ロゼッタストーン コミュニケーションをテーマにした総合出版社 サイトマップ ロゼッタストーンとは
ロゼッタストーンWEB連載
出版物の案内
会社案内

第41回
大長編ドキュメント
「近視矯正手術」を受けたっ!!  −その1−


6月13日の日曜日の朝、「近視矯正手術」を受けてきました。これは、いろんなところに広告が載っているので、薄々気づいている方はいらっしゃるかと思います。
 要するに、近視の人がメガネやコンタクトを使うのではなく、眼球を直接手術して治してしまう、というもので「レイシック」などと呼ばれているものです。

 はい、ここまで読んだところで「ぎゃぁぁぁっ!! やめてぇぇぇぇっ!! 」と思った方もいらっしゃるかと思います。 というか、近視の方のレイシックに対する反応は、完全拒否か興味津々のまっぷたつ。ウチのヨメは、 その両方が内在するという特殊なタイプで、「やろうと思う」と相談したら「きゃぁぁっ!! やだぁぁっ!! 終わったらどんなだったかおしえてぇぇっ!」 という無責任なリアクションでしたが。

 で。なんで僕が急にそんな過激な行動に出たのかです。
 まず、1997年に小田和正監督の映画『緑の街』に出演させていただくことが決まり、 同じシーンに大江千里さんがいっしょに出るので僕のトレードマークであったメガネははずしてやってほしい、と言われたときまでは、 「コンタクトレンズなんて人間のするものじゃねぇ」というのが僕の持論でした。だいたい、目の中にものを入れる、 なんてことが、身体にとっていいわけがない、と思っていたのです。 だって、そうじゃないですか、ホコリが入っただけでもあんなに痛いのに、ましてや目玉と同じ大きさのレンズを眼球の上に乗せる、 なんて、想像しただけで痛くなっちゃいます。

 が、めがねを取ると僕の視力は0.1以下。ほとんど相手の顔も見えない状態ですから、台本も読めませんし、演技なんてできるわけがありません。 そこで、「小田さんのためならっ!! 」と、それまでの30数年のポリシーを破ってついにコンタクトレンズを購入したのです。 あの時、あたりまえのように眼科でコンタクトを目に入れられた自分って凄いな、って思ったことも覚えています。 でも、それだけ「小田さんのためなら」という覚悟がものすごくて、恐怖などほとんどありませんでした。

 その時はソフトコンタクトで、いちいち毎日薬剤の入った小壜にしまって洗ったりしなきゃいけなくて、もう、ただでさえ面倒くさがりの僕は、 撮影のある日だけ必死で我慢してつけていたのですが、終わった途端にもう二度とそのソフトコンタクトをすることはありませんでした。


メガネをかけていると、運転中に死角ができる!

 しかし、それと並行して1996年に生まれた長男がどんどん大きくなっていき、2歳を過ぎ、3歳になるともう、めちゃめちゃやんちゃになってきました。 お父さんを見つけると、問答無用でよじ登ってくるのです。「メガネには触らないでね」と言っても、相手はこどもですからそんなの無理です。 肩車が大好きな長男は、ついついメガネを触ってしまいます。

 そして、決定的に困ったのが、プール。夏にとあるプールに連れて行った時、安全のために更衣室の外はメガネが禁止されていたのです。 メガネがなかったら、もう、何も見えません。こどもが勝手にどこかに行ってしまったら、もう見つけようがないのです。 仕方なく、こどもの行くところにずーっとついてまわっていまして、まぁ、それが一番安全なわけですからいいと言えばいいのですが、 やはりものすごい不安を覚え、一応、こどもと遊ぶときのために、と思って再びコンタクトを購入することにしたのです。

 ただ、この時は使い捨てレンズにしました。なにしろ、朝付けて、寝る前には捨てちゃえばいいのでいちいち洗ったりする手間がなくなってらくちんでした。 が、やはり、目の中にものを入れている、という違和感はなくならなかったので、やはりメインはメガネでした。 

 そして、今年。こどもを連れて遠出するのには車が不可欠なのですが、運転免許を持っているのはヨメだけ。つ まり、何時間もヨメ一人に運転させなければならず、なんだかあまりにもかわいそう、とずっと引け目に思っていたので、 ついに僕も免許を取ってしまったのでした。

 で、そのあたりのことは以前にも書いたので省略しますが、結局毎日のように運転をするようになった時、 10数年前に運転していたときと同じようにメガネでいつもの道を走っていたとき、普通に右に車線変更をしようとした瞬間、 いつもなら直接目視はしないでバックミラーとサイドミラーを見ただけでハンドルを切るのですが、何か悪い予感がしてふと右横を見たら、 真横にバイクがいたのです!! つまり、メガネのツルと、空白部分のせいで、完全な死角になってしまっている部分があったのです。
 もう、それで恐ろしくなり、翌日から突如コンタクトレンズにしたのでした。

 そういう個人的な事情が、一つ。そして、もう一つが、舞台俳優たちのこと。

 けっこう近視の役者は多いのですが、メガネで舞台に出てしまうのは劇団★新感線の粟根さんぐらいなもので、 基本的には役が優先なのでコンタクトか、見えないままやるか、どちらかなのです。で、相手をじっと見つめる芝居や涙を流す芝居があると、 必ずと言っていいほどコンタクトが落ちてしまって大騒ぎ、なんてことが多数あったのです。
 ましてや、刀や槍を使った時代劇をやる時に、目が見えていない状態で芝居をする、というのは非常に危険なので、いずれはなんとかならないものか、 ということも考えていたのです。

 しかし、やはりレイシックの手術は30万から40万かかります。しかも、なんといっても「目を切る」というのは、普通に考えたらありえないこと。 よっぽどのメリットがあった上に、よっぽど恐くないということがわからなかったら、きっと誰も「近視矯正手術」なんてものには手を出さないで、 きっと一生はらはらしながら舞台をやっていくことになってしまうのではないか、と思ったのです。

 実際、僕自身も、周囲の誰かがやったら、その体験談を聞いてから自分も挑戦してみようかな、と思っていろんな病院の資料を取り寄せたりしていたのです。


目の手術を終えたばかりのお客さんが公演会場に!
イラスト
 そんなフラフラしているある日。今年の春の公演『ヒトミ』の神戸公演の開演前の楽屋で、舞台スタッフのみんなといつものように世間話をしていました。 音響の早川さん、照明の勝本さんと熊岡さん。みんな、近眼で、メガネとコンタクトを併用している人たち。 舞台のスタッフは、シーンによっては数分間まばたきできない時もあったりするのにも関わらず、汗が額からたれてきても拭くわけにもいかない、 なんていうこともあったりするので、本番をどっちでやるのか、というのがかなり問題になっていたのです。

 で、僕は前説をやるわけですが、前説では少なくともメガネよりはコンタクトの方がいいよな、と思っていまして、そんな意見交換をしておりました。

 が、結局、「近くの誰かが手術したら、オレもやろう」というところで、みんなの意見が一致したのでした。
 そして、開演。その日のステージも無事に終演し、僕はロビーに出てグッズ販売をしていました。
 終演直後の怒濤のような忙しさが過ぎて、ロビーに残っているお客さんがあと50人ぐらい、って感じになったとき、 一人のメガネをかけていない20代半ばぐらいの女性のお客さんが僕に話しかけてきました。

 Aさん「加藤さん、コンタクトにしたんですねぇ」
 僕「そーなんですよ。メガネと違って、汗かいてもすぐにふけるし、いいですよねぇ」
 Aさん「メガネからコンタクトにしたとき、なんか、世界が広がったような感じがしませんでした?」
 僕「そーですね。運転もラクになりましたし、なにしろ視界が広がりましたね」
 Aさん「でも、もっとすごいそういう体験ができるって知ってました?」
 僕「あぁ、レイシックとか、そういうやつでしょ?興味はあるんですけどね」
 Aさん「実は、私、3月に手術を受けたんです。最高ですよ。」
 僕「…………えぇぇぇぇぇぇぇっ?!」

 まさに、ちょうど「近くの誰かが手術をしたら」という話をしていた直後のことでしたので、なんか、背中を押されてしまいました。
 その場で、痛くなかったかとか、恐くなかったかとか、仕事も忘れていろんなことを尋ねまくり。 僕らの周りには、メガネやコンタクトのユーザーが集まってきて、彼女の話をじっくりと聞き入ってしまいました。

 そして、神戸公演が終わって東京に戻るまでの間に、徹底的にレイシックについて調べました。 そして、手術してもらう病院を決め、メールで問い合わせ、何度も質問をしました。

 それでわかったことは、
(1)手術の1週間前に検診を受けるのですが、その1週間前からコンタクトはしてはいけない、ということ。
(2)1週間前の検診を受けて、レイシックには向いていない、という可能性があるということ。
(3)検査の種類は数十種類に渡るので、検査だけで2〜3時間かかる、ということ。
(4)検査から手術までの1週間、ずっと抗生物質の目薬を点眼し続けなければいけないこと。
(5)手術に痛みは伴わないこと。
(6)手術は実質2分、手術室の中にいるのは20分。
(7)前後の検査を入れても、手術当日は2時間ぐらいで帰れる、ということ。
(8)手術直後から、視力が戻る、ということ。
(9)当日と翌日は、一応仕事は休まなければいけない、ということ。
(10)手術後1週間は目を酷使できないのでたとえば車の運転ができない、ということ。

 ……で、これだけ制限があるということは稽古中や本番中は不可能。しかも、会社の仕事が忙しいときや、こどもと遊びに行く可能性があるときは不可能、ということ。
 そういった状況を書き出して整理し、自分のスケジュールと首っ引きで手術の日程を考えました。
 するとっ!!

 なんと、神戸から帰ってすぐに、夏の公演『ブラック・フラッグ・ブルーズ』のレコーディングが始まる、というスケジュールだったのです。 レコーディングなら、極論を言えば目を使う必要がないわけですし、写真を撮ることも文章を書くことも、ほとんどないわけです(日記ページとかを除けば)。
 そこで、決めました。レコーディング開始が6月3日なので、6日(日)の午前中に検査、13日(日)に手術、と。


手術が失敗する確率は3000分の1

 僕が選んだのは、神奈川クリニック。美容整形手術とかで有名なところです。これだけ宣伝してて、これだけデカイところだったら、 失敗なんてしたらタイヘンなことになるだろうから、逆にものすごいテクニックがあるんじゃないかな、と踏んだわけです。
 まぁ、値段的には高い方だと思いますけど、なにしろ一生に一度のことですし、失敗なんかされたら絶対に許せないし、てゆーより困っちゃうし、 分割払いもできるってゆーし、というわけで心を決めました。

 で、6日にまず検診。新宿西口の、高層ビルの35階にその病院はありました。
 エレベーターを降りて向かった先にあったのは、病院、というよりも豪華なホテルのようなロビーでした。受付の人たちは全員女性。 なおかつ、当然のようにメガネの人は一人もいません。

 ゆったりとしたソファーで待つこと数分、名前を呼ばれて、まずはカウンセリング。 前もって下調べはしてあったものの、いろいろと不安だったことを全部その場で直接聞いてみました。 この手術の失敗の確率は3000分の1。ただし、この病院では失敗はゼロ、ということ。手術が成功しても、視力が戻らない人も1000人に1人はいる。

 そして、一番ショッキングだったのは、僕が42歳である、ということで「視力が戻った途端に、老眼で近くが見えなくなってしまう、 という可能性があります」とのこと。「近視の唯一の利点である、老眼になっても近くは見える、ということをあきらめていただいて、 遠くが見えるようにする、ということでよろしいですね?」という、不思議な念の押され方をしてしまいました。

 この時には、本当に「もっと早く出会っていれば」と後悔しましたが、この手術の技術自体がまだ10年ぐらいしか歴史がないので、 日本ではまだまだ市民権を得ていないものなわけですし、手術してから20年後にどうなっているのかも、誰にもわかっていないわけです。 なので、まぁ、出会った今やっていただく、ということはタイミング的には正解だったのだな、と自分に言い聞かせました。

 そして、綿密なカウンセリングの後、検査がスタートしました。
 広々とした院内で、機械から機械へと移動してあんな検査・そんな検査・ほんの検査・ひょんな検査。

 その途中で、「ちょっと麻酔をしますね」と言われて目薬をさされます。「しみますよ」って言われたんですが、ちっともしみません。 しばらくして、「ちくちくした感じはしますか?」と言われたので「いいえ」と応えると、「では、大きく目を開いてください」と言われたので開けていると、 何かの器具を目に近づけて検査をしています。それが終わって、お医者さんのところに行って、またまた検査。 「さっき、眼圧を測ったのですがちょっと心配なところがあったのでもう1回測ります」と言われ、また器具を近づけられました。

 ここで、はたと気づいたことがあって、「はい、いいですよ」と言われたあと、お医者さんに聞きました。
 僕「眼圧を測った、ってことは、もしかして、さっきの麻酔の後、僕の眼球、触りました?」
 先生「(ニコリと笑って)ええ。あ、今も押しましたよ。そのために麻酔をしたの で」

 ……ひっえーーーーーっ!!
 本人が気づかないうちに、本人の許諾も得ずに目ん玉を押すなんてぇぇぇっ!!
 ……なんですが、前もって「押しますよー」なんて言われてたら「イヤです」って答えていたことでしょうから、お医者さんの作戦勝ちなんですけどね……。

 ですが、この結果、目薬の麻酔さえすれば、眼球を触られてもちっとも恐くないし痛くもないんだ、ってことが明確にわかったのです。 これは、本当に大きな収穫でした。だって、眼球の麻酔は目薬で、ということは知っていたのですけど、そんなものはたいして効かなくて、 目薬なのはもしかしたら最初だけで、手術の時にはちゃんと注射とかするに決まってる、 とか勝手に恐い方に恐い方に想像の羽を羽ばたかせていたものですから……。

   で、結局この日の検査では、ほぼ何の問題もないので来週の手術はOK、という結論になりました。 ただ、まだいくつか細かい分析が必要なものがあるので、何かあったら当日に、ということで、その日はそのままレコーディングへ。 その後の1週間も、怒濤のような忙しさで、手術への恐怖を増幅させる想像なんてするヒマもなく過ごし、 土曜日の晩もレコーディングを終えて深夜に帰宅し、あっという間に手術当日を迎えました。

(つづく) 

著者プロフィールバックナンバー
上に戻る▲
Copyright(c) ROSETTASTONE.All Rights Reserved.