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第113回 白石康次郎
単独無寄港無補給世界一周ヨットレース 競技者

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海洋冒険家 白石康次郎さん

「2000時間かけて単独で世界一周する。それでなんになるの?」と奥さんに質問され、「すみません。ただやりたいのです」と小さくなったという海洋冒険家、白石康二郎(49歳)さんはマッチョで愛嬌ある快男児。「Vendee Globe」(単独無寄港無補給世界一周ヨットレース)にアジア人として初めての参戦確定を機に、7月25日プレスクラブで記者会見を開いた。

湘南の海が広がる鎌倉育ちの白石さんは、子供の時から海が大好き。ヨットが石原慎太郎、裕次郎など湘南の金持ち階級のものと思われていた彼の水産高校時代に、タクシー運転手として生計をたてていた故・多田雄幸さんが単独世界一周レースで優勝したのを知り、東京駅の電話ボックスに駆けつけ、分厚い電話帳を彼方此方探してやっと面会。初対面の時にはヨットの製作者の斉藤さんも同席していて、「自分の業績より製作者の功績ばかりを褒めていた」謙虚な態度に感銘して弟子入り。その後は多田さんのレースをサポートして経験を積む。そして今回30年来の夢であるレースに全長28.28メートル、高さ29メートルのスピリット・オブ・ユーコーIVで挑戦する。

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会場にはヨット愛好家たちが集う

白石さんの海洋冒険家としての経歴は輝かしい。主なレース歴として1991年シドニー―伊豆松崎 太平洋単独縦断に成功。1993~94年 スピリット・オブ・ユーコー号にて史上最年少(当時26歳)単独無寄港世界一周を176日間で達成。2006年~2007年単独世界一周ヨットレース「5 オーシャンズ」クラスIで第2位となる。2016年6月大西洋横断ヨットレース「Transat NY-Vendee」では12日1時間21分40秒で第7位となり、2016年11月に開催される「Vendee Globe」の出場権を獲得した。

Vandee Globeは単独ヨットレースを二度勝ち抜いたフィリップ・ジャントーにより発案された最も過酷な単独無寄港無補給世界一周レースで、1989年から4年に一度開催され今回は8回目となる。前回は20艇が出走し、11艇が完走。今回の参加は30艇。今回も完走は半数と予想されている。

航路はまず、フランスのヴァンデ県レ・サーブル・ドロンヌを出航し、大西洋を南下してアフリカの「喜望峰」を抜け、インド洋に出てオーストラリアの「ルーイン岬」を超え、ニュージーランドの南を走り、南太平洋に出て、南米大陸の「ホーン岬」と南極大陸の間にある「ドレーク海峡」を抜け、再び大西洋に入り、終点レ・サーブル・ドロンヌに帰港する。南半球一周分総航行距離26,000マイル(約48,000km)およそ80日間(約2000時間)、通常なら10人程度で操舵する全長60フィート(約18メートル)の大型ヨットをたった一人で帆走する。

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女房から「地球を一周してなんになるの?」
と言われるが、「男の夢やりたいのです!」

白石さんがヨットに乗るのはとにかく海とヨットが好きだからで 、その「おまけ」として子どもたちに人間としての生き方を伝授しているのではないか。「人生は順風万帆な時ばかりではない。海は人間が作ったものではない。近頃元気のない子供たちに自分の元気な姿を見せて危険の乗り越え方、嵐の乗り越え方を伝えたい」という。また、「PTAでは『好きなことだけをやっていてはダメ』、というが僕は好きなことだけをやってきた。欠点を直して大成した人はいない。好きなことを伸ばせたのは両親のお蔭。父は『自分の人生だから自分で決めよ』と言ってくれた」、と愉快な白石トークが続いた。


主な質疑応答より


筆者:マレーシアなどにはボート・クラブがあり、子どもたちがオプティミスト、ディンギー、レガッタなどをやっているが、日本の子どもたちへのヨット訓練は?
白石:海洋塾などで子どもたちに経験させている。このレースが無事終われば、航海艇を日本に持ち帰り、子どもたちを乗せてあげたい。

レバノン特派員:夢は?
白石:ともかくレースに出場すること。資金不足が最大の難関。

女性記者(日本):転覆したら近所の船が助けに来てくれるのか?
白石:海洋の真ん中で伴走艇はなく、ヘリコプターの救助もない。自分で復元して航行する以外に方法はない。

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「子どもたちにヨットで海への挑戦を!」筆者からの質問

ヨット・レースに使用する中古艇約1億7千万円は企業からのスポンサー費で調達したが、新しいセール(帆)や整備費として5千万円を朝日新聞のクラウド・ファンディングで10月7日まで募集中。目下募金額574万円達成率11%という。

白石さんは11月6日にVendee Gloveはフランスヴァンデ県レ・サーブル・ドロンヌを出港し、来年2月頃帰港予定だ。(おわり)



2016.8.3 掲載


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