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第41回 Happy Retirement

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青沼俊子さん、29年間ご苦労様

ホリエモンの「徹底抗戦」怒りの会見や、横綱白鳳の「親方になるため帰化希望」会見など時事刻々、オール・シーズン超多忙を日常とするプレス・クラブにも季節は巡ってくる。

そういえば、特派員クラブの窓から眺める皇居の桜もすっかり葉桜となった。

春は入学式、入社式、卒業式、送別会と、出会いと別れの季節だが、プレスクラブでもこのほど永年勤続従業員のFarewell Partyを行った。


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80歳前に引退したかった

退職したのは青沼俊子さん。長年プレス・クラブの「マスコミ寿司バー」の名物女将として、日本経団連の大物から寿司(生魚)の食べ方を知らない外国人たちまでテキパキ且つ物柔らかに接して、クラブの飲食部門を支えていた。100人を超える会員たちがパーティーに参加して、グレイ綸子の訪問着でおめかしした青沼さんに長年に渡るクラブへの貢献を感謝した。

青沼さんがプレス・クラブに就職したのは1979年10月のこと。男女2人の子育ても終えた40代の主婦として働き口を探していたところ、新聞に特派員協会のメイン・バーのウエイトレス募集の広告。採用されてここで10年接客修行を済ませたところで、当時の総支配人アル・スタンプさんから「寿司バーをつくるから女将をやらないか?」と抜擢された。

スタンプさんとすれば、VIPも立ち寄る寿司処に、コーヒーの出し方は知っていても緑茶の淹れ方は習ったこともない若いウエイトレスを使うのは心配だったのだろう。女将に適所適材を得て、寿司バーはいまや板前4人、カウンター10席、テーブル20席の銀座でも中堅の鮨屋となっている。

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お孫さんたちからサプライズの花束贈呈

青沼さんの定年退職は「余人をもって代えられない」日本流のおもてなしのため、総支配人が4代目となっても延期されていた。

「プレス・クラブではどんなにお偉い方もマナーがよく、対等に接してくださった。もうすこし英語が話せたらもっとお役に立てたのに」と青沼さんは謙虚に女将生活を振り返る。

勤続28年。御年79歳。「80歳のお誕生日前に引退しようと決めていたのですよ」
  悠然と微笑む青沼さんに、クラブから大きなバラの花束と名誉会員証が贈られた。サプライズはお孫さんたちからの可愛い花束であった。

すでに独立している娘さんと共同で一戸建ての自宅を購入し、これからは旅行や観劇を楽しみたいと計画されている。

青沼さんいつまでもお元気で!


2009.4.28 掲載



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