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第62回−番外編− 知られざる名女優 美加理


美加理という女優さんがいることをみなさんご存じでしょうか?
  1979年に故寺山修司の「青ひげ公の城(西武劇場)」でデビュー。その後、劇団「蟷螂」を経てテレビ、映画などに出演。現在は劇団「ク・ナウカ」の看板女優で、演劇界では確固たる地位を確立しています。

もちろん、ご存じの方もおられるとは思いますが、きっとそれはごく少数で、世間一般ではあまり知られていない女優さんです。
  日本というのは不思議な国です。まだまだ素晴らしい俳優さんが世間ではまったく知られずにいるのですから。

彼女とお仕事をご一緒したのは、僕が演出をした「死の棘1999」という、島尾敏雄の小説「死の棘」を舞台化した時のことでした。
  彼女が演じたのは島尾敏雄の妻、ミホ役。
  妻である自分以外の女性を愛してしまった夫を執拗に責め続ける狂気の人を彼女は見事に演じてくれました。

普段の女優・美加理はごく普通の人で、よくある女優の派手さはほとんどと言っていいほどありません。そう、それは一般の方と比べても地味なくらいです。でも、彼女を包んでいる空気は、ちょっとだけ異質かもしれません。大人しくて、声も小さく、いつもジッとしている、それでいて、本人から醸しだされる空気に、ついつい目が離せないクラスの女の子。そんな感じなのです。

女優・美加理はいったん役に入り演じ始めると、たちまち役になりきります。その集中力は尋常ではなく、見ているこちらが刺されるかと思うほどの迫力。それもダイレクトにくるのではなく、ジリジリゆっくりと、まるでこちらを包囲するかのようにやってくるのです。

周りの空気がグニャリと異次元の方向に向かって捻れていく、そんな気の発し方をする女優に出会ったのは初めてのことで、演出という立場を忘れて、ただただ彼女の演技に吸い込まれていったことを覚えています。

彼女は稽古場に一歩足を踏み入れた瞬間から役になりきっていました。
  ですからスタッフはみな、その瞬間から緊張を強いられ、何人も寝込んだ人が出たほどでした。彼女の圧倒的な存在感に立ち向かうには、こちらも相当な覚悟がいるということです。まさに魂のぶつかり合い。苦しくも楽しい真剣勝負です。

何人かの既婚スタッフなんかは、彼女の演技に入り込み過ぎて、私生活にまで影響が及んでしまい、家庭が"プチ「死の棘」"になってしまったそうです。彼女のリアリティのある演技に自分の女房を重ね合わせてしまったのでしょうか、毎日、家に帰るのが怖いと言っていました。そして、その中の一人は、その後、とうとう離婚までいってしまったのです。僕のせいではないけれど、なんだか今でも申し訳なく思っています。

現在、美加理さんは偶然我が家の近くに住んでいて、よく近所の図書館などで見かけます。一般の方に混じって本を眺めている姿はとてもステキで、声をかけるのがためらわれるくらいです。

先日、彼女から僕に、朗読会に出演の要請がありました。演じることに失望を抱いていた僕は丁寧にお断りをしました。しかし、お断りの電話を入れた直後、僕の中に未練が生じました。ああ、僕は、同じ役者として、まだ板の上で彼女と戦っていない。

そのときある本が頭に浮かんだのです。
  夫婦善哉。
  織田作之助の小説です。

いつか、美加理さんと夫婦善哉を演ってみたい。お互い、もう少しだけ歳をとったら是非。
  次の日、僕は彼女にメールを入れました。
  アナタト夫婦善哉ヤリタシ。
  彼女の返事はこうでした。
  ホン、ヨンデオキマス。
  また一つ生きていく理由が見つかりました。

2005.8.31 掲載

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