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いわき病院事件の鑑定と再鑑定
(精神科開放医療に対する地域社会の理解と承認の要件)


平成24年5月4日
矢野啓司・矢野千恵


いわき病院事件では、原告被告双方が推薦した鑑定者から以下の5通の鑑定意見書が高松地方裁判所に平成24年3月19日までに提出された。

(1)、A鑑定意見書(いわき病院推薦、司法精神医学者、大学教授)
(2)、B鑑定意見書(野津・矢野推薦、精神科医師、精神保健センター長)
(3)、デイビース医師団鑑定書(矢野推薦、英国の精神薬理学者・司法精神医学者)
(4)、C意見書(矢野推薦、精神科医師)
(5)、D鑑定意見書(野津・矢野推薦、精神科ユーザー・精神医療専門家集団・医師)

平成24年3月19日の法廷で、裁判長は「上記の(2)から(5)の鑑定意見は何れも(1)のA鑑定意見書を批判しており、いわき病院と鑑定人は反論意見書を提出するか否かを検討するように」とした。これを受けていわき病院代理人は4月23日までに回答することになった。私たちは微かな気持ちで、待機期間にA教授が名誉ある撤退をする可能性に期待した。A教授は、平成23年7月に提出した鑑定意見書でいわき病院側が提示した条件と質問の範囲内で鑑定意見書を作成したもので、根性焼きなどの重要な事実を無視していたため、名誉ある撤退をする事は十分に可能であると思われた。また、A教授がいわき病院と渡邊朋之医師の不作為と怠慢という事実に責任を問えないとする鑑定意見書を再度提出することは、A教授の学問的な名誉に貢献せず、また貴重な時間の無駄遣いと考えられた。

4月23日の高松地方裁判所法廷では、いわき病院代理人が「A教授は再鑑定意見書を提出する」と確認して、以下の通り決定した。

  1. A教授は再鑑定意見書を平成24年7月27日までに提出する
  2. 原告側関係者はA教授再鑑定意見書の内容を確認して次期法廷で反論書を作成するか否かを申告する
  3. 次期法廷は平成24年9月5日(16時30分)に開廷する
  4. 原告側からの鑑定意見書の再提出(鑑定期間は次期法廷で決定する)で鑑定論争を終結する

上記の決定に付随して、裁判官は以下の通り延べた。

ア、A鑑定人はしっかりした意見書を提出すること、簡単なものでは意味がない
イ、本件事件で鑑定人たる精神科医師の総数は7名である

これにより、原告側と被告側双方が今後新たな鑑定人を持ち出して論点の変更や延長を図ることはできないことになった。


Ⅰ、いわき病院事件鑑定意見の要旨

矢野啓司による各鑑定意見書の要約を掲載する。可能な限り原文に忠実に要約したが、原文との表現の差異、及び抜粋箇所の選定などは全て要約者の責任である。


1、A鑑定意見書

A鑑定意見書要約は、いわき病院代理人が作成した証拠説明書の立証趣旨に基づいた項目建てを行い、それに該当する主張をA鑑定意見書から抜粋して取りまとめた。
  A鑑定意見書に対する反論は別途『「いわき病院事件」報告、いわき病院側鑑定意見書に対する原告矢野の反論』(http://www.rosetta.jp/kyojin/report63.html)にまとめてある。


(1)、一般の精神病院であるいわき病院

殺人という極めて重大な他害行為が行われた事実があり、そうした視点から過去の治療経過を振り返れば、そこに何らかの手落ちがあった可能性を見出すことは不可能ではないかも知れない。本件で問われているのは。事件発生前に一般の精神病院であるいわき病院で行われていた精神科医療が適切なものであったかどうかであり、いわゆる「後知恵」で過失の有無を検討するのは適切でない。


(2)、いわき病院に過誤は無い


1)、 いわき病院の診断
ア、 いわき病院における野津純一に対する診断に誤りはなかった
イ、 統合失調症と診断すべきなのに、診断できなかった過誤は無い
野津純一は、わが国の精神科臨床においてよく使用される国際的診断基準(ICD-10、DSM-IV)に基づいて、統合失調症に罹患していたと診断される。診療録には渡邊医師が統合失調症と診断した旨の明確な記載はないが、(他医師の統合失調症診断を)診断変更した旨の記載も見られない。統合失調症という診断が適切になされ、その診断に基づいて統合失調症に対する適切な治療が行われていれば、過誤は無いと考えられる。
ウ、 反社会性人格障害とは言えず、反社会性人格障害なのに診断できなかった過誤は無い
エ、 アカシジアの診断をCPK値で行ったと考えられない
純一に関して、主治医の渡邊医師が、アカシジアの診断をCPK値で行っていたという経過は認められない。しかし、診療録の記録ではそのように誤解されるような精神医学的に誤った記載があると考えられる。診療録等の記載から純一がアカシジアを呈していたのは確実であり、それに対して種々の治療がなされていたのは確かであるが、(いわき病院の)診療録の記載では、アカシジアをCPK値で診断していたと誤解されても致し方ないと考える。ただし、診療録の不正確な記載から直ちに渡邊医師が医療過誤を行ったと短絡的に判断することは誤りである。

2)、 いわき病院の処方変更
ア、 平成17年11月23日からプロピタンを中止したことは医師の裁量権の範囲であり過誤とは言えない
平成17年11月23日の時点で、純一の薬物療法には、大きな変更がなされたと言える。いわき病院入院以来、使用される薬剤やその処方量に変化はあったものの継続して行われてきた抗精神病薬が中止されたことである。純一の薬物療法の経緯を見ると(中略)処方される薬物の選択や量に関しては、ダントリウムやドプスの処方のように、定型的とはいいがたい処方がなされておること、中枢性抗コリン薬や抗うつ薬が漫然と継続投与されていること、アカシジアの原因薬物として抗精神病薬しか考慮されていないことなど、現在の臨床精神神経薬理学の知見からはいささか疑問に思われる点もある。しかし、精神神経薬理学を専攻とする医師や大学病院など最先端の医療知識に接する機会の多い医師では無い一般の精神科臨床医である渡邊医師が、平成17年12月の時点でこうした知見に基づいた治療を行っていなかったことをもって、過失とするのは明らかに不合理である。
イ、 同日レキソタンを増量したことは過誤と言えない
レキソタンの添付文書にも「重大な副作用と初期症状」として、1番目の「依存性」に次いで2番目として「刺激興奮、錯乱」をあげ、「統合失調症等の精神障害者に投与すると逆にこのような症状が現れることがある」と記載されている。したがって、精神障害者に対してレキソタンを含むベンゾジアゼピン系の抗不安薬を処方する場合には、奇異反応についても念頭に置く必要がある。しかし、奇異反応は用量依存性(服用量が増えると起こりやすくなること)に生じる現象ではない。したがって、従来から服用していた1日15mg服用していたレキソタンが1日30mgに増量されたとしても、奇異反応が生じることはないと考えられる。
ウ、 アキネトンに代えて生理食塩水を筋肉注射したことは過誤と言えない
最近では、医師の間でもインフォームド・コンセントなどに関する意識が高まっており、可能な限り患者に対して説明を行いその同意を得たうえで治療を行っていくという考え方が普及している。統合失調症においても患者に対して、疾病や治療について説明を行い、その同意を得るとともに、患者自身が自らの治療に主体的・積極的に取り組むようにすることが推奨されている。こうした動向もあって、いわゆる抗精神病薬の隠し飲ませやプラセボ効果を利用した治療が行われることは以前と比べると減っている。しかし、本件で問題とされている平成17年12月の時点で、一般の精神科臨床医である渡邊医師が、プラセボ効果を利用した治療を行ったことを、非難するのは明らかに不適切である。
エ、 処方変更に対する効果判定に関し、過誤があるとは言えない
医療において、患者に対して行って治療の効果を適切に評価・判定することは、当然のことであり、それは処方変更時のみに限られるわけではない。処方変更に対する効果判定はおおむね適切に行われていたと考えられるが、12月3日に行われた純一の問診以降については診療録にも記載が無く判断できない。ただし、渡邊医師の12月3日以降の処方自体は過誤とは言えない。12月4日の純一の様子からは、生理食塩水の筋注に代えてアキネトン筋注を考慮してもよいのではないかと考えるが、アキネトン筋注をしなければ過誤になるというものではない。また、アキネトン筋注の有無は純一による本件殺人事件の発生と結びつくものではなく、アキネトン筋注をすれば本件殺人事件が発生しなかったと判断できるものではない。

3)、 いわき病院の患者管理
ア、 いわき病院における患者管理の落ち度を、医療記録から窺うことはできない
イ、 病棟の機能を無視した入院患者処遇がなされていたと、医療記録から窺うことはできない
閲覧できた純一に関する医療記録によれば、いわき病院における患者管理は精神保健福祉法の理念に基づく適切なものであり、患者の病状にあわせた病棟の選択がなされていたと思われ、特に落ち度と思われるところはない。

4)、 いわき病院の開放処遇
ア、 『いわき病院は「措置入院それとも開放病棟での自由放任」という極論で病院運営した』との評価は妥当ではない
いわき病院は精神保健福祉法の理念と法手続にのっとり、純一に対する治療や処遇を行っていた。「措置入院それとも開放病棟での自由放任」という極論が、精神保健福祉法の理念にそぐわないことはいうまでもないことであり、いわき病院での純一の処遇がそのようなものではなかった。わが国の精神科病院は、いわき病院も含めてすべて、毎年、自治体の精神保健担当部署から、病棟機能や入院患者の処遇に関する監査・指導を受けているはずであり、その際に、何か問題を指摘されているのでなければ、いわき病院全体における医療についても、精神保健福祉法の理念に則った適切な処遇が行われていたと考える事ができよう。
イ、 野津に対する社会復帰訓練実施と単独外出許可に過誤があるとは言えない
一般論として、任意入院患者の外出等の行動制限は、特別な理由がない限りできない。全ての精神科病院は毎年、自治体からの実地指導を受け、厳しく監査されている。いわき病院においても香川県の精神保健担当部署から当該病棟の入院患者の単独外出許可の状況に対する監査・指導を受けているはずである。本例は1年以上入院していることから、入院中に少なくとも1回はこの監査があったはずである。その際に、何ら問題点の指摘、改善指導等がなされていないのであれば、少なくとも任意入院患者の単独外出許可の状況に問題となる点がなかったものと推測される。本件犯行日に純一を単独外出させた点についても、診療録および看護記録上からは、攻撃性・衝動性の亢進を示唆する所見は読み取れないため、犯行日の本例の単独行動を中止させる根拠は認められない。

5)、 渡邊医師の診察
  犯行当日に、渡邊院長が野津純一の診察をしなかったことは過誤とは言えない
本件純一のように、咽頭痛や頭痛といった通常の感冒の範囲の訴えであれば、外来の予約患者の診察が終了してから病棟に診に行くのが臨床実務上の常である。


(3)、事件の予測可能性と回避可能性


ア、 (英国の)査問委員会は、事件は予測不可能であったが、回避することは可能であったと結論づけていたが、その理由は、暴力の予測自体は不可能であるが、適切なケアがなされていれば、再発は予測可能であり、入院等の適切な介入が行われ、事件は起こらなかっただろうというものであった。
イ、 精神医療を受けている患者が起こした他害行為の予見可能性に関する医師の過失の有無も、他害行為が起こったか否かではなく、患者の病状予測やそれにもとづいて行われる治療的介入が適切に行われていたかどうかによって判断されるべき。本件事件以前の、いわき病院における診療記録から、いわき病院おいて純一に提供されていた治療や処遇は、純一の病状の変化を察知し、それに応じた適切なものであった。
(1)、純一の症状の変化を察知しそれに応じて適切な治療や処遇が行われていたか否か
いわき病院では、純一の社会復帰を目指して作業療法、社会生活技能訓練、退院教室、金銭管理トレーニングなどの心理社会的療法が積極的に提供されおり、医師、看護師、作業療法士などがチームのように積極的に純一の治療に取り組んでいたことが窺える
(2)、純一の起こした他害行為が一般的な精神病院における医学的診察や看護観察の水準で容易に察知しえるような種類の精神症状の変化に基づくものであったのか否か
純一には、不穏・興奮や攻撃性の亢進などを窺わせるような病状の変化や悪化を認めることはできない。幻覚・妄想などの陽性症状の悪化やそれにもとづく行動の異常などは観察されないままに経過した。
ウ、 純一の起こした他害行為は、一般的な精神科病院における医学的診察や看護観察の水準で察知することは不可能な精神症状の変化にもとづくものであると考えられる。


(4)、純一を完全な閉鎖処遇下に置いておけば確実に事件を防止することができた?

本件殺人事件に関して、いわき病院での野津純一に対する処遇について、精神医療における水準に照らして、これを逸脱する不手際が認められない。

  最後にあらためて述べるが、野津純一による本件事件を、平成17年12月当時の一般精神科医療の水準にある精神科医が事前に予測することは不可能であると言わざるを得ない。被害にあわれたご家族の心痛を察するに余りあるが、その責任をいわき病院における純一に対する医療に求めることは間違いである。本件原告が指摘する投薬の方法(薬剤選択、投与量、投与時期等)如何により本件事故を事前に回避できたと判断し得る医学的エビデンスはない。

純一を完全な閉鎖処遇下に置いておけば確実に事件を防止することができたと結果論的にいえても、それは延いては精神科医療そのものを破壊することになる。この点を銘記して頂きたい。



2、B鑑定意見書


(1)、野津純一の診断

野津純一の診断については、診療録その他の資料にある情報を総合すると患者は慢性の統合失調症と考えられる。反社会性人格障害を含め、それ以外の精神科疾患、精神障害に該当するとは考えにくい。


(2)、薬剤中止の仕方に問題

薬剤投与中止で特に検討が必要と思われるのは、数種類の薬剤を一度に中止している点である。精神科の診療においては、薬剤投与の開始、中止、変更や薬剤投与量の増量、減量が日常的に行われているのだが、その場合は通常、開始、中止、増量、減量のいずれもがかなり慎重に行われ、「少量から開始」「漸増」「漸減」「漸減後、中止」といった方法が選択されることが多い。これは、投与初期や増量時の副作用出現への配慮であり、また減量時や中止時の離脱症状、反跳現象、そして薬効消褪による精神症状再燃を防ぐための配慮である。11月23日に行われた薬剤調整によりプロピタン150mg、パキシル20mg、ドプス1,000mgが急に全て投与中止になったとすれば、それは一般的な精神科臨床の感覚からすれば「どうしてそんなに一度に急に中止したのだろうか?」という疑問が生じる。

『頑固なアカシジア』の改善は、この患者の治療にとって重要性のかなり高いものと考えられるが、これまで同様の症状が続き、入院生活が行われていた経過を勘案すれば「緊急性」はそれほど高いものとは思われない。これに対して、薬剤を急激に中止することにより起きる可能性がある不利益は、「プロピタンを中止することによって起きる『精神症状の再燃』」及び「パキシルを中止することによって起きる『離脱症状』および『うつ症状の再燃』」が最も可能性の高いものである。予測される事態は、場合によってはかなり重篤なものとなる可能性があるため、薬剤を中止するのであれば経過を慎重に観察する必要があるし、減薬/中止の手順は慎重に進められるべきである。通常であれば、アカシジアを考えた場合最も関与が疑われるプロピタンをまず漸減・中止とし、その後に「イライラ」の経過を見ながらパキシルの漸減中止に進む、という標準的な薬剤調整の順序を取ると考えられる。このように考えれば、11月23日の時点で、全ての向精神薬を一度に中止したやり方は、やや性急に過ぎるきらいがあり、配慮不足とみなされても仕方ない。


(3)、薬剤中止後の管理に問題

薬剤中止後12月に入って患者に病状の変化が認められる。カルテ及び看護記録から判断すると、急激な薬剤中止を行ったにもかかわらず主治医渡邉医師は中止後の患者の病状変化を十分に把握するだけの診察ができていなかった可能性がある。渡邉医師が患者を診察したのは11月30日のみであり、その診察では渡邉医師は、患者の病状に特に変化を感じていない。一方その後の看護記録を見ると、12月2日の「内服薬変わってから調子悪いわあ‥」という記載である程度の患者の病状悪化が窺われるが、このときはプラセボの筋肉内投与にて改善している。翌日12月3日はアカシジア様の訴えは前日よりも強く、プラセボ筋肉内投与では改善していない。この日の状態を看護スタッフが「病状悪化」と把握した可能性は高いが、渡邉医師がそれに応じて診察をした様子はない。


(4)、根性焼きは十分気がつくことができた

「根性焼き」が数日前から行われており、それが患者の顔面に明らかな傷痕として認められているとしたとき、主治医及び病棟スタッフがそれを看過したのであれば、そのことはやはり「病状把握が不十分であった」と言わざるを得ない。傷痕の大きさや態様によって、周囲がそれに注目しえたかどうかは変わってくるのだが、提供された資料にある逮捕後の患者の顔面に認められる「根性焼き」による傷痕を見る範囲では、通常の看護をしておれば十分気付くことのできる外見に見て取れる。


(5)、治療方針を見直す必要性

必要だったのはすぐに行動制限を掛けることではなく、行動制限が必要かどうか、治療方針を見直す必要があるかどうかを判断するために、病棟スタッフが主治医に対して適切な報告を行うことであり、それに応じて主治医が患者を診察して病状の把握とそれに基づいた治療方針の見直しを、患者との話し合いのもとに行うことであった。カルテ、看護記録からはこのような診察が適切に行われた形跡が読み取れない。


(6)、主治医が診察する必要性

11月23日にプロピタン、パキシル、ドプスなどの薬剤を一度に中止したのであれば、それによって起きてくる精神症状や副作用の変化を把握しその変化に対応するために、主治医は薬剤中止後にそれ以前より注意深く患者を診察し、必要に応じた適切な対応(処方変更、精神療法、入院療養上の指導、処遇変更、など)を行うべきであったろう。看護記録によれば12月2日、3日の患者の状態は病状悪化を示していた可能性があり主治医の診察は必要だったということになる。11月23日にプロピタンを含め、数種類の薬剤を一度に中止したすぐ後の時期でもあり、また12月2日、3日には病棟看護スタッフは患者の病状変化に気付いていた可能性がある。「数日前から野津が渡邉医師の診察を希望していた」のであれば、主治医はその数日の間に診察する時間を作るべきであったろう。



3、デイビース医師団鑑定書

デイビース医師団鑑定意見書は(http://www.rosetta.jp/kyojin/report64.html)で詳解してあるため、本項では概要に留めた。


(1)、精神科病院の二つの義務

いわき病院は患者が受容可能な基準医療を実行する義務と責任を果たさず、「患者の治療」と「患者の殺人衝動から市民を守る」という医師に科された二つの義務を果たしていない。


(2)、患者の過去の治療履歴取得は治療の基本で義務

患者の過去の治療履歴を知ることは治療の基本と義務であるが、アクセス可能な情報収集すら行わなかった。純一の暴力傾向は明白で、それに基づいた治療を行う事が重要であった。


(3)、リスクアセスメントを行う義務

危険評価(リスクアセスメント)は、定期的に他害行為のリスク評価を行っていたか否か、またリスクを軽減するための「標準的な精神科医療」を行うという合理的な手段を講じていたか否かという問題である。いわき病院がリスクアセスメントをした証拠はない。国際診断基準(ICD-10,DSM-IV)で基本の処方変更の前後に行うべきリスクアセスメントの義務を果たしていない。


(4)、統合失調症を治療されない状態

純一は統合失調症を治療されない状態に置かれていた。統合失調症と確定診断された患者に抗精神病薬を突然中断すれば精神症状が悪化して、暴力を行うリスクの可能性が高まる。


(5)、プロピタン、パキシルとアキネトンを突然同時に中断した大規模な処方変更

いわき病院はパキシルとプロピタン及びアキネトンを突然同時に中断した大規模な処方変更を行った治療は不適当である。パキシル中断は強烈な中断症状を誘発し暴力を発現する危険性が極めて高い。複数を同時に断薬すれば、原因薬物の判別が不能である。いわき病院は基本的暴力危険要因を持つ患者にリスクレベルを限界領域まで高める原因となる処方変更を行ったが、リスクアセスメント義務を果たさなかった。事件直前の主治医の診察は、簡単でリスクアセスメントと精神状態評価になってない。


(6)、いわき病院のシステム欠陥

いわき病院の運営は医療水準が低すぎるシステム欠陥で、純一に殺人させた。渡邊医師は国際的に受け入れられない逸脱した治療を純一に繰り返し行った。


(7)、病院から単独外出させるべきではなかった

患者が過去に暴力的であるか危険な傾向を示していた場合には、将来同様の危険行動を行う可能性があり、市民に危害を与える可能性を管理する必要がある。患者を退院させる前にリスクアセスメントを行い、個別の危険要素を検討し、管理し、周知する。患者が市民生活をしている間も、リスクアセスメントを継続して行い更新する必要がある。野津純一が外出する場合は、病院から単独外出させるべきではなかった。



4、C医師意見書


(1)、事件発生の予見性と慎重な評価を行わなければならない場合

慢性期にある統合失調症の患者の内的世界を把握することは難しく、その行動を予測するのは容易ではない。しかし、統合失調症の慢性期であっても、暴力を含む衝動行為や陰性症状の影に隠れ目立たなくなっていた幻覚や妄想に基づく行動の表面化が生じることを想定し、以下の場合にはより慎重な診療と評価を行わなければならない。

ア、向精神薬の減量や中止後の6カ月程度
  向精神薬の減量や中止後は、本来の治療効果の減弱が生じ、症状の悪化・再燃が生じやすくなることは当然で、症状の悪化は1週間から数カ月で生じることが多い。副作用の軽減や鎮静効果の消失により、減量や中止後に数カ月間に渡り接触性が改善し活動性も向上するが、徐々に症状が悪化・再燃する場合もあり、長期的な症状の変動に注意を払う必要がある。薬剤変更後は状態悪化を想定した症状評価を看護スタッフに伝え、原則1日2回の診察と看護スタッフの記録確認を行う。抗精神病薬プロピタンの断薬後、症状増悪や再燃は早ければ1週間程度でも起こりうることも臨床薬理学的事実である。

副作用(有害事象)などのためにやむを得ず向精神薬の投与を中止せざるを得ないことはあり、当然精神症状の悪化のリスクは高まるため、精神状態の悪化に対して、感情調整薬の投与や程度によっては電気痙攣法などによる対応も考慮し、慎重に観察を継続する必要がある。


イ、パキシル(SSRI)の併用や減薬・中止
  パキシルは本来抗うつ薬であり、統合失調症の治療適応はないが、事件当時の薬物療法においては、陰性症状の改善、強迫症状の改善目的で抗精神病薬と併用されていること自体は逸脱した薬物選択ではないと考えられる。

パキシルはその薬理効果において攻撃性の増強、脱抑制、衝動行為の出現などが生じることは事件当時でもよく知られた事実である。臨床現場において、この負の作用はしばしば遭遇するものである。パキシルの投与においては、突発的な衝動行為や攻撃性の出現を考慮し、行動の些細な変化においても注意を払う慎重さが求められる。過去に突発的な暴力行為や衝動行為が確認されたケースに対しては、攻撃的行動の誘発を考慮して用いるべき薬剤でない。パキシルによる攻撃性の出現については、事件当時においても精神科医の基本的知識の範疇である。

パキシル減薬および中断時に出現する離脱(退薬)症状は、減薬後3日目を頂点とする早期の離脱症状と、その後に約1カ月程度持続する身体違和感、皮膚感覚の過敏症状が認められる。この間、いらいら感や情動の不安定さが増強しやすく、減薬に当たってはこれらの症状の出現を患者・家族、入院中であれば看護スタッフにあらかじめ十分に説明しておくことが望ましい。パキシル離脱のリスク管理は医師としては必須である。離脱期の精神状態の悪化や動揺は想定されうるものであり、これに対する慎重な観察や看護への離脱管理に関する観察指示が必要である。


ウ、ストレス負荷の増大
  自閉および対人回避傾向の強い慢性期の統合失調症の患者は、治療的な働きかけそのものがストレスとなり得ることを考慮して、治療プログラムを作成しなければならない。薬物療法の変化だけでなく、社会復帰に向けたリハビリテーションもまたストレス要因となり得る。ホスピタリズムを防ぎ、社会復帰を促進する働きかけは慢性の統合失調症であっても行われるべきであるが、その働きかけがどのような心理的負担を与え、精神状態に影響を与えているのかについて主治医は配慮しておく必要がある。社会復帰への働きかけの妥当性と、その働きかけによる精神症状悪化リスクの増大は異なる次元の問題であり、リスクを軽減する対策が求められる。


(2)、複数の薬剤を同時に変更した場合

複数の薬剤を同時に変更した場合や、向精神薬を中止した場合は、外出、外泊のリスクの再評価、外出時の看護者の付き添い、行動制限などが検討されおくべきである。


(3)、看護記録の問題

薬剤の変更や中止などがあった場合、必要なのは通常の看護記録ではなく、医師の指示に基づいた状態評価の記録である。医師が慎重な観察と評価を必要と認識し、その指示の元で記録された情報でなければ、記録の医学的価値は極めて限定的なものとなる。治療方針変更後のリスクに沿った評価や観察記録がなされていないために生じた情報量の不足と、一般的な医学的診療と看護観察の水準による情報収集の限界は混同されるべきではない。行うべき評価を行っていないという診療上の問題がある。


(4)、いわき病院の病院運営

A鑑定書は、当時の精神医療全体の水準からいえばいわき病院の医療運営は標準またはそれ以上であったとしている。いっぽうデイビース医師団鑑定書では精神医療の水準の低さが端的に指摘されている。日本の標準的な精神医療の水準は国際的な標準に達しておらず、その自覚が医療者に乏しいとの指摘の前に、行政機関の監査・指導の指摘の有無をもって質的な保証がなされているというA鑑定書の意見は、説得力に乏しい。

本件は法律上の判断はいかなるものであれ、日本と世界の精神医療の差を晒すものとなることは確かである。この水準の差によって生じた本件は、医師個人の責任を超え、精神医療サービスの従事者全ての問題として受け止められるべきである。その責をどのように全うすべきであるのかについて検討し、原告に提示することは医の責任と考える。


(5)、処方変更後の診療

処方変更後の診療回数の少なさ、犯行当日に診療を行わなかったことなどの点については、医療行為を行わないことによる患者のリスク変動に関して治療計画上の配慮が主治医に存在したのか否かの点からも評価が行われるべきである。実際の診療では患者の些細な要求に一つ一つ対応することは難しい状況はあるが、処方変更後の状態悪化や変動のリスクが想定される状況では、患者の些細な訴えにも精神状態悪化の兆候である可能性は排除されず、確認を行う必要があった。


(6)、リスクマネジメントと治療計画

リスクマネジメントに対応する治療計画と医師の診察、さらに治療計画に基づいた看護スタッフに対する観察評価の指示が作成されている必要がある。医療上のリスクマネジメントは、病院がどのようなリスクマネジメントに対する意識を持ち、医療現場を運営しているかに依存する部分が大きい。

本件では、リスクマネジメント評価の不在によって生じた情報量の不足がある。リスクマネジメント評価によって事件の正確な予見は困難であったとしても、事件の発生リスクを軽減または回避できた可能性は否定できない。

医師の治療行為は、治療行為毎の妥当性を持つと同時に、治療計画・方針に基づいた連続した行為群としての妥当性を必要とする。本件では、治療計画変更に伴うリスクマネジメント対策の策定と実施及び看護スタッフへの観察指示が的確に行われたことの証明、更にリスクマネジメントを医療サービスの標準的なシステムとして病院が取り組んでいたという事実が証明される場合には、いわき病院の医療行為の妥当性が肯定される。これらの行為や取り組みが行われていない状況で生じた事態について、医療行為提供者は不作為の責を問われることを免れない。


 
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