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第76回 閉所恐怖症

閉所・暗所恐怖症の話を引き続きさせてください。

俳優というのは、ときに特殊メイクというものをする場合があります。
  もう10年前になるでしょうか、ある映画で僕はバリ島に住む150歳の老人を演じることになりました。

なぜに僕なのだろう。現地に住む老人に老けメイクをさせた方がいいのではないか。そう思う気持ちはあったが、折角いただいた仕事だし、キャスティングは映画の製作サイドが決めることだから、一介の俳優であるこちらが意見を言う筋合いでもない。

老け役(といっても150歳の役を老け役と言っていいかどうか・・・)を演じることになった僕は、特殊メイクの型取りをするために、調布にある特殊メイクの工房へ出かけていきました。

「狭いところは大丈夫でしょうか」
  特殊メイクのSさんが聞いてきます。
  「苦手です、すごく」
  「そうですか・・・・」
  「なにか不都合でもあるのですか?」
  「えー、っとですねー、型取りをするときに、石膏のようなもので顔を覆うのですね、そのときにですねー、たまにですが、パニックになってしまう方がいるのですよ」
  「えっ?パニック?そんなに怖いのですか?狭いところにでも閉じこめられるのですか?」
  「いやいや、怖くはありませんよ、狭いところにも閉じこめません。ただ、たまにそういう方がいらっしゃると言うだけで・・・それもパニックになる方のほとんどは女優さんですし・・・・・・」
  「じゃあ、大丈夫ですよ、狭い所じゃないのなら平気です。さっさとやってしまいましょう。時間は長いのですか?」
  「1時間くらいで終わります」

 型取りが始まりました。
  僕は8畳くらいの部屋の真ん中にある木製の椅子に座らされ、その傍らでは、Sさんと助手のTさんの二人が、大きな洗面器の中で白いジェル状の石膏のようなものをこねていました。

「まず、足の方からやります」
  老人役の衣装は、白い布をグルグルと巻いただけのものなので、身体の多くの部分が露出してしまいます。ですから、型取りはほぼ全身に及び、そのぶん白いジェル状の石膏を塗りつける部分も広範囲になるのです。
  「塗りつけた部分は絶対に動かさないでくださいね、動いてしまうとキチンと型がとれずに、やり直すことになってしまいますから」
  まず下半身が動かせなくなりました。

「次に上半身いきます」
  ペタペタペタと上半身も固められます。首から下が動かなくなるというのは、ものすごく窮屈な感じで、声を出して叫びたいくらいの圧迫感が襲ってきます。

「最後に顔いきます」
  頭の方から始まり、まず耳を塞がれました。
  なんだか、いきなりいろんな音が遠くから聞こえてくるようになりました。
    みんな!遠くにいかないでよ!!
  そんな言葉を発したいくらいの感じです。

  「目、いきます」
   視界から全てのものが消えました。
   ぼんやりとした不安感が心の中を支配し始めます。

  「鼻と口、いきます」
  鼻の穴には、爪楊枝で小さな穴を作り、そこを呼吸口として息をします。 口は完全に塞がれました。

 なんだろう・・・・・
   まったく現実感がない・・・・・・
   人の声も気配もいっさい感じられない・・・・
   自分はこのまま闇夜の中に沈んでいってしまうのだろうか・・・・・
   まるでひとりぼっちで、真っ暗な深海の底にいるような・・・・・・・・

手足が脂汗を掻き始め、ものすごい不安感が襲ってきました!
  なんだ!どうした!ここは調布にあるSさんの事務所だぞ!なに不安になっているんだ!なにが怖いんだ!!何も怖くはないぞ!!!すぐそばにはSさんもTさんもいるではないか!!!!
  そう自分に言い聞かせるのですが、ダメです。もう不安や恐怖感が頭の中を支配してしまうのです。僕は知らない間に微妙に身体を揺すっていました。

「中島さーん、大丈夫ですかぁーーー」
  Sさんたちの声がはるか彼方から聞こえてきます。
  ・・・・・大丈夫じゃないですーーーー・・・・・
  少しだけ身体を揺らし、声を出さず(出せず)に答えます。
  「中島さーん、がんばってくださーーーーい」
  ・・・・・頑張れないですーーーーーー・・・・・
  「なにかして欲しいことありますかーーーーー」
  ・・・・・歌を歌っていてくれませんかーーーー・・・・・
  ・・・・・手を握ってくれませんかぁーーーー・・・・・
  ・・・・・もう帰りたいですーーーーーーー・・・・・
  必死になって心の中で叫びます。
  まさに魂の叫び(笑)。

「おい、なんだか中島さん変だぞ」
  Sさんが僕の気配を察し、Tさんに伝えます。
  「中島さーん、一度取って、やり直しますかーーーー」
  ・・・・・取りたいけど、やり直すのはイヤですーーーー・・・・・
  「どうします?」
  Tさんが、Sさんに尋ねます。
  「続けよう、もしダメなら自分から取るだろう」

そうだ!いよいよダメなら自分で外せばいいんだ!!ギリギリまで我慢しよう!!!
  「中島さーん、もうすぐですよーーー」
  「なるべく楽しいことを考えてくださーーーーい」
  「今日はいい天気ですねーーーーーー」

なるほど、特殊メイクさんという職業は大変です。
  たかが型取りで、俳優の気分まで気にしなくてはいけないのですから。
  でも、そんなS山野Tさんの努力も空しく、こちらの気分はまったく晴れません。不安と恐怖感に加え、だんだん息も苦しくなってきました。頭の中ではいろいろな良くない言葉が飛び交い、すでに朦朧とした状態。
  もうダメだ!!取ろう!!! 僕は右手をゆっくり上げ口の方に持っていこうとしました。

「中島さん!なにするんですか!!」
  まるで、いつかの飛行機事故の機長のような言われ方です。僕は二人の男に取り押さえられました。
  「中島さん、あと少し、ほんの少しだけ我慢してください!!最低でもあと5分だけ!!!」

仕方がない、仕事です。仕事を途中で放棄するわけにはいきません。僕はあと5分、必死になって我慢をしました。
  それからの時間の経つのが長いこと、長いこと。まるで、高倉健の間のように長い。
  高倉さまはセリフを言うまでがものすごく長いのです。よく映画に撮影なんかで、間をじっくりとってセリフを喋ると、「高倉健じゃないんだから、さっさと喋れ!」と言われます(笑)。

閑話休題。

「まだ早いのですが、中島さんが苦しそうなので、取ります!!!」
  そう言ってSさんとTさんが固まったゴムのような型取りの石膏を僕の顔から外していきます。
  目・口・鼻・耳、次々と自由になっていきます。
  するとどうでしょう。さっきまでの苦しみはどこかに行ってしまい、もう一度やってもいいよ、なんて思えてしまうのです。
  しばらくすると、
  「思ったより、平気でした」
  と口走っていました。
  人間というものは実に勝手な生き物ですね。我ながら呆れてしまいます。

すると、とった型をじっと見ていたSさんが、
  「中島さん、もう一度型をとってもいいですか?」
  「えっ??」
  「中島さん少し動きましたよねぇ、ちょっと上手く型がとれていないんですよ」
  それを聞いたとたん、さっきの恐怖感が全身を襲ってきました。
  もう一回なんて死んでもいやだ!

「僕らとしても完璧に近い型を取りたいんです、ハリウッドの特殊メイクに近づくためにも、すみませんがもう一度だけ御願い致します」
  そう御願いされたら断れません。
  「わかりました、やりましょう。ただ、一つだけ御願いがあります。僕の手をどなたか握りしめていて頂けますか?それと、大きな声で歌を歌い続けてもらえると嬉しいです」
  「CDじゃ駄目ですか?」
  「駄目です。生声で御願いします。機械の音だと不安になります。生じゃないと・・・・」
  「わかりました。歌います」
  お互いが、表現という一つの方向に向かって力を合わせる。なんと美しい光景でしょうか(笑)。

二回目の型取りは、一回目も経験が実を結び、二回目という慣れということもあり、Tさんが僕の手  を握りしめ、Sさんが大声で歌を歌いながら、無事終わりました。
  Sさんが歌ってくれた歌は「ガッチャマン」でした。

結局、僕は何日もかけてバリの言葉を覚え、10時間もかけてバリ島まで行き、映画スタッフの内乱のため現地で1週間も待たされ、8時間もかけて特殊メイクをして撮影に挑んだのですが、果たしてそこまでして僕が演じる意味があったのかどうかはいまだかつて謎です。
  だって、誰が観たって、あの老人が僕だと言うことはまったくわからないのですから(笑)。

2006.3.30 掲載

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