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いわき病院医療が引き起こした矢野真木人殺人事件
相当因果関係と高度の蓋然性


平成26年5月7日
矢野啓司・矢野千恵
inglecalder@gmail.com


2、矢野真木人は確実に生きている

高松地裁判決(P.46〜47)は(被告以和貴会及び被告渡邊の主張)として「甲事件原告ら及び乙事件原告らは、その主張する過失がなければ亡真木人に発生した死亡結果を回避できたことを80〜90%以上の確率をもって具体的に想定できておらず、甲事件原告ら及び乙事件原告らの主張が高度の蓋然性のレベルで立証されたとは到底言い得ない」と記載した。これは極めて残酷な設問である。矢野真木人の両親である控訴人矢野に「矢野真木人の死は80〜90%確定的であったが、それを回避できた可能性を80〜90%以上の確率で証明せよ」と突きつけたことになる。

殺人事件の発生は極めて希であり、今日の日本で「不慮の死」に見舞われる可能性は極めて低く、矢野真木人の死が予め「80〜90%確定的である」ことはない。本件は精神科医療に関連するが、精神科病院には本来の機能として安全メカニズムがあり、殺人事件の発生は自動的に抑制されるものである。従って、いわき病院の医療として「人命損耗事件(自殺や殺人)の発生を80〜90%以上の確率をもって具体的に想定すること」も、本来あり得ない設問である。そのあり得ないことが、いわき病院で発生し、いわき病院が外出許可を行うに当たり容認した70%までの殺人被害者として矢野真木人は殺害された。不幸な事件が発生した場合、行った医療の過失性を厳しく検証する必要がある。

薬事処方変更を行うことは主治医の権限であり、そのことでは過失と主張できない。しかし、薬事処方変更の内容及び変更後の経過観察などの事後管理には過失性を問うことができる。渡邊朋之医師が平成17年11月23日(祝日)から主治医として野津純一氏に実行した複数の向精神薬の同時突然中止の処方変更と、経過観察を適切に行わない事後管理にいわき病院の過失責任が問われてしかるべきである。もし、いわき病院の渡邊朋之医師が薬事処方変更を適切に行い、また仮に薬事処方変更に問題があったとしても、経過観察を適切に行い、野津純一氏の病状の悪化に適切に対応して、いわき病院が適切な看護と外出管理を行っていたならば、矢野真木人は100%確実に現在でも生きている。

高松地裁が控訴人矢野に与えた課題は「矢野真木人が通り魔殺人されない条件を、いわき病院の精神科医療から証明(指摘)せよ」となる。控訴人矢野は「以下の(1)〜(8)の精神医療的事実の一つでも」あれば、矢野真木人は現在でも健在で社会生活を全うしていると確信する。控訴人矢野は「以下の(1)〜(8)の全てを満足する条件」と言っていない。一つでも実行されていたら、矢野真木人が通り魔殺人事件の被害者になる事は無かったと指摘する。以下の(1)〜(8)の事例は、本来精神科病院の安全メカニズムとして普通で当然のことである。その普通で当然のことがいわき病院では実現していなかった。

健康で健全な生活を行っていた28才の男性である矢野真木人が交通事故でもないのにある日突然死亡する確率が「80〜90%以上」ということはあり得ない。それが発生したことが「異常」である。以下の(1)〜(8)が行われなかったことは、精神科病院として「異常」であり、特定の病院で常態であることは許されない。控訴人矢野はいわき病院で(1)〜(8)の異常が普通の常態であったという酷い現実の中でも、その内の一つでも正常・普通であれば、通り魔殺人事件は発生するはずがない。しかしながら、いわき病院の渡邊朋之医師の医療で殺人事件は発生した。不幸な事件の発生を許したこと、事件の発生を容認する状況を放置したことに、過失責任が問われなければならない。


(1)、ケース・カンファレンスで情報共有しておれば矢野真木人は生きている

渡邊朋之医師はいわき病院にケース・カンファレンスを導入したが、遅刻の常習者で主治医が同席しない会議に意味は無く行われなくなった。平成17年11月23日(水:祝日)から向精神薬の大規模な処方変更を行ったが、ケース・カンファレンス(職員間の重大な情報の共有)は行われず、複数の向精神薬を同時に突然中止する普通ではない治療を実行することに関して病院スタッフ(医師、薬剤師、看護師、作業療法士等)に周知し協力体制をつくることがなかった。

渡邊朋之医師は、薬剤師の協力を得られず、処方変更の対象となった向精神薬の添付文書に記載された重大な注意書きなどを確認し、処方変更後に医師と看護師等が行うべき観察と診察事項等を周知することがなかった。更に他の精神科医や内科医に重要な情報が伝えられず、野津純一氏の病状変化を適切に診察する協力を得られなかった。また、看護師は看護の留意点を承知して野津純一氏に対応することがなかった。渡邊朋之医師がケース・カンファレンス(情報を共有する打合会)を行い、病棟スタッフに慢性統合失調症患者に複数の向精神薬を同時突然中止する情報を共有しておれば、精神科病院の安全保持機能が起動して、野津純一氏が重大な他害行為を行うことを未然に防止することが可能であった。従って、矢野真木人が通り魔殺人されることもない。


(2)、処方変更を統合失調症治療ガイドラインや添付文書に従って適切に行っておれば矢野真木人は生きている

渡邊朋之医師は11月23日(祝日)から抗精神病薬(プロピタン)とパキシル(抗うつ薬)を同時に突然中止し、合わせてアキネトン(アカシジア緩和薬)の筋注も中止した。渡邊朋之医師が複数の向精神薬を同時に突然中止せずに、一つ一つ、患者の病状の変化を確認しつつ投薬量の削減や、抗精神病薬の変更などの対応をしておれば、野津純一氏の急激な病状の悪化や、激越、焦燥、錯乱等の攻撃性(H16年入院前問診で父親は「焦燥感から暴力出る」と申告)の亢進は避けられた。更に、薬剤師が協力して、向精神薬の突然中止に伴って発現する可能性がある症状を、医師や看護師に周知しておれば、野津純一氏に発現した異常の兆候を見逃さない対応が可能であった。この場合、野津純一氏の他害衝動の発現は抑制され、結果、矢野真木人が殺人されることはない。


(3)、医師が経過観察(問診と診察)を行っておれば矢野真木人は生きている

渡邊朋之医師は11月23日(水・祝日)に処方変更を行ってから野津純一氏が身柄拘束された12月7日(水)までの14日間で11月30日(水)に睡眠薬を服用した後の夜間に1度しか患者野津純一氏を診察した記録がない。渡邊朋之医師は12月3日(土)にも夜7時以降に外来診察室で野津純一氏を30分以上診察したと主張したが、問診内容の記録は存在しない。また同日12月3日の看護記録に基づけば、野津純一氏は朝から体調が悪いことを訴え続けており、その患者を診察した主治医が向精神薬処方変更後の病状の悪化に気付かないとしたら、精神科専門医としてはあり得ないはずの、診断ミスである。渡邊朋之医師は必要とされる経過観察を行わない過失があった。しかし、いわき病院の他の精神科医師や内科医が複数の向精神薬の同時突然中止の事実を承知して、慎重な診察を野津純一氏に対して行っておれば、12月3日(土)以後の病状の悪化を確認する事は可能であった。この間にプラセボ注射や風邪薬のレセプト承認が行われているが、患者を直接観察した記録ではない。

プラセボテストは12月1日(木)21:20時に開始され、翌2日(金)11時のプラセボ筋注の後で、看護師が12時に「プラセボ効果あり」の報告をした。しかし野津純一氏はその直後の15:30時からアカシジアに苦しみ始めて、3日(土)は1日苦しみ、4日(日)も1日中アカシジアで苦しんだ記録が看護記録に残されている。渡邊朋之医師はプラセボを「3日だけ試す」と治療計画していたのであり、看護師の報告に頼らずに、医師自らが確認診察をする義務があった。渡邊朋之医師がプラセボ効果確認の問診と診察を予定通り12月4日(日)か5日(月)までに行っていたならば、野津純一氏の異常に気付き治療的介入を行ったはずである。その場合、野津純一氏の病状は改善して、他害衝動の亢進は抑えられた。その結果、矢野真木人を殺人することはなかった。


(4)、自傷行為を発見しておれば矢野真木人は生きている

野津純一氏は12月7日(水)に逮捕された時に顔面左頬にやけど傷(根性焼き)が確認されており、警察に「事件の2〜3日前(12月3〜4日)に自傷した」と供述した。看護師が野津純一氏を正視して、表情を観察し、検温などを行っておれば、根性焼きを発見できたはずである。しかし、野津純一氏の顔面に根性焼きがあることが確認されている12月6日(火)13時から7日(水)14時までの25時間、野津純一氏はいわき病院内にいたが、看護師は誰も根性焼きを発見していない。いわき病院の看護は、患者の顔面を確認せずに、顔面の重大な異変を見逃す精神科看護であった。看護の過程で根性焼きの自傷行為を発見しておれば、治療的介入のきっかけとなり重大な他害行為である殺人に発展することはなかった。結果として矢野真木人は殺人されることはなかった。


(5)、パキシル離脱症状の頭痛を診察確認しておれば矢野真木人は生きている

12月5日に野津純一氏は「37.4度の発熱で風邪症状」と看護師が判断したが、6日(火)10時に渡邊朋之医師に診察を拒否されて「先生にあえんのやけど、もう前から言ってるんやけど、咽の痛みと頭痛が続いとんや」と発言した。野津純一氏は風邪3大症状のうち鼻症状と咳がなく「頭痛が以前から続いており、5日に風邪薬では頭痛は治っていなかった」のである。パキシル中止の重要注意事項に「頭痛」があり、パキシル中止時の「異変」の症状に関する情報がいわき病院内で周知されていたならば、「風邪、又は薬で効かないパキシル突然中止に伴う離脱」の可能性を疑うべき状況であった。薬剤師の協力を得ない、渡邊朋之医師といわき病院の過失である。12月5日(月)には渡邊朋之医師はパキシル(抗うつ薬)を突然中止した主治医として、野津純一氏を診察する義務があった。その上で、6日(火)の診察要請である。渡邊朋之医師が野津純一氏を診察しておれば、病状の悪化を確認できたはずである。その結果、治療的介入を行うこととなり、矢野真木人殺人は未然に防止できた。


(6)、6日(火)朝の診察要請を拒否しなければ矢野真木人は生きている

渡邊朋之医師が12月6日(火)朝10時の野津純一氏が看護師を通して要請した診察依頼を拒否せず、自らもしくは他の精神科医師に要請して野津純一氏を診察しておれば、本件犯行の動機と刑事裁判で認定されたされた、野津純一氏の異常(父親悪口の幻聴、被害関係妄想、激しいイライラ)を発見して、殺人事件の発生を未然に防止できた。渡邊朋之医師は複数の向精神薬を同時に突然中止した主治医であり、診察要請に応える義務があった。慢性統合失調症の野津純一氏に抗精神病薬の定期処方を中止して、統合失調症の治療を中断している状況は、普通の状態ではない。渡邊朋之医師がパキシル(抗うつ薬)を突然中止する危険性の認識を持たなかったことは過失であるが、パキシルの突然の中止の危険性の認識を持つとともに、抗精神病薬定期処方を突然中止した時の危険性に関する認識を当然持つべきであった。精神科専門医師として基本中の基本である。精神科専門医師の義務として、野津純一氏の診察要請に応える必然性があった。地裁判決はこの点を避けている。渡邊朋之医師が義務を誠実に全うする医師であれば、矢野真木人は今日でも確実に生きている。


(7)、野津純一氏が激しく落胆しなければ矢野真木人は生きている

平成17年12月3日(土)以後の野津純一氏は精神症状発現とアカシジア症状(イライラ、ムズムズ、手足の振戦)が極度に亢進して耐えられない状態にあった。本人は渡邊朋之医師の診察を希望したが、主治医は患者からの診察希望を無視し続けた。渡邊朋之医師は患者に処方変更を行い複数の向精神薬を同時突然中止後であるし、更に、プラセボテスト中でもあるので、患者から診察希望が伝えられた場合には、診察をする義務があった。6日(火)朝10時に定期健診の担当看護師が野津純一氏の診察希望を伝えた。これは異例のことであり、渡邊朋之医師はいわき病院長として拒否できない状況にあったが診察拒否を行った。野津純一氏は激しく落胆して「先生にあえんのやけど、もう前から言ってるんやけど、咽の痛みと頭痛が続いとんや」と、恨みの声を発した。そして、「イライラ解消に誰かを殺す」決心を実行することにした。この決心は余人には知る由もないが、統合失調症の思考の歪曲であり(SG鑑定人)、野津純一氏に激しく落胆することが無ければ、殺人を実行する決意は無く、従って、通り魔殺人事件は発生せず、矢野真木人は今日でも生きている。そもそも、激しく落胆した患者の状況の変化を察知してこその精神科病院という精神医療専門家集団である。


(8)、外出時の患者の精神状態確認を行っておれば矢野真木人は生きている

いわき病院のアネックス棟の任意入院患者は外出簿に時間と目的を記載するだけで、たとえ帰院時記載が無くても翌日も看護師が患者の状態を確認する事無しに、日中自由な外出を許していた。本来は、医師や看護師などのスタッフが、毎日「入院患者の精神状況を確認」する義務がある。いわき病院は極端に反応して「身体検査」(地裁判決は「帰院患者を見逃さず必ずチェックする体制構築」)と言うが、患者の状況確認は本格的な身体検査や厳格なチェックを意味しない。医師や看護師が声かけして反応を見るか、専門家として患者のその日の状態を正面からの目視で確認して記帳できることである。外出時に患者の状況を確認しておれば、野津純一氏の病状の悪化や顔面左頬の根性焼きの自傷行為を発見できた。その場合、市中で殺人をする決意を固め外出する患者の表情から一時的な外出制限や、付き添い付きの外出等の対応を取ることで、野津純一氏がショッピングセンターで包丁を購入することは防止できた。結果として矢野真木人が通り魔殺人されることもなかった。いわき病院が怠ったことは、日常の患者の状態の確認である。



   
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