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いわき病院が引き起こした矢野真木人殺人事件
相当因果関係と高度の蓋然性(概要)


平成26年5月7日
矢野啓司・矢野千恵
(inglecalder@gmail.com)

いわき病院と渡辺朋之医師が行った精神科医療の被害者は二人いる。第一の被害者はいわき病院の任意入院患者の野津純一氏であり、入院医療契約の債務不履行を主張し証明することは直接的な関係で行える。野津純一氏の被害は、満足な精神科医療を受けられなかったこと、そして病状が悪化した状況で保護されず殺人事件の加害者となり、実刑を受けたことである。第2の被害者は矢野真木人であるが、いわき病院とは実刑を受けた野津純一氏を介して間接的であるため、「野津純一氏の自由意思による犯行であり、いわき病院には一切の責任は存在しない」と主張している。いわき病院事件の最大の問題は、「いわき病院と渡辺朋之医師の精神科医療に過失があったか、そして過失があった場合に、その責任は矢野真木人の死に法的に関連しているか」という問いに答えることである。

矢野真木人が殺人された直後、両親の私たちは、「殺人事件の最大の責任者はいわき病院と渡辺朋之医師である。それでは、如何にすれば法的責任を確定できるか?」を自問した。日本では、一市民の殺人事件被害者に病院の過失責任が確定した事例はなく、弁護士には次々と断られた。自問は「野津純一氏が心神喪失で無罪となれば、心神喪失者を病院の外に出し、殺人行為を行わせたことで、必然的にいわき病院に過失責任を問うことができるか?」から始まった。しかし、法的には自動的に過失責任が確定することはあり得ず、野津純一氏の法的責任とは別個の問題として、いわき病院の矢野真木人殺人に対する法的責任を追及しなければならない。その場合、野津純一氏が心神喪失者として無罪となれば、被害者遺族である私たちは、野津純一氏の個人情報(犯罪情報等)や医療情報を入手することは不可能となる現実だった。被害者遺族であるとしても、法的に無罪となった人物の個人情報や医療記録を入手することはこの日本では不可能で、従って、いわき病院に過失責任を問うには、野津純一氏に実刑を確定しなければならない。しかし、野津純一氏の刑罰が重ければ重いほど、いわき病院は「野津純一氏の自由意思による殺人事件」と主張することは明らかであった。それでも、私たちは、「野津純一氏に厳罰を、そして、いわき病院と渡辺朋之医師には過失責任を」を模索することになった。

そもそも野津純一氏と矢野真木人には接点がない。従って、野津純一氏が矢野真木人を殺人する動機には、いわき病院の渡辺朋之医師が野津純一氏に行った精神科医療が原因となるはずである。法廷では、いわき病院医療と矢野真木人殺人の間の相当因果関係と高度の蓋然性を証明することが私たちに求められた課題である。本報告は高松高等裁判所に提出した矢野意見書と付属証拠(3編)の概要である。



いわき病院の過失責任

被控訴人医療法人社団以和貴会(いわき病院)はいわき病院医療と矢野真木人殺人を結ぶ相当因果関係の「高度の蓋然性」を、「外出許可者の80〜90%以上が殺人を行う確率で証明する事」を控訴人に求めたが、これは「70%までの殺人を容認する、非人道的かつ反社会的な主張」である。矢野真木人はいわき病院が発生を容認した殺人事件の被害者である。いわき病院の論理で精神科開放医療を行えば、重大な他害事件の発生は不可避であり、医療倫理の逸脱である。また、精神医療は社会の信頼と支持を失うことになる。

【1】 事件の基本構造は次の通りである
  1. いわき病院長渡辺朋之医師は野津純一氏が任意入院であることを理由にして、患者の放火暴行履歴を考慮しないで精神科開放医療を行い、暴力行動が発現することに関して結果予見可能性を持つことがなかった。
  2. 平成17年11月23日から慢性統合失調症の患者に抗精神病薬定期処方(プロピタン)を中止して同時にパキシル(抗うつ薬)を突然中止したが、統合失調症治療ガイドライン無視、及び薬剤添付文書指示違反である。また、パキシルを突然中止する危険性を認識しない、重大な知識不足があった。また、処方変更した事実と注意事項を看護師に周知せず、チーム医療を起動しなかった。
  3. 複数の向精神薬の同時突然中止を行った後で、記録を残した診察は一回のみで、重要な時期の患者の経過観察に怠慢があった。更に、病状の悪化を認識した患者本人からの診察要請に応えず、放置し、緊急事態の発生を想定して対応する意思を持たなかった。
  4. 看護師からの風邪症状報告で、医師の診察なしに、パキシル突然中止の副作用の可能性を検討せず、看護師から伝えられた診察要請を拒否し、患者の病状を確認せずに漫然と患者に外出許可を出し続けた。
  5. いわき病院内で患者は根性焼きを顔面に自傷していたが、誰も発見することがない、おざなりの看護を行っていた。
  6. 事件は高度医療による不可抗力の事故ではない。主治医の錯誤と知識不足及び日常の基本的な医療行為の怠慢で発生した。いわき病院は結果予見性と結果回避可能性を想定した精神科開放医療を行わなかった。
【2】 いわき病院は常識として入院精神科医療の基本として普通に行うべき、ケースカンファレンス(情報の共有)実施、適切な処方変更、経過観察、根性焼き発見(患者を正視して観察する看護)、パキシル突然中断と頭痛の関連性の確認(薬剤添付文書の重要な注意事項に基づいた対応)、診察要請に応じた治療的対応、純一の激しい落胆(心神の動揺)の発見と確認、外出時の患者の状況確認(日常定例業務の励行)等、を行う義務があった。しかし、いわき病院はこれらの常識的な義務を果たさず治療放棄の状態であった。精神科医療と看護でこれらの日常行うべき義務的項目の一つでも、いわき病院が全うしていたら、矢野真木人は通り魔殺人されることは無かった。殺人事件は極めて起こり得ないことであり、弱冠28才の健全な社会人男性が突然命を奪われることは通常100%あり得ない。

【3】 精神医療事故における相当因果関係と高度の蓋然性を数値に置き換えることに無理がある。いわき病院は10人中8〜9人以上の殺人危険率を持ち出したが論理的に7人までの殺人を容認した非人道的な主張である。北陽病院事件で最高裁も認定した「高度の蓋然性」の本質は「誰もが容易に納得する道理」であり、「常識を持つ人間のほとんどが容易に納得する」という意味である。

【4】 矢野真木人殺人事件を直接的に起動したのは、野津純一氏の主治医渡邊朋之医師が平成17年11月23日から実行した、複数の向精神薬を同時に突然中止した薬事処方変更であり、医師が原因者の医療事故である。主治医は薬事処方変更に伴う結果予見性と結果回避可能性を持って治療を行う義務があったが、渡辺朋之医師は治療責任を果たさず、結果として治療中の患者の行為による不特定の他者に対する通り魔殺人事件の発生を未然に防ぐことがなかった。

【5】 野津純一氏には放火暴行歴があるが、いわき病院は任意入院患者であること、及び前科が無い事を理由にして、知り得た情報を否定して、暴力を行うことは考えられないと主張したが間違いである。また、放火暴行履歴を知らないことを理由にした子供の弁明を行い、いわき病院は結果予見性と結果回避可能性が無い精神科開放医療を行ったことは悪質な責任放棄である。

【6】 渡邊朋之医師は精神保健指定医であり、患者に暴力行動が発現する可能性を判断する法的有資格者であるが、法に嘱託された義務を果たしていない。向精神薬の無謀な処方変更で他害衝動を誘発した患者に、暴力行動が発現する可能性を予見せず殺人事件の発生を未然に防ぐことがなかった。主治医が繰り返して「放火暴行履歴を知る必要がない」と主張した事実は、精神保健指定医が画定意思に基づいて義務違反を行った事実を決定づける。

【7】 最高裁が棄却した北陽病院事件の上告理由書の記載内容と論理は、いわき病院第1準備書面の記載とほぼ同一である。いわき病院は「北陽病院事件は参考とならない」と主張したが、自らの弁論論理と矛盾する。最高裁はいわき病院が主張した過剰な高度の蓋然性の論理を既に否定していた。

【8】 最高裁判決を含む、賠償が認められた判例では、精神科医療の過失と人命の損耗に関する高度の因果関係を十中八九の殺人危険率に求めておらず、一般人が納得する常識の範囲内である。いわき病院は「高度」の言葉を弄び、意図的に法廷議論を複雑化する方向に誘導した。

【9】 野津純一氏の主治医の渡邊朋之医師には、複数の向精神薬を同時に突然中止した薬事処方変更で、病状の変化を確認して知るべき義務と、結果(病状の悪化と自傷他害行為の危険性の亢進)を予見するべき義務があり、同時に、予見可能な結果(深刻な他害行為の発現)を回避する義務と責任があった。渡邊朋之医師が、普通の能力を有した精神科医であれば、それは当然実行可能なことであった。このことは大学病院の医師であるなしの問題ではない。およそ精神科専門医であれば常識である。

【10】 精神科開放医療は、薬物療法の進歩を背景にして、心理学的理解の促進、看護手法の向上、作業療法などのリハビリテーションの向上、また社会の受け入れ体制の整備などに基づいて実現可能となった。精神障害者に希望を与える医療であり、精神科開放医療が適切に推進される場合には、特別に社会防衛を目指さなくても、結果的に精神障害者による殺人事件の発生を医療の効果に付随して抑制することになる。

【11】 措置入院と任意入院の違いは、精神科病院の患者に対する治療と看護で、医療密度の違いや、錯誤や怠慢や不作為を許す理由とはならない。パレンスパトリエ及び精神科開放医療という大義名分を主張しても、現実に患者に対して行う医療に事実と実体が伴わなければ過失責任は免除されない。

【12】 精神科医療機関は「自傷他害のおそれある精神病患者に対する看護義務」及び「患者が第三者に加害行為をしないように監督する監督義務」を有する。いわき病院は任意入院を理由にして、外来患者より劣悪な医療密度で入院患者を放置して、精神科医療機関として看護義務も監督義務も果たさない医療放棄でほったらかしの状況であった事に、法的な過失責任を確定する必要がある。法的責任を負わないことでは、日本の精神科医療の荒廃が促進し、健全な発展が阻害され、日本の国際的な名誉を損なう。

【13】 開放医療は免罪符ではない。いわき病院代理人は精神科開放医療の国際評価を持ち出して裁判官恫喝を行った。

【14】 渡辺朋之医師は野津純一氏の主治医として、結果予見義務と結果回避義務があった。この義務は大学病院の医師もしくは高度な先端医療であるなしにかかわらない、地方の病院の普通の医師であっても日常医療の基本的な義務である。いわき病院の渡辺朋之医師は本人の行動として行っておらず、過失責任を免責されてはならない。

【15】 適切に行われる精神科開放医療は安全な医療であり、不可避的に市民の犠牲を伴うものではない。本件で明らかになった医療者の根底にある市民に対する人命軽視の考え方は、そのまま患者の人命も軽視することになり、開放医療か否かにかかわらず、人命を軽視した医療そのものに問題がある。いわき病院の人命の犠牲を当然視した主張が容認されてはならない。

【16】 矢野真木人は、外出許可者の10人中7人までが殺人することを容認したいわき病院医療が必然として発生させた犠牲者である。「外出許可者の10人中7人以下が行う殺人頻度であれば外出許可を出した病院に過失責任を問えない」としたいわき病院の主張は間違いである。いわき病院はこのような認識を有していたが故に、必然の結果として通り魔殺人事件を発生させた。


 
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