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医療刑務所に劣るいわき病院の精神科医療
(健常者と精神障害者に等しい人権を実現する精神科医療を求めて)


平成22年2月20日
矢野啓司
矢野千恵


1、重大犯罪を犯した精神障害者

1)、長期刑に対する批判

平成17年12月6日に矢野真木人(享年28才)を台所用包丁を使って通り魔殺人した野津純一(当時36才)は医療法人社団以和貴会いわき病院に入院していた精神障害者でした。統合失調症および反社会的人格障害と精神鑑定され、また「本来無期懲役に相当する重大犯罪であるが、統合失調症に罹患しており心神耗弱で減刑する」として懲役25年の判決が確定して服役しました。私たちはこの判決に異を唱えたことはありません。

この判決に対して、精神科医療専門家からは「統合失調症で入院治療が必要な精神障害者は心神喪失として判決されなければならず、心神耗弱で懲役刑を科したのはそもそも間違い。刑務所では犯人に対して十全な精神科医療を期待できず、精神科病院で治療をすることが人道上も正しい措置」と批判されました。また「受刑者であっても市中の病院より劣る精神科医療しか与えられないのはおかしい」という意見が私たちにも届きました。更に、「心神喪失者等医療観察法が制定されている現在では、統合失調症の患者は積極的に心神喪失者等として認定して治療を促進するべきで、刑務所に収容したことはそもそも間違い」という意見もありました。果たして、犯人の野津純一を心神耗弱で減刑した上で懲役25年の刑罰で刑務所に収容したことは、人権擁護と精神障害の治療促進という観点からは間違いだったのでしょうか。


2)、民事裁判の審議

医療法人社団以和貴会いわき病院を被告として民事裁判を提訴して既に3年7カ月が過ぎました。私たちが裁判を提訴した本来の趣旨は「日本の精神科医療は本当に精神障害者の治療に貢献しているのか」また「日本の人権問題が実行されている現実は、全ての国民に平等な権利を実現しているか?」という問いかけです。この趣旨に賛同して、犯人野津純一の両親も原告として法人以和貴会といわき病院長渡邊朋之医師を提訴しました。

裁判の審議手続の一環として、矢野真木人を殺人した野津純一の証人喚問が平成22年1月25日に収容されている医療刑務所内に設けられた法廷で行われました。当日医療刑務所に集合したのは高松地方裁判所裁判官および事務官、いわき病院代理人、野津代理人および父親、そして矢野代理人および矢野夫妻でした。なお、野津純一の父親は法廷に入室しませんでしたが、私たちは挨拶を交わし、励まし合いました。


3)、精神が荒廃しているおそれ

当初、私たち夫婦は野津純一の証人喚問は望みませんでした。その理由は、「既に精神の荒廃が進んでおり、心神喪失ではないが、法廷証言能力が損なわれた状態」という情報があったために、野津純一を喚問して結果的に「心神喪失に極めて近い状態にある」という観察者になる可能性を怖れたことによります。医療刑務所内の法廷では、入室した姿を見て、「本人だろうか?」と眼を疑いました。身長は180センチを超え、体重は90キロ以上の肥満体の大男が出現するものと思っていました。しかし入室したのは坊主頭の痩身で険悪な眼をした男でした。いわゆる囚人服ではなく市販のスポーツ・ジャケットの上下を着ていました。野津純一は宣誓をして、証人席に着席しました。その後ろには安全のため刑務官三名が控えました。



2、野津純一の状態

1)、認識と行動の確認


(1)、認識
  私たちが最も怖れたのは「野津純一が名前を明確に言えず、医療刑務所に収監されている理由を知らない状態にあること」でした。ところが質問が開始されると「平成17年12月6日に矢野真木人を殺人して医療刑務所で受刑していることを認識している」と証言しました。それで「事理弁識能力は事件当時及び刑事裁判時点から損なわれていない、法廷証言能力と法的責任能力を有している」と確信しました。

(2)、答弁
  野津純一の声は、低く明瞭性を欠き呂律も十分に回らず聞きづらいものでした。しかし、本人は全ての質問を理解して答えました。また呂律が回らないことは病状の進展ではありません、なぜなら渡邊医師が診察した最初の日(平成17年2月15日)に「呂律が回らない」とカルテに記載してあります。私たちの目の前で質問に答える野津純一は心神喪失者ではありません。感情の平板化(人格障害と人格崩壊)が進み、論理の逆転や不一致等がありましたが、「破瓜型の統合失調症が進行していても論理は保たれた状態で、野津純一には法廷における証言能力は十分に備わっている」と観察しました。

(3)、体調
  野津純一の体調は良好に見え、姿勢はやや猫背で着座姿勢を崩さずに答えました。事件当時は病院の食事以外に近隣のショッピングセンターやコンビニで買い食いなどをして肥満体でした。しかし医療刑務所収容では適切な栄養管理が行われていると推察され、痩身となり刑事裁判時点からは15-20Kg程度の体重減で、外見の年齢は40才の野津純一が10才程度若く見えました。

(4)、表情と感情
  野津純一は、目つきが悪く、冷酷な印象を受けました。1時間15分の質問責めに、感情を交えずに無表情で答えました。刑事裁判に先立つ精神鑑定が行われたときには問診開始後45分で「疲れた、止めてください」と中断させていました。しかし今回の人証では「疲れた」と言わず持久力がありました。野津純一はイスに座ったままで質問に対応し、身体で反応せず、質問の内容に関連した情緒的な反応もありませんでした。「今も、イライラしていますか」という質問に「薬のせいか、ぼんやりしている」と答え、法廷でおとなしく対応させるために、一時的に抗精神病薬を増加していた可能性があると推察しました。


2)、野津純一の病的症状


(1)、イライラ・ムズムズと手足の振戦
  野津純一は「今でもイライラ・ムズムズと手足の振るえがある」と答えましたが、医療刑務所内の法廷では、手足の振戦や、顔を掻く動作などは見られませんでした。ところが4年前の刑事裁判の第一回目公判では手足に大きな振戦が見られ身体の左半分がガタガタ揺れ続けていました。これは大きな違いです。

  野津純一はいわき病院入院時点と比較すれば、拘置所における拘留以後は抗精神病薬がより適正に使用されているために、イライラ・ムズムズと手足の振戦が改善していると観察しました。なお、野津純一には呂律が回らないところと、証拠提出された本人が書いた手紙には小学校低学年並の字の歪みがありました。しかし人証に先だって野津純一が署名した宣誓書では事件直後の警察および検察での取り調べ時点と筆跡は変わらず、字の乱れが進んだとは結論づけられません。また呂律に関しても、いわき病院に入院していた時点より悪化しているとは言えず、証言能力を損なうものではありませんでした。

(2)、幻聴
  野津純一が「幻聴が、左右の足の膝の下および頭の後ろから聞こえてくる」と証言した時には「幻聴が悪化したのではないか?」と疑いました。その内容は「誰か解らない人の、父親や母親をボロクソに言う声」と証言しました。幻聴は犯行直前にはいわき病院内で右の方からで、聞こえる声は「父親の悪口」でしたから、本質的には内容に違いはありません。

  専門家に意見を聞いたところでは、野津純一の幻聴は改善しています。いわき病院内のエアコンの音やロビーの騒音が父親の悪口に聞こえるなど自分の周囲からの持続的な幻聴は統合失調症の病勢が盛んなときに見られる症状です。ところが野津純一が証言した医療刑務所での幻聴は、自分の体から聞こえており、幻聴に行動を支配されている訳でもなく、異常体験が外界から自己へと収束し程度は軽くなっていると考えられます。荒廃期の統合失調症では、このような幻聴はよく観察され、異常体験の度合いとしては軽減していると考えるのが自然だそうです。

(3)、根性焼き(自傷行為)
  刑事裁判では公判毎に野津純一の左頬の瘢痕が徐々に小さくなっている様子が観察されました。今回は犯行から丸4年以上を経過して、医療刑務所内で根性焼きやひっかき傷などは全て消滅しておりました。左頬には根性焼き等の痕跡は見えず、「古いかさぶた」と見られた大きな黒点は黒子でした。右頬には、瘢痕の痕跡はなく、左右の頬の状況に違いはありません。また額にはニキビや瘢痕の痕跡はありません。

  いわき病院長の渡邊医師の証言によれば、「顔面のひっかき傷は入院したときから継続して確認されていた症状」です。また、渡邊医師は文書で「ニキビ」と主張しました。「野津純一の顔面のひっかき傷がいわき病院に入院中に継続して認められていた」という証言は、「いわき病院ではひっかき傷を繰り返して自傷し続けて、1年2カ月の間の入院中に顔面の瘢痕は消えることがなかった」事実を証明しました。

(4)、根性焼きをした回数
  根性焼きに関して野津純一は「(医療刑務所内では)タバコは吸えない(根性焼きはつくれない)」また犯行前の「12月6日以前に一回だけ行った」と証言しました。矢野代理人が逮捕当時の写真を見せて「複数の根性焼きがあった」と指摘しましたが、野津純一は「一日に二回以上根性焼きをしたこともあった」また「それでも、イライラは改善しなかった」また「いわき病院内では顔面の火傷傷について質問されたことはない」、更に医療刑務所に収監されている現在では「根性焼きをしたい気持ちは起こらない」と述べました。

  野津純一は、「根性焼きは一回しかしなかった」とこだわりましたが、論理的には「根性焼きを行ったのは一日だけではなく複数の日に行った」と証言したことになります。また、いわき病院に入院中に野津純一が経験したイライラ・ムズムズ・手足の振戦は「根性焼きをしても解消しない程度に執拗だった」と証言しました。現在では、根性焼きの衝動が無くなっていることは、病状が改善していることを示します。

(5)、火傷の痛み
  野津純一は根性焼きの火傷の痛みに関して「チクッとする程度」と答えました。通常の感覚では火傷の痛みは激痛で、タバコの火を少し皮膚に当てた程度でも耐えられない程の疼痛に苦しみます。ところが、野津純一は根性焼きをして激痛に苦しんだ様相がありません。文献によれば、一部の統合失調症患者は痛みを余り訴えないとされます。野津純一の場合はタバコの火を顔に当てる作業に既に習熟していて、激しく痛まない範囲を承知していたのかも知れません。しかし、できあがった顔面の瘢痕は明らかな異常です。野津純一が苦しんでいなくても、病院スタッフが気付かないことがおかしいのです。


3)、医療刑務所の精神科医療


(1)、医療の内容
  野津純一は薬に関心が高く、いわき病院では投薬内容は承知していました。しかし医療刑務所内で投薬されている抗精神病薬名を承知しておらず意外でした。私たちは医療刑務所では「毎日の服薬を確認しなくてもすむ長期持続型のデポ剤を至適用量で注射されているのではないか」と推察した次第です。

(2)、野津純一の病院選択
  野津純一は医療刑務所に収監されていることを好まず、「いわき病院の方が良かった」と言いました。理由は「(懲役刑なので)自宅に帰れない、部屋に鍵がかかっている、タバコを吸えない、テレビがない、ラジカセを聞けない、外に出て散歩や買い食いができない」でした。また、野津純一はいわき病院のアネックス病棟に帰りたい一心から「たすけてください」という手紙を法廷代理人宛に出していました。いわき病院アネックス病棟は刑務所と比較すれば自由放任でした。野津純一はアネックス病棟の生活に今でもあこがれています。野津純一は自分自身の立場が受刑者であることは認識していましたが、「刑を全うする」という自覚が乏しく、自分自身の早期釈放による環境改善を期待する独善的な認識を持っていました。

(3)、治療の効果
  野津純一は「病状はいわき病院にいた時の方が良い」と証言しました。しかしながら具体的な症状に関しては、「手足がしびれる症状は今はない」また「足のムズムズは寒いときに出る、飛び上がって足踏みすれば治る」また「立ったり、ぶらぶらしたり、座って、頭を整理したら直る」と証言しました。

  野津純一の証言は「いわき病院の治療が優れていた」という証言ではありません。野津純一のイライラ・ムズムズと手足の振戦はいわき病院ではタバコの火で頬を焼く根性焼きをしても改善しなかった程の苦しみでした。しかし、医療刑務所内では「常の状況ではなく、悩まされることがあっても簡単な運動で軽減できる」(なお、野津純一が証言した「ふるえ」は単に「寒さによる振るえ」であり「振戦ではない」可能性もあります)と証言しました。いわき病院で苦しめられていた殺人に至るまでのイライラやムズムズと手足の振戦の症状が劇的に軽減したことは明白でした。野津純一はいわき病院で苦しめられていた病的症状の中で「(医療刑務所では)根性焼きの衝動はない。イライラ・ムズムズおよび手足の振戦は軽減した」と答えました。また幻聴も軽減していました。体調を含めて病状が改善しておりました。


4)、いわき病院の医療


(1)、無茶苦茶(グチャグチャ)のいわき病院
  野津純一は「いわき病院は無茶苦茶だったから殺人事件を引き起こした」と説明しました。そして診察希望が叶えられなかったり、喫煙所の汚れやエレベーターの騒音や人の出入りをうるさいと思ったいわき病院の状態を、無茶苦茶(グチャグチャ)と表現しました。また「医療刑務所の治療よりはいわき病院の方が良かった」と言いつつ、「病院の治療は悪かった」と矛盾する証言もしました。

  上記を発言した野津純一の心は少し複雑です。医療刑務所における受刑者の立場は嫌で、自宅に帰りたい、そうでなければいわき病院に入院していたい。しかし「いわき病院の医療が良かった」と野津純一が評価しているのではありません。いわき病院では状況が無茶苦茶で、イライラやムズムズおよび手足の振戦で苦しめられていました。「受刑者という制限された生活よりは、いわき病院入院生活の自由放任が良かった」と言っているに過ぎません。

(2)、いわき病院治療の評価
  野津純一はいわき病院の治療に関しては「まあまあ」と不明瞭な評価をしつつ、自由な生活ができていたことに関しては「はい」と明瞭な肯定をしました。また病状に関しては「いわき病院でいた時の方がよい」と言いつつ、「イライラが治まらず、病院の治療が悪かったので殺人したが、治療が良かったら刺さなかった」とも証言しました。野津純一はいわき病院の治療を高く評価せず、むしろ「殺人事件を引き起こした要因として、いわき病院でイライラ・ムズムズと手足の振戦に苦しめられて、それを治す便法として殺人事件を引き起こした動機になった」と証言したのです。

(3)、渡邊医師に対する評価
  野津純一は渡邊医師や看護師は「言うことを聞いてくれた」「よく診察してくれた」また「怒っていない」と証言しました。ところが一方では「渡邊医師や看護師は言うことを聞いてくれなかった」とか「渡邊医師が面談しなかったことは、事件と関係がある」また「渡邊医師が話を良く聞いてくれていたら、人を刺し殺さなくてもすんだかもしれない」と同じ平面で証言しました。ちなみに事件直前の12月2日の看護記録には「内服薬が変わってから調子悪いなあ…、院長先生が(薬を)整理しましょうと言って一方的に決めたんや」と記述されており、渡邊医師はインフォームド・コンセントで治療内容を説明して患者から同意を得ることを無視した精神科医療を行っていた実態がありました。

  野津純一の基本的な性質は、「体格壮健で見栄えが良い地位が高い人間には従順で、保護を与える人間に対する帰属意識が強い」ように観察されます。十代半ばから将来に望みが無く、精神障害者であり続けることに鬱積した感情を持っていました。また保護や治療をする立場の人間に対しては、その人間に対して多少の不満があっても、迎合して賛同や評価の言葉を発する傾向が強いと観察されます。野津純一は「事実の言及」と「渡邊医師に対する遠慮の心」が影響しあっている複雑な心にあると考えられます。

(4)、10日間の無診察と深夜の診察
  野津純一は「殺人した12月6日以前の10日間は渡邊先生他からは診察を受けていない」と証言しました。「それは間違いではないですか、いわき病院の診療録では、あなたは11月30日と12月3日に渡邊医師から、また12月5日にはM医師から診察を受けたことになっていますよ」と指摘しましたが、それでも野津純一は「(二人の医師からは)診察は受けていない」また渡邊医師が「夜突然に診察に来ることがあった」と強く拘りました。野津純一の認識といわき病院の記録には違いがあることが判明しました。

  渡邊医師の診療録記載はいずれも「(渡邊医師が強く主張する)30分程度の十分な時間をかけた」とは思われない簡単な記述です。また渡邊医師は「12月3日の診察は夜7時以降だった」と証言した事実があります。夜には野津純一は睡眠薬を飲んでおり、実際に行われたとしても、患者には「診察された」という認識が残らない可能性があります。また、精神科臨床医療でそもそも睡眠導入剤を飲んだ患者の回診をしても、意味がありません。診察したとされる入院患者が「診察されていない」と確信していても不思議ではありません。

  渡邊医師は主治医として治療している患者からの診察要請には通常のこととして対応しない医師でした。野津純一は平成17年7月20日には「Drとなかなか会えない」と言った記録があります。野津純一は10月11日に被告渡邊との診察希望を看護師に申し込み、3日待たされてやっと14日に診察してもらえましたが、10月6日だった前回診察から8日後でした。また10月24日にも診察希望を出しましたがかなえられず2日後の26日にも再び診察を申し込んで、渡邊医師の診察は10月27日に行われました。これは希望提出から3日後で前回診察から8日後でした。入院患者の野津純一は、主治医の渡邊医師に診察希望を提出しても3日間程度放置されることが常態でした。

(5)、お世話になったいわき病院
  野津純一はいわき病院代理人の質問に答えて「渡邊院長や看護師さんに迷惑をかけてはいけないという気持ちを持っていた」と証言しました。また「お世話になっている病院の中で事件を起こすのは悪いと思った」という逮捕直後の証言を再確認しました。しかし、野津純一がいわき病院を好む理由は、アネックス病棟の入院生活が自由放任で、自身の経験では最も快適な自宅外の生活環境だったからです。これは「自身のこと以外には関心がない」ことを示しているに過ぎません。野津純一は治療効果などを含めた総合的な視点でいわき病院を評価せず、自分自身の怠惰な生活を最大限許す環境を求めていたのです。


5)、謝罪の意識


(1)、矢野真木人に対する謝罪
  野津純一は自らが刺殺した矢野真木人の名前を覚えており「イライラを治めるために刺殺した」と言いました。しかし「殺してイライラが治まったか」という質問には「わかりません」また「被害者の顔は覚えていない」と答えました。更に「被害者の矢野真木人に申し訳なかったと思うか」という質問には「申し訳なかったです」とぼそりと不明瞭な声で一言答えました。それは、無表情でぼそぼそと小声、機械的、教科書的に、一般的に加害者が被害者に接する時の加害者の知恵として指導されていた項目をその通り発言したかのような印象でした。野津純一は本心から矢野真木人に謝罪しているとは思えませんでした。

(2)、被害者の両親に対する謝罪
  野津純一は「矢野さんの両親に謝罪しますか」と質問されて「申し訳ないという気持ちを持っている」と言いましたが良く聞き取れない不明瞭な声でした。また「ここに矢野さんの両親がいる」と言われても、私たちには一瞥もせず、法廷内に一人だけいた女性(矢野真木人の母親)に着目して、「被害者の両親」を探す様子は全くありませんでした。

  野津純一は犯行直後の警察と検察における尋問では「被害者は運が悪い人」としか言わず、「両親には、少し悪いと思う」と証言しました。犯行から4年以上を経過して、謝罪と罪悪感の言葉遣いは「お上手」になったが、謝罪の認識は低下したと観察しました。矢野真木人および両親に対して関心や謝罪の念を有しているとは思われません。


6)、統合失調症


(1)、答弁と心神の状態
  野津純一は「感情の平板化(人格障害と人格崩壊)が進み論理の逆転や不一致が見られ、破瓜型が進行しているが論理は保たれた状態」でした。また「法廷における証言能力は十分に備わっている」と観察しました。統合失調症患者は殺人をしてしまった後で、抗精神病薬の投与で我に返り「大変なことをした」と反省して、自殺することが多いと聞きます。そのような可能性もありかと見ていましたが、野津純一は現在の自分の境遇改善にしか関心が無く反省もありませんでした。

(2)、精神鑑定書との同一性
  医療刑務所で観察された野津純一は感情は鈍麻し情緒も荒廃しているが、答弁には全て答え、質問の内容によっては答弁内容や理屈に拘りを見せ、精神鑑定評価を追認する発言内容でした。以下に精神鑑定書から該当部分を抜き書きします。
初期にきちんと治療せずに放置したり、身体的疾患や精神的ストレスが強く作用することなどがあると、慢性に経過することになる。不安緊張等は次第に出なくなり、感情は鈍麻し、時が経つに連れて空虚な荒廃状態に至る。終日、無為・呆乎として過ごし、幻覚や妄想が存在しても初期のように深刻には訴えない。時には幻聴に返事し、妄想の世界に安住している様にさえ見える。世間からは遊離し、全てに無関心になり、その患者を取り巻く周囲は非常に困るが、本人は平気で異常体験の中に埋没する。こうなると、本人の日常生活に適当な看護・介護が必要になり、仕事・家事・育児その他の業務は全く放棄する。一般に理屈はかなり遅くまで残存し、行為面が先に駄目になる。被疑者はこの状態になっている。行為面は全くデタラメであるが、理屈はしっかり残っていて…。

7)、反社会的人格障害


(1)、生活態度と社会性
  野津純一は被害者や被害者遺族、また社会に対しても関心が無く、「それが何か?」というような、全く他人事のような態度でした。中学1年の3学期(12才)から社会に関係せずに過ごしており、17歳の時には自宅両隣三軒が消失する大火事の原因者(本人は「自分が放火」と香川大学医学部カルテに記載)で、いわき病院職員の多くはこの火事を知っており「野津純一の放火」と認識しておりました。また20代からは病院内や公道で他人を襲う行動も見せていました。そもそも渡邊医師が、「任意入院患者には反社会的人格障害を診断してはならない」という精神医学的根拠のない理念に支配されて、野津純一の行動歴が持つ重大な意味を「医師として診断しない」と決めていたことが基本的な過失であり、責任放棄です。野津純一の「他人の立場を尊重するという自覚を持たない生活態度」が人格障害の本質的な部分を構成します。発言は、全て自分中心で、他者の立場を思いやる姿勢が欠如しています。精神鑑定書でも指摘されてますが、『(野津純一の)人格障害は、「精神欠陥状態」であり、精神疾患ではないので、治療の対象にはならず、又、「治る」種類のものではない』ものです。

(2)、自己都合の論理
  野津純一はイライラ・ムズムズおよび手足の振戦による苦しみから開放されたいが為に「誰でも良いから人を殺したらスッキリすることを期待して」見ず知らずの偶々であった矢野真木人を刺殺して、自分の都合と安易な気持ちで他人の命を奪いました。また、懲役25年で服役期間が4年に満たないにもかかわらず、「たすけてください」という手紙を出して、早々と刑務所から開放されることを期待しました。本人が説明した理由は「自宅に帰りたい、鍵がかかっている、タバコを吸えない、買い食いできない、テレビやラジカセを楽しめない」でした。野津純一には「自分が望めば普通の人に不可能なこともかなえられる(なぜならば、私は精神障害者だから)」という自分本位の論理があります。更に「刑罰を免れたい」という主張は、犯した罪を償う意識に欠ける「心神の存在」を証明します。

(3)、再び社会に出してはならない人間
  野津純一は謝罪と罪悪感に関する質問の間、冷淡な目のままで無表情に証言しました。このことは被害者やその家族に対する人間としての立場に配慮する姿勢の欠如を示します。また「たすけてください」という手紙を書いていましたが、その本心は「刑務所からの早期釈放と、(いわき病院アネックス病棟で堪能した)鍵がかからない生活、喫煙や買い食いができる自由放任の外出機会の獲得、およびテレビやラジカセを楽しみたい」という自己満足の追求で、悪びれるところがありません。野津純一は刑務所内の矯正教育で、社会生活を行う上で必要な「他者に対する思いやりの心」が育っておりません。反社会的人格障害が是正される片鱗もありません。

  野津純一はいずれ出所します。15才未満で精神障害を発症して以来の人生で、他者に対する思いやりを育むこと無しに40才の現在に至りました。社会生活をする上で必須の「他者への理解」をこれから備えることはほとんど期待できません。また野津純一の統合失調症が寛解することは現在の精神医学では極めて困難です。このため出所後は精神科病院の閉鎖病棟に措置入院させて、統合失調症治療を継続することが望まれます。反社会的人格障害の野津純一に良き市民としての社会生活を期待して市中で自由行動を許すことは「第2の矢野真木人の悲劇を繰り返すことになる」と予言します。

  矢野真木人は「生存権という人権を奪われました」。そもそも自由権も社会的発言権も全ての人権は「生きていての賜物」です。野津純一は安易な気持ちで「誰でも良いから人を殺す」と殺人した、他者の立場に配慮する姿勢を持たない行動履歴がある人間です。野津純一は、精神障害者であるが故に心神耗弱で罪が軽減されましたが、出所後には措置入院の保護を最優先で検討することが望まれます。本人は「小さな子供は殺さないが、大人の男は殺す」として殺人しました。このような論理は許されず、その論理を放棄したとは思われません。野津純一が甘受した障害者としての社会の保護は、生きていてこそ与えられる権利です。その為に他者の生存権を犠牲にする論理は容認されません。



3、いわき病院の精神科医療と野津純一

1)、いわき病院は優良精神科病院の筈

いわき病院は香川県で最初に日本病院評価機構に認定された精神科病院です。これは、香川県内でも最も優れた精神科病院として最初に社会的な認知を受けたことになります。そのいわき病院で行われていた精神科医療は、少なくとも野津純一に対しては、医療刑務所における精神科医療と比較すれば「劣っていた」と言えます。

野津純一に対して行われていたいわき病院の精神科医療では、いわき病院長で精神保健指定医の渡邊朋之医師が主治医として以下の医療過誤を行いました。悲しいかな野津純一はいわき病院に入院している時には必要不可欠な薬が投与されず、重大な副作用のある薬が過剰投与されて、イライラがつのりムズムズや手足の振戦に苦しんでいたのです。これが地域では最優良であるはずの精神科専門病院の実態でした。

(1)診断の過誤
ア、 統合失調症を診断できなかった
イ、 反社会性人格障害を診断しなかった
ウ、 イライラ・ムズムズ・手足の振戦をCPK値正常を根拠として心気的と診断した

(2)薬処方の過誤とインフォームドコンセント無視および効果判定をしなかった過失
ア、 統合失調症の抗精神病薬(プロピタン)を中断した
イ、 ベンゾジアゼピン系抗不安薬(レキソタン)を許容量以上で連続投与したが脱抑制の副作用を全く考慮しなかった
ウ、 イライラ・ムズムズ・手足の振戦に効果があったアキネトンに代えて薬効が全くない生理食塩水を筋肉注射してイライラを増悪させた
エ、 任意入院の野津純一は薬の理解度が高かったにもかかわらず、インフォームドコンセント無しに大幅な処方変更を行った
オ、 薬の処方変更をしたあとで、頻繁に訴えていた野津純一の不満と体調不調を無視し、その上で効果判定を有資格者が行わなかった

(3)診察と看護の過誤
ア、 看護師からの緊急の診察要請を拒否した
イ、 医師が診察をしないで、症状を決めつけた
ウ、 患者の外出許可は自由放任であった
エ、 顔面にある根性焼き(火傷の瘢痕)を発見できなかった


2)、改善していた野津純一

医療刑務所における精神科医療で、野津純一がいわき病院で苦しめられていたイライラ・ムズムズおよび手足の振戦は軽減し、幻聴の異常体験は改善し、根性焼きを行うという自傷行為は「する気持ちも起こらない」程度までに改善しておりました。いわき病院では主治医の渡邊医師は診断間違いをして治療が混乱していたのです。以下に、野津純一の症状を項目別にいわき病院と医療刑務所における状況の比較をします。野津純一の精神症状が医療刑務所の精神科医療で改善していることが明らかです。

項目
いわき病院
医療刑務所
評価
イライラ
ムズムズ
手足の振戦
常に悩まされていた
殺人した動機と証言
刑事裁判で観察された
本人は今もあると証言
しかし少しの運動で治る
民事法廷では観察されず
軽減
幻聴 エアコンの音・室内騒音
父親の悪口
両足の膝下・後頭部
両親の悪口
異常体験が自己に収束しており改善されている
根性焼き 左頬に少なくとも8箇所の瘢痕が認められた 瘢痕は全く無い
する気持ちが無い
劇的に改善
発言 呂律が回らない 呂律が回らない 不変
証言態度 持続性が乏しい 忍耐性と維持力あり 改善
法廷証言内容 紋切り型 自己の意思を伝えた 改善
論理性 薬の理解度が高い。発言に一応一貫性があるが、矛盾も見られる 論理はある。自分の意見に拘りが強いが、矛盾も見られる 不変


3)、野津純一の人権と精神科医療

矢野真木人を殺人した野津純一には人権があります。野津純一は精神障害者であり、その精神障害が適切に治療されて、可能な限り症状が改善されなければなりません。このため「野津純一を有期刑で罰してはならず、本来の目的が精神科医療の治療ではない刑務所に収容するよりは専門の精神科病院で治療を行うべき」という批判が私たちにも伝えられました。しかし、いわき病院における精神科医療は本当に野津純一の人権を守る精神科医療だったのでしょうか。野津純一に対して現実に行われていたいわき病院の精神科医療は、過誤と怠慢および患者無視に満ちており、真に精神障害者野津純一の治療を促進していたとは言えません。

野津純一は「いわき病院の医療は無茶苦茶(グチャグチャ)」と言いながら「いわき病院に帰りたい」と主張しました。それは刑務所では与えられない(いわき病院のアネックス病棟で堪能した放任された)自由への欲求でした。野津純一曰く「自宅に帰りたい」「鍵がかった生活は嫌」「自由に散歩に出て散歩や買い食いをしたい」「タバコを吸いたい」「テレビやラジカセを自由に楽しみたい」でした。上記は精神障害者でない受刑者も制限される項目です。(なお、日本の受刑者処遇の課題として考慮されるべきところはありますが、本論の主題ではありません。)野津純一の場合には、精神障害の病状が改善すれば、制限された権利に対する不自由度は高まり、欲求も拡大することは考えられます。しかし、現在の野津純一は殺人という重大犯罪を犯した受刑者であり、自らに科せられた義務として受認しなければなりません。客観的に見れば野津純一は恵まれています。健常者であれば過去の放火や公道や病院内の暴行歴も犯罪歴とされ、その上で通り魔殺人ですから無期懲役以上に相当する極めて重大な犯罪ですが「心神耗弱」で刑は大幅に軽減されました。そして、いわき病院に入院し続けている場合よりも優れた精神科医療が確保されています。


あとがき

1)、専門家の論理と精神障害者犯罪

矢野真木人の葬儀に参列した精神障害者の社会復帰支援活動をしていると自己紹介した方に「あなたの息子さんは死んだので、既に人権はありません。犯人は生きており人権があります。犯人は精神障害者なので精神障害者であるだけで罪を償っています。犯人に罪を問うのは間違いです。正しい人権認識を持ちなさい」と言われました。何と言うことでしょう、「精神障害者が関係する場合には、生きている人間の命を奪う行為に責任を問うことがそもそも間違い」と頭ごなしに説得されました。また犯罪被害者として面会して専門的なご指導をお願いした精神科医師からは「犯人に罪を問うのはかまわないが、犯人を治療していた精神科病院の責任を問うことは許されない」ときつく忠告されました。

これらの専門家の論理に従えば、「殺人されて生存権を奪われるという取り返しがつかない重大な人権侵害も、精神障害者が治療を受ける権利の前では、加害者と精神科病院に法的責任を問うことがそもそも間違い」となります。被害者は黙るかあきらめることが当然とされ、それに異を挟んだ者は批判されるという現実があり、市民の命を奪う行為と過失を合理化する論理がこの日本ではまかり通っておりました。また、精神科病院の医療活動は不可侵であり、社会的批判を行えず責任も問えないとなれば、野津純一がいわき病院で経験していたように、「過誤や怠慢に満ちた精神科医療に遭遇した場合でも、患者が適切な医療を受ける権利を主張することもできない」ことになります。市民の命を守ることは精神障害者の権利を擁護することであり、対立するものではありません。


2)、知らされない弊害

医療刑務所を訪問して矢野真木人を殺害した野津純一と対面することは私たち夫婦には試練でした。しかし、野津純一との対面を終えた現在では「医療刑務所で懲役刑に服している野津純一の現況を知ることができて良かった」と考えます。また、医療刑務所の精神科医療が市中の精神科病院で行われている精神科医療より劣るものではなく、野津純一に対しては「いわき病院入院時点より優れた治療が行われていた」ことは大きな発見でした。市中に出回る噂やブログでは、「そもそも刑務所だから良くない」また「刑務所の医療が良いはずが無い」という先入観に支配された意見も多々あります。このような観点で私たちが間違いをしていると指摘する方も少なからずおりました。私たちは、この点でも「現実を知ることができて良かった」と確信します。精神障害者と市民の共生を促進するには、正確な事実を世の中が知ることが必要です。


3)、情報の公共性と公益性

矢野真木人通り魔殺人は重大犯罪でありこのような社会的現実は可能な限り抑制されなければなりません。そしてその為には専門知識を持った第三者機関が事件の全容を調査して、未来への教訓とするべき事実や問題点を解明して、その報告書を世の中に公開する必要があります。しかしながら、そのような矢野真木人殺人事件を元にした実体解明と報告書の公開は現在の日本ではあまり期待できません。

精神障害者による殺人は日本では年間100人を上回る程で、3日に1人が殺されている勘定になりますが、ほとんどが不起訴で事件が報道されず、実態が解明されることがありません。被害者の大多数は精神障害者の家族または精神科医療関係者であることも、事実の解明を阻害する要因であるとされます。生存権は、係累や職業に関係なく、事実を解明しなくて良いとする理由にはなりません。眼を他の事故に転じれば、鉄道事故や航空機事故では事故原因を徹底的に究明することで事故防止につながりました。精神障害者による犯罪も事実が隠されることなく徹底的に明らかにされることによって事件そのものを減少することが可能になると確信します。精神障害者による殺人は全てどのような治療が行われていたかを、専門知識を持った第三者により検証される必要があります。それによりはじめて精神障害者も適正な治療受ける権利が約束されます。野津純一が経験したように誤った精神科医療の中で放置される状況が継続されてはなりません。

私たちは被害者矢野真木人の両親として覚悟していわき病院で野津純一に対して行われた精神科医療の実態を解明して事実を公開しております。私たちの報告には公共性、公益性そして真実性があると確信します。これは矢野真木人の命を代償とした矢野真木人の社会貢献だと考えるからです。私たちは事実と真実を伝えることが、精神科医療の実態が隠されて国民に知らされないことよりも重要であると確信します。


4)、平等な人権の実現

人権は理念ではなく全ての国民に実現される実態です。精神障害者には、刑務所であれ、市中の病院であれ、等しく最善の医療が実現されることが必要条件です。その上で、人権は健常者と障害者に普く平等に実現されなければなりません。精神障害者の人権を名目として市民の「生きる権利」を無視する行為や慣行は放置されてはなりません。生存権を奪う行為を、いかなる理由であれ正当化もしくは容認するような論理には、普く全ての人間に実現されるべき人権という視点からは重大な欠陥があります。


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