んできました。 当時は「小劇場ブーム」と呼ばれていた頃で、全国的に小劇場演劇が人気。東京で動員が1000人を超えた劇団は、 次々と地方に呼ばれて出かけるようになっていました。

 折しもバブル全盛期で、地方にどんどん劇場ができ、東京で演劇フェスティバルが成功するやいなや、地方でもどんどん演劇祭が行われていくようになりました。
 そうすると、「劇団」はどんどん青田刈りされていくことになります。ちょうど、 「イカ天」の頃に次々とアマチュアバンドがデビューさせられては使い捨てられていったのと、状況は似ていました。

 なかでもすごかったお話がありました。とある地方都市で演劇祭をやりたい。ホールは、300人ぐらいの集会場があるので、 そこを自由に改造してもらってかまわない。何日やってもらってもかまわない。食事は全て出す。お客さんはこっちで集める。 10劇団ぐらいに交互に来てもらって、演劇の町にしたい。そのかわり、ノーギャラで。

 ……そうなんです、「演劇」って、お金がない人たちが気持ちだけでやっているものだから、「心」とか「気合い」があればなんとかなる、 と思っている人たちが日本中に溢れていたのでした。逆に、「カネ」さえあれば劇団なんてすぐになびく、と思っている人たちも都会には溢れている時代でした。

 そんな中、良心的な劇団は必死で細々と活動をしていました。東京の劇団がまず最初に目指すのは、大阪。次に、名古屋。 しかし、東京で1000人呼んでいる劇団でも、大阪に行ったら動員は三分の一、というのが相場でした。 ですので、旅費や宿泊費をまともに払ったら当然大赤字になります。そこで何を削ったか。 当然、良心的な劇団ですから、セットや照明は東京と同じにしますから、ギャラと旅費と宿泊費をゼロに近くあげる方法を考えるわけです。

 志で集まっている集団ですから、ギャラは、まぁ「初めての大阪だから」と支払わずに、それどころかチケットノルマまで課して、公演費をひねり出します。 大阪までは、ワゴン車を知り合いから借りてみんなで乗っていきます。問題の宿泊は、お寺。今はどうだか知りませんが、ちゃんとお掃除などを手伝えば、 タダで泊めてもらえていたようです。そのかわり、5時起き。

 そんなにまでして乗りこんだ大阪で、300人のお客さんを迎えて公演をやって、夏なら虫に刺され、冬なら風邪をひき、 ボロボロになって東京に帰ってくる、ということを繰り返していたのです。  

 僕は、先輩方の劇団が演劇祭に呼ばれ、地方に乗り込み、どんどん有名になっていくのをじっと見つめていました。しかし、どうも乗り気がしなかったのです。

 演劇をやっている人たちにとっての「旅公演」は、「ワゴン車で、お寺で、ノーギャラで」があたりまえだったのかもしれませんが、 高校時代にロック少年だった僕にとっては、レッドツェッペリンやディープ・パープルが自家用飛行機に乗り、 セットは壁面にバンドのロゴを大書した巨大なトラックがコンポイを組んで運び、アメリカ大陸を町から町へと旅していたことを知っています。 そして、それが「ツアー」であり、「かっこいいもの」だと思ったのです。だから、僕にとっては、キャラメルボックスに「旅公演」は似合わない、 「ツアー」じゃなきゃいやだ、という絶対的な前提条件があったのです。

 つまり、まず移動は新幹線か飛行機。宿泊は全員ホテルのシングルルーム。現地に着いたら好きなだけおいしいものが食べられるだけの最低限のギャラ。 これが保証されない限り、地方公演なんてやっても逆に「かっこよくない」人たちが行くわけなので、地方の人たちに失礼じゃないか、と思っていたのです。

 実際、第三舞台のプロデューサー・細川展裕さんに「なんで第三舞台は大阪しか公演をしないんですか」と当時、尋ねたことがありました。 すると帰ってきた答は「だって、俺は四国の出身だけど、高校時代に大阪までディープ・パープルを見に行ったもん。地元まで来られちゃったら、 カッコ悪いと思ったしね。だからウチも行かないの」と、あまりにもストレートなものでした。

「新幹線・シングル・ギャラ」にこだわって……

 そんな中、大好きだった劇団の大好きだった役者さんが、次々と退団しました。1991年頃でした。そのうちの一人が言いました。 「旅ばっかりやってて、80ステージもやって、お金も前よりはもらえるようになったけど、私、こんなことするためにこの劇団に入ったんじゃなかったのに、 って思っちゃって」。彼女の劇団の旅公演では、演出家が帯同するのは最初の東京公演だけ。後の地方公演は、出演者達だけで行って、仕込んで、 公演して、バラして、移動する、という日々。「お客さんが喜んでくれるのはうれしいんだけど、何が良くて何が良くないのかが、 どんどんわからなくなっていっちゃって」ともつぶやいていました。

 また、別の劇団を退団した人は、「私たちがお寺に泊まっているのに、メインの二人だけがホテルに泊ったの。その瞬間、何かが切れちゃって」。 きっと、その劇団のメインのお二人は、テレビとかでも活躍していた人たちだったので、自分のお金はあったのでしょう。でも、そりゃないですよね……。

 ちなみに、テレビで活躍している、で思い出したのですが、劇団スーパー・エキセントリック・シアターの三宅裕司さんは、 ツアーに行くとみんなはシングルなのに自分はスイートに泊まり、夜は全員をスイートに集めて大宴会をしていたのだそうです。 宴会場としてスイートを借りるなんて……素晴らしいっ!! こういう親分がいると、劇団って長続きするのでしょうね。

 そんなわけで、僕らはいろんなおいしいお話や楽しそうなお話をいっぱいいただいたにも関わらず、どんどんお断りして……というよりも 「新幹線・シングル・ギャラ」を切り出すと、知らないうちにお話がなくなっていっちゃっただけなんですけど……、 何年も東京だけでやり続けるようになったのです。そしてそのうち、東京のいつもの劇場だけでは収容しきれなくなって、 「赤坂+横浜+新宿」とか、「新宿+渋谷」とか、「新宿南口+新宿東口」とかそんな不思議なことも「東京サマーツアー」 とか言ってやり始めるようになっていて、変な意味で旅慣れていってしまったのでした。

 そんなある日……と、続けようかと思ったのですが、次の〆切も近いのでとりあえずツアーの話はこのへんでっ!!

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