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いわき病院事件裁判経過報告(平成20年4月)
精神科病院の医療に対する説明責任


平成20年5月8日
矢野啓司
矢野千恵


私たちの長男の矢野真木人(享年28才)は、平成17年12月6日に高松市香川町のショッピングセンターの駐車場に駐車してあった自分の車に乗ろうとしたところを、近隣の精神科病院である社団以和貴会いわき病院から許可を得て外出中の精神障害者野津純一(当時36才)に包丁で右胸下を一刺しされて出血多量で即死しました。最初事件は精神障害者による単純で突発的な殺人事件かと思われました。しかし殺人事件の背景を探る間に、犯人の野津純一が入院していた医療法人社団以和貴会いわき病院が行っている精神医療の本質に関わる問題が潜んでいると確信しました。またその問題は日本の精神科医療が課題としている開放医療・開放治療(ノーマライゼーション)の本質にも深く関係していると想定します。

犯人の野津純一には高松地方裁判所で懲役25年の実刑が確定しました。これを受けていわき病院は「野津純一に有罪が確定したということは、心神喪失(=無罪)ではないということであり、それはいわき病院の専門的治療によって統合失調症の症状(=心神喪失)が改善したからに他ならない」として自分勝手で責任回避的な解釈をしています。野津純一はいわき病院の特別室に入院し続けていたかったのですが、当時渡邊朋之病院長から退院を迫られてストレスが高まっていました。また、当日の犯行2時間前の野津純一の精神症状等に関しては、診療録(カルテ)や看護記録に、「主治医である渡邊朋之医師の断薬および治療薬の変更、そのうえ診察拒否によりイライラとムズムズや四肢の振戦などの症状が極限に達していた」という明確な記述があります。野津純一はそれでもいわき病院から許可による外出をして、殺人をすれば世間の注目を引き野津純一に対するいわき病院内の関心も高まると考えて、一直線に近隣の100円ショップに出向いて万能包丁を購入して、現行犯逮捕されないように用心して人目を避けて被害者を物色して、通り魔殺人に及んだものでした。この間の明瞭な記憶も保持しています。犯人の野津純一は重度の統合失調症患者であり、論理は飛躍しておりますが明確な殺意が認められて有罪が確定しました。他方、いわき病院は自らの医療責任をこれまで否定しております。

私たちは、「矢野真木人殺人事件」が発生するに至った被告野津純一に対して行われたいわき病院の精神科医療の本質を、社会の場に明らかにするために社団以和貴会いわき病院を被告として民事裁判を争っています。その上で、裁判の経過を「いわき病院事件」としてロゼッタストーン社のホームページを通して公開してきました。日本の精神科医療の現場はブラックボックスに覆われていて、正確な情報が社会に公開されておりません。私たちは民事裁判を通して社会に情報を明らかにして、その内容を広く共有することで、日本の精神医療が人類社会で評価される水準に達することを願います。


1、被告が提出に半年も要した回答の内容とは…

原告である私たち夫婦は、高松地方裁判所に平成19年10月31日の法廷で「いわき病院医療の問題点」と題した意見陳述書を提出しました。これは、それまで1年4ヶ月に渡り行われた法廷での議論を元にした、原告側の意見を総合的にとりまとめて被告いわき病院と病院長渡邊朋之医師の精神科医療の問題点を指摘したものでした。

原告からの意見提出に対して、被告社団以和貴会代理人弁護士は法廷の場の発言として次回平成20年1月23日の法廷に被告側の意見を提出する事を約束しておりました。ところが、法廷開会の直前になって被告側から高松地方裁判所に延期申請され、裁判は3月3日まで延期されました。更に3月3日の直前になって、被告側から「原告の意見陳述書を代理人弁護士の文書として書き換えるよう」要求があり、3月3日の法廷には再び基本的に同じ内容の原告側の文書が法廷に提出されることになりました。そして平成20年4月23日の法廷に被告以和貴会の文書が提出されることで合意されました。被告いわき病院は原告が包括的な指摘を受けてから6ヶ月も経過してやっとそれに対する回答を法廷に提出するものと考えられていました。

被告以和貴会いわき病院は裁判期日の前日である平成20年4月22日に45ページに及ぶ文書を提出し、本格的な論戦が開始されるものと期待されました。原告は文書提出を受けて、勢い込んで読み始めて、すぐに、がっかりしたというか、大きな落胆を覚えました。提出された文書は、米国精神医学会が作成した精神疾患診断・統計マニュアル(DSM-IV-TR)の一部分を抜粋して単純に複写したものであり、刑事裁判で採用された野津純一に対する精神鑑定は、「統合失調症の症状が継続している被告野津純一に反社会性人格障害を診断しており無理がある」と言うものです。しかしながら「DSM-IV-TRに従うべき」という被告いわき病院の主張は読みとれるものの、精神科医療専門機関としていわき病院が行うべき、事実や根拠に基づいた精神医学的論点はどこにも明示されておりませんでした。

そもそもこの問題は、既に1年前に被告いわき病院が「刑事裁判の精神鑑定は間違いである」と主張していた問題でした。それに対して原告は上記「DSM-IV-TR」および「世界保健機構診断基準(ICD-10)」のそれぞれについて、英語版(原典)と日本語版の両方を入手し、英語原文と日本語訳を綿密に見比べながら、該当箇所を具体的にまた詳細に明示して、「被告いわき病院の意見には妥当性が無い」と指摘してありました。被告いわき病院が同じ問題を蒸し返すのであれば、包括的で一般的な反論ではなくて、原告の意見を踏まえた上での、個別詳細な論点を深めた議論をすべきところでした。ところが、被告いわき病院の反論は、現実に沢山の精神障害者の治療を行っているはずの精神科医療専門機関の反論であるにもかかわらず、精神障害に関する国際診断基準書という教科書の厖大な部分をそのまま複写しただけで、具体性や科学的根拠が微塵も無い意見でした。いわき病院は論点を絞り込むと言うよりは、論点を不明瞭にした(もしかしたら、驚くべき事に、何が論点なのかさえも理解できてないのではないかと疑われる)対応をしたのです。

加えて、被告いわき病院は、原告が指摘した被告いわき病における精神医療の具体的な問題点のいずれにも答えていません。これに関しては4月23日の法廷で被告いわき病院代理人弁護士から「次回平成20年6月23日における公判までに提出する」という確約がありました。ところで、被告いわき病院はこれまでにも「次回には必ず」と言い続けてきて、それでも内容がある回答書が提出されなかった経緯があります。「次回には必ず」が、どの程度内容あるものか興味があります。

いわき病院がこれまでに提出した文書は、具体的な医療に言及している場合には被告野津純一の診療録(カルテ)や看護記録などと一致しなかったり、いわき病院が主張する論理の前後が矛盾していたり、また事実関係の誤認もしくは歪曲が散見されました。更には精神保健福祉法の解釈を間違えた主張はもちろんのこと、仮にいわき病院の主張が正しいならば、いわき病院内で違法性がある活動が行われていたのではないかと疑われる主張までありました。次回の法廷までには、社団以和貴会いわき病院は原告がいわき病院の精神科医療の問題点に関して包括的な指摘をして以後8ヶ月もかけて自らの医療活動に関する弁明書を提出するのですから、これらの問題点を解消した、論理的整合性がある文書が提出されるものと期待しております。


2、被告いわき病院の主張

今回の法廷に被告いわき病院が提出した主張は「統合失調症の症状が継続している被告野津純一に、反社会性人格障害を診断することには無理があった」というものでした。そもそも被告いわき病院は過去に裁判所に提出した文書で、野津純一の病状に関して「統合失調症でない者」と明言しておりました。被告いわき病院は精神科医療機関です。そのいわき病院が提出した文書で「そもそも統合失調症でない者に、統合失調症の症状が継続している」と主張すること自体が精神科医療専門機関の見解として論理矛盾であり、論旨展開に一貫性がありません。このようなめちゃくちゃな論理を精神科医療機関が裁判の場で主張しており、主張にはまるで統合性がありません。

被告いわき病院からの4月22日に提出された答弁文書を読んだときの原告である私たちの感想は「呆れたもんだ…!!」でした。既に、原告が平成19年10月31日と平成20年3月3日に提出した意見書の論理構成が「いわき病院長渡邊朋之医師は、結論として、野津純一の反社会性人格障害については、レトロスペクティブに認めていますね…それで?」だったのです。これに対して、具体性を持たない議論をして、「既に自分でも認めたことを否定するという、理屈にならない屁理屈を蒸し返している」という感想を持ちました。

私たち原告は、被告いわき病院が今回の法廷に提出した文書を見て、「被告いわき病院は法廷を侮辱している」という感想を持ちました。今回のいわき病院側の文書内容は、一般論であって、これまでの法廷で積み上げた議論を踏まえたものではありません。教科書的な一般論は必ずしも現場の事実の積み上げとは一致しません。既に、野津を診察したS医師の鑑定が刑事裁判で確定しており、引き続く民事裁判の場で今更の一般論で議論を蒸し返しても、意味がありません。

被告いわき病院は精神科医療の専門機関です。しかも病院長渡邊朋之医師は日本における社会生活技能訓練(SST)の分野では指導的立場にある、高度な技量を持つはずの専門医師です。その大先生が、きちんと事件の事実関係を正確に踏まえないで裁判に応じている姿勢が伺えて、安易であるとしか言いようがありません。そもそも事件の事実関係を詳細に確認しないでは、正確な共通の認識そのものが成り立ちません。これまでの裁判の過程における議論を振り返ると、被告いわき病院が主張した事実関係はしばしば前後で矛盾しておりました。議論の過程を通して窺われるいわき病院の医療の姿は「必ずしも事実を客観的に評価した適切な判断と行動を行っていない可能性が極めて高い」という日常の医療実践が窺われます。


3、切り崩し?

原告の私たちは今年1月の法廷が直前になって3月に延期された時には非常に驚きました。それでも、この時には被告側が広範囲に渡る指摘をしたので全ての側面に渡る回答文書を作成することに被告いわき病院は手間取っているのだろうと、好意的に考えたものでした。ところが、3月の法廷の直前になって、原告代理人弁護士が裁判所からの要請があったとして、原告側文書の書き換え作業を始めたのを知って非常に驚かされました。そして、1月に法廷が持たれなかった原因者は果たして、被告いわき病院側であったのか、それとも原告側であったのかと混乱させられたのです。すなわち、3月3日の法廷の直後には、裁判期日の延期という事実関係に関して、原告は原告代理人の事務を疑うまでの疑心暗鬼の状況が発生していました。

実は、原告の私たちは4月22日に被告いわき病院からの文書が提出されるまでは、疑心暗鬼の心情を継続していました。ところが半年もの作成期間を要した後でやっと提出された被告いわき病院の文書を見て、原告の私たちは「なんだ…、そもそも、回答できないので無茶な抵抗をし始めたのか」という悟りを持ったのです。つまり、4月22日に提出した程度の内容の回答文書であれば、原告であれば1日もあれば簡単に作成できる程度の作業であるからです。被告いわき病院は半年に渡る期間において、原告の指摘事項に対して真面目に対応していなかったことは明白でした。どうも、被告いわき病院は真っ当な、正面の議論をするという対応ではなくて、裏技を含めた非道な対応をしているような疑いがあると、理解したのです。

どうやら、原告の私たちはその真面目さの裏をかかれて、切り崩し作戦に晒されていたようです。裁判期日直前の予定変更や突然の作業要請を受けて、異例の連続に惑わされていました。被告いわき病院は切羽詰まった時期を狙い、原告側の関係者間の相互信頼を切り崩す狙いがあった可能性が極めて高いと推察します。裁判という戦いの場は、必ずしも紳士的かつ理性的な手法に基づかないと考えて、今後も対処してゆく必要があるようです。


4、展望

次回の裁判は6月23日に行われますが、裁判が開始されて1年10ヶ月が経過して初めて被告代理人弁護士が法廷に出席すると言っています。しかし、それでも公開の裁判ではありません。公判前の整理手続きが継続しているのです。

私たちは矢野真木人が殺害された直後に日本全国を回って、仕事を受けてくれる代理人弁護士を捜しました。その時に多くの弁護士から「医療裁判は、相手側が法廷に出てこないので、のれんに腕押しで、面白くない」と言われて、断られ続けました。私たちが提訴した現在進行形の裁判では、被告いわき病院側からはこれまで法廷に弁護士である被告代理人を含めて誰も姿を見せていません。代理人は電話で出席しただけです。私たち原告は相手側の姿が見えない電話会議に毎回はるばる高知から高松まで出向いて2年近くつき合わされました。

民事裁判は原告がイライラしたり、腐ったりしたら、それでお終いであると悟りました。そもそも被告側は自分の責任を認めたくないのです。また具体的な議論に入りたくないのです。個別具体的な証拠に基づく議論をすれば、自分自身の不作為や不法行為が世の中に明らかにされる可能性を怖れているのです。このため、基本的な戦略は、抽象的な議論に終始させて、その間に原告側の意欲や体制が崩壊することを願い、裁判そのものが無くなることを期待しているのです。

私たちは、個別具体的な議論が進展するように拘り続けるでしょう。被告いわき病院はこれまでずっと具体的な議論から逃げ回って、自らの医療内容の正当性について真摯に検討せず、原告に指摘された自分自身が行った精神科医療の問題点に向き合うことがありませんでした。しかし、逃げ得は許されません。私たちは必ず、いわき病院が行っていた精神科医療の問題点を社会の前に明らかにします。そして、裁判という手続きを通して、責任を明確にしてゆきます。これは日本の精神科医療を改善する上で、避けては通れない課題であると確信しています。

被告いわき病院は、原告の私たちが野津純一の精神科医療に関して、過去20年以上に渡る様々な医療機関における診療録(カルテ)という証拠を既に取得した上で議論を展開している事実を改めて認識するべきです。これまでの医療過誤裁判ではほとんどの場合、原告は診療録という証拠を取得することも不可能なままで、証言者を求めて裁判を行っておりました。しかし私たちは被告いわき病院の主張を覆すだけの数多くの証拠や事実関係をこれまでも各種証拠資料から発掘すると同時に、原告は学術専門的な医薬文献を根拠にした議論を展開してきました。被告いわき病院は精神科医療専門機関として医学的事実に基づいた議論をする必要があります。

被告いわき病院長渡邊朋之医師は、これまで原告の具体的な指摘に対しては、医師としての権威を振りかざして「(素人である原告の)異説である」との抽象的な反論をしてきた経緯があります。具体的な引用場所を明示せずに、教科書全てを複写して、「どうだ、教科書に書いてあるとおり、俺が正しいだろう、まいったか」と言っているようなものです。原告としては、「一体あなたは、責任ある医療専門家として、それで、何を言いたいのですか?」と疑わざるを得ません。それにしても、現在まで法廷で行われた議論を見ると、専門家が素人の指摘から逃げまどい、答えられなくなっています。日本の精神医療とはこのような水準なのでしょうか。驚かざるを得ません。

民事裁判は私的な金銭の戦いであり、社会的公共性はないと考える風潮があります。このため、私たち原告が、医療という公共性を持った病院である医療法人社団以和貴会いわき病院を「提訴すること自体が批判されるべきである」という意見もあります。「日本では精神科病院は必要な施設であり、その精神科病院を訴えることそのものが間違っている。仮にいわき病院の医療に改善するべきところがあったとしても、それは精神医学会や精神病院協会の活動として自浄作用で改善されるべきである。このため原告には相応の責任が伴い、ケンカ両成敗で、原告の行動は非難されなければならない。」という飛躍した論理です。私たちはこのような圧力に耐えて裁判を続行しています。私たちが裁判を通して社会に問いかけている課題は「日本の精神科医療は本当に人間を人間として取り扱い、人間としての回復を目指しているのですか?」という質問です。

矢野真木人は「結果として、日本の精神医療の改革の礎になるのであれば、それも私の人生であった」と納得してくれるのかもしれません。



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