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いわき病院事件に関する特別講義
CAC医療技術専門学校特別講義

英国とスペインにおける精神衛生に関する法律と精神障害者の法的責任


平成18年9月25日
矢野 啓司
矢野 千恵

1、はじめに  矢野 啓司

英国ブリストル大学の臨床精神医学助教授のサイモン・デイビース医師は矢野真木人とは幼なじみです。矢野真木人は英国で生まれ、父親である私がデイビース医師の父親のリバプール大学経済史教授P.N. デイビース氏から教えを受けた関係です。サイモン・デイビース医師は真木人が生まれた時には9才で、「子供の頃に、真木人の乳母車を押した記憶がある」と話していました。その後、デイビース家は二回ほど日本に来て長期滞在しましたし、私どもも何回か英国を家族で訪れていますので、矢野真木人とサイモン・デイビース医師はお互いの成長過程で何回も顔を合わせた、幼なじみです。長じて矢野真木人はリバプール大学に留学して、その時にもP.N.デイビース教授のお世話になりましたので、精神科の医師になっていたサイモン・デイビース医師にもお世話になりました。このことは私の著書『凶刃』の110ページに写真として記録されています。

矢野真木人(享年28才)は平成17年12月6日に、香川県旧香川町のショッピングセンターで近くの社団以和貴会いわき病院(以下「いわき病院」とします)から社会生活に適応訓練を実施する目的で外出許可を得て外出中の精神障害者の野津純一(当時36才)に台所用の万能包丁で右胸を一刺しされて殺害されました。『凶刃』は翌平成18年2月24日に出版されましたが、私どもはデイビース家およびサイモン・デイビース医師に真木人の死を伝えることができませんでした。犯人の野津純一には平成18年6月22日に高松地方裁判所で懲役25年の判決が言い渡され、加害者側および被害者側の双方が抗告しなかったので判決が確定しました。日本では、たった一人を殺害した精神障害者に対する懲役25年の判決は前例がない厳罰です。私どもは本音では、野津純一に終身刑を望んでいましたが、終身刑を目指して長期の刑事裁判を行うよりは、刑事裁判を早く終結して、いわき病院に対する民事裁判の闘いを開始すべきだと判断したのです。それで、やっと7月の半ばになって英国のデイビース家に手紙を出して、精神医学の専門家に成長したブリストル大学助教授サイモン・デイビース医師の意見を聞きたいとお願いしました。

殺人者の野津純一はいわき病院の治療中にいわき病院が許可した外出訓練の途中で殺人事件を引き起こしました。私どもは野津純一を治療していた主治医であるいわき病院の渡邊朋之病院長の刑事的責任が問われるべきであると今でも考えておりますが、日本の刑事裁判の前例では起訴するまでには至らないと検察当局は判断したそうです。このため、私どもはいわき病院の責任を明確にするには民事裁判をして、その決着を付ける他はありません。これに対して、いわき病院から治療など何のお世話も受けたことがない私どもに対して、いわき病院は「逆恨みである」という見当違いなコメントをしていたと伝え聞きました。既に私たちが高松地方裁判所に提出した起訴状に対するいわき病院の反論書が提出されています。その内容は、反論書の中の同じ項目や事例の記述が前後で矛盾しているなど不備が目立つものです。また私どもは、野津純一が精神障害者になってから殺人事件を犯すまでの総ての病院の野津純一の病歴に関するカルテを取得して、現在分析を行っているところです。特に、いわき病院のカルテについては注目して分析しております。いわき病院は野津純一の犯行直前に野津純一にプラセボ(擬似薬)を投与していましたが、私の友人の医師はカルテを読んで、取りあえずとして、以下のコメントをしました。

【「プラセボ」に関して、判断には力量が要求されます。いわき病院長がプラセボを用いながら適切な評価をしなかったのは野津の病気に対する敗北宣言をしたといっていいかと思います。私は精神科の専門家ではありませんが、精神科でプラセボを用いる意味はどういうものなのでしょうか。ある薬剤の効果を客観的に判定するために行うのがプラセボを用いる試験なのですが、野津でそのような試験したとは考えられません。臨床での効果判定は、やはり症状・所見の変化を見て行うものです。精神的に落ち着かない患者に対し「プラセボが効いたから、この薬は要らないので我慢しなさい」という方法があるのでしょうか…。止めて悪化すれば再開すればいいだけで、プラセボなど不要では? やはり患者を放棄していたということにならないでしょうか? また判りにくいカルテですね。対話形式で統一なのかと思えばそうでもない。アセスメントは「不可思議」。これを見た看護師が理解できるでしょうか。カンファレンス(病院スタッフ間の意見交換会議)をやっていればいいのでしょうが、無いのですよね? ちなみに、このカルテでは社団法人日本病院機能評価機構の病院機能評価をパスすることは不可能です。実際の評価審査ではカルテ全部を見る時間が無いので、求められている項目をどう実践し記録しているかがわかるカルテを提示させます。つまり模範カルテをいくつか作ればよいということになりますが。】

実は、いわき病院は香川県内では唯一、社団法人日本病院機能評価機構の認定を受けた精神科の病院です。このために、香川県内では一般的にいわき病院は最高の水準を維持している精神病院であると専門家の間でも評価が高いのです。その香川県内最高水準であるはずのいわき病院の野津純一のカルテは、とてもお粗末な内容であると指摘されています。上で私どもは、いわき病院の裁判における反論は「矛盾があるお粗末な内容である」と書きましたが、どうやら、医療カルテの内容も、この病院に対する世間の評価とは大いに異なる水準にあるようです。

さて、「いわき病院事件」と私どもは言いますが、矢野真木人殺人に関連する、いわき病院を通した日本の精神科病院のあり方と、精神障害者をとりまく日本の法制度のあり方には大きな問題があります。その端的な例が、いわき病院は香川県内では唯一最高の病院機能評価を受けた精神科の病院であるにも関わらず、病院運営の実体はお粗末であると言うことです。そこには、いわき病院長個人の資質に限定されない、日本の精神医療の問題があります。また、犯人の野津純一は日本で初めて懲役25年という長期の刑罰が下されましたが、日本の制度の中では25年の3分の2以上の期間すなわち17年を経過すれば刑務所長の判断で野津純一は解放されることがあります。また25年を経過すれば、その時に野津純一の精神障害がどれほどひどい状態であったとしても、社会の中に解放しなければなりません。その様な日本の実体を、以下に収録した英国ブリストル大学臨床精神医学助教授のサイモン・デイビース医師とスペイン・サラゴッサ大学医学部卒で現在は英国のブリストル王立病院精神科のブランカ・アルマナク医師の講演から、見直す機会が得られるように期待しております。

いわき病院事件の本質は、日本の精神医療の水準とあり方、そして精神障害に関した法律の問題なのです。このため機会を得て、広島県福山市のCAC医療技術専門学校で平成18年10月19日に特別講義を実施しました。特別講義の機会を与えてくださいましたCAC医療技術専門学校および作業療法学科主任田村文彦先生に、心からお礼を申し上げます。またこの特別講義が将来の日本の精神衛生を担う若者達の参考になればこれほど嬉しいことはありません。


2、導入講義 「死別後の心の過程、悲嘆について」  矢野千恵

高松南署の警官二人に付き添われて行った香川大学病院で息子、真木人の亡骸を目の前にしても涙は出ず、只ただ呆然としていました。現実の事とは思えなかったし、「はい、どっきりカメラです、お疲れさん。」と誰かが言ってくれないかと待っていました。「TVドラマだとここで息子に取りすがって号泣するのかなあ」とぼんやり考えたりしました。私が見たときの息子の顔は穏やかで、冬場でしたから遺体の傷みも進まず、3日後の葬式の日にもまだ寝ぼすけが眠っているようにしか見えませんでした。

初めて激しく泣いたのはいよいよ棺を運び出す時でした。「子どもを亡くしたのに泣かないなんて、なんて強いんだろう」「偉いね」と言われましたし、自分でも「私って何て冷静なんだろう」「冷たい人間かも」と思ったりしました。

真っ暗な世界に放り込まれ、世の中が私達だけを置いて回っていく気がしました。私達家族だけが悲惨を一身に背負い、孤立しているようでした。眠れず、食事も取れませんでした。おなかがすいて食べようとしても胃が受け付けませんでした。新聞もテレビも見られず、読まない新聞が積み上がっていきました。

「どうしてあの日、あの時、あの場所に息子が立つことになったのか」について、夫も私も、お互い相手を責めることはしませんでしたが、各々が自分を責めて苦しみました。「私が強固に反対していたらこんな目にはあわなかったのでは・・」「予定通り翌年4月から呼び戻すことにしていたら・・」毎日、「○○していたら」「△△しなかったら」が頭の中をグルグル回って、自分を責め続けるのでした。犯人が逮捕され、精神病患者である犯人を入院させていた病院主治医が悪いと考えている一方で、自分に罪があるように思いました。

押し寄せてくる絶望感、心の底にひっついた、黒い物が圧倒的な力で下へ下へと引っ張るのです。「どうしてあの子があちらの世界にいて、私はこちら側にいるのだろう」「向こうに行けばこの苦しみから逃れられる」自分自身がコントロール出来なくなりそうでした。

「一体これは何なのだ?」「私に取り付いて離れない物は何?」「生きていく気になれる日が再び来るのだろうか?」…ためていた新聞を少し読めるようになったころ、こんな疑問への答えが欲しくてアマゾンの本のリストを見て何冊か買い、初めてこれが『悲嘆』というものだと知りました。

単に悲しいというのとは違います。当初泣かなかったのは、生体の防御反応の一つで、脳を麻痺状態にし、直面している危機から生体を守ろうとする働きの為だったのです。愛する家族と死別後の一番やっかいな物は「罪悪感」です。「罪悪感と向き合う」というページは繰り返し繰り返し何度も読みました。

息子が死ぬまで、事件や事故、災難にあっても生きて帰れた人は幸せだと思っていました。107人が亡くなった昨年のJR事故やアウシュビッツの地獄から生還した人、神戸震災で生き残った人は幸せな人で、喜んでいるとばかり思っていました。これがとんでもない誤りだったことを今回知りました。20年前の日航機墜落事故で何百人もが亡くなり、たった4人の生存者の一人に、退院時に記者から「笑って」と声がかかりましたが、本人はとてもじゃないけど笑うなんてできなかっただろうと思います。 皆さんもこれから医療現場に立たれるわけで、患者の死に目にもあわれるでしょう。そのとき悲しく苦しいのは死にゆく患者だけでなく、家族もとても辛いのだということを覚えておいてください。患者が死んだら仕事がそこで終わったのではなく、残された家族にも心配りをする医療人になってほしいです。

愛する家族を失って、ただでさえ押しつぶされそうな人に向かって、たとえあなたの前では微笑んでいたとしても、「強いんですね」とは言わないようにしてください。愛する人を亡くすと、「自分も死にたい」という気持ちをいつも抱いています。「強いのね」と言われると、「まだ死んでないのね」と言われた気がするし、「私だったら気が狂ってしまう」と言われるのも辛いものです。子どもが殺されるなんていうショッキングな目にあって、気も狂わないでよく生きているものだと自分自身でも思っているのですから。

サイモンとブランカが英国から訪ねてきてくれて、笑顔が出るときも多々ありますが、悲嘆から逃れられた訳ではないのです。元気そうになっても、突然襲ってくる悲しみはどうしようもありません。街で亡くなった子によく似た若者を見かけた時とか・・。昨日は、サイモンのお父さん、デイビス教授と以前一緒に食事をした、太平洋の見える回転展望レストランに4人で行きました。レストランはつぶれて、なんと今は霊場、墓場になっています。そこでかかっていた音楽を聴いていると涙があふれて止まらなくなり、困りました。葬式の時流れていた曲と同じ物だったかもしれません。ガラス越しの外の景色も天国や浄土を思い起こさせる眺望と天気でした。

死別後は大波に翻弄される小舟のようなものです。小波になったかと思うと次は大揺れし、大揺れ、小揺れの繰り返しです。

悲嘆の次の過程は「ひきこもり」です。今日、私は120人の学生さんを前に話をしています。途中で泣き出してしまわないか内心不安でした。同窓会とか趣味の会にはまだ行けません。同じような目にあった人たちで作る「犯罪被害者の会」には出るようになりました。事件から何年も経っていても、この会にすら出てこられない方もいます。事件後は私もコートの襟を立て、かつらをかぶって顔がなるだけでないようにして、娘に一緒に行ってもらって買い出しをしていました。今でもお悔やみを言わないで買った物のレジを黙々としてくれるスーパーは有り難いです。

悲嘆の過程を通り過ぎるのに、早くても一年、「2年間は毎日死にたいと思っていた」と犯罪被害者の方の何人かからお聞きしました。20年を経ても「あの日と同じ」と答える人もいます。

死別など、死のことを考えることは日頃あまりなく、「考えなければそんな目にはあわないものだ」と勝手に思っていたりします。自分が死ぬことは考えても、「家族の誰かに死なれて、遺族になる」ことは考えの外にあるのではないでしょうか。だから突然の別れにうろたえ、混乱して何が何だか分からない自分と向き合ってしまうのです。

大切な家族や友人を失わないで生きて行ければそれに越したことはありませんが、そうはいかないのが生きていくということです。

今日の私の話が将来医療にたずさわる皆さんの基礎知識となり、役に立つことがあれば幸いです。


3、サイモン・デイビース助教授の講義
   英国における精神衛生に関する法律と精神障害者の法的責任

矢野真木人は私の幼なじみです。例年クリスマスには矢野さんから年末年始の挨拶が来るのに、昨年は来ませんでした、それで両親は「おかしい」と言っていました。ところが今年の7月になって初めて「真木人死亡」の手紙が来て、私どもの家族全員は大変な衝撃を受けました。大学生の頃に真木人は英国に留学してきて、我が家に滞在しましたので、私はこれからも一生涯真木人との付き合いが続くものと思っておりました。ところが、突然「真木人死亡」の通知が来て、しかも私が専門にしている「精神障害者」の治療と社会復帰に関連して、貴重な命を失っていたことを知って本当に驚きました。それで、今回とるものも取りあえず日本を訪問しましたが、CAC医療技術専門学校が特別講義の機会を与えてくださったことに心からお礼を申し上げます。

私は英国のオックスフォード大学医学部を卒業して現在はブリストル大学で臨床精神医学の助教授をしています。皆さんにはブリストル大学の知識はあまり無いかも知れませんが、世界の大学評価ランキングでは65位に位置しております。ちなみに日本の大学でブリストル大学より上位に評価されている大学は東京大学と京都大学だけです。優秀な頭脳を集めて積極的な研究を行っている大学です。

私はオックスフォード大学を卒業して精神科医師を目指すために、英国ではロンドン大学およびシェフィールド大学で更に高度な研究を行い、オランダのマアストリヒト大学およびイタリアのフローレンス大学にも留学しました。そして高度医療専門家として認定されるための各種の試験を受けて参りました。私の場合は大学の教官となるべく勉強しましたが、英国では普通の医療機関に勤務する医師の場合でも、医学部を卒業して医師免許を取得しただけで上位の専門医師資格試験に合格しないままでは、病院の専門科の医師としては就業できません。また、専門科で管理職の医師になるには更に高度な医療知識が要求されます。そして各種の試験に合格して、世間からも専門科としての高度な知識が認められて初めて病院長となることができます。そのため、医学部を卒業してから最低でも更に6年間の専門家としての養成期間があり、医科長などの他の医師を指導監督できる管理職の医師となるには10年以上の修練が必要です。

今回の事件に関連して、矢野さんからいわき病院長渡邊医師の経歴を聞きましたが、私自身が渡邊医師の経歴書と論文を読むなどの専門家としての客観的なデータを下にした評価をしてないので、断定はできませんが、医師として未熟な経歴に驚いているところです。なるほど、渡邊医師は民間病院のオーナー経営者ですが、英国では医師資格を持っているオーナー経営者と言うだけでは他の医師を指導する病院長にはなれません。日本における指導的医師の養成のあり方が安易であることに驚きました。私が矢野さんから聞いて理解する限りでは、渡邊医師は大学を出た後で、少しの期間精神科の病院で修業しただけのようですので、英国の水準では医師として指導者になり得る立場では無いと思われます。この当たりに日本では専門医師と医療業務の指導者養成のあり方に課題があるような気がしております。

さて、私に与えられた課題である「英国における精神衛生に関する法律と精神障害者の法的責任」について話します。英国の精神医学史は貧困者救済病院として設立された1247年のベツレムの聖メリー教会設立まで遡りますので、既に800年近い歴史があります。その後、1547年にはヘンリー8世がロンドンに最初の精神障害者保護施設(精神病院)を設立しました。これを最初にしても500年近い歴史になります。精神障害者に関する法律としては1714年に制定された浮浪罪法があり、この法律を下にして英国中に精神障害者収容施設が設立されました。そしてその後、1800年には精神障害者刑法が制定され、危険な狂人を拘束することが許されるようになりました。

英国の精神障害に関して画期的な事件となったのは1843年に起こったマク・ノートン事件です。時の総理大臣秘書官のデュモンド氏がマク・ノートンに射撃されて5日後に死亡したのです。ところが、マク・ノートンには精神障害があったために殺人罪が適用されませんでした。その際に、マク・ノートン原理という法的原理が成立しました。その内容は、理解困難な法律用語で書かれていますが簡単に言えば「正常な精神状態にない人間や、罪の意識を持つことができない人間を裁くことはできない」と言うものです。

20世紀に至って精神障害に関した法律は飛躍的に整備されました。最初となったのは1890年の狂人法ですが、今日では用語が適切でないために、1959年/1983年の精神健康法と改められています。その背景には過去60年間に発生した、精神障害を抜本的に治療することが可能になった医療技術の進歩があります。多くの精神障害の治療法が開発されて、現在では100年前と比較すれば、精神病院に収容される患者はごく少数にまで削減されて、大多数の患者は普通の市民として生活をするようになりました。今日英国で施行されている1983年の精神保健法では精神病を定義しておりませんが、患者を精神病院に入院させて置くには、患者が治療可能であって、その治療状態が継続的に評価される必要があります。それらは統合失調症、狂乱状態、うつ病、神経性食欲不振、脳器質性精神症候群、不安症候群等ですが、機能維持が可能で治療できる症状である必要があります。

さて、ここで問題になるのは人格障害です。人格障害には「非社会性人格障害」と「境界生人格障害」がありますが、これらは精神の病気ではない、治療不可能な個人の人格の問題であります。

英国における殺人と精神病に関する法律を解説します。原則は「正常な心を持っておれば行為には責任が伴い殺人罪に処せられ得る」と言うことです。1964年に改正されたマク・ノートン原理では「心が正常では無い場合には、行為には責任が伴わず、殺人罪に処せられないことがあり得る」となっています。しかしながら「心が正常でない場合には責任が軽減されて殺人の罪が軽減されることもあり得るが、同時に、刑務所もしくは高度保安病院に送致される」ことになります。なお、英国では心神が完全に喪失されているとして無罪になるケースは日本の100分の1程度です。

ここで、英国の精神医学の課題に関して事例で話をします。1992年にジョナサン・ジトがロンドン地下鉄のフィンズバリー公園駅で見ず知らずの人間に刺殺されました。逮捕された犯人のクリストファー・クルニスはロンドン各地の精神科病院で治療を受けていた妄想性統合失調症の患者でした。クルニスはそれまでの過去5年間にロンドン各地の43の精神科の病院に通院して、時には遠くまで通院していました。クルニスは裁判で心神耗弱による殺人であると主張しました。

第2の事例は、ジョージアナ・ロビンソン事件です。ジョージアナ・ロビンソンは英国南西部のトルビーの精神科病院で働いていた作業療法士(OT)でしたが、1993年に妄想性統合失調症患者のアンドリュー・ロビンソンに殺害されました。なお、二人はロビンソン姓ですが、お互いに何の関係もありません。このことはルイス・ブロム・クーパー著の『落ち行く影(ただ一人の患者への精神健康ケア)』(The Falling Shadow: One Patient’s Mental Health Care by Louis Blom-Cooper)として出版されています。犯人のロビンソンはそれまでに1983年の精神保健法で7回も拘束されていた経緯がありました。彼は病院から許可を得ないで外出して台所ナイフを購入し、一週間後にロビンソン看護師を刺殺しました。裁判の結果、心神耗弱により責任能力が減殺されているとして、高度保安病院に収容されました。

ジト事件とロビンソン事件の結果、英国では精神障害治療機関と地域社会の間で継続的な情報交換が行われておらず、精神障害者に対するより強い観察処置が必要であることに気がつきました。そしてこれに基づいてケア・プログラムが導入され、精神医療評価手順の中で危険評価が標準となりました。1994年に導入されたケア・プログラムでは以下の項目の手順が制定されました。

患者の健康と社会評価に関する総合的な仕組み作り

  • ケア・プランの作成
  • 医師、看護師、ソーシャルワーカーなどによる活動的なチーム形成
  • 患者と接触を密にするケア調整者の任命
  • 継続的な再評価とケアプランの修正

危険度の評価には治療期間における「より良い方向の結果を得る場合や悪い結果に至る場合などの可能性の度合い」が考察され、「暴行・殺人・自己無視」などの要素が考慮されることになっています。1997年には「英国における精神病者に関する自殺および他殺に関する秘密調査」に基づいて危険評価手順が制定されました。これに基づいて臨床所見と危険評価を統合して運用することが求められています。医師や関連の専門家は定期的に危険評価を再評価することが求められていますが、危険評価が危険行為を完全に予見できるまでには至っておりません。

しかし、ここで皆さんに理解して置いていただきたい事実があります。それは「精神障害者のほとんどは殺人事件を起こさない」と言うことです。ロンドン精神医学研究所のPテイラー教授とJガン教授の研究に基づけば以下の通りです。

  • 1990年には英国で600件/年の殺人が発生しました
  • その内300〜400件はアルコールもしくは違法薬剤の使用が原因でした
  • また60件(10%)は精神障害者による犯罪でした
  • 1975年以降その数は確実に減少しております
  • また殺人の3%が統合失調症患者によるものでした

第3の事例は、ミカエル・ストーン事件です。2003年1月6日のBBCニュースによれば、殺人犯のミカエル・ストーンはリンとメガン・ラッセル夫妻殺人で終身刑に処せられました。ストーンは病院に入院中の精神障害者でしたが「反社会性人格障害」を持っており、薬剤を乱用しアルコール依存症でした。このために、ストーンは2003年に殺人罪で終身刑の刑罰が言い渡されました。英国政府は、「ストーンを精神障害で救済するために政府が行い得ることは何もあり得ない」と政府報告書の中で記載し、このことに夫の不慮の死を元にしてジョナサン・ジトの妻により設立されたジト基金も賛同しました。

今日の講義の要旨を整理すれば、以下の通りです。

1883年以降、英国法では犯罪者が犯罪時に心神が正常であることが殺人罪などの重罪に処せられる条件である。犯行時に心神が正常であるとの評価は、国と弁護士が任命した熟練した精神科医師により行われる。殺人の時点で非正常である者は心神喪失で無罪である。しかしながら、心神耗弱でも殺人罪に問われることは可能であり、その者には高度保安病院で無期限の拘束を受けさせることができる。反社会性人格障害者は一般的には精神病患者であると認定されず、反社会性人格障害を持ち正常な心で殺人を犯した者は殺人罪で有罪である。その者が仮に過去に統合失調症患者であったとしてもである。


4、ブランカ・アルマナク医師の講義
   スペインにおける精神衛生に関する法律と精神障害者の法的責任

私はスペイン北東部のピレネー山脈の近くで地中海にも近いサラゴサで生まれました。サラゴサは歴史がある美しい町ですが2008年にEXPOが開催されますので、皆さん是非訪ねてください。私はサラゴサ大学医学部を卒業した後で、マドリッドのコンパルデンス大学と10月12日大学で高度な医療研修を受けた後に英国に渡り、現在ではブリストル王立病院精神科で医師をしながら、ブリストル大学で更に高度な資格を取得すべく研鑽に励んでいます。

私の父と兄は弁護士ですので、今回与えられたテーマの知識をより深くしてまた内容を確認するために、事前にスペインの父と兄からスペインの法的な状況や現実について聞いて参りました。それによれば、スペインの法制度はイタリアと共通して、古代ローマ帝国から続く古代ローマ法の影響を強く受けています。すなわち、ヨーロッパの中でも古典的な法律体系です。

スペインでもかつて1930年代には、今日の日本のように精神障害者の心神喪失や心神耗弱が安易に認定されて、多くの危険な精神障害者が処罰されず、精神障害者の犯罪が抑制されない時代がありました。しかし、それではいけないとの反省が行われ、今日では厳格な運営が行われています。

まず、そのための大原則ですが、スペイン法では総ての国民は犯罪行為を犯せば必ず裁判に掛けられます。昨日矢野さんとの事前の打ち合わせで、矢野さんが「日本では警察官が犯人を捕まえてみたら、犯人が変なことを言うので、精神障害者を捕まえても仕方がないとそのまま釈放することがある」と言っていましたが、精神障害者であるか否かの認定を、現場の警察官が安易に行うということはあり得ません。また日本では「犯人が逮捕されても検察官が、犯人を30分から1時間程度でしかも特別認定を受けてもいない医師などの簡単な精神鑑定で不起訴にする事が多い」と聞いて本当に驚きました。そんなことはスペインでは考えられないことです。「罪を犯せば、総ての国民は裁判にかけられる」これが原則です。

それから、矢野真木人さんが殺された事件では、犯人の野津純一には反社会性人格障害があっても、矢野さんは精神障害で無罪になる可能性を心配していたと聞きました。ここで明確に言っておきますが、人格障害は精神の病気ではありません。人格障害と精神病を混同している日本の現実はおかしいのです。

さて、犯人が精神障害者である場合ですが、スペインの裁判の場では、犯人の行為理解能力が検証されなければなりません。そして裁判官は必要な限りの専門家に諮問することができます。日本におけるような、たった30分か1時間程度で、しかも専門性が低い人たちによる簡便な報告書を元にして、刑罰が軽減されたり、刑罰に問われないと言うことはあり得ません。きちんと、誰が見てもおかしくない、精神の評価が行われなければならないのです。それを元にして法律の執行は行われるのです。

さて犯罪者が重篤な精神障害者であったとしても、犯罪に対する危険性が高いと判断された場合には、判決で、刑務所ではなくて精神科病院での治療に処せられる場合があり得ます。その場合でも、精神障害が寛解したらその時点で再度裁判にかけられて、その上で解放されるのは刑期を終えた後になります。一旦精神科の病院に行ったら、一方通行で、再びその事件で裁判にかけられないということはあり得ません。心神が正常に回復したときには、あくまでも本人が行った行為に対する刑事罰は受けなければなりません。

スペイン国内には精神障害犯罪者収容施設が2カ所あります。危険性が高い精神病の犯罪者である場合には、その収容所で病気が治癒するまで収容され続けます。矢野さんから聞けば野津純一は早ければ17年、遅くても25年後には、精神の病気が治癒するしないに関わらず釈放されることになると聞きました。これはおかしいことです、私たちの常識では野津純一の場合には、最低でも25年間は刑務所か精神障害者収容施設で拘束されなければなりません。また野津純一の場合反社会性人格障害ですから、スペインでは一生解放される事はあり得ない状況です。仮に彼に反社会性人格障害が無い場合でも、統合失調症が完治しない限り、野津純一の様な犯罪者が解放されることはあり得ません。これがスペインの現状です。

なお、危険性が低いと認定された精神病の犯罪者は解放されて社会生活を送ることが許されます。しかし、その人間は自ら定期的に通院や生活状況を当局に報告する義務があり、それに協力的でなかったり義務違反を行えば、いつでも強制的に施設に収容されることになります。

私は、矢野真木人さんが殺害された時に着ていた衣類などの証拠物品を矢野さん達が被害者の両親であるにも関わらず、野津純一に判決が下されて有罪が結審するまで見られなかったことにも驚きました。その様な、直接の被害者が情報を伝えられないこともスペインではあり得ないことです。また事件直後の報道でも、犯罪者が精神病患者である場合には本名ではなくてイニシャルで報道されますが、犯人の写真掲載と事件の報道は行われます。精神障害者である犯人の人権を守ることと、同様の犯罪を社会の中でくり返さないために、事実を報道することは全く別物です。精神障害者であれば事実までも報道されないことに驚きました。矢野真木人さんが殺害された事件は、すぐ近くであるにもかかわらず、瀬戸内海を渡った対岸の広島県の福山市ではほとんど報道されず、将来精神障害者の治療の専門職に就く希望を持って学んでいるこのCAC医療技術専門学校の学生すら、事件があったことをほとんど知らなかったと聞いて本当に驚きました。

大切なことは、危険な再犯性が高い精神障害者から社会を守ることです。そして再度言いますが反社会性人格障害者は精神病の患者ではありません。統合失調症などの他の精神病と合併していたとしても、反社会性人格障害そのものを精神科の医師が治療することはできません。できないことを認識せずに、反社会性人格障害者を精神障害者として精神科病院に収容して治療するというのは間違いです。精神科の病院では、あくまでも治療可能な精神状態の犯罪者の治療することに限定する必要があります。



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