WEB連載

出版物の案内

会社案内

第35回  The Longest Day of the Press Club
 Where the News Is Made!


photo
アイヌモシリ代表たちの記者会見

1945年設立の職能団体兼プライベート・クラブである(社)日本外国特派員協会では、1日に2本や3本の記者会見や公私のパーティーが開かれることは珍しくない。4月25日には当初12時—14時に「国境なき記者団ロベール・メナール代表記者会見」、16時—17時「先住民族サミット・アイヌモシリ・グループ小野有五、結城幸司両代表」、18時半—20時「プレスクラブ依田成史総支配人送別会」、とスタッフの会場設営の時間も確保して、整然とした時間割が組まれていた。

ところが、ギリシャで聖火点火を単独阻止しようとした活動家メナール氏の成田空港着時間の変更に次ぐ変更で、彼の会見は17時半からとなった。(さらに15分遅れて始まった)また、アイヌモシリ会見は両代表ばかりではなく、アイヌの伝統に従ってグループの全員が発言することになり、開始時間が遅れ、また発言者の人数が増えれば普段なら会見時間を少々延長できるのだが、メナール会見の場所取りでロビーからエレベーターホールまで溢れるテレビやスチル・カメラを配置するため定刻に終了、アイヌ代表に質問でくいさがる記者たちは元横綱曙並みの体格を持つメディア担当マネージャーのウエイン・ハンターさんに会場から追いたてられた。

photo
「国境なき記者団」代表ロベール・メナール氏

ロビーに陣取ったウエインさんは汗をかきながら、小型のメモを片手に握り締め、決まった順番を読み上げて日本を含め15カ国からのテレビ16台、スチルカメラ13台を順序良く詰め込みにかかる。プレスを自称する身元不詳者はその場で入場拒否。定員50名のところに150人を詰め込んだ会場はメナール氏が5個の手錠が五輪代わりの黒のTシャツに着替えている間にも身動きもままならぬ混雑と熱気。

おまけに数時間前プレスクラブのお向かいの超高級ホテルペニンシュラでは硫化水素による中年男性の自殺まであり、昼過ぎから集まった消防車と救急車の大群にクラブへのテロ攻撃かと騒ぐ事件もあった。
  「消防署員が今ここに来たらウエインはあの巨体で追い返してくれるだろうか?」
  記者たちはこんな場面でもジョークを忘れない。

photo
プレスクラブを引退する依田成史総支配人と筆者

結局、送別会は19時半からに再々変更され、プレス会員、準会員の双方からの依田成史総支配人を惜しむ二次会は23時半まで続いた。

"The longest day of the Press Club?" 尋ねる筆者に、ウエインさんは"one of …."と平然と答えた。プレスクラブの職員は記者と同じくらいタフでなければ勤まらない。(おわり)


2008.5.7 掲載



著者プロフィールバックナンバー
上に戻る