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第26回 自分と未来は変えられる


※諸事情により掲載できなかった本誌原稿をWebに掲載します。テーマは「ケンカ」です。 実際に採用された原稿は、ロゼッタストーン第14号(7月9日発売)をご覧ください。

 今、僕ら演劇集団キャラメルボックスは、神戸に来ています。新神戸オリエンタル劇場での『太陽まであと一歩』の公演のため、約3週間の滞在です。

 今年で、この新神戸オリエンタル劇場で公演をやり始めてから13年目になりました。 おそらく、公演数で言えば東京のサンシャイン劇場と同じぐらい上演しているのではないでしょうか。 そしてまた、新神戸オリエンタル劇場で最も数多くの公演を上演している劇団と言えるのではないでしょうか。

 ところが、その13年間は決して蜜月続きだったわけではありませんでした。それどころか、戦いの歴史であったと言っても過言ではありません。


公演は大成功だったのに、そこからがいばらの道

イラスト 創業当時からこの劇場は高級志向で、ミュージカルを中心としたハイソな感じの舞台をメインのタイトルとしてかけてきていました。 それなのに、劇場のプロデューサーであった広瀬さん(仮名)が1990年の夏の公演を観に来てくださって、その場で「おもしろいっ!! 是非、 今年の冬にウチでやってくれないか」と提案されたのです。

 翌年の夏に大阪で、初めての関西公演を行うべく着々と準備を進めていた矢先に届いた、神戸公演のお誘い。 でも、広瀬さんは「全員ホテルのシングルに泊めるし、自主公演としてやるから採算は気にしなくていい」とおっしゃってくださったので、 リスク無しで初めての関西公演ができるのなら、と僕らはお誘いを受けることにしました。

 もちろん、結果から言うと公演は大成功でしたが、そこからがいばらの道の始まりでした。
 「神戸で1000人入ったら道頓堀をハダカで逆立ちして歩いてもいい」と大阪の劇団の方に言われたり、「東京の劇団が大阪でやるときは、最初は300人が限界」 と劇場関係者に言われたり、もう、さんざんな先入観を植え付けられていたのですが、 最終的には1690人を動員してカーテンコールではスタンディング・オベーションが起きるという、まさに奇跡的な結果に終りました。

 が、しかし、その陰では当時の劇場側制作スタッフとの激しいバトルが繰り返されていたのです。
 まず、チラシの案を見せると「ウチのチラシは、表面のこの部分にこの大きさでこの劇場のロゴを入れてもらわなければ困る」というところから始まりました。 もちろん、劇場の自主公演(リスクを完全に劇場側が持って行なう公演)ですので、当然劇場側の言い分を中心に考えていかなければなりません。

 が、僕らにもデザインワークに関するコダワリがありましたので、「言いなりバージョン」と「オリジナルバージョン」の2種類のチラシを制作しました。 劇場には「言いなりバージョン」を送り、キャラメルボックスのお客さんにはいつものデザイナーさんが好きなように作ってくださったものを送り、 という使い分けをして、事なきを得ました。

 次が、チケットでした。
 それまで、僕らはこつこつと一人一人のお客さんにチケットを買っていただくための努力をし続けて、その前の東京だけの公演では7000人ぐらいの動員をしていました。 プレイガイドではなく、自分たちでほとんどのチケットを販売していたのです。

 そして、初めての関西公演ということで、それまでのやり方を踏襲して、東京のお客さんたちにお願いして「関西のお友達紹介キャンペーン」をやりました。 紹介していただいたお友達に、一通一通「●●さんかのご紹介でこのお手紙をお送りさせていただきました」と手書きで封筒に書き、 キャラメルボックスの公演案内を送らせていただいたのです。

 ところが、今にしてみればあたりまえと思えることなのですが、劇団でチケットの予約を取って販売するにしても手数料払え、というのです。 「だって、僕らが自分たちの努力で自分たちの芝居を見たいと言ってくださるお客さんを開拓しているのに、なんで手数料を取られなきゃいけないのか」。 当時の僕は、全く納得がいきませんでした。

 そのうえ、劇団としてはなにしろ初めての関西公演ですから、お金のことよりもまずお客さんにいっぱい来ていただくためにご招待券も出す必要がありました。 しかし、これも「原価で買い取り」ということになってしまっていたのです。


単身神戸に乗り込んだものの、1対10の袋だたき

 そういった、僕らのやり方と劇場のやり方との溝はどんどん深まっていき、ある日、電話越しに票券担当の方と言い争いになってしまいました。 そして、「あんたなんかと話していても埒が明かない。今からそっちに行くから、担当者をそろえて待っていてくれ」と伝え、僕は単身神戸に向かいました。

 行ってみたら、会議室にずらっと並べられた机に目のつり上がった劇場の人たちが10人くらい並び、僕は一つの椅子に座らされました。 僕の脇には、広瀬さんが静かに座ってくださいました。
 それから、一つ一つの課題について意見を交換しました。

 「意見を交換」と言えば聞こえはいいですが、実際問題、全く意見が対立した状態でお互いの主張と建前を繰り広げる1対10の袋だたきです。 広瀬さんは一所懸命間を取り持ってくださり、「交渉」にしようとしてくださいました。しかし結果的には、「間を取る」というよりも劇場寄りの部分で、 ほんのちょっとだけ歩み寄っていただいて、その場は終りました。完全な僕の敗北でした。

 その日から、僕のリベンジが始まりました。
 要するに、満員にすればいいのだ。劇場に、黒字を出させればいいのだ。
 そう心に決めて、必死で宣伝活動を繰り広げました。当時、同じ時期に他に二つの東京の小劇団が行くことが決まっていたので、 それらの劇団にも話をして無理矢理三つをくっつけて「Kobe Amusement Theater」という冠をつけ、僕が新聞社や雑誌社を回って歩きました。

 そして、ウチの制作スタッフと役者達を10人ほど神戸に送り込んで、それまで東京でやってきたようにローラー作戦で繁華街と学生街をまわり、 一軒一軒頭を下げてポスターを貼って回りました。

 このとき、ポスターは前もって劇場に送っておいて、劇場を基地にして街に出て行ったのですが、ポスター貼りから戻ってきて劇場の方に「どのくらい貼れた?」 と聞かれて「今日は300枚ぐらいです」と答えると、「なんでそんなにっ?!うちの公演だとせいぜい数十枚なのに」と驚かれました。

 が、もっと驚いたのはその後だったのです。なんと、劇場は、店を回るときに「ポスターを貼ってください。チケットも買ってください」だったのです。 しかし僕らはなにしろ小劇場出身ですので、ポスターを1枚貼っていただくためにはお店のスペースを1ケ月近くお借りすることになる、 と考えて、貼っていただけたら招待券を2枚置いてくる、ということをしていたのです。

 ところが、劇場の方からは「そんなことをしたら劇場の価値が下がるからやめてくれ」と言われたのです。
 これは、さすがに承伏できませんでした。
 僕らは、僕らの作品ににお客さんを呼びたい。招待券も、有料で劇場から購入してそれを配っている。何の問題もないではないか、と訴えました。
 結局、その溝は埋まりませんでした。

 が、初日を開けてみると、それらの招待券で観に来てくださった方々が500人近く。喫茶店や居酒屋のマスターが、 常連のお客さんなどに「これ、もろたんやけどな、行ってみんか」と勧めてくださったのでした。
 そしてその結果が、奇跡の満員に繋がったのでした。

 これには、さすがの劇場側も何も言わなくなりました。そして、その後は劇場の自主公演ではなく、「貸館」という形態で手打ち公演を行うようにして、 劇場との軋轢を避け、キャラメルボックス独自の路線で神戸公演を行うようになっていったのです。


こんなに激高したのは後にも先にも初めて

 ……と、いままでのこのコーナーであればここで終ってしまうところですが、まだまだ続くのです。
 この劇場は、なにしろ親会社がダイエーですので、次々と上の人だけが替っていくのです。 そういう方々は、だいたいが演劇など見たこともない方々ですので特にお付き合いもなく終っていっていました。が、一度、ものすごい人が来ました。

 「ロビーの掲示物は、腰から下には貼ってはならない」と言い出して、それまで目隠しも兼ねてグッズ売り場や受付などの机には全面ポスターを貼っていたのですが、 それを、僕がいない間に全部はがし、展示会場のような白い布で覆ってしまったのです。

 これには、さすがの穏和な(←うそです)僕もぶち切れました。
 支配人を呼び出して、「劇場に来るお客さんは、僕たちのお客さんだ。今は自主公演ではなく貸館なんだから、あなたたちの客は、我々劇団だ。 あなたたちのポリシーを客に押しつけるのはやめてほしい。どうしてもポスターを貼るのがいやなら、 こちらのポリシーを聞いてからどうするべきかを相談して物事を進めるべきではないか」と、後にも先にもこの時ぐらいだろうというほどに激高して伝えました。
 結局、あまりにも正論だったためか、さすがの流通業界で百戦錬磨の支配人も折れました。

 机にかける布はグリーンのものを劇場側に用意させ、その後もロビーの劇場側サービススタッフを大幅に減員させて自分たちで大阪から案内係のプロを呼び、 できる限り劇場との接点をなくすべく努力を重ねました。

 そこまでして新神戸オリエンタル劇場でやり続けたのは、他でもなく、 初めての関西に来てビビッていた僕たちを暖かく迎えてくれた神戸のお客さんたちを裏切りたくなかったことと、 街の人たちの暖かさに触れてしまっていたこと、そして僕たちにとって理想的なハードが揃っていた、ということに尽きます。 今でも、神戸公演が入っているツアーは、舞台のセットのデザインは神戸を元に設計され、他の劇場は神戸のものに足したり引いたりしている、 というのが真実なのです。

 こうして、劇場にとってはうっとおしいものの、動員だけは着実に増えていくのでドル箱となってしまった、という歪んだ関係が成立してしまったのです。

 ただ、現場のスタッフたちの気持ちは、着実に変わっていきました。僕らがひたすらお客さんを楽しませるためにいろんなことをするのを、 ロビーのスタッフやチケットのスタッフはニコニコしながらこっそりつき合ってくださるようになってきていたのです。

 そんな時、突然大きなニュースが流れました。親会社ダイエーの経営危機でした。
 当時、新神戸オリエンタルホテルが売却される、劇場はゲームセンターになる、来年閉館だ、などなど、いろんな悪い噂が飛び交いました。

 そのとき、僕は決意しました。「2年先まで劇場を予約しちゃえ」と。
 ウチが劇場を押えているうちは、そう簡単に契約破棄はできまい。そしてお客さんも安心するのではないか。そう考えたのです。

 そしてその後、劇場の経営が福岡ドームの直轄になり、その福岡ドーム(+ダイエーホークス+シーホークホテル+新神戸オリエンタルホテル)に 「平成の会社再建請負人」と呼ばれるようになった高塚猛(こうつか・たけし)社長が就任しました。

対立が生まれたら、ケンカするより自分から変わる

 「何かが変わり始めた」という予感が、僕らにも伝わってきました。そこで、劇場の入り口の無駄な数段の階段のせいで車いすのお客さんが困っているので スロープをつけてほしい、とか、細かいことを一つ一つ伝えていくことができるようになりました。 が、しかし、まだ僕らの意見は「ほぉ、いいですねぇ。検討します」で終ってしまっていったのです。 結局、僕らはそれまで通り現場の制作スタッフとこそこそと「いいこと」を思いつきながら着々とお客さんを増やしていく、という作業をし続けていました。

 そして、今年。
 6月2日に神戸に到着した僕のところに、「新しく部長になりました」という方がご挨拶に来てくださいました。 瞳をきらきらさせた新しい部長さんは、後で聞いたら36歳。ちなみに、(株)福岡ドームで部長さんと言ったら、もう、とんでもなく偉いはずなのです。 それが証拠に、それまでは50歳以上の方々しかその位置にいらしたことが無く、当然、僕も挨拶はしても会話をしたことがなかったくらいのポジションだったのです。

 しかし、部長は毎日劇場に現れました。
 そして、3日目に「僕は高塚社長の考え方が大好きです。週刊ダイヤモンドに掲載されている高塚社長の連載は毎週読んでいます。 単行本も、全部持っています」と伝えたところ、その翌日にはその連載にも登場したホテルの料飲部長さんを引き合わせてくださり、 そしてなんと、今日6月10日、たまたま神戸にいらしていた高塚社長と朝食をご一緒させていただくことにまでなってしまったのです。
 その場でたくさん僕たちの話を聞いてくださった社長は、優しくおっしゃいました。「なんでもやってみなさい。そして、なんでもやってあげなさい」。

 その瞬間、13年間続いた僕の中のわだかまりは一気に氷解しました。
 「他人と過去は変えられない。自分と未来は変えられる」。これが、高塚さんの本のタイトルにもなっている言葉です。
 ケンカなんかしても、何もポジティヴなプランは生まれてこない。対立が生まれたら、その原因を考えてまず自分から変わる。41歳にして、やっとそんなことがわかってきた気がします。

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