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第32回 「国際世間話会議」を開催せよ!


イラスト難しい世の中になってきました。
 あの恐怖の9・11以来、アフガニスタンに続いてイラク戦争です。
 第二次世界大戦で、あれだけたくさんの人たちを瞬時にして殺し、その後も後遺症を与えた唯一の核兵器使用国・アメリカさん、「仕返し」というには、ちょっとやりすぎなんじゃないの、って心では思っても呑んだ席でしか言えないような複雑な状況が続いています。

 そもそも日本が戦争でアメリカに負けたことがある、ということを、自分が住んでいる国の過去としてちゃんととらえられている人が、20代30代にどれだけいるのでしょうか。
 またそもそも、「政治」というものが自分という個人から直結しているものだ、ということを実感できている人が、どれだけいるのでしょうか。

 新聞やテレビのニュースで伝わってくる「政治」関連のニュースは、記者会見の模様、とか、●●党のAがこんなことを言いやがった、けしからん、とか、■■党のBとCは、総理があー言ったのに違うことを発言している、どーなってるんだ、とか、果ては女の子を触ったとか、そんなシゲキ的なことばかり。実際に国会でどんなテーマが論じられていて、それについて誰がどんな発言をしているのか、というのは、国会中継をちゃんと見るか、新聞を隅から隅まで毎日全部読むか、しかないわけですね。
 で、その「新聞」というヤツも、どうもうさんくさい。あ、テレビもですけど。なんか、なんらかの方向に読者や視聴者をし向けようとしているような意図が、いやらしーーーく、しかしくっきりと見えてしまいます。


「政治」に非常に敏感なので、究極のニュートラルになってしまった

 自分のことを書きますと、僕の祖父は戦争で子供を亡くしているにも関わらず、徹底した国粋主義者でした。市の助役までやってしまいました。そのたくさんいる息子である僕の叔父の一人は、左翼の人でした。子供の頃に会ったきり、数十年間、会ったことがありません。その叔父のおかげで、ウチの電話も盗聴されたりしていたものです。

 僕の父は社会科の先生でしたが、ちょうど60年安保闘争の時代に学生時代を過ごしていました。当時の大学生は、ほとんど全員が左翼的な運動をしていましたので、きっと父もそんなだったんじゃないかと予想されます。
 ……というような環境に育ってきたので、僕は「政治」というものに対して非常に敏感です。敏感なので、逆に自分自身は究極のニュートラルになってしまいました。

 大学時代には、なにしろ早稲田大学でしたので周りには過激派から極右からオウムまでいました。高校時代に長崎の原爆資料館を見て「戦争の廃絶」を心に誓った僕は、手当たり次第にいろんな立場の人たちと話をしました。残念ながら、周りには「保守」の人たちがいなかったので、なんだかこんなに戦争に反対している自分が非常に保守的な人間ではないのか、という危惧を覚えて「赤旗」を購読してみたことさえありました。しかしやはり、どうも、僕には現実味がありませんでした。


「国」というのは、代表者や世界情勢によって言うことがころころ変わる

 つまり、いろんなことが、不思議に思えてくるのです。
 日本に戦争で勝ったアメリカが作った日本国憲法には「軍隊を持たない」って書いてあるのに、朝鮮戦争が起きた途端に自衛隊を作らせたのはあなたたちっすよね?それなのにその後中国と「日本の軍事大国化には反対」なんて密談をしたのもあなたたちっすよね?……どーゆーことっすか?

 そう、その日本国憲法には「政教分離」がちゃんと書いてあります。しかし、アメリカの大統領は何かというと「神に誓って」と言います。あなたたちは、キリスト教に基づいて生きているではないですか、なんでウチらにはそれをさせなかったのです?てゆーか、政治と宗教(日本の場合は、戦争前は神道だったわけですけど)がくっついちゃダメ、ってわかってるくせに、自分たちはくっついてるってゆーの、なんか、へんっすよね?

 「仲介する」って言いながら、なんでパレスチナ問題ではイスラエルばっかりひいきしちゃうんですか?いけませんよ、そんなことじゃ。
 中国と仲良く話し合うのはいいことですけど、台湾やチベットのことを見えない振りしちゃうっていうのは、そりゃ、「民主的」じゃないんじゃないでしょうか?  

 ……てなふうに、アメリカという国が大戦後にやってきたことだけを見ても、へんなことばっかりなんです。なんでかというと、「国」っていうのは人じゃないので、代表者が替わったり世界情勢が変わったりすると、言うことがころころと変わっていってしまうわけなのです。
 それが、いい方に進んでいけばいいのですけど、たいていの場合はあっちへよろよろこっちへよろよろになってしまう。「国」としてのポリシーが、特にあの国の場合はあんまりないんですよね。


国や人種や宗教が違っても、人間として共感できるものが絶対ある

   その点、中国なんてポリシーのかたまりですから、「金は儲けるけど、自由はやらない」っていうわかりやすい存在です。そもそもが「中華思想」の国です。つまり、世界の中心が中国で、最終的には世界中が中国になるんだ、という考え方ですからとっても余裕があるわけです。「まぁ、アメリカさん、おたくも最終的にはウチらが作った製品で生きていくことになるわけっすよ。今のうちに調子にのっといてください」ってな感じでしょう。

 ロシアなんて、もっと大変です。ソ連からロシアになって、生活がとっても良くなるかと思ったらちっとも良くならなくて、そのために一気に揺れ戻しが来て「国粋主義者」の政党が過半数を取っちゃったんだそうです。そうなったら、以前のアメリカ対ソ連という「考え方の違い」での対立ではなくて、「帝国対帝国」という、意地の張り合いに近いタチの悪い大げんかになってしまう可能性もありますですよ。

 ……で、そういった「大国」の皆さんの陰で、我々日本に住む人間たちがいったいどれほどの存在だというのでしょうか。アメリカさんに言われていろいろとお金を出したり自衛隊を出したりして、ほめてもらって、そんなの、「世界新聞」があったとしたら、ほんの数行の記事になるか、まぁ、ならないでしょう、って感じのことです。

 しかし。
 「考え方」以前に、国や人種や宗教が違っても、同じ人間という動物として共感できること、というものが絶対にあります。
 男女の愛。家族の愛。こどもがかわいいと思う心。美しいものを美しいと思う心。自然への畏敬の念。

 一度、政治の話は禁止にして、世界中の国の代表の人たちが集まって、何十時間もかけて、自分のこどもがどんなにかわいいかとか、自分の奥さんをどんなに愛しているかとか、奥さんと結婚するまでにどんな恋愛をしたかとか、好きな食べ物は何かとか、そういう話をする場を設けてみたらどうでしょう。
 そうして、まずみんなの共通点や共感できる部分を一つずつ見つけていくのです。
 違う部分を見つけて角を突き合うのではなく。
 名付けて、「国際世間話会議(通称・ICM International chat meeting)」。

 絶対に楽しいと思うのです。

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