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いわき病院の過失と相当因果関係


平成22年2月2日
矢野啓司
矢野千恵

過失と事情および相当因果関係

民事法廷で、単に相手の行状が悪かったとか間違いだった、また道義的責任だ等と主張してもそれは「事情」であるとして賠償義務を科す「過失」責任を問うことはできません。責任を問う相手の行為に結果を予見できる不注意や錯誤があり、しかもその予見できる結果が発生した事件事実と密接に「相当因果関係」で結びつけられていなければなりません。民事裁判で裁定を下すのは裁判官です。その裁判官が問題や論点を理解して、確信を持って過失責任があると判断する論理と証拠を原告は提出しなければなりません。

日本国語大辞典(小学館)によれば、「過失」は「注意すれば当然結果の発生を予見し、あるいは一定の事実に気付くはずであるのに、不注意によってこれを認識しないこと」であり、結果を予見したり注意する意思や認識が関与します。また「事情」は、「物事が、今どうなっているか、また、どう変わってきたかというような細かい状態や理由。ことのありさま。ことの次第」であり、責任を問うまでには至りません。更に「相当因果関係」は「債務不履行や不法行為に対する損害賠償の範囲を定めるについて、その行為が原因となって生じた結果の全てを賠償させるのでなく、社会通念上相当と認められる限度で原因結果の因果関係を認め、その範囲で損害賠償を是認しようとするもの。結果の全てを原因に結びつけて考える自然的な因果関係に対していう」と定義されており、過失責任を問う限界に関連します。更に広辞苑(岩波)では「法律で因果関係が問題となる場合に、相当と認められる範囲に限定された因果関係。不法行為による損害賠償の範囲、犯罪行為の結果を問題とする刑事責任の範囲などに関して主張される。」と定義され限定的です。



1、構造的過失


1)、木造寺院の建立と屋根の崩落

寺院などの木造建築を建立する場合を想定してください。最初に基礎工事をしてしっかりした土台を造成します。その土台の上に柱を立てて骨格となる構造を作ります。そして床や壁を造築して居住性を向上します。また、柱の上には梁を組み、その上に屋根を乗せます。建築物には全てが完全で調和がとれた作品から、手抜き工事があり中味は不具合が多い危険な建築物だけれど、外見上は一見立派に見える建物まであります。

手抜き工事で建物の屋根が崩壊した場合には、その責任を検証する範囲は屋根を直接支える梁の部分の造作だけに限定されるのでしょうか。壁がなくてもすぐには屋根は落ちませんが、雨風が吹き込んで建物は急速に朽ちます。柱は一本や二本程度折れたとしても、屋根がすぐに落ちたりしません。また土台部分も一部分が崩れた程度では、直ちに屋根は落ちません。それでは大工の棟梁が土台の一部で手抜き工事をしていてもその部分の過失責任は無いと言えるでしょうか。見えないところで柱の本数を減らしたり、小さな木材で代用していた場合はどうでしょうか。また壁や床の造作がいい加減でも、壁や床だけでは屋根はすぐには落ちません。屋根が落ちた場合には、直接屋根を支える梁の造作だけを調べて、責任を問うべきでしょうか。他の部分の手抜きや不作為は過失を追求する要素としては関係ないのでしょうか。


2)、いわき病院の過失の構造

いわき病院(医療法人社団以和貴会)の入院患者である野津純一(懲役25年確定・現在服役中)が見ず知らずの通行人矢野真木人を通り魔殺人するまでの過失責任を追及する論理は以下の通りです。

「基本的な診断の間違い」→「精神薬理学的な錯誤と不作為」
→「患者の診察と看護・観察義務違反および単独外出」→「野津純一の犯行」

いわき病院の過失を構成する論理には二本の柱があります。一本は、統合失調症とパーキンソン症候群の診断間違いと薬事処方の変更と効果判定をしなかった過失です。他方の柱は、反社会的人格障害の診断と根性焼きの瘢痕を見逃して付添のない自由な外出管理をさせた過失です。二つの柱は、主治医の診察拒否で一本化して、野津純一の「誰でも良いから人を殺す」という意思になり、偶々であった矢野真木人を刺殺した不幸に至りました。


3)、いわき病院が犯した過誤と不作為


(1)、診断間違い
  いわき病院の入院診療録には平成17年2月25日に「アカシジアにしてはCPK値が低い」。8月15日には傷病名記録にコンピュータで打ち出した疾病名の下に渡邊医師の筆跡で「パーキンソン病」と加筆され、事件直前の12月3日の記載では「患者 ムズムズ訴えが強い 心気的訴えも考えられる」と記載されています。精神保健指定医の渡邊医師はCPKで誤診をし、パーキンソン病と診断した患者のムズムズを心気的と判断していたのです。これらは精神医学的には、明白な錯誤であり互いに相矛盾する記載です。

  いわき病院長の渡邊医師は野津純一の診察で「統合失調症を診断できず」「反社会的人格障害を診断せず」また「イライラやムズムズ、そして手足の振るえ(アカシジアとジスキネジア)は心気的である」と診断間違いをしました。いわき病院はアカシジアをCPK(クレアチン・フォスフォ・キナゼ)値で診断をしましたが、これは基本的な間違いです。一つ一つの診断間違いは、土台の造成工事の過失です。いわき病院の渡邊医師は野津純一の診断の主要3項目で診断間違いをしておりました。

(2)、因果関係の成立
  いわき病院は治療方針で精神薬理学的な数々の間違いを犯しました。これは建物では柱等の骨組みの過失に等しいことです。統合失調症の野津純一に抗精神病薬を中断しましたが、再発の危険性と隣り合わせであり、過去にも過失を認定した判例があります。野津純一は一生涯抗精神病薬を飲み続けることで初めて、病気の軽減や寛解を維持する可能性や社会生活に復帰できる可能性がありました。いわき病院は統合失調症で反社会性人格障害の野津純一に抗不安薬のレキソタンを過剰に投薬しましたが、刺激興奮・攻撃性(奇異反応)を発現する可能性を全く考慮してませんでした。またいわき病院は野津純一のアカシジアは心気的だとして、治療薬のアキネトンに代えて薬効が全くない生理食塩水を注射しました。イライラやムズムズで悲鳴を上げて、手足の振るえに悩む野津純一を見ても、「退院して1人で生活するには注射を打てないから」と放置しました。これらのそれぞれの間違いは個々の診療では過失であるとしても、「矢野真木人殺人に至る過失ではない」と言えるのでしょうか。抗精神病薬の中断、レキソタンの過剰投与および薬効がない生理食塩水の筋肉注射は「法廷の議論と判断では、矢野真木人殺人事件の主要素と判定するには因果関係が遠すぎる」と言えるのでしょうか。

(3)、原因と結果を結ぶ病院機能
  犯人の野津純一はいわき病院のアネックス病棟に入院しておりました。このアネックス病棟は隣接する中央棟の三階にある第2病棟の一部として運営されていました。第2病棟では主に老人性痴呆患者が入院治療を受けていました。アネックス病棟にはナースステーション設備はありますが、常駐の看護師は誰もいません。またいわき病院が公表している資料によればアネックス病棟は児童思春期心のケア病棟です。犯行時点で36才だった野津純一は痴呆老人でもまた未成年者でもありません。いわき病院では入院患者の症状と病棟の機能が一致していませんでした。そのような中で薬の処方変更の効果判定をしませんでした。野津純一が顔面の左頬につくった火傷傷の根性焼きを発見できませんでした。野津純一の外出は社会復帰訓練の一環でしたが、いわき病院長渡邊医師は警察の供述書で「野津純一には効果がなかった」と証言していました。そのいわき病院では任意入院患者であればエレベータの暗証番号が教えられており、誰でも自由に出入りできて、入院患者の所在が把握できないシステムで運営されていました。患者の診断と病棟の機能と目的が違っていました。一つ一つの項目は殺人事件の過失ではない「事情」と結論づけられるのでしょうか。組織的またシステムの問題としての過失責任は問えないのでしょうか。

(4)、渡邊医師の診察拒否
  いわき病院長は犯行当日の12月6日の朝10時に、病棟看護師から野津純一の緊急診察の要請を受けましたが、主治医の渡邊医師は「前回は自ら診察していない」にもかかわらず、「喉の痛みは『前回診察時と同じ症状』であった」と看護師の言葉だけから患者の状態を決めつけて、自分が受け持ちしている患者である野津純一の「診察をしない決定」をしました。これは医師法(第19条 診療義務 および 第20条 無診療医療の禁止)違反です。この時、診察拒否されて野津純一が「先生にあえんのやけど、もう前から言ってるんやけど、咽の痛みと頭痛が続いとんや」と嘆いた声が看護記録に残されています。

  私たちは平成22年1月25日に野津純一が収監されている医療刑務所を訪問して民事裁判手続で証人喚問をする機会がありました。野津純一の証言には呂律が回らないところがありましたが、全ての質問を理解して全ての質問に答えました。このとき野津純一は「殺人した12月6日以前の10日間は渡邊先生他からは診察を受けていない」と証言しました。私たちは「それは間違いでしょう、いわき病院の診療録では11月30日と12月3日にあなたは渡邊医師から診察を受けたことになっています」と指摘しましたが、それでも野津純一は「診察は受けていません」と明確に主張しました。実は12月3日の診療録の記録には「退院して1人で生活には」とあり、渡邊医師が「当面退院させる予定ではなかった」と法廷で主張したことを否定したなど疑問が多いものです。渡邊医師は夜7時から診察したと主張しますが、夜遅くの診察は常習化していたと思われます。患者は夜には睡眠剤を飲まされるのが常で、そのような状態で患者の正確な診察が可能であるか甚だ疑わしいところがあります。

  野津純一は12月6日に診察拒否をされた2時間後の12時頃にいわき病院から許可による外出をして、午後0時24分頃に矢野真木人を通り魔殺人しました。看護師からの緊急連絡があっても、当日の異常状態にある患者の診察をいわき病院の医師が誰も診察せず、自由放任で単独外出を行わせました。これは屋根を支える梁を作らなかったか、梁が破壊されたまま修繕しないことと同じです。その日の野津純一は「誰か人を殺す」と決意して外出して「出会った人間が、成人男性であれば無差別で殺す」という意思を持って、通り魔殺人をしました。いわき病院は「野津純一が矢野真木人を刺殺することまでは予測できない」と屁理屈をこねました。屋根の崩壊を見て、あれは俺の責任ではないと無責任論を主張する大工の棟梁の主張は正しいでしょうか。

(5)、事情という弁明
  いわき病院は「全ては事情であり、過失責任は問われない」という論理です。「看護師が患者の緊急事態を連絡しても、患者を診察しないという決断をした意思」と、「任意入院した患者には自傷他害の可能性を診断しないという意思」がありました。それが精神保健福祉法の下で運営される精神科病院と精神保険指定医の実態です。いわき病院は「野津純一の反社会的人格障害は殺人事件を犯したことで初めて解った結果論だ」と主張します。いわき病院は統合失調症とアカシジア・ジスキネジアの診断を間違えていました。診断の間違いは医師の不作為です。統合失調症薬を中断するとともにイライラと手足の振戦に対して抗不安薬を過大に投薬して、反社会性人格障害の野津純一の自傷他害行為の可能性を増悪(ぞうあく)しました。その上で驚くべきは、野津純一の顔面の左頬に沢山あった「根性焼き」という重大な自傷行為の瘢痕に気づかなかったのです。


2、相当因果関係の構造


1)、裁判の社会効果

本件殺人事件では過誤と過失の全貌を解明した上で相当因果関係が認定されなければなりません。そうでなければ、矢野真木人の人命損耗を契機として、野津純一がいわき病院内で放置されていた過誤に満ちた精神医療の本質を解明して、社会の公共性に即していわき病院で行われていた精神科医療の課題を明らかにするという社会効果は発生しません。本件裁判では、野津純一に対する精神医療の過誤と過失を構造的かつ体系的に解明することで、いわき病院および渡邊医師の矢野真木人殺害事件に対する過失責任が明確になるとともに、日本における精神障害者の社会参加の方途がより着実で確実なものとして発展することに繋がる基盤となる事実を確立することが期待されます。


2)、常習的な診察拒否

渡邊医師は平成17年10月には2回も野津純一からの診察希望を無視して、前回の診察から8日後に診察していました。野津は純一は10月11日に院長先生との面談予約を入れて、3日待たされてやっと14日に受診しましたが、これは10月6日だった前回診察から8日後でした。また10月24日にも野津純一は面談希望を出し、これが速やかにかなえられず2日後の26日にも再び院長との面談希望を出しました。渡邊医師の診察は10月27日に行われましたが、希望提出から3日後で前回診察から8日後でした。入院患者である野津純一が主治医の渡邊医師に診察希望を提出しても、渡邊医師はすぐに対応せず、3日間程度放置することが通常でした。

渡邊医師は抗不安薬のレキソタンを過剰に投与しましたが攻撃性(奇異反応)の副作用が発現する可能性を予見していません。統合失調症の患者に抗精神病薬を中断しました。薬効がない生理食塩水をアキネトンに代えて筋肉注射していました。このような状況で、患者からの看護師を通した緊急の診察要請を拒否しました。主治医として診察拒否をできる患者の状況ではありませんでした。犯行当日に渡邊医師が野津純一を診察していればイライラ感は消失し、落ち着きを取り戻したであろう事は容易に推察できます。少なくとも野津純一が「院長先生に診てもらった」という満足感を得られていたでしょう。そして矢野真木人が野津純一に殺害されることは未然に防ぐことが可能だったと考えることができます。このため、犯行当日の診察拒否と、単独外出許可は論理的に最も相当因果関係が高いいわき病院と渡邊医師の過失です。


3)、過失の発展的な相互関連性

いわき病院と渡邊医師の過失と矢野真木人殺人事件の相当因果関係は犯行当日だけに限定されません。過失から事件が発生するまでには「原因→診察と診断→対処」という精神医療提供者が持つべき行動原理があります。いわき病院と渡邊医師は診断間違いを犯し、その上で精神薬理学的な対応に錯誤がありました。そもそも、正確な診断をせず、また誤った投薬を行い、適切な看護を行うことができなければ、入院患者の病気が軽減や寛解をすることを期待できません。ここに、重大な過失の相互連関作用があり、矢野真木人殺人に至る相当因果関係の論理を構築します。

野津純一が矢野真木人殺害に至った、いわき病院と主治医渡邊朋之医師の過失責任に関係する相当因果関係の解明に当たっては、論理の階層性および論理構造を見極める必要があります。直接矢野真木人殺害行為を行ったのは野津純一ですが、野津純一が犯行を決意して実行するまでには、段階的にまた連鎖反応的に拡大したいわき病院および渡邊医師の精神医療過誤と過失に密接に因果関係が連関する相互作用がありました。


4)、渡邊医師の不作為

いわき病院と渡邊医師は、野津純一の毎日の状況を正確に把握しておりませんでした。患者の正確な状態を把握すること無しに精神障害者の治療を行うことは無責任の極みです。悔やまれるのは「渡邊医師が本件犯行当日の午前中に野津純一を診察さえしていたならば、殺人を犯すまでに至る可能性があった、野津純一の攻撃性の徴候を医師として察知して事前に回避可能であったと考えられることです。診察の結果、当日の単独外出を禁止し、あるいは誰か付き添うように指示することは可能だし、そうするべきでした」そのような状況が放置されていました。犯行は、野津純一に対する外出許可(同日午後0時頃)の約20分後の出来事でした。渡邊医師といわき病院が野津純一を正確に診断し、適切な投薬を行い、適正な看護を行い、毎日の野津純一の状況を把握し、その上で渡邊医師が当日に診察して、当日の単独外出許可の内容を変更しておれば、殺人事件の発生は抑制されたのです。


5)、過失の因果関係

いわき病院と渡邊医師が過失を犯した相当因果関係の構造は次の通りです。これらの要因は相互に密接な関連を有します。(詳細は「(参考) いわき病院の過失の説明」に記載。)

A.野津純一を誤診した
  (1)、  統合失調症を診断できなかった
  (2)、  反社会的人格障害を診断しなかった
  (3)-1、 アカシジアとジスキネジアを心気的なものと誤診した

B.精神薬理学的な過誤があった
  (3)-2、 CPK値によりアカシジアを診断した
  (4)、  抗精神病薬(プロピタン)を中断した
  (5)、  レキソタンを過剰投与した
  (6)、  アキネトンに代えて生理食塩水を筋肉注射した

C.患者の診察と観察・看護義務等に関する違反
  (7)、  病棟の機能を無視した入院患者の処遇
  (8)、  処方変更の効果判定をしなかった
  (9)、  野津純一の左頬の根性焼きを見逃した
  (10)、  効果がない社会復帰訓練と知りながら単独の外出を漫然と継続した
  (11)、  患者管理上の過失
  (12)、  「措置入院それとも開放病棟で自由放任」という極論で病院運営をした

D.野津純一の他害行為の可能性を無視した過失
  (13)、  本件犯行当日に野津純一に診察拒否をした
  (14)、  本件犯行日に野津純一を単独外出許可した


3、民事裁判で相当因果関係が認定される前提


1)、裁判官の認識と判断

民事裁判で過失責任を問う裁判の判決には相当因果関係の判断が大きく左右します。そして裁判の判決は法曹専門家である裁判官の判断に基づきます。このことは、「原告が精神医学的な根拠に基づいて相当因果関係がある論理と証拠であると考えた」としても、「(医学的知識に基づいて判断するには限界がある可能性がある、法律の専門家である)裁判官は過失責任の判断の根拠としては必然性が低いと考えて判決する」可能性がある問題です。そして、民事紛争の責任論を判断する法的権限者は裁判官です。裁判官の判断が法治社会を運営する上の基準となることは社会の基本原理です。

精神科医療ではそもそも客観的な医療データは限定されており、主治医の診断を基本にした医療技術です。このため、原告が精神医学的な論点を構築しても「主治医としてそうのような診断はしなかった」と言われてしまえば裁判官の判断を左右するところまで到達しない道理となります。更に「原告が精神医学的な論点を詰めた」と考えていても、その論理を裁判官が理解するところまで裁判官の知識が到達していなければ、もしくは原告による過失を指摘する論理が裁判官が判断するに足りるレベルにまで正確にかみ砕かれていなければ、やはり裁判官が相当因果関係を認めて過失と判断するまでには至りません。


2)、精神医療の常識の限界


(1)、専門家の常識の壁
  私たちは法曹関係者、精神科医師および犯罪被害者支援専門家達からよく質問されます。

犯人に懲役25年の判決が確定したのであれば、「犯人はそもそも精神障害者ではない」と刑事裁判で裁判官が判定したことになります。従って、「精神障害者でない人間の行為にまで精神科病院に責任を負わせる」という訴えがそもそもの間違いであり、あなたがたは社会の良識に外れた無茶な要求をしているのではありませんか。
  この論理は、「精神障害者ではない、もしくは寛解状態にある人間の、自由意識による行為にまでは精神科病院は責任を持たないし、責任を問われることがない。」という常識から出発します。実は、私たちは矢野真木人が殺害された直後からこの論理に悩まされてきました。事件直後には「犯人に責任を問うべきか」それとも「病院の責任を問うべきか」という二者択一の論理に苦しみました。その中で到達した論理は、「裁判手続の中では、犯人の刑事責任を確定しなければ、病院の責任も問うことができない」という論理転換です。

  そもそも矢野真木人を通り魔殺人した犯人が心神喪失で罪を問われなければ、法的責任を問える犯罪事実は成立しません。矢野真木人が殺害されたという社会的事実だけでは、警察の捜査資料や病院の診療記録などは被害者遺族であっても私たちにはアクセス不能となります。そこには「無罪の人間の個人情報」という壁がそそり立ちます。まず犯人野津純一の有罪が確定して始めて、私たちが原告として犯人を治療していた精神科病院の責任を問うことが可能となったのです。

  私たち夫婦は、犯人の野津純一に刑事罰を確定した上で、いわき病院の過失責任を追及して、その責任を明確にして、「社会には既存の常識が通用しない事態が発生する場合がある」という認識の変革を迫る目的意識です。「堅固と見える常識にも欠陥部分がある」というのが私たちの見解です。

(2)、被害者遺族と加害者家族の協力関係
  私たちが民事裁判を提訴していわき病院関連の資料を入手して分析解析して解ったことは、いわき病院の野津純一に対する治療には錯誤や怠慢があったという事実です。仮に野津純一が心神喪失で罪に問われなかったとしたら尚更のこととして解明されなければならない社会的な課題がありました。精神障害者の問題としても裁判に意味があり、「いわき病院の医療には患者の立場から見ても正されるべき課題がある」という認識に賛同して、犯人の野津純一の両親も原告として私たちが提訴した訴訟に参加しました。


3)、精神医学の過失こそ相当因果関係が発生した原因


(1)、判例はあります
  法廷論理の展開としては、判例がある事項に関しては、それを最大限の攻撃根拠とするべきです。「抗精神病薬(プロピタン)を中断した過失」に関しては、裁判官も過去の判例がある事項であり、判断を求められた場合に回避することはできません。私たち主張していることは「過失原因を認定した判例がある、抗精神病薬の中断」を踏まえた上での議論です。これは、いわき病院にとっては決定的に不利な立場です。またいわき病院も既に「11月23日から中断した」とこれまでの裁判文書で確認しました。「抗精神病薬の中断」と「処方変更後の診察拒否」は精神医学の専門家も「過失」と認める決定的な事実です。

(2)、精神薬理学的な過失
  渡邊朋之医師は、そもそも「アカシジアをCPKで診断した」間違いがありました。野津純一の手足の振戦やイライラやムズムズなどの症状は、皮質ー線条体ー視床下部の運動プログラム回路の異常で発生するパーキンソン症状で、いわき病院及びその前の医療機関で長期間投与された抗精神病薬の副作用によるドーパミン受容体の遮断等による情報伝達系が動的に阻害された「パーキンソン症候群」であると考えるのが妥当です。ところが渡邊医師は8月15日に、黒質のドーパミン神経細胞の変性や脱失などの脳の器質の変異に基づくと考えられる「パーキンソン病」と診断し、事件直前の12月3日には「心気的訴えも考えられるためムズムズ時…」とパーキンソン病の診断とは矛盾する記述をしました。

  渡邊医師は「パーキンソン症候群」の診断を「パーキンソン病」さもなくば「心気的」と考え、パーキンソン病の薬であってパーキンソン症候群の治療薬ではないドプスを大量投与して効かなかったので抗精神病薬(プロピタン)を中断し、アキネトンを薬効のない生理食塩水に代えました。抗精神病薬による振戦には、抗精神病薬の投与を継続しつつ、アセチルコリン(ムスカリン)遮断薬(アキネトンやアーテン)の投与が勧められ、ドプスはパーキンソン病のアキネジアの治療薬であり投与する合理性がありません。渡邊医師は統合失調症とアカシジアの診断と精神薬理学的な処方で間違えたという過失を犯しました。

(3)、有資格者の行為
  法廷の判決は裁判官という司法試験に合格した上で、法律に基づいて日本国の国家機関事務の執行責任を与えられた裁判官という有資格者が行う行為です。同じように、医療行為も優れて法律に基づいた有資格者が行うことが大前提です。この意味で、「薬処方変更の無資格者による効果判定」と「処方変更後の診察拒否」は明確な違反です。

(4)、相当因果関係の認定
  矢野真木人の殺害に直接つながる可能性が極めて高いいわき病院の過失は「異変発症患者の単独外出」です。このことに関しては既に岩手県のH病院の入院患者が横浜で殺人事件を犯した事に関して精神科病院に責任を認めた判例があります。しかしいわき病院は「統合失調症と診断するのは間違い」、「反社会性人格障害と診断する必然性はない」また「任意入院患者であれば自傷他害の可能性はない」および「(医師自ら患者の状況を観察していないにもかかわらず)異変を発症していない患者の外出である」等と論理を展開しました。私たちはいわき病院が犯した明白な精神医療技術上の過誤を指摘してきました。その上で、いわき病院には矢野真木人が殺害されたことに関して、論理的に相当因果関係が成立しており、そこには過失責任があると指摘します。

(5)、民事裁判の本来の目的
  私どもは刑事裁判の意見陳述で「矢野真木人の社会貢献」と言う言葉を使いました。この民事裁判は「矢野真木人が命を失った事による、命の代償としての社会貢献の道である」と考えます。その社会貢献とは「日本の精神医療のあり方の改善に寄与すること」です。それは「矢野真木人が命を奪われたから悔しい、復讐したい」ではありません。矢野真木人は「生存権(生きたい!)」という人権の中で最も重要な権利を奪われました。その上で、日本で、精神障害者と健常者に普遍する人権の現実的な運営が確立する事を願っています。日本の精神科医療が健全に発展して、精神障害者の社会参加の道が改善されるために、その過程の中に矢野真木人の犠牲があったとするならば、それも本望であるという願いです。


(参考) いわき病院の過失の説明

以下に、いわき病院の過失責任に至る論理を項目別に詳解する。

1、統合失調症を的確に診断できなかった過失

野津純一の統合失調症への罹患は20年以上の長期に及び、症状は再燃を繰り返していた。いわき病院の傷病名記録では平成16年9月22日付で統合失調症と記載されている。ところが平成17年2月14日に野津純一の主治医を交代した渡邊医師は、統合失調症を適正に診断せず、本件裁判の初期段階では「精神障害ではない者の犯行」とまで主張した。これは統合失調症ではない者と同義である。さらには「反社会性人格障害と統合失調症は二重診断できない」と主張していた。

裁判が提訴されてから2年を経過した後に「野津純一は統合失調症」と確定証言をしたが、その後でも、頻繁にあたかも寛解状態にあったかのごとく主張を展開した。この統合失調症の診断を適切に行えなかったことに、渡邊医師が具体的症状に適切な対処ができない治療を行い、統合失調症薬の中断に至る原因となった過失がある。


2、反社会的人格障害を診断できなかった過失


(1) いわき病院は平成16年9月21日と22日の入院前父母面談により野津純一が統合失調症と診断し、反社会的暴力行為の実際と人格障害(+)について知っていた。野津純一の精神鑑定の結果によれば「鑑定時及び本件犯行時の精神状態は、意識は清明、時間、場所などに対する見当識は良、知能もIQ76で正常人並である、しかし、慢性鑑定不能型統合失調症及び反社会的人格障害のために、幻聴、思考の平坦化及び貧困化、連合弛緩、感情鈍麻などの症状があり、人格崩壊に傾いている、小児的、自己中心的で人間らしい情緒や周囲への気配りなどは全くない」とされている。野津純一の入院処遇においては「野津純一の反社会的人格障害を前提とした綿密な評価と対応を考慮するべきであり、野津純一の行動異変に最大の注意を払う義務があった」にもかかわらず、いわき病院は、野津純一が殺人を犯した後に、その事に関して全てを結果論としてのみ捉えており、診断(治療)上の過失がある。

(2) 野津純一は、平成16年10月から平成17年11月までいわき病院内で歯科治療を受けているが、いわき病院内で暴力行動を頻繁に繰り返したことを主治医である渡邊医師が正確に把握できなかったことは過失である。いわき病院は「野津純一は、入院時にO看護師を襲うことがあり、時に歯科で暴力的になる可能性があるため」と記述しており反社会的人格を承知していたことになる。いわき病院と渡邊医師の事実認識の違いはいわき病院と渡邊医師の責任を免除する理由とはならない。渡邊医師は統合失調症と反社会的人格障害は二重診断できないと診断技術論を持ち出すが、野津純一に暴力的な可能性があることは、承知していた。更に、渡邊医師は「反社会的人格障害は平成17年12月6日まで診断出来るものではなかった」と主張するが、これは論理として「統合失調症と反社会的人格障害の二重診断は可能である」と認めており、主張に矛盾がある。

(3) 野津純一の主治医であった渡邊医師の野津純一に対する診察は1週間に1回程度しか行われていない。渡邊医師の院内回診は午後10時ころに始まるのが通例で、時には真夜中の午前2時に回診することもあった。このような診察で患者の病状が適切に把握されたとは考えられない。いわき病院においては、平成16年10月から1年以上野津純一の治療をしてきているが、野津純一の病状は改善していない。これらの事実は、いわき病院の治療の不適切さを証明する。


3、アカシジアの診断をCPK値で行った過失

渡邊医師は平成17年2月21日に野津純一のCPK(クレアチン・ホスホ・キナーゼ)検査を実行した。23日にはS医師が「足がムズムズしてじっとしていられないアカシジア(+)」と診断していたが、25日にいわき病院長の渡邊医師は「アカシジアにしてはCPK値が低い」として「アカシジアは心気的なもの」と訂正診断した。CPK値をアカシジア(および遅発性ジスキネジア、また野津純一の言葉と状態に関して看護記録にある手足の振戦、ムズムズやイライラ)の診断指標とすることは医学的に基本的な間違いである。渡邊医師は平成17年8月15日にはパーキンソン病と診断したが、それでも平成17年12月3日まで野津純一のムズムズや手足の振戦を「心気的」と繰り返し記述しており、自らの医学知識の錯誤に基づく診断間違いを訂正することがなかった。このCPKを診断の根拠とした診断間違いは、引き続く抗精神病薬の中断、レキソタンの大量連続投与、およびプラセボとしての生理食塩水の筋肉注射等の相互に関連する重大な薬事処方の過誤を引き起こした原因であり、重大な過失である。


4、統合失調症患者の抗精神病薬(プロピタン)を中止した過失

渡邊医師は、「本件犯行から2週間前の平成17年11月23日より、病歴20年余の慢性統合失調症患者である野津純一の処方から抗精神病薬(プロピタン)の投薬を中止した」と主張した。統合失調症の患者に対しては、抗精神病薬の投薬を急激に中止してはならないということは精神科医であれば常識であり、渡邊医師が野津純一に対する抗精神病薬の投与を中止したことは重大な過失である。

渡邊医師は抗精神病薬を中断しても良い理由として、錐体外路症状やジスキネジアの改善を主張するが、平成17年12月3日の診療録には「ムズムズは心気的も考えられる」としており、根拠が混乱している。統合失調症を正確に診断せず、アカシジアとジスキネジアも正確に診断せずに、抗精神病薬を中断したことは重大な錯誤であり、過失である。

渡邊医師が野津純一に対して抗精神病薬(プロピタン)を中止した時期に関しては「事件発生の1カ月以上前から抗精神病薬を中止していた」といういわき病院の内部情報がある。これに関しては平成17年10月27日の診療録に、渡邊医師の記載で「方針 ドプスを増やしてプロピタンを変更する」とあり、上述の内部情報と時期的にも内容的にも整合性がある。いわき病院は抗精神病薬(プロピタン)の中断は11月23日からと主張するが、診療録が改竄されている可能性が指摘できる。


5、レキソタン(ベンゾジアゼピン系抗不安薬)を大量連続投与した過失

渡邊医師は、平成17年11月30日より、野津純一の重度強迫性障害の治療のためとして、統合失調症等の精神障害者に使うと本来の目的とは逆の作用をして刺激興奮・攻撃性(奇異反応)を発現する危険性があるベンゾジアゼピン系抗不安薬のレキソタンを最大常用量の2倍に当たる一日当たり6錠(30ミリグラム)に増量して連日大量投与したが、刺激興奮・攻撃性(奇異反応)が発現する可能性を予見せずまた看護師にも主要チェック項目として注意喚起せず状況把握もしていない、これは重大な過失である。


6、アキネトンに代えて生理食塩水を筋肉注射した過失

渡邊医師は平成17年11月22日の診察で「ムズムズのうったえがあり、一度生食でプラシーボ効果試す」と患者の同意無しに処方変更を行った。実際に生理食塩水の筋肉注射が行われたのは12月1日からであり、それ以降野津純一のイライラ(アカシジア)は亢進した。一時的に野津純一が生食の効果があったかのような発言をした事実(12月2日12時)はあるが、その直後(12月2日15時30分)には、野津純一はイライラに耐えられなくなり、イライラ解消の与薬を求めていた。渡邊医師が診察したとされる12月3日には野津純一は頻繁にアキネトンの筋注とイライラ薬の与薬を求め、また12月4日には本当にアキネトンを筋注されているかまで疑っていた。そもそも渡邊医師はアカシジアを心気的と誤診していたが、薬効がない生理食塩水をうち続けたことで過失に過失を重ねたことになる。


7、病棟の機能を無視した入院患者処遇

事件当時のいわき病院のホームページによればいわき病院のアネックス棟3階は「児童思春期心のケア病棟」と記述されている。また本館側では3階は「ストレスケア病棟」で、2階が「老人性痴呆疾患治療病棟」となっている。被告野津は「児童思春期心のケア病棟」の個室に入院し、第二病棟は「ストレスケア病棟」であり「老人性痴呆疾患治療病棟」ではない。いわき病院は公称の病院組織と日常の運営の現実が遊離していた。第2病棟の実態は老人性痴呆疾患治療病棟であったが、事件当時36才の野津純一は思春期の児童でも老人でもない。また痴呆老人の看護と野津純一のような患者の看護は目的も手段も異なる。このような病院機能の無視が、いわき病院の野津純一に対する看護で根性焼きを見逃すほどの怠慢と過失を引き起こした要因である。

graph
http://www.iwaki-hospital.or.jp (平成18年より引用、現在は変更されている)


8、処方変更の効果判定をしなかった過失

医師は、処方変更した後には、その効果を判定して、その結果を診療録に記載しなければならない。いわき病院は、本件の2週間前の平成17年11月23日から、野津純一の抗精神病薬中止等の大幅な処方変更を行ったにもかかわらず、診療録には12月3日に1回だけ「クーラー音などの異常体験はいつもと同じ」としか記載していない。渡邊医師は、11月30日と12月3日には野津純一を観察したはずであるが、処方変更の効果判定を実施しておらず、看護師や作業療法士等の非資格者の「みかけた」という報告を持って「薬事処方の効果判定をした」と主張した。渡邊医師は、慎重に処方変更の結果を判定して処方を検討するべきであり、処方変更の効果判定をしなかった過失がある。


9、野津純一の左頬の根性焼きを見逃した過失

精神障害者の診察では根拠となる医学データは限られており、患者の表情を観察して、行動や発言内容等の情報に基づいた診断が行われることが基本で、主治医が患者の顔面変化の詳細な観察をすることは診察時の必須である。またいわき病院の看護師等は毎日野津純一の状況の変化を観察していたはずである。にもかかわらず、いわき病院および渡邊医師は野津純一が左頬にタバコの火で自傷した瘢痕(根性焼き)の存在を執拗に否定して、30代男性の左頬だけに発生したニキビとまで主張した。さらには12月5日には野津純一の発熱に関連してM医師が診察して「昨日より風邪症状(本人訴えあり)薬処方 耳鼻科通院中」と診療録に記載している。風邪の診察に当たり喉の奥を見た筈であるが、顔面左頬の異常に気がついていなかったことが異様である。患者の顔面観察は精神科医療の基本であり、いわき病院が野津純一の根性焼きを見逃したことは重大な過失である。なお、以下の写真では野津純一の左頬に新旧の根性焼き瘢痕が複数存在すること、及び、野津純一の額および右頬にはニキビが存在しないことを示している。

テレビ朝日放送画像から


10、効果がない社会復帰訓練と単独の外出


(1) 本件犯行に及ぶ直前に野津純一には以下のような異常があったが、いわき病院ではこれらの異常を見逃した。

ア、 退院が1カ月後に迫っているというストレス
イ、 いわき病院職員にかまってもらいたいという貧乏ゆすり
ウ、 1週間前の根性焼き
エ、 いわき病院内の喫煙所の汚れがひどくなっていることにイライラしていた
オ、 平成17年12月3日、足のムズムズ感と手洗い強迫
カ、 3日、エアコン音が人の歌声に聞こえる幻聴
キ、 12月5日、風邪症状の37.4℃の発熱
ク、 5日、食欲不振
ケ、 5日、犯行前夜の不眠、眠剤追加要求(23時40分)
コ、 自室の隣の非常階段のドアの開け閉め音を煩わしく思っていた
サ、 いわき病院内の他の患者の話し声を聞いて、自分の父親の悪口を言っていると思い込み、憤怒を募らせていた

(2) いわき病院は、「患者が、単独外出中に包丁を購入し、通行人を刺殺するであろうという具体的な予見性と結果回避可能性がなければ、外出許可を与えたことに法的責任はない」と主張している。これは明らかに過剰で不当な要求であり、患者がイライラした感情を募らせ、統合失調症あるいは反社会的人格障害による病状が不安定な状態にあり、単独外出すると何らかの危険や脅威を社会あるいは他人に与えるという危惧感が認められれば、その間、単独外出は禁止とする、どうしても外出したければ、看護師あるいは家族の同伴のもとに外出を許可するといった注意義務は当然負担するべきである。いわき病院は、精神科医師としての怠慢と不注意をノーマライゼーションあるいは開放医療の名の下に正当化し責任逃れをしようとしているにすぎない。

(3) 野津純一に毎日の単独外出を許可していた目的は、野津純一の社会復帰訓練の一環であったが、渡邊医師はそもそもいわき病院における作業療法などが効果のないことを認めていた。野津純一は、慢性統合失調症の陽性症状(幻覚等)と陰性症状(人格崩壊、人格障害等)が混在して存在し、常に適正な看護、介護が必要で、独立して社会生活を営みうる状態ではなかった。このような野津純一の単独外出による精神症状の不安定さ等を考慮すると、自傷他害の危険性を排除し得ず、抗精神病薬を中止する前でも単独外出は不可能で誰かが付き添うべきであった。更に、抗精神病薬を中止した後では特に、野津純一の症状に対する綿密な評価を行わないまま単独外出を許してきたことは過失である。


11、患者管理上の過失

野津純一は、アネックス病棟という開放病棟にいた。このアネックス病棟は、1日700円で、いわき病院内においてアパート形式の個室になっている。エレベーターは、暗証番号式で、暗証番号を教えられていた患者は自由に出入りできるようになっており、野津純一は暗証番号を教えられていたから自由に病院内を出入りしていた。アネックス病棟には、ナースステーションはあるが、常駐のスタッフは誰もいない。同じフロアの中央棟にある介護を必要とする老人性痴呆疾患の治療を主目的とする第2病棟のナースステーションにおいてアネックス病棟も遠隔管理・監視するシステムになっているが、モニターシステムもない。内科・介護病棟の看護師は痴呆老人の介護でとても忙しく、アネックス病棟まで手が回らない。アネックス病棟にいた野津純一はいつでも自由に外出することができ、いわき病院において外出中か院内にいるか確認もできなかった。このような病棟に野津純一を入れて自由に行動させておいたことは、いわき病院の過失である。また、このようなアネックス病棟における患者管理上の不備を放置したことは、渡邊医師の過失である。


12、「措置入院それとも開放病棟で自由放任」という極論で病院運営をした過失

いわき病院は「原告は野津純一を開放病棟に入院させず措置入院とするべきであったと主張した」としているが、原告の矢野夫妻がそのような主張をした事実はない。いわき病院の主張に基づけば「開放病棟の入院患者は全て自由放任で、病状や症状や気分の変化などの毎日の変化や力動を観察する必要がない」ことになる。これでは、精神科病院に入院する意味がない。また、任意入院患者は全て自由放任で、さもなくば全て措置入院となる。これは精神保健福祉法の規定に基づかない極論であり、精神科病院がそのような極論を主張することは過失である。


13、本件犯行当日に野津純一の診察をしなかった過失

野津純一は平成17年12月6日午前10時頃に咽頭痛や身体的不調を訴えて、渡邊医師の診察を願い出た。渡邊医師は看護師から野津純一が面会を求めていることを聞いて知っていた。渡邊医師は、野津純一の主治医として、看護師に指示して外来診療室に待機させて診察、治療することは十分に可能であった。もしくは病院長として他の医師に診察を指示することも可能で、野津純一を診察していれば野津純一のイライラ感は消失し、落ち着きをとりもどしたであろうことは容易に推察することができ、本件犯行も未然に防ぐことが可能であった。渡邊医師が本件犯行当日に野津純一を診察しなかったことは過失である。


14、本件犯行日に野津純一を単独外出許可した過失

渡邊医師は、野津純一の診断を間違えた上で、投薬基準を無視して抗精神病薬(プロピタン)投与を中止し、統合失調症患者に投与すれば暴力等の攻撃性を発現し自傷他害行為の危険性を高めるレキソタンの連続大量投与を行い、アカシジアやジスキネジアには全く効果がない生理食塩水の注射を行った。更には野津純一に効果がないと渡邊医師も認めていた社会生活技能訓練や作業療法を実施し、野津純一がストレス亢進する最大要因である退院を迫っていた。また、野津純一の顔面の根性焼きを見逃すなど患者の状況把握がおざなりであった。野津純一が奇異反応で攻撃性の発露に伴う統合失調症の症状がいつ再燃するかわからない危険な状況にあったことに慎重に対処すべき状況にあったが、いわき病院と渡邊医師は自傷行為の徴候と攻撃性が亢進する状況を見逃した。

いわき病院が、野津純一の具体的精神状況の変動について評価することなく、本件犯行当日に容易に単独外出許可を与えたことは精神科病院としての患者に対する管理義務違反であり、重大な過失である。


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