ロゼッタストーン コミュニケーションをテーマにした総合出版社 サイトマップ ロゼッタストーンとは
ロゼッタストーンWEB連載
出版物の案内
会社案内

第69回 「義務教育終了までに身につけてほしいこと」について

皆さんこんにちは。今回も連載をご覧下さりありがとうございます。2011年最初の記事です。今年もご愛顧よろしくお願い致します。

今年は「独立のすすめ」感想文コンクールが1月にあり、私も、2人のうちの1人として、1次審査を担当させていただきました。普段接することの出来ない生徒さんの文章を読むのは大変楽しく、「どんなことを考え、感想文を書いてくれたのかしら」と、文章から伝わる心の声を聞くべく、懸命に私も感想文と向き合いました。
  最終結果は2月末発表予定です。また、感想文の書き方については、別の機会に改めて書きます。

* * * * *

今回は「義務教育終了までに身につけてほしいこと」について考えます。
  日本では、高校から義務教育でなくなりますが、少子化でどこの高校も、生き残りに必死になっています。特に、管理職が、高校での「出口」(進学・就職先)が学校の命運を握っていると考え、現場教員に厳しい要求をしていると感じます。

たとえば、都立高校では、「進学重点指導校」※として、東大はじめ有名大学への合格者を多く出すための学校が複数指定されています(※詳しくは東京都の次のサイトをご参照下さい)。
  http://www.metro.tokyo.jp/INET/OSHIRASE/2010/07/20k78700.htm

指定されて数年経ちますが、一部の学校を除いて成果が芳しくないという理由で、都の教育委員会が、「下校時刻は6時、1日の家庭学習は学年+2時間の確保」などを徹底する通達※を出したそうです(※学校ごとの取り組みなど、詳しくは、こちらのサイトのPDFファイルでご覧いただけます)。
  http://www.metro.tokyo.jp/INET/OSHIRASE/2011/01/DATA/20l1d200.pdf

このことには「有名大学へ進学すれば人生の安泰が保証される時代ではないのだから、このような指導はおかしい」などの声が挙がっています。私もこれは行きすぎで、高校時代は勉強や部活動、文化祭などバランスよく楽しむべきだと思います。ですが、別の見方をすれば、それだけ都の教育委員会も「出口」にこだわっている表れだと感じています。

私立高校でも同様で、生徒の実態はほど遠い学力なのに「一般入試で有名大学へ多数合格させる指導を」など、管理職の要求が厳しくなっている話をあちこちで耳にします。
  その結果、普段の生徒への学習指導が大変厳しくなり、普段の課題の多さはもちろん、定期テストで一定点数以下の生徒は強制補習、成績上位レベルの生徒は学校で予備校講師の出張講義を受ける、などの指導も珍しくありません。

このような状況下ですので、「宿題をしてきなさい」と言われ、もちろん、きちんとしてくる生徒もいます。ところが、どこの部にも所属していないのに、「忘れた」と平然と言う生徒もおり、いくら注意してもなかなか改善しない場合も目立ちます。

原因をたどっていくと、それは、「面倒くさいからしない」、「しないでも逃げて何とかなる」、「指示を聞かなくても困らない」などと思っている、義務教育時代の悪い習慣が残っているから、ということが大きいようです。しかも、今は成績が絶対評価で、全体の中の位置を示すものではないので、「少し真剣に取り組めば、4や5が簡単にもらえる」と思ってしまっているケースも少なくないように感じます。

日本の義務教育は「基本的に全員進級できる」ので、学習内容の理解度とは無関係です。ですから、ハイレベルな学校を目指していなければ、「嫌な課題はやらない」と思って放置してしまう生徒もいるのではないでしょうか。教員がきつく指導しても、「言うことを聞かなくても困らない」と自分勝手に判断しているのか、公立中学校の場合、逃げ回って終わり、という場合もあるように感じます(私立中学校や公立一貫中学校の場合、その場は逃げても、結局併設高校へ進学できないという結果で表れます)。
  そもそも、「嫌だから取り組まない」姿勢でも許される、日本の現在の義務教育は制度変更すべきだとは思いますが、それは別の機会に意見を述べることにします。

このようなケースでなくても、「これは、○○のために必要だから」などと私が言って課題を指示すると、きちんと私の真意を受け止めて課題に取り組む者がいる一方、そもそも話を聞こうとしない生徒がいます。
  私は国語教員として、まずは、「考える力」、「書く力」を養ってもらいたいと思いながら、いつも指導しています。これは、生きていく限り、どのような場面でも必要だと考えるからです。
  そして、このふたつの能力は、高校までで養うことが不可欠だとも考えています。大学ではこれらが身についていないと、単位を取得する、また、好成績を得ることは困難ですし、就職試験でも、採用されることは恐らくないからです(第66回連載の内容と一部重なります)。これらに関しては、きめ細かく指導してくれる大学ばかりでもありません。
  「この課題は誰が取り組むの、私ではないのよ。話を聞いていなければできないし、締め切りに遅れたら、遅れた人の成績が悪くなるのよ」
  「だから、聞いていなければ、困るのは他の誰でもない、みんななんだから」
  「この授業は誰のためにあるの」
  粘り強くこういう話をした結果、自覚が出て、きちんと話を聞こうと思う者と、それでも、やはり嫌だから取り組みたくない、という者が出ます。

(ちなみに、義務教育ではない高校では、課題に不備がある、成績不振などがあれば、単位を出すことができません。単位不認定=不合格です。1つでも不合格なら再試験ですし、数が多ければ原級留置、つまり、留年となります。
  ですが、学校にもよりますが、高校では突然、単位不認定となることは少なく、教員から、課題提出など、ギリギリでも通過できる改善の指導があるはずです。そういう際にも、教員はそれぞれ心の底から注意していると思います。ただ、それを聞き流してしまう生徒と、しっかり受け止めて翌年以降改善できる生徒がいます。)

この、話を聞いて改善する生徒と、改善できない生徒との間に、どのような差があるのでしょうか。それは、学業成績や教育費の多さではなく、「心」の差だと私は痛感しています。
  「大人たちは大事なことを言ってくれているから、聞かなくては」と思える生徒と、楽をしたいから、自分勝手な判断で、「こんなことしなくても大丈夫」と思い、逃げ回る生徒。これは、勉強だけでなく、習い事やスポーツにも当てはまります。また、自分勝手に判断したあげく、不祥事を起こせば、当然、退学などの厳しい処分が待っています。

この「心」の差は、結局、小学校入学(あるいはそれ以前)からの「大人は大事なことを教えてくれているから、聞くことが自分のプラスになる」という、周りの大人の働きかけと、生徒自身の自覚の差が生んだものではないでしょうか。幼い頃から多額のお金をかけて育てられても、「心」が伴っていなかったため、結局、中学で私立校を出される生徒…このようなケースは山ほど存在しますし、私も見てきました。

今、義務教育にいらっしゃるお子さんには、改めて、「大人は大事なことを教えてくれているから、聞くことが自分のプラスになる」ということを、保護者の皆さんからもきちんと説明していただきたいです。

4月には全員が同じスタートラインに立っていても、「心」のある生徒は、きちんとこちらの指導を受け止めて努力して行きます。ところが、「心」のない生徒は、「こんなことに何の意味があるのか」などと自分勝手に考え、努力をしません。そして、1年経った学年末には、「心」の差が、生徒の学力や思考力に、簡単に埋められない大変な開きを生み出しています。

もし、中学までの学習を怠け気味だった生徒でも、「心」があり、努力する気持ちが起きれば、その後は変化できると思います。今までにも、そういう生徒を数多く見てきました。

お仕事をされている保護者の皆さんは、お考えになってみて下さい。指示を出しても、聞かずに自分勝手な判断をする同僚がいたら、業務に支障が出ますし、また、その人自身の評価も下げているはずです。

ただ、残念ながら、「大事なことを教えてくれる」はずの、教員の不祥事も後を絶ちません。買春、覚せい剤、無免許運転…教員にストレスなどの負荷がかかりすぎている現実も見逃せませんが、だからといって、不法行為をしても良い、という理屈にはなりません。

お子さんには、たとえば、「スカートの中に手を入れるとか、好きだ、と書いてあるメールをもらった、とか、他の先生にされないことをされたら、お父さん(お母さん)に話して」など、わかる形で、ひと言お声をかけておいていただけたら、と思います。子ども相手にわいせつなことをする教員は、「先生が困るから誰にも言わないでね」など、卑劣な言い訳を生徒に言って、生徒の心にプレッシャーをかけ、発覚を遅らせる者がいます。そのようなことは断じて許されませんので、黙っている必要はありません。

もうすぐ3月、学校では巣立ちの時です。そして、4月には新しい生徒を笑顔で迎えます。その後の人生に良い形でつなげるためにも、義務教育の間にすべきことを、親子ともしっかり自覚していただけたら、と願います。


【今回のまとめ】
  1. 高校は大学・社会人への出口。今の日本では高校で要求されることが多く、それまでにルーズな生活や勉強のさぼり癖がついていると、高校での学習についていけなくなる恐れがある。さぼり癖がついても許される義務教育はそもそも制度的に変えるべき必要もある
  2. 注意しても、最終的に生徒が変わるかどうかは「心」次第。毎月の教育費の多い少ないで決まるものではなく、どんなにお金をかけて育てても、大人の言葉に耳を傾ける「心」がなければ、直らない。不祥事を起こせば退学などの処分も待っている
  3. 「大人は大事なことを教えてくれるから、きちんと聞くのが自分のためになる」ことを小さい頃から繰り返し子どもに言い、意識させて欲しい
  4. 中学卒業まで手を抜いていて、高校で厳しい指導を受けても、「心」があれば、時間はかかっても受け止めることができ、生徒は良い方向に変わっていく。しかし、「心」がなければ、どんなに指導しても受け入れられないので、変わらず、また、かえって反発して、自分に不利益なことを起こす
  5. 性的事件などで不祥事を起こす教員も残念ながら後を絶たないので、子どもには、「他の先生がしないことをされたら、きちんと教えて」とも伝える

2011.2.26 掲載

著者プロフィールバックナンバー
上に戻る▲
Copyright(c) ROSETTASTONE.All Rights Reserved.