ロゼッタストーン コミュニケーションをテーマにした総合出版社 サイトマップ ロゼッタストーンとは
ロゼッタストーンWEB連載
出版物の案内
会社案内

第38回 春までに運転免許取得プロジェクト


実は。
 去年の夏頃から、遠大な計画を練っていたのが、ついに3月5日、結実したのですっ!!

 今を去ること11年前の平成5年、僕は運転免許を失効しました。まぁ、元をただせば学生時代に免許を取ってから10年以上、 劇団の荷物を運ぶ係として、はたまたアルバイトのため、ほとんど毎日のように自宅のある府中から都心まで車で通っていたのですが、 なにしろ明日をもしれなくて本望、と思って生きていた日々でしたから、 その10年間に5台もの車を廃車にしました(つまり事故り続けた、ってことです)。

 その最後の事故が、ワゴン車を運転していて眠ってしまい、環七の陸橋の柱に激突して助手席がえぐりとられて横転し、 車が逆方向に回転して止まった、という大事故。幸いなことに乗っていたのは僕一人で、二次災害も引き起こさずに済んだのでおとがめ無しで済み、 なんと僕もケガ一つない状態でした。しかし、車は大破。おまわりさんにも「あんた、生きてただけでめっけもんだよ」と言われてしまいました。

 その事故の後、社員一同から「お願いだから運転はやめて」と言われたものの、やはり仕事上必要はあったので、しばらくは運転していました が、新しい車に乗り換えてから、なぜか次々とたいしたこと無い違反で捕まるようになってしまったのです。 最後は、60キロオーバーで免停中の無免許運転。もう、人間として間違っていました。

 その結果、やはりこれはもう僕には車は向いていないんだ、と判断してそのまま免許を失効。電車生活に戻ることになりました。

 しかし。
 結婚してこどもができると、なんと車が必要なことか。


免許の取り直しに挑戦しては、失敗する日々……

 ウチのヨメは、そんなことは百も承知だったのか、妊娠中に僕に内緒で教習所に通い、臨月も近づいた頃に「ほーら」と免許証を見せてくれました。 ……どーもおかしいと思っていたんです。昼間に体調を心配して電話しても出ないことが多いし、 かといって浮気してるわりにはゴキゲンで瞳はまっすぐで一点の曇りもないし、 しまいには「サービスして6つ子にしちゃったっ!」とか言われるんじゃないかとドキドキしていたのですが、 なんと、隠れてコソコソやっていたのは教習所。いやー、お見事でした。

 そのころの僕は、怒濤の1996年。キャラメルボックス・ヒストリーのページの1996年のところををご覧いただくと「うわ」 と思っていただけるのではないかと思うのですが、実に年間6本の芝居をやっていた、という異常事態。 しかもそのうちの一つは新幹線の中での芝居……!!もう、免許どころではありませんでした。

 そんなわけで、こどもが産まれる、という日もクリスマス公演の神戸公演初日が開いた直後に始発の新幹線で帰ってきてタクシーで駆けつける、 というあわてふためきぶり。

 それからというもの、検診だなんだかんだ、という「子育ての常道」とも言うべき「車必須日」は、 こどもを産んだばかりの母親が自ら運転して病院に向かう、という事態に……。

 そんなこんなで、これではいかん、と免許の取り直しに挑戦した僕。

 1997年6月、府中の試験場で仮免の学科に合格し、所内の実地試験に1回落ちたものの2度目で無事合格して仮免許を取得したところで、 演出家が倒れて演目が変更になる、という大事件があって、急に仕事が忙しくなって仮免の期限6ヶ月が経過しておしまい。 やはり、この劇団をやっていて、夏以降に時間を作ろうという方が間違っている、と反省。

 二度目は、前回の反省を活かして2000年お正月明けにチャレンジ。1回目の学科試験に44点(45点以上合格)で落ちて、 再チャレンジを誓うも、突如春の公演でAppleとインターネット生中継をやることが決まって大忙しになり、 あっという間に半年経ってしまっていることに夏頃に気づき、おしまい。これはもう、この劇団をやっていて、 この会社をやっている限りは運転免許なんか持つな、という神の啓示だと判断してあきらめたのでした。  

 がっ!!

 僕にリベンジを決意させたのは、2003年春の右足首骨折。

 「骨折したら運転なんてできないやんっ!!」というツッコミがありそうですが、骨折のせいでタクシーに連日お世話になる日々が続きました。

 それ以前から、レコーディングで深夜に及ぶ作業があってタクシーにはさんざん乗ってきたのですが、なにしろタクシーって、 僕が運転していた当時から、乱暴で、法規なんて無視していて、乱雑で、とにかくどうしようもない存在で、 タクシーさえなければ日本の交通は安全なのに、とさえ思っていたくらいだったのです。

 がっ!!

 それは、ごく半分(一部、ではありませんぞ)のタクシーに対するものだ、ということがわかったのです。

 というのも、……避けなければいけないタクシーのことを語り始めるときりがないうえに営業妨害と訴えられる危険性もありますのでやめておきますが、 いいタクシー、というのがかなりの数いるのだ、ということをレコーディングの日々で知ったのです。


当時は車のことを「自分の延長線上」のように思っていた

 神戸や大阪で言うと、駅前や駅の近くとかでドアを開けて待っているタクシーには乗ってはいけない、 目の前に止まっている車がいても手を挙げて走っている車を止めろ、というのは有名な話ですが、東京の場合は、 できるだけドアミラーの車に乗ることです。

 次に、京王タクシーを選ぶか、私鉄協無線で「京王で」と指名して乗ることです。僕が府中に住んでいる、ということもあって 、府中の京王タクシーにはさんざんお世話になったのですけど、都心の京王タクシーにも、ハズレはほとんどないのです。 聞いた話ですが、京王タクシーは前職がタクシー運転手、という人は採用しないのだそうです。……なるほど……。

 で、そんな中で仲良くなった運転手さんがいました。仮に、「高橋さん」としておきます。 高橋さんは、その営業所で毎月トップを争っているという方で(別な運転手さんから聞きました)、無線で頼んでもしょっちゅうあたる、 という非常に仕事熱心な方でした。

 彼の運転は、実にスムーズ。それ以前になによりも、ちょっと振動があっただけでも痛みが走るけど車だったらしょうがないな、 と我慢しながら通勤していた時期に僕を乗せてくれたにも関わらず、 気がついたら1回も痛みが走らないような慎重かつ名人芸の域に達する運転をしてくださっていたのです。

 高橋さんの車に何度も乗るようになり、だんだんわかってきました。
 他の車に抜かれても、平然。他のタクシーに乱暴なことをされても、平然。急いでいても、信号は厳守。 要するに、車を「お客さんを安全かつ迅速にお送りするための道具」としてとらえていたのです。

 それまでの僕は、車というのは「早く目的地に着くための道具」としてとらえていました。 そのうえに、運転をしていた当時は車のことを「自分の延長線上」のようにも思っていたような気がします。 だから、感情がそのまま運転に出てしまい、抜かれたら抜き返す、乱暴にされたらやり返す、ということを着実にこなしていました(←こなすなっ!!)。

 それじゃぁ、事故を起こして当然ですよね。
 車は、所詮、機械。そして、道具。自分という人間を大きく見せてくれるボディスーツでも、 強くしてくれる武器でもないのです(これって、パソコンというかインターネットにも置き換えられますよね)。
 そんなことを、高橋さんは教えてくれたのです。

 そんな日々を送っているうちに、あらためて「免許を取ろう」と思うようになりました。
 だって、レコーディングも仕事とは言え、僕が使っているタクシー代はめちゃくちゃ高額。パソコンだの楽器だの書類だの、 めちゃくちゃ荷物が多い日々なのに満員電車で周りのお客さんに迷惑をかけまくり。 しかも、家族で遠距離旅行をするときはそもそも運転が好きではないヨメ一人に延々と運転させ続け、僕は横で励ましているだけ。 なんだか、それらがものすごい負い目になっていることに気づいたのです。

 そして、骨折が治った去年の夏、一念発起しつつも過去のこともあるので社員・劇団員一同には極秘のうちに僕の 「春までに免許取得プロジェクト」がスタートしました。


「あとは実技だけ…」という状況で突如入院!

 今回は、なにしろスタートが夏なので気が楽でした。しかし、いかんせん、以前に受験したときよりも当然忙しくなっているので時間がタイト。 まずは仮免一発突破を目指して学科の勉強を始めました。ちょうど前年の秋に入院していたので、体調管理は万全。 早起きなんてちょちょいのちょいだったので、午後からの出社でいけそうな日にこっそりと仮免を受験。

 しかし1回目は、あろうことかまたもや44点で落ちてしまい、猛勉強。2回目は満点で合格して、実技。 実技はなにしろチェックポイントがわかりませんから、仮免の仮免、という覚悟で1回受けて、落していただき、 合格のための対策を徹底的に練り、イメージトレーニングを重ねて2度目でノーチェックで合格。無事仮免許を取得したのが12月。

 そして、卒検の学科はまたまた冬の公演中に休演日を活かして受験し、仮免の時の勉強がそのまま生きて一発合格。 あとは路上の実技をクリアするのみ、というところで年が明けてしまったのですが、そこで突如入院っ!!その後、インフルエンザっ!! ……まだ4ヶ月近くあるとはいえ、1月をまるまるムダに過ごしてしまいました。 二度の「仮免流し」を体験しているので、期せずして2月に入ってしまい、「またかっ?!」と戦慄が走りました。

 しかも、かなり自信満々だった路上の実技を受けたのが2月の公演直前の日の朝。 左折して次の信号を通過しようとしたときに、まだ低かった太陽が目に入って、黄色信号につっこんでしまって検定中止。

 ……これを逃すと、次にはいつ行かれるのかわからない、というスケジュールだったのです。
 が、直後にまたまた午前の時間帯を発見してリベンジし、満点で合格。……と、ここまでは順調だったのです。 そして、昔だったらここで免許がもらえていたはずだったのです。

 しかしっ!!

 いつの頃からかは知りませんが、「取得時講習」というものが課せられたのです。 これは、試験場ではなく教習所に行って受ける応急救護の講習と、路上実技と高速教習、というもの。

 講習自体はたいしたことはないのですけど、大変なのは僕のスケジュール。
 ただでさえ打ち合わせと社長の仕事とレコーディングと公演本番が入り組んでいるので、午前の時間帯もほとんど使われてしまっています。 休演日を利用して受けようとしても、そんなにカンタンに僕の予定に合わせてはくれないのが教習所。

 結局、「もう、今度初日が開いてしまったら二度と僕は免許が取れない」と判断し(なにしろ春のツアーが終わるのは5月30日、 ちょうど仮免が切れる頃!!)、ついに最終決断をしました。 それは、「東京公演のサウンドチェックを音響の早川さんにお任せして講習を受けに行く」という僕としては究極の裏切り行為でした。

 そして迎えた3月5日。8時50分集合で、講習開始。

 講習さえ終わればすぐに免許をもらえると思いこんでいたら、そんな甘いものじゃありませんでした。 11時半過ぎに教習所を出て喜び勇んで飛び込んだ試験場の窓口で「あ、昼休みだから、1時に来て」とにべもなく追い返され、 劇場に電話して状況をチェックしたりしながら1時ジャストに窓口に行くと「あ、じゃぁ交付するから、2時に別館に来て」 と言われて呆然とし(なんだか最近、文法的に正しい「短めの文節」を避けて通ってるなぁ)、早いかなぁ、と思いながら1時44分に別館に行った途端に、 突然「加藤さーん」と呼ばれて窓口に行ってみたら「はい、こちら」と心の準備もないままに運転免許証を渡されてしまったのでした。


道具は、使い方を誤ると凶器になってしまう

 そんなわけで、なんでもかんでも書いているかのように思われていた僕の日記ページ「加藤の今日」でも極秘にしてきた 「春までに運転免許取得プロジェクト」は、なんと肩すかしを食らったまま無事に完結してしまったのですっ!!

 この日に免許を取得していたせいで、翌日早速「劇場のロビー用のアンプが無い!!事務所から持ってくる人手もないっ!!」 という事態があったのですが、へのかっぱで自分で運転してアンプを取りに行って劇場に持ち込む、というお手柄を立て(←それほどかっ?!)、 晴れて劇団員と社員に「免許取得!!」を公表したのでした。

 まだあれから3日ですが、抜かれても抜き返しませんし、乱暴にされても「あんた、いつか死んじゃうよー」と思えるようになりまして、 すっかり車は「道具」状態になりました。

 道具っていうのは、うまく使えばとっても便利なんですが、使い方を誤ると凶器になってしまいますので、 マシンと心のメンテナンスは常時していなければなりません(パソコンやインターネットもやっぱりそうですよね)。

 「おいおい、たらたら走ってんじゃねぇよ」と後ろからパッシングされたりクラクションを鳴らされたりしたとしても、 安全のためなら、甘んじて放っておきましょう。

 歴史は繰り返しますから、そういう荒い運転をする人たちは必ずや事故りますし、必ずや僕みたいに改心するのでしょう。 そうして、乱暴な車と安全な車がバランス良く存在して、いつまで経っても交通事故はなくならないわけなのですね……。

著者プロフィールバックナンバー
上に戻る▲
Copyright(c) ROSETTASTONE.All Rights Reserved.