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いわき病院事件の第6回公判報告


平成19年6月14日
矢野啓司・矢野千恵

平成16年12月6日に私どもの長男矢野真木人(享年28歳)が社団以和貴会いわき病院(以下「いわき病院」と称します)に入院中で社会復帰トレーニングの一環として許可されて外出中の精神障害者(野津純一)に通り魔殺人されました(以下「いわき病院事件」と称します)。精神障害者の社会復帰が促進されて、精神障害を患った経験がある方も、健常者と同じく社会の中で充足した人生を全うする権利があります。そのような社会が日本で実現するには、精神障害者による犯罪は、その理由のいかんを問わず、責任を不問にして、罪に問わないことが条件とはならないはずです。精神障害の有無に関わらず、責任度合いに応じた法的義務が課されるのが社会の基本的な仕組みです。私たちは、精神障害者の無責任をかざして、その本質は精神障害者の人権をないがしろにして病院等医療機関が負うべき社会的責任を回避しようとしている現在の日本の精神医療のあり方に疑問を持っています。いわき病院事件の民事訴訟は、そのことを問う裁判です。

 

1、第6回公判は短時間

第6回公判は平成19年6月6日朝10時から高松地方裁判所の円卓公判室で行われました。出席者は裁判長、副裁判官、裁判所事務官、原告2名、被告野津純一代理人弁護士でした。原告代理人弁護士と被告いわき病院代理人弁護士は電話による会議参加でした。会議は提出された文書が確認され、第5回公判で被告いわき病院代理人から提起されていた「いわき病院だけを実質的な被告として公判を継続する法的根拠に対する疑問」については今後議事にならないことが確認され、次回の公判期日を協議して、約15分ほどで終了しました。

第5回までの公判では、いわき病院代理人弁護士が毎回多くを発言して、30分以上の会議となっていましたが、第6回公判では殆ど発言はありませんでした。ただ、次回の第7回公判の日程協議では、裁判長が1ヶ月後の開催を提案しましたが、被告いわき病院代理人弁護士が「日程が混雑している」との理由で難色を示し、2ヶ月半後の8月22日午前10時開催で、再度非公開となりました。

第6回公判が極めて短時間で終了したことは、公判を取材する予定であった新聞記者にも予想外だったようです。公判が非公開であるため「裁判終了をねらって高松地方裁判所に行ったら、既に終了していた」と新聞記者からE-メイルで原告の私どもに問い合わせがありました。

 

2、協議した内容は豊富

第6回公判が短時間であったことは、公判で協議された内容が貧弱であったことではありません。毎回のことですが、公判が開催されるに先立って、原告および被告側の双方から文書が提出され、関係者はその文書を事前に読んで会議に臨みます。私たちは「SST(社会生活技能訓練)の信用問題」(http://www.rosetta.jp/kyojin/report21.html)として本HPで公開している文書のオリジナルを提出しました。被告野津純一の代理人弁護士から「準備書面」および私たち原告代理人弁護士からも「準備書面」が提出されました。これに対して、被告いわき病院からは前回の公判で「次回には、個別項目に関する回答書を提出する」との発言があったにもかかわらず、文書の提出は何もありませんでした。

1)原告の主張

原告の主張は、第5回公判の直後と、第6回公判の直前の2回に渡って、文書で提出されていました。以下はその概容です。

①被告いわき病院の被告野津純一に対する医師としての診断は、専門外の法律家の判定に左右されて変動するなど、精神医療職の専門家としては定見を欠いており信用できない。
②被告いわき病院が被告野津純一の「根性焼」を発見できなかったことは過失である。
③被告いわき病院は被告野津純一の両親が情報提供しなかったと非難する理由は無い。
④上記の③は被告いわき病院が精神科病院として主体的に何を成したか、という問題である。被告いわき病院は「被告野津純一の過去の凶状歴は殺人事件の後で初めて知った」と主張しているが、これは「被告いわき病院は不完全な情報のままで、被告野津純一に入院治療を行っていた」と自白したことになる。被告病院の診断は杜撰である。
⑤統合失調症と反社会的人格障害を二重診断できないとする被告いわき病院の主張は間違っている。ICD-10やDSM-Ⅳ等の国際診断書を引用したと主張するが、引用箇所が不明で、被告いわき病院長の思い込みの範疇を出ていない。
⑥被告いわき病院長は被告野津純一の個別症状にこだわって、人間として総合的な視点に立って、心理状態を適切に評価していない。
⑦被告いわき病院長は、臨床医師の立場から刑事裁判における起訴前精神鑑定は間違いであると主張しているが、そもそも治療を目的とした医療と、司法の場の法的責任判断を目的とした精神鑑定は異なる。被告いわき病院の主張には妥当性がない。
⑧被告野津純一が被告いわき病院に入院中44回に渡る外出外泊の記録を提出したが、そのいずれもは、被告野津純一が殺人事件を犯した、「近隣のショッピングセンターに出向くなどの外出」ではない。提出された事例は不適切な欺瞞である。
⑨被告いわき病院は「平成17年12月の初旬には被告野津純一を退院させることは困難と判断していた」と主張するが、12月3日のカルテには「退院して、一人で生活するには」と記載しており、法廷で偽証したことになる。同じ理由で、12月3日に被告病院長が診察して「根性焼きを視認しなかった」という主張も信頼できない。
⑩被告いわき病院は精神健康福祉法で規定されている「任意入院者の開放処遇の制限」に関して、法令の認識不足である。被告いわき病院は精神科病院として何も医療上の対策を取らず、また医療上の判断をしていない。
⑪被告いわき病院長は医師として(生理食塩水でプラセボ効果を試しながらその深刻な影響に関心を払わない、インフォームドコンセントが不在であった、注意深い観察をせずに漫然と診断していた、患者の反応や不満や疑問を見逃した、被告野津純一の緊急信号を無視した)などの職務怠慢があった。
⑫被告いわき病院長は日本の精神科開放医療の指導者の一人であるが、無責任な態度で社会生活技能訓練(SST)を行っており、日本の精神医療の国際的信用を失墜させている。

2)被告野津純一の主張

被告野津純一の主張は平成19年5月31日付で、代理人弁護士から法廷に事前に提出されていた。その主張の概容は以下の通りです。

①被告野津純一の殺害行為は、本人が罹患していた統合失調症による幻聴、妄想、強迫観念に基づく行動、および衝動的な興奮状態のもとでなされたものである。
②被告いわき病院長は、平成17年7月21日の記録で、被告野津純一の症状が幻聴、妄想、強迫観念に基づく行動がみられ、かつ、忍耐が低下し、衝動的に興奮による暴行が発生するおそれがあることを熟知していた。
③平成17年12月6日午前10時頃(犯行の2時間前)には被告野津純一は担当看護師に対して緊急症状を訴えて、看護師も被告いわき病院長に通報したが、被告いわき病院長は対応可能であるにもかかわらず診察をしなかった。
④主治医である被告いわき病院長は、被告野津純一に対して診察、治療をせず、しかも看護師に対して被告野津純一の単独での外出を禁止し、万一、外出を許可するときは、看護師の付添を指示しなかったなど、診療義務の重大な不作為による過失があった。

この被告野津純一の主張は実質的には野津純一の両親の主張です。私たちはこの主張の原文を読んで涙が出ます。そこには、信頼していたいわき病院長に裏切られて息子を殺人犯人にされてしまったという、無念の心が見えています。この心は「いわき病院長さん、あなたさえしっかりしていたら、私の息子は」と言う点で私たちと共通した、歯がゆさを通り越した、歯ぎしりするほど絶望的な、むなしい心があります。

3)原告代理人弁護士の主張

原告代理人弁護士からは平成19年6月5日付で、法廷に書面の提出があり、概容以下の主張がなされました。

①精神科医療における強制的な医療保護の根拠をパレンスパトリエ思想に求めることに基本的に同意する。しかし患者保護の名のもとに不必要かつ不当な強制に陥る危険を防止するために法規制および適性手続きが必要となる。この意味で、メディカルモデルないしパレンスパトリエを基礎としながら、リーガルモデルないしポリスパワーによる制限が課されていると考える。
②被告いわき病院において、被告野津純一に対して適正な医療が行われなかったために、被告野津純一は以前からあったイライラした感情を募らせて、それを解消するために人を刺すに至った。相手は誰でも良かったのである。
③被告いわき病院は「通行人を刺殺するであろうという具体的な予見可能性と結果回避可能性がなければ、外出許可を与えたことに法的責任は認められない」と主張しているが、これは過剰で不当な要求である。被告いわき病院は、精神科医師としての怠慢と不注意をノーマライゼーションあるいは開放医療の名の下に正当化し責任逃れをしようとしているに過ぎない。
④被告いわき病院は、適切な治療を行うには必要不可欠な被告野津純一の発症から過去の入院病歴の詳細を知らなかったと主張した。正確な病歴、病状の把握がなければ、統合失調症あるいは反社会的人格障害に対する適切な治療はできないはずであり、被告いわき病院は、被告野津純一の統合失調症あるいは反社会的人格障害に対する適切な治療もできなかったことを自認したことになる。

4)被告いわき病院の主張

被告いわき病院からは今回は文書提出はありませんでした。原告は被告いわき病院に対して平成18年9月22日付で詳細かつ具体的な医療や治療および病院組織や管理の問題に関する指摘をしてあります。これに対して、被告いわき病院の代理人は「膨大な指摘事項であるので、時間が必要です」と言って、公判は1ヶ月毎に開催されるのが定例であるのに、2ヶ月毎の開催にこだわってきました。それでも、毎回の公判では「総括的な反論」のレベルに留まり、「個別事項の回答は、次回には必ず行います」と言い続けています。文書を提出してから8ヶ月半を経過しても、未だに「いわき病院の具体的な指摘事項に対する回答は作業中」なのです。自らの情報ですから、一番簡単なはずのことが、いわき病院は対応困難なのです。

被告いわき病院から、「次回までには必ず、資料提出します。ところで、これまで原告側から提出された文書の中で、何を具体的に請求されているか整理できていませんので、原告の方から再度リストを提示してください」と言われました。これには、私ども原告は開いた口がふさがらないというか、とても驚きました。裁判長は次回の公判を1ヶ月後の7月の中旬にしたいと提案しましたが、被告いわき病院側が「予定が混雑している」を理由にして、2ヶ月半後の8月22日開催となりました。第6回公判後に、原告は裁判終了後に直ちに作業して改めて資料要求リストを提示しましたので、被告いわき病院からは次回には必ず詳細な回答と資料の提出があるものと期待しています。

 

3、感想

1)場の雰囲気

以前にも書きましたが、公判に被告いわき病院長および関係者が誰も出廷せず、被告いわき病院代理人弁護士も東京の弁護士事務所から電話で会議に出席する対応は、被告いわき病院にとって決定的に不利です。そもそも電話の声で伝えられる法廷内の情報には限りがあります。原告の私たちは基本的には発言しないと決めていますので、電話の声は、裁判長、被告いわき病院代理人弁護士および原告代理人弁護士だけです。被告野津純一代理人弁護士は、特に指定して発言を求められない限り発言しません。私たち原告は、裁判長、副裁判官および被告野津代理人弁護士の表情を観察して、電話から聞こえてくる被告いわき病院代理人の声色に神経を集中しています。そこから読みとれる情報は沢山あります。ところが電話で発言している被告いわき病院代理人にはそのような情報はまるで不案内であるはずです。

被告いわき病院代理人弁護士は「法廷に提出された文書こそ全て」と考えていると推察します。確かに、公判で裁判官が判断する材料となるのは、原告および被告の双方が出した文書による主張と証拠です。しかしその文書をどのような論理で、またどのような事象を論点として主張すれば有効であるか否かの判断は、裁判の場の雰囲気を見て発想が固まることが多いのです。更には文章作成する際には、相手側の力量に対する見極めも、どの程度の論理構成をするか等の重要な判断材料になるはずです。

2)高松調査をしたのだろうか

被告いわき病院からこれまで提出された文書を検討して、私たち原告は被告いわき病院代理人弁護士は本件訴訟を受託して、公判に臨むに当たって「東京から高松まで来て、現場確認や調査をしていない」と踏んでいます。その理由は、単純な事実誤認が被告いわき病院側の文書には多すぎるからです。また被告代理人弁護士がいわき病院内を歩き回り、外来診察室、第2病棟、アネックス病棟および第6病棟、更には犯行現場などを確認していたら、論理展開が異なるであろうと思われる記述にも行き当たります。相手側の弁護士が現場を正確に掌握していないと思われる要素が散見されること、これは私たち原告が対抗策や論理を考える上で重要な要素になっています。

3)組織的ではないようだ

私たち原告は今回の民事裁判を提訴するに当たって、被告いわき病院側は組織的な対応をしてくると予想しておりました。被告いわき病院には総務部があり、被告野津純一の刑事裁判の過程でも新聞やテレビなどの取材には主治医である病院長ではなくて総務部管理職が記者対応しました。このため、民事裁判でも総務部が法律的な問題を調整して、医療的な問題は医師団および看護師長以下の看護団が十分に練り上げた文書を作成して、病院長の了解の元に、代理人弁護士を通して法廷に提出されるものと考えていました。

ところが、上にも指摘しましたが、被告いわき病院からはそもそも病院の治療に関して具体的な反論や証拠提出がありません。またいわき病院が主張する被告野津純一に対する外出許可の事例などは、組織的に矛盾検索をした要素がありません。ただ、漫然と主張しているだけです。更には「12月初旬には退院を予定していなかった」という主張にいたっては「12月3日のカルテ」との矛盾を原告から指摘される可能性を十分に検討した論理とは言い難いのです。これまでの被告いわき病院の主張を見る限り、病院長が一人で反論文を書いているとしか思われません。

更に、今回の民事訴訟を受託したのは東京在住で日本全国の対精神科病院訴訟を病院側の立場から受託している「総合法律事務所」でした。私どもは司法試験に合格して研鑽中の多くの若い弁護士や、沢山の調査スタッフなどを抱えた大規模な法律事務所が相手であると考えていました。ところが、スタッフが練り上げた文章にしては、事実関係や論理矛盾が無頓着に過ぎます。想像される実体は、沢山の仕事を抱え込んだ一人の弁護士が、掛け持ち仕事に追われて自転車操業をしている姿です。どう考えても弁護士を支えている事務局の体制は充実しているとは思われません。

今後の予想ですが、被告いわき病院の擁護のために学識経験者や精神医学関係の学会や団体が乗り出してくるのでしょうか。実は、私たち原告はそれを期待しています。この事件の本質は、被告いわき病院の責任問題では終わらないはずです。日本の精神医療に関する法律の問題、パレンスパトリエなどで代表される医療哲学の問題、および任意入院患者の管理と病院の責任などの現実的な課題があります。地方の医療機関のいわき病院だけの問題として「臭いものに蓋」をして終わる問題ではありません。

4)原告を見誤っている

今回の裁判では被告いわき病院側から「原告の言論を封殺しようとした意図」、「パレンスパトリエとメディカルモデルを過信した主張」、「国際的コンセンサスと主張すれば、原告が黙ると考えたと思われる論理」など原告の論理構成力やディベイト能力を見誤ったとしか考えられない主張が繰り返されています。私たち夫婦は、「被告いわき病院代理人は、これまで精神科の裁判で、この程度の幼稚な論理で勝ててきたのだろうか? あまりにも世の中を見くびっている・・・何が社会的な正義であるかを見失った専門家の都合を優先した世界観と論理を押しつけている・・・」と話し合っているほどです。

 

4、これからの展望

私たちは多くの方々から「そろそろ調停ですね」と言われます。誰もが、民事裁判は「調停で、お金をもらったら、終わり、それで一件落着」と思っているようです。しかしこの言葉に私たち夫婦は違和感を感じています。そもそも、私たちは矢野真木人の命を金銭換算して侵害賠償請求することに心理的な抵抗がありました。親というものは子供の命を金銭に換えるのは嫌なのです。社会手続きとして必要条件ですので、いやいやながら損害賠償請求金額を確定しました。請求金額はこれまでに確立している日本の常識という大きな壁を前にして、矢野真木人が失ったと考えられる直接的な経済的損失の一部を提示しているに過ぎません。そもそも、私たちにとって損害賠償金を受け取ることは裁判を終了する必要条件ですが、裁判を提訴した第一義的な目的ではありませんし、私たちが結果として期待する十分条件でもないのです。

被告いわき病院の対応を見ていると、被告病院で行われた精神医療の事実を元にして実体を解明するという真っ向からの議論を避けています。その代わり「パレンスパトリエ」とか「国際的コンセンサス」などと言う、自分でも十分に理解しているとは言い難い論理を持ち出して、あたかも病院に大義名分があり、医師の裁量権の問題として責任回避を期待していると観察されます。頚をすくめて、今回の「災難」が通り過ぎるのをただひたすら待っているようです。病院として、また医師として、いかにダメージを少なくして、賠償金額を値切るきっかけをつかむか、そのことが最大の関心であるように思われます。

本件ではそもそも調停による終結はありません。なぜならば、調停で終結すればその条件がいかなる内容であったとしても、裁判終了の報道が「原告と被告が和解」となるからです。私たちは「和解すること」を求めてはおりません。私たちは矢野真木人が死ぬに至った根本原因は「被告病院の医療上の過失と怠慢である」と考えています。医療は重要な社会活動の一つです。その社会活動で人命が失われるような「不作為と過失と怠慢」があれば刑事事件として起訴されて、刑事裁判で処罰されるのが当然の社会的な決まり事です。それが社会的正義を守る社会契約の基本です。残念ながら、本件事件では病院と医師は起訴されませんでした。このため、刑事罰に相当する社会制裁を求めて私たちは民事裁判を提訴したのです。「和解すること」は私たちの目的意識から逸脱します。

刑事裁判では被告野津純一に懲役25年が確定しました。このため、未決の時には見ることができなかった刑事裁判資料を、私たちは詳細に検討することが可能になりました。そこで判明したことは被告いわき病院と病院長の不真面目な医療です。このような医療が日本国内に存在して、そのような医療を行っている機関が、優良医療施設として指定されているという現実は、日本の精神医療制度の欠陥だと考えています。私たちは日本の精神医療に改善を迫るための資料と証拠を提示するために、本件裁判の議論を公開しています。これは本件裁判は金銭による矢野真木人の命の代償を求めるだけではなく、日本の健常者と精神障害者双方の人権にかかわる制度が課題であると確信するからです。

私たちは社会的手続きを段階を追って進めるために、必要欠くことができないステップとして「判決」を望みます。どのような判決が下るとしても、その判決を元にして、私たちには引き続いてさらなる行動しなければならない展望があります。

 

5、あとがき

電話会議を終えて、裁判長と副裁判官が退出した後で、裁判所事務官が電話会議装置の後かたづけをしている横で、私たち夫婦は被告野津純一の代理人弁護士に声をかけられました。そして野津代理人から重要な発言がありましたが、この内容はこの場では明らかにできません。しかし考えてください、もしいわき病院の関係者が公判に出席していたら、被告野津の代理人が私たちに声をかけることは無かったのです。お互いに、よそよそしい態度で終始したことでしょう。いわき病院は抑止力を発揮できたのです。

会議に出席すれば、いろいろな効用があるのです。被告いわき病院はいつまで他人任せを継続するのでしょうか。仮にいわき病院が敗訴した場合、「裁判には自ら出席してないので、病院には責任はない」と言えるのでしょうか。被告いわき病院にとっては、精神科医療機関として社会的信用を維持して生き残るためには、正念場の局面でもある筈です。



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