WEB連載

出版物の案内

会社案内

第27回  千葉沖で鯨が獲れた


photo
沿岸捕鯨解禁日に捕獲された槌くじら

「獲れました!2頭です!」

沿岸捕鯨解禁日の初日6月20日、千葉沖操業中キャッチャー・ボートの船長からプレスクラブに電話が入った。鯨は捕獲後16時間後に解体することになっている。取材参加の抽選に当たりスタンバイしていた特派員たちに連絡をまわして翌朝早々千葉県南房総和田浦に向かった。


解体場は戦場

獲れた槌鯨(つちくじら)はそれぞれ9m95cm、9m46cmのオス。体重は同じく約10トン。この2頭を和田浦外房捕鯨(株)の若い衆20人が薙刀を思わす鋭利な刃物で切り裂き、はずした脂身や赤身をウインチで移動する。鎌でレバーを胴体から切り分け、心臓を一突きするとドバッと血が噴出して解体所の床に溢れだす。

「どけ!怪我するぞ。どけといったらどけ!」耳にピアスしたお兄さんが特派員たちを怒鳴り、鋭い眼光で睨み付ける。漁夫というより海賊のようだ。テレビ・カメラやスチル・カメラを構えて獲物に迫っていた記者たちも驚いて飛びのいた。ザックリ切られた首の付け根をこちらに向けられる。取材でなければ到底見るに耐えない残酷な戦場の外科手術だ。


沿岸捕鯨

photo
20cm以上の脂肪層を持つ槌くじらは現在の石油利用以前は米国商業捕鯨の油採取の対象とされていた

  国際捕鯨委員会(IWC)の「10年間捕鯨停止」勧告採択の枠外としてアラスカのイヌイット族(エスキモー)は伝統漁業としての捕鯨を認められているが、日本でもIWC管轄外の小型鯨を対象とした沿岸捕鯨を行っている。

槌鯨66頭、ゴンドー鯨100頭が制限枠で、和田浦の割り当ては槌鯨26頭。ゴンドー鯨は和田浦から和歌山県大地までの広い地域の割り当て枠となっている。猟期は6月20日の解禁日から8月31日まで。漁獲数に達すれば終了となり、たとえ達しなくても期日が来れば同じく終了となる。

日本の捕鯨基地は和田浦の外に大地、石巻、網走の四箇所だが、函館でも日本海側の鯨を10頭まで捕獲してもよい。しかし、この頭数では捕鯨専門で生計を立てることは難しく、日本で現存する9隻の捕鯨船中、実働は5隻で、猟期以外は水産養殖、鯨肉の加工で暮らしているが、和田浦の捕鯨会社も外房捕鯨(株)1社に減少し、しかも会社所有の2隻のボートも1隻しか稼動していない。地域唯一の産業である捕鯨が寂れるにつれ過疎化し、和田浦の人口もこの10年で1万人から4500人に激減した。

photo
鯨解体は研ぎ澄ました薙刀包丁で

外房捕鯨(株)社長の庄司義則さんは日本は国際捕鯨委員会から脱会すべきだという意見だ。「この2頭は千葉沖で獲れた。日本の領海内で捕れる鯨にオーストラリアやニュージーランドがけしからんというのはお門違いだ」という。「テキサスの石油採掘ガ自動化されるまで、米国の捕鯨船が鯨油目的に乱獲し、肉は捨てるなどして漁場を荒らしまくったのが、絶滅危惧種を作った原因。鯨一頭丸ごと食料とする日本の実情に合わない」と強調する。

確かに歴史を振り返ると、江戸時代末1820年ごろには北大西洋や北西太平洋で鯨を獲り尽くした米国、英国、フランスなどの捕鯨船が300隻以上も太平洋を南下して操業し、約50隻は日本沿岸での鯨油目的の商業捕鯨を行っていた。マッコウクジラ、セミクジラ、コクジラなどは殆ど日本近海から減亡した。皮下脂肪が20cm−30cmに達する槌鯨も絶好の標的だった。

ペリー提督が浦賀沖に現れ日本に開国を迫ったのも、捕鯨船に対する水、食料、燃料の補給が最重要課題だった。「寄りクジラ」として迷ったり弱ったりして海岸に流れ着いた鯨や紀伊半島の「鯨組み」が突き獲り漁法をしていたのとは大人と子どもの技術力の違いだった。

日頃プレスクラブの記者会見では講演者に反論する記者が多いが、米国、英国、ヨーロッパからのテレビ、ペン、カメラの特派員たちも、今回は質問を重ねて彼からの話を引き出そうとする方向に向かっていった。

日本の捕鯨の歴史からIWCの組織論を流暢な英語で特派員に講義する海の男庄司さんをみていると「国際捕鯨委員会のジャパン・バッシングの中であえて特派員の取材を受けたのは世界のプレスを通して持論を伝えたいからだな」と納得がいった。ロイター・テレビの記者やガーディアン紙(英国)の「くじら肉はどこが美味か?」「何処でたべたのか?」の質問にも「国際捕鯨委員会から脱退したアイスランドで食べた鯨の尾身の刺身が一番うまかった」など臆せず堂々と答える。しかし、「銛が命中後、何分で死亡したか」という漁法の残酷性を追及するサウス・チャイナ・モーニング・ポスト紙(香港)の質問には答えなかった。


日本人の鯨食離れ

しかし彼の論拠の弱点は、肝心の日本の消費者が鯨食離れをしていることだ。終戦直後の日本の動物性蛋白質の補給の4割は鯨肉からで、値段も鶏、豚肉の二割以下と安価で、学校給食で頻繁に赤身や鯨ベーコンが使われた。

photo
特派員たちに捕鯨の歴史と国際捕鯨委員会の問題点について語る庄司義則氏

学校給食で鯨ベーコンを食べた筆者の世代には鯨肉は一種の懐かしさもある食べ物だが、捕鯨停止の間に鯨肉の値段が高くなり、いまや浜値で2キロ5,200円。薙刀で鯨肉を細かく切れないから2キロが最低購入単位。これは一般家庭で気軽に買える値段ではない。築地市場だと更に値段が3割以上アップする。

鯨食を広めるため、和田浦鯨食文化研究会では毎年初漁日に地元小学校5年生を招いて鯨肉をご馳走している。今年も研究会会長櫟原秋冶さんは漁協婦人部と共同で鯨のカツレツを48人にご馳走した。

「血まみれの解体作業を見た後で、子どもたちがよく鯨をたべられますね?」と筆者。ところが日頃スーパー・マーケットで綺麗に包装された食品しか食べていない子どもたちも、人間が生きてゆくためには他の生物からの命を頂くのだとこの場で初めて納得がいったらしい。カツレツを残さず平らげて櫟原さんたちに「ご馳走様でした」と礼をいったという。

筆者も地元で創業10年という鯨料理店「ピーマン」でミンク鯨と槌鯨のカツレツを試食した。ミンク鯨は軽やかだったが、槌鯨は血合いの塊のようで重苦しく、突き出しに出されたピーマン歴代女将の味「槌鯨の時雨煮」が一番口にあった。このランチ、飲み物もいれて一人前1、800円。渋谷の専門料理店「くじらや」では通常10品のコース料理で6,000円から8,000円もする。

日本小型捕鯨協会の副会長でもある庄司さんは漁獲量が増えれば新しい需要が増えるというが、一度絶えた食文化を回復するのはかなり難しいようだ。国内の消費者の嗜好に係らず、水産庁とメディアは国威を賭けて国際捕鯨委員会とNGOの捕鯨停止勧告に強く反発している。

「ガーディアン」「サウス・チャイナ・モーニング・ヘラルド」の記事を後日読んだが、いずれも過疎の漁村を詩的に描写し、解体や庄司さんへのインタビュー引用も正確なグッド・フィーチャーだった。ただ、「村人たちが血塗られた収穫に行列」「調査捕鯨の虐殺」とつけられた見出しに編集本部の視点が感じられた。

2007.7.5 掲載

著者プロフィールバックナンバー
上に戻る