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いわき病院医療が引き起こした矢野真木人殺人事件
相当因果関係と高度の蓋然性


平成26年5月7日
矢野啓司・矢野千恵
inglecalder@gmail.com


6、渡邊朋之医師の精神科医療の問題

(3)、渡邊朋之医師の錯誤


(1)、野津純一氏は許可外出14分後に殺人した

いわき病院には病院管理者として、外出許可を与えた入院患者が病院外で通り魔殺人事件を引き起こしたことに関して責任がある。事件は外出許可で野津純一氏がいわき病院から外出して14分後であり、いわき病院の近傍であった。北陽病院事件では無断離院して4日後でしかも500km離れた遠隔地で発生した事件であったが過失責任が認定された。野津純一氏は任意入院患者であったが、いわき病院は患者が病状悪化している状況を確認せずに外出許可を与えており、過失責任が問われるべきである。

本件の矢野真木人殺人事件は、いわき病院の任意入院患者である野津純一氏が行った行為であるが、事件が発生した状況や野津純一氏といわき病院との関係、またいわき病院が行った精神科医療の内容(複数の向精神薬の同時突然中断、経過観察の不在等)を考えると、いわき病院の精神科開放医療には結果予見性を持たなければ結果回避可能性も無い、徒に殺人事件の発生を許したことにいわき病院に過失がある。


(2)、野津純一氏が他害行為を行う可能性を予見しなかった

野津純一氏及び両親の野津夫妻は、野津純一氏がいわき病院に任意入院するに当たって過去の放火暴行履歴を自己申告していた。更に、野津純一氏はいわき病院に入院直後にも看護師を襲い一時的に閉鎖病棟処遇となった事実がある。また、本人は再発時で病状が悪化した時に発生した一大事についても、繰り返しいわき病院側に説明していた。いわき病院は野津純一氏が他害行為を行う可能性やその条件を検討し、病状が悪化した時など、他害行為の衝動が亢進する可能性がある時には、外出許可の内容を見直すなど、慎重な対応をとることが求められた。

基本的な命題は、野津純一氏の行動履歴に関する客観的な情報に基づいて、必要最小限の精神医療的対応を行った医療的事実を公明・公正な手続きでいわき病院が証明できるか否かである。いわき病院が適切な治療的対応を行ったことが証明されるのであれば、仮に殺人事件が発生したとしても、過失責任を問うことは極めて困難である。むしろ、過失責任を問うことができないと考えることが適当である。しかしながら、いわき病院が精神科医療機関としての義務を怠っていたことが明白な場合にまで、過失責任を免除することは適切ではない。この問題に関して、わが国では「社会が安全上の不利益を蒙ることを防ぐ社会防衛を目的とした医療政策は精神医療の治療目的とはそぐわない」という論理があり、「控訴人の主張に基づけば、本来の医療ができなくなるとか、開放医療ではなく隔離収容政策を進めることになる」という反論が控訴人矢野まで聞こえてくる。しかし、社会防衛論を楯にして医療の怠慢を行うことを許すのは反社会的である。

控訴人矢野は精神科開放医療を促進する前提として、基本的な精神科医療手続きの徹底を求めており、「精神科開放医療または隔離収容」という二者択一の問題を請求しているのではない。英国では、精神科開放医療を促進することで、マクロ的には社会全体として精神障害者が原因者となる殺人や自殺数は減少した経験則がある。その場合でも、ミクロ的には精神障害者による殺人事件の発生はゼロにはならない。そして、不幸な事件が発生した際には、精神科医療提供者が、必要最小限の適切な精神科医療を行っていたことが客観的に証明できるのであれば、過失責任を問うことはできない。その法的対応は、日本でも社会的な運用として、不可能ではない。


(3)、野津純一氏の精神症状の病状悪化を招いた

平成17年2月14日に渡邊朋之医師が野津純一氏の主治医を交代した時点で、渡邊朋之医師は野津純一氏の病状が安定(Stable)していたことを確認した。しかしその後に渡邊朋之医師は、野津純一氏の抗精神病薬をリスパダールからトロペロンに変更して病状は急速に悪化したが、渡邊朋之医師は病状の変化に対応した効果的な治療ができず、勤務医のSZ医師が協力して病状は回復した。渡邊朋之医師はその後も抗精神病薬の変更を繰り返し、野津純一氏の病状は悪化して、アカシジアの症状が酷くなり、精神症状も悪化した。事件後に野津純一氏を精神鑑定したSG医師は「いわき病院に入院して病状増悪?」といわき病院の入院医療で野津純一氏の病状が悪化した事実を確認した。

平成17年11月23日(水、祝日)以後に渡邊朋之医師が野津純一氏の主治医として実行した精神科医療は「重過失」であり、同日から実行した複数の向精神薬の同時突然中止が殺人事件発生の秒読み開始である。慢性統合失調症患者に処方変更を行った後では、主治医は綿密な経過観察を行い、病状の変化を詳細に観察して何らかの異常が見られた場合には、時を失わずに治療的介入を行わなければならない。しかしながら、渡邊朋之医師の診察は11月30日(水)の1回限りで、更に、12月1日からアカシジア緩和薬のアキネトン1ml筋注を薬効がない生理食塩水1ml筋注に代えるプラセボテストを実行した。MO医師他がプラセボのレセプト承認を行った記録があるが、記録にあるのは生食20mlのレセプト承認行為であり、生食1mlの筋注実施ではない。従って、12月になってから医師が野津純一氏を診察した記録は存在しない。更に、看護師の患者観察も根性焼きを発見しないなど、目前の事実の確認という点で信頼性が極めて低い。いわき病院には、信頼性に足りる事件直前の野津純一氏の精神症状と行動を観察した記録は存在しない。いわき病院に記録が無いことをもって、事件直前の患者の異常性が確認できなかったとして、結果予見可能性と結果回避可能性を否定する事は、何も医療行為を行わない怠慢を無過失として容認することになる。

野津純一氏は12月3日(土)以降にアカシジアの悪化を訴え、12月4日(日)にはプラセボを疑う言動を見せたが、プラセボは続行された。この時期以降に野津純一氏は顔面左頬にタバコの火で自傷行為(根性焼き)を行ったと検察・警察調書で述べたが、いわき病院の看護師は誰も発見していない。野津純一氏が7日(水)に警察に身柄を拘束された時には数日を経過して黒化した古い根性焼きが確認されており、また6日(火)には目撃者が根性焼きを確認したがその後でもいわき病院看護師は発見しておらず、いわき病院の看護記録はその真実性が疑われる。12月6日朝10時に野津純一氏は看護師を通して渡邊朋之医師に診察要請を行ったが、外来診察中の渡邊朋之医師は「咽の痛みがあるが、前回(医師が診察した記録は無い)と同じ症状なので様子を見る(看護師より)」として自らの眼で患者を観察せずに、看護師の報告から決めつけて診察を拒否した(医師法第17条、第20条、24条違反)。その返事を聞いた野津純一氏は「先生にあえんのやけど、もう前から言ってるんやけど、咽の痛みと頭痛が続いとんや」と言い、何回も診察拒否をされたことに、恨みの声を発し、精神症状は極端に悪化した。そして「誰でも良いから人を殺す」と決意して同日12時10分に許可による外出を行い、たまたま出会った矢野真木人をショッピングセンターで購入した包丁で刺殺した。



   
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