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いわき病院医療が引き起こした矢野真木人殺人事件
相当因果関係と高度の蓋然性


平成26年5月7日
矢野啓司・矢野千恵
inglecalder@gmail.com


7、賠償請求が認められた判例と高度の因果関係

(3)、東京拘置所MN被告自殺事件

平成18年11月29日判決 東京高等裁判所、平成17年
  平成17年1月31日判決 東京地方裁判所、平成15年(ワ)第9953号


(1)、事件事実の概要

MNは平成12年12月25日に自己が運転する自動車を被害者が運転する自転車に故意に衝突させて死亡させたとして傷害致死罪の公訴事実で起訴された刑事被告人で、平成14年1月21日に傷害致死罪で懲役7年の実刑判決言い渡しを東京地方裁判所八王子支部で受けて、控訴中で、平成14年7月10日に東京高等裁判所における第一回公判が予定されていた。MNは平成13年4月13日に府中刑務所八王子拘置支所に移監され、平成14年6月26日に東京拘置所に移監され、6月30日午前4時頃に雑巾を口に詰めて自殺企画を行っていることころを発見され同日5時40分に死亡が確認された。

MNは長年精神賦活剤リタリン等を服用しており、東京拘置所に移監後にリタリンの投薬を中止され投薬再開を強く要求したが、要求は東京拘置所医師により聞き入れられず、6月29日午後8時45分頃にMNは自殺企画メモを看守に手渡していた。東京拘置所内で、10年以上長年服用してきた依存性が高く精神に作用する投薬を患者の同意無しに医師の独断で中止して、その上で、適切な自殺防止及び救命措置が取られなかった。


(2)、判決で過失を認めた相当因果関係の論理

  1. 原告の訴え
  2. ア、 やっと出会えた薬であるリタリンを、東京拘置所の精神科医が患者の同意無しで突然全ての量を切った(中止した)こと
    イ、 自殺企画があったので独房に移して、身辺の物を片付けたと主張するのに、小さな雑巾が房に残されていた管理責任
    ウ、 MNの自殺を発見した拘置所の職員が適切な救命措置を取らなかったこと

  3. 判決の論理
  4. ア、 (判タNo.1181、P.217)未決拘留者については、刑事訴訟法上いわゆる無罪の推定が働くものであるから、その拘留による自由の制限は必要にして十分な限度に留められるべきであり、この観点からすると、未決拘留者といえども、国民が一般的に社会生活上享受すべき水準の、専門的資格のある医師による治療を受ける機会を不当に制限される理由はおよそないから、被告は前記安全確保義務の一環として、疾患を有する未決拘留者に対し、医師による適切な治療を受ける機会を提供すべき義務を負う。
    イ、 (判タNo.1181、P.217)一般的に言って、患者が一定期間に渡り複数の専門医による治療歴を有する場合に、前医らの下した診断や治療薬の選択は、相応の専門的・医学的知見に基づきなされるのが通常であるから、新たに当該患者の診断、治療を担当した医師が、過去の病歴や治療歴を無視して、患者がそれまでに受けていた治療内容を大幅に変更したり中断する措置を行うことは慎重でなければならない。
    〔前記4−(三)〕
    精神疾患に対する治療方針と薬剤の離脱症状等(判タNo.1181、P.214)

    精神疾患の治療においては、患者の医師に対する信頼が重要であること、また、薬剤の効用にかなりの個人差があることから、継続的な治療が重要とされる。
      精神疾患に用いられる薬剤を中止すると、離脱症状や反跳現象が起こる可能性がある。トフラニール、アナフラニールといった三環系抗うつ薬を含め中枢神経に作用する薬剤は、離脱症状がおこりうるため、どのような薬剤でも漸増漸減が原則とされている。(中略)
      なお、うつ病の罹患者は、自殺の危険が健常者に比べ数十倍も高い事が指摘されており、焦燥、不安の強い場合、不眠を強く悩む場合などには自殺の危険性が高いとされ、自殺は必ずしも計画的に行われず、偶然の機会に衝動的で突飛な行動としておこなわれやすいことが指摘されている。

    ウ、 (判タNo.1181、P.217)とりわけ、精神疾患の治療においては、前記4−(三)のとおり患者の医師に対する信頼が重要であること、薬剤の効用にかなりの個人差があることから、継続的な治療が重要とされており、従前から継続していた投薬が受けられないことによって患者が精神的不安を覚えることが病状の悪化に繋がりかねないことを考慮すれば、特段の問題が無い限り、従前の治療方針を一定程度尊重することが原則となるものというべきである。
    エ、 (判タNo.1181、P.218)したがって、拘置所の医師の投薬を含む治療が裁量を逸脱し、前記安全確保義務に違反するものといえるかについては、従前の投薬措置が合理性を欠くものであったか、投薬を変更、中止すべき特段ないし緊急の必要性が存在したか、患者に対する説明の有無、内容等、その具体的態様がいかなるものであったかといった観点から検討すべきである。

  5. 相当因果関係の成立
  6. MN自殺事件では、未決拘留者に対して一時的な治療を行う拘置所医師が患者の長期服用していた依存性が高い精神賦活剤リタリン等を患者の理解と同意無しに一方的に中止して4日後に患者が自殺した相当因果関係が問題となった。これに対して渡邊朋之医師は主治医であり、処方薬の変更に関しては主治医の裁量権をより強く主張できる。しかし、薬剤中止に伴う離脱症状に対応した抗うつ薬及び抗精神病薬の「少量ずつ漸減が原則」という問題は同一である。更に、薬剤添付文書に記載がある、薬剤の処方に関する注意書きの医師が理解する義務は同一条件である。さらに、処方変更を受けた患者の精神的不安に対応する問題も同一である、また、処方変更に係る患者の理解と同意の問題も同一である。また、処方変更後の医師の患者に対する対応にも問題を共有していた。渡邊朋之医師の治療(薬剤処方)は、東京拘置所医師と同等レベルまたはそれ以上の結果(自傷他害)に対する精神医療上の因果関係を有していたと結論されるべきである。


(3)、高度の因果関係

東京拘置所MN被告自殺事件では、リタリン中止による自殺が10人中8〜9人以上の確率で発生することの証明を判決は「高度の因果関係」の条件としていない。判決の論理は精神科医療の薬物療法における医師の基本的知識と、患者に対する常識的な対応を行ったか否かが「高度の蓋然性」を満足する要件であることに留意すべきである。

いわき病院では主治医の渡邊朋之医師は薬剤添付文書を真面目に読まず、読んでも解釈と理解を間違えた。そして、慢性統合失調症の患者の同意と理解を得ずに抗精神病薬(プロピタン)を突然中止して統合失調症治療を中止し患者から要請があっても診察拒否した。同時に突然中止の危険性が指摘されていたパキシル(抗うつ薬)を突然中止した。高松地裁判決(P.109)は、「渡邊朋之医師は中止後の症状について経過観察を行っているから、複数向精神薬同時中止は医師の裁量権逸脱ではない」としたが11月30日以降診察しておらず根拠が無い。判決は刑事裁判で確認された「犯行動機」と「犯行時の精神症状」に精神科プロである主治医と看護師が気付かなかったことと、「非常識な薬物療法と犯行動機の高度の蓋然性」についても言及を避けた。患者野津純一氏は処方変更を渡邊医師が勝手に行ったとして不満を持ち、主治医に診察を求めても診察してもらえない事実を訴えていた。危険性が指摘される薬剤突然中止を同時に複数の向精神薬で行えば、危険性は飛躍的に高まるが、いわき病院は患者に対して適切な医療と看護を行っておらず、殺人事件の発生には高度の蓋然性が存在する事を否定できない。


(4)、政党が乗り出した案件である

本件は東京拘置所に勾留されていた東京高裁に上告中の未決拘留者の拘置所内の自殺死亡に関連して、共産党が乗り出し国会議員団が支援した案件である。このため、拘置所内の未決拘留者の治療に関する状況と事件事実の確認は組織的かつ体系的に行うことが可能だった。一般の市民が精神科病院の不始末を訴えるよりは、はるかに専門的で組織的な事実関係の解明が可能であった背景が窺われる。MN被告自殺事件で、医療に過失責任を認めた論理には普遍性がある。


(4)、市民として精神科医療裁判を行う

控訴人矢野は矢野真木人殺人事件に関連する刑事裁判から始まり、裁判を8年越しで行ってきた。矢野千恵は薬剤師であるが精神科の経験はない。また矢野啓司も精神医学には門外漢である。私たちがいわき病院の医療の過失を一つ一つ解明できたことには、控訴人野津夫妻のご理解とご協力が極めて大きい。野津夫妻が協力姿勢を維持してくれたからこそ多くの精神医療専門家から協力をいただけた。また、出版社ロゼッタストーン社が事件事実と裁判経過を発信したことも大きく、沢山の方から支援と協力をいただいた。更に、控訴人矢野が英国側の精神医療専門家集団であるデイビース医師団に協力をいただけたことも極めて大きい。デイビース医師団には精神科開放医療を誠実に行うことの意味や社会的な意義を教えていただき、裁判の方向性を見極めることができた。

現実に、一市民として精神科医療裁判を提起して闘い続けることは困難である。民事訴訟を行う大前提として、犯人が刑事裁判で有罪でなければ、捜査資料を民事裁判で証拠として入手することはできない。心神喪失者等医療観察法の下では、基本的に犯人が刑事裁判手続きに乗せられることが極めて希であり、実質的に無罪無垢とされた犯人の個人情報を被害者遺族といえども入手できない。従って、私たちの後に続く人間は極めて少ないであろう。更に、事件に関係する問題を精神医学的に理解するまでに長い年月を要し、法廷の言葉にしなければならない。それには莫大な時間と労力と経費が必要である。控訴人矢野と控訴人野津は双方とも代理人の変更を経験して、公判を維持してきた。ここにも、一市民が裁判を提起する困難な背景と状況がある。そもそも、日本では一市民が精神科病院を訴えても勝訴できない歴史が重ねられてきた。しかし、私どもが提起した裁判には現在の日本にある普遍的な人権の課題があると確信している。

いわき病院に、精神障害者の野津純一氏の治療に真面目に取り組まない現実があった。医師の治療で患者が苦しんでも、治療を行わず患者を保護せず、犯罪者になるに任せていた。そのような精神障害者の人権を擁護しない現実をこの日本は放置してはならない。



   
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