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第73回 あきらめる勇気も大事

人に演技とか演劇とか教え初めてから、もう五年がたちました。人に表現を教えながら、自分自身多くのことを学ばせていただきました。

今現在講師としてやっているのは、某大学のゲスト演劇講師、某俳優養成所の演技講師、福井県今立の子供アートセミナー演劇講師、それと自分の主催するワークショップ。

中でもいちばん対称年齢が低いのが子供アートセミナー。これはほとんどが小学生。それも、別に演劇になんか興味のない、もしくはまったく知らない、子供たちばかり。子供達と接していると、表現の場に身を置いているにもかかわらず、子供達に何も伝え切れていない自分の無能さを痛感します。

つぎに大学の演劇の授業の講師。ここでは、演劇の入り口、演劇とはなんぞや、表現とはなんぞや、ということを教えています。生徒の大半は、変なオジサンやなぁー、といった感じで、独断と偏見に満ちた演劇講座に耳を傾けております。

その次に自分の主催するワークショップ。これはもう自分の好きに勝手にやっております。対称年齢は30歳まで。十人限定です。まぁ、ここでは感情表現を中心にやっていて、内容的にもいちばん濃いものとなっています。そして、最後に俳優養成所の演技講師。ここでは主に映像の演技について教えています。で、今回は、この養成所の講師をやっていて気がついたことをいくつかお話しします。

一口に俳優養成所と言っても、今の日本には本当に多種多様、入門編から、老舗の新劇劇団、一流と呼ばれる芸能事務所の養成所まで、さまざまな俳優養成所が存在します。僕が教えているところは、入門編というところになるのでしょうか。入所者のほとんどが演技のイロハも知らない若者(中には僕と同い歳の生徒がいたりしますが)ばかりで、なおかつプロの俳優を目指しています。というか、ここに居さえすればプロになれると思いこんでいる人が多くいます。 まず驚くことは、
「この中でプロになりたい人、手をあげてください」
  と言うと、ほとんどの人間が手をあげること。

もちろん、プロになりたいから養成所に来ているのでしょう。それにしても己を知らなさすぎます。テレビや映画を見て、プロの俳優さんが演じていることを自分でも簡単にできると思ってしまうのでしょうか。テレビや映画に出ることの大変さ、それを継続していくことの難しさ。そんなことはちっとも考えずに講師から言われたことを中学や高校の学校の授業を聞くようにただ聞いている、そんな若者が大半なのです。

表現なんて、自分から湧き起こすものであって、のほほんと人の話を聞いているだけではダメだぞ!
  そうやって、よく叱咤するのですが、何も変わらないのが現状です。

それと容姿。もちろん芝居の上手いヘタに容姿は関係ありません。でも、特に女優の場合、容姿端麗に超したことはありません。ところが、容姿端麗どころか、そこらを歩いている子の方がよっぽど可愛いよ、と思うくらいの子が多いのです(笑)。同じ学校内に、写真を教えている科があるのですが、そこに来ている子達の方が、可愛い子やカッコイイ子がなぜかたくさんいます。それに加え、なにか感覚的に表現の世界に向いている子が多い気もします。なにか矛盾を感じてなりません(笑)。

でもでも、女優たるもの中身で勝負!中身で勝負するもの!!そうです。中身で勝負してナンボです。容姿端麗でないものは中身で勝負しろ、そしていい面構えになれ、それが個性となり、容姿にも反映し、面白い人物としてそのうちきっと表現の世界で必要とされるであろうことでしょう。

なのに、なのに、肝心の中身がないのです。ふつうなのです。プロになりたいのであれば、人より突出した何かを持っていないとダメなのです。もちろんそんなこと口が酸っぱくなるくらい、何度も言っています。でも何も変えようとはしません。これにはとても困ります。きっと、僕の指導がよくないのでしょう。そう思うことにしています。

また、こうも言っています、 「僕が千人教えて、プロになれるのは普通に考えて0人、多くて一人、やめるならいまのうち、気がついた人間から早くやめなさい」

しかし、そう言ったところでやめた人間は一人もおりません。みんな、千人のうちの一人と思っているのです。でも、じっさい「よく考えたら才能がないのでやめます」と言う人間が出てきたらどうでしょう。僕はきっとこう言うと思います、「お前は、面白いから残れ」と。自分を見切れる奴は強いのです。

昔、漫画家のつげ義春が何かでこう書いていました。
「おまえが思っているほど、お前はたいしたやつなんかじゃない」
  このなにもかもぶち壊してしまう言葉が僕は好きです。そしてこの言葉のおかげで、あまり偉そうにすることなく生きてこられたたように思います。

話を戻します。

自分のクラスの大半の生徒が、いずれはプロになれずにグズグズと挫折していくのをただジッと見ているのは実にツライものがあります。多少の才能が見え隠れしている人物はいいです。続けていればチャンスはどこかに転がっているかもしれないし、誰かが上に引っぱってくれることも、長い人生の中にはあるかもしれないからです。

問題なのは、まったくと言っていいほど表現に向いていない生徒たちです。ただ学校に友達を作りに来ているような子たちを見ると、表現をなめたらあかんぜよ!とつい怒鳴りたくもなります。僕は、そういう子たちに上手く引導を渡してあげることも仕事のうちだと思っていて、わりと正直に「君は向いていないよ」と言ってあげるのですが、ただムッとされて終わってしまいます(笑)。

それから、自分の授業の最終日にはこうも言ってあげます。
「今後、君たちの中で、役者に見切りをつけた人間がいたら連絡してきなさい。一緒に飯でも喰おう。僕は、人生において、夢を追い続ける勇気も必要だと思うけれど、潔くあきらめる勇気も大事だと思うよ」と。

でも、いまだかつて、「やめます」と言って、連絡してきた子は一人もいません。みんなどこで、何をしているのか・・・・・。たまに気になったりしますが、基本的には放っておきます(笑)。

現代っ子達の中には、「あきらめる」ことをマイナスだと思っているふしがあります。だけど、僕はそうは思いません。自分を見切り、次の人生の舞台に向かっていく。そこには、自分らしさと逞しさというものを感じます。

たいしたことのない自分と向き合い、無能な自分と闘いながら生きていく。そうやって人生を楽しみ、なんとか乗り切って欲しい。

そんな思いが少しでも生徒達に伝わってくれればと、日夜教壇に立っています(実際には教壇なんてものはないのですが)。

そんな養成所で出会った生徒の中でも、個人的に気になっている若者が八人ほどいます。

一人はメジャーな映画なんかにも出はじめていて、一人はバイトをしながら大学に通っています、一人は浪人していて、一人は自主映画に精をだしているそうです。残りの四人は、ただいま闇の中を歩いています(笑)。八人ともそれぞれ自分と必死になって闘っています。こういう奴らのこと、僕は大好きです。

俳優の仕事を始めている人間と、いまだに闇の中にいる人間。僕にしてみれば、どちらも大差はありません。
  闇にいる人間達はそれだけ自分と闘っているのです。そこから脱したとき、きっと強い何かを身につけていることでしょう。

とにかく何処にいようと、何をしていようと、自分と闘い続けていればそれが力となる。そう信じて、生きていきたいものです。
  この八人の行く末、今はとても楽しみです。

こんなことを書いているうちに、養成所の元生徒から一本の電話が入りました、「感情表現の稽古をつけて下さい」と。

その生徒に役者としての才能があるかどうかはわかりません。なにせ二・三回程度しか授業をしていないのですから。でも連絡してくる勇気は買うし、頼まれればイヤな気はしないし、なんとかしてあげたくなるのが私の性格。
「とにかく話をしよう」
  そう言って、会う約束をして電話を切りました。

そう、話をすることから始めないと。若者と語らいながら、自分を見る。そうそう、これは去年、覚えたことです。

2006.2.16 掲載

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