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第90回 募る不安


9月13日

仮設テント設置場所候補地の材木屋の駐車場の許可が下りた。僕たちが作ろうとしている仮設劇場は縦幅10間、横幅3間の細長い空間。この日から仮設テントを想定した稽古が始まった。

しかし、困ったのは稽古場。こんな縦長の稽古場はなかなか確保できない。どこで芝居の稽古をやっても、稽古場確保の問題は深刻だ。結局、地元の方の協力を経て、公民館のホールや体育館を確保していただくことに。

今回の芝居「寿歌」の主役の一人である松崎さんは、地元で料理茶屋を営む中年親父。明るくおもろい名物親父として、地元では有名。
  しかし、芝居は生まれて初めて。まずは台詞覚えに四苦八苦。8月中に台詞を全部入れていただくように御願いしてあったのだが、これが全然入っていない。
 加えて、極度の方向音痴。立ち位置をなかなか覚えていただけない。

その上、稽古を自分から止めてしまう。ふつう芝居の稽古というものは演出家が止めるまで続けるもの。これには参った。いちいち稽古がストップしてしまう。
  「勝手に芝居を止めないで下さい」
  何度も注意するのだが、止めてしまう(笑)。これが繰り返されると、普通の稽古の倍くらい時間を取られ、稽古が進まなくなってしまう。
  この先、稽古はどうなってしまうのだろうか。不安がまたひとつ増えた。

夜、プロデューサーの福嶋氏・舞台監督の海老沢さん・制作の吉村とミーティング。僕の演出プランを話す。
  三國の大漁旗を大量に使いたい、劇中で吹雪を降らせたい、映像も使いたいし、特殊メイクもやってみたい、などなど自分の描いたイメージを提案する。それをみんなが吟味し、これは可能、これは不可能とジャッジを下す。不可能と判を押されたことはあきらめるしかない。
  自分の頭の中で固めたイメージにボコボコと穴が空いていく。キャンバスに理想の色が塗れない苦しさ。とても辛い。でも負けない。こんなところで負けていては芝居なんぞ作れるものか。ものづくりに妥協はつきものなのだ。

でも、いちばん困ったのは、このストレスを発散させる場所がないこと。こんなとき、僕はいつも自分の部屋で、ひとり、大声で悪態をつく。それだけでスッキリする。それが、共同生活のあいだはできない。演出家が自分の部屋で悪態をついていたら、役者は自分のことを言われているものだと思いこんで落ち込んでしまうのだ。
  なので、上手く「不可能」を受け入れられない。ため息ばかりが出てくる。

9月17日

三國に来て初めて、三國から脱出。福井市まで行く。もちろん一人ではなく、共同生活者のみんなを連れて。ハッキリ言って一人になりたいのだが仕方がない。僕は運転手なのだ。いっそのことハイヤーの運転手さんがかぶっている帽子と手袋でも着用したいと思う。
  それにしても、日本の田舎はほんとうに車がないと生活ができない。三國ではコンビニも郵便局もビデオ屋も交通手段はすべて車。運動不足になることこのうえない。

東京での僕はよく歩く。銀座から下北沢まで平気で歩く。街を歩きながら、いろいろなものや音に出会い、触れ、そして想像する。東京では、散歩中に創造のヒントに出会うことがとても多い。
  それが、ここ三國ではどこまで歩いても、同じような風景の連続。ものすごく飽きる。
 漂っている時間の流れ方もまったく違う。最近「まったり」という言葉があるが、田舎ではこの「まったり」がない。ずーと「まったり」。生活や時間にメリハリがない。なんだかいろいろなものをずるずると妥協をしていきそうで怖い。それもこれも、自分を追い込む機会が作れないのが大きな理由。

表現は、自分を追い込まないといいものが産まれない、と僕は思っている。だけど、ここではなかなか自分を追い込めない。いや、追い込む必要がないと行った方がいいのかもしれない。

田舎で普通に生活するには、そこに溶け込むことが必要となる。波風を立たせず、周囲と協調しながら生活を続けなくてはならない。そういう空気が町全体を覆っている。
  そうすると、自分を追い込むという作業は、ある意味邪魔なことで、自分を追い込もうとする人間は田舎では必要がないことになる。

もちろん、表現を目的としてここに来ていなかったら、僕だって周囲と波風は立てたくはない。しかし、今は物作りをしに来ているのだ。なんとか自分を追い込んでアイデアを絞り出さないと・・・。田舎での物作りの限界をどうにか打ち破らなくては・・・。こういう環境で、何が作れるのか、何ができるのか・・・。必死になって追い込むが、何も出てこない・・・

9月18日

ひとり、台風一過の三國の海にて、しばし佇む。
  この10日間、慣れない土地でイライラのしっぱなしだった。おかげで、スタッフや俳優陣に当たり散らしたとも思う。そんな自分にものすごく反省。
  とにかく明日はいったん東京に帰国。次回は10月の3日から本番終了まで約一ヶ月間の滞在になる。東京にいる間に、ちゃんと自分を追い込み、演出プランを完璧にして東京スタッフとの打ち合わせをすませることにしなければいけない。あと、三國スタッフとの意思の疎通もはからないと・・・・とにかくやらなくては。自分自身に言い聞かす。

10月3日

最後の三國入り。今日から本番が終わるまで、もう東京には戻れない。この地で芝居を作るのだ。
  しかし小屋はまだ建っていない。三國スタッフの確保も終わっていない。
  いつも僕に付いてくれている演出補の女性が東京から来られなくなった。松崎さんもまだまだ台詞が入っていない状態。こういうとき、彼女がいてくれると助かるのだが・・・右腕なしに今回の公演を闘わなくてはならない。不安は増えるばかり・・・

10月4日

稽古で使う買ったばかりのipodが壊れた。もちろん近場にApple storeがあるはずもなく、途方にくれる。
  そこへ本番中の東京の某劇団の制作から電話が入る。
  「中島さんが先日劇場に貼ってくれた御札が落ちました」
  その夜、お風呂に入っていると急にガスが点かなくなった。来たばかりだと言うのに、いろいろあって困る・・・

10月5日

あわただしいこちらでのせいか、物をよく忘れる。今日なんか、俳優陣を車に乗せるのを忘れて稽古場に行ってしまった。やれやれ・・・

10月6日

稽古場があちこち変わるので、方向音痴の松崎さんがよく立ち位置を間違える。右に行くところを左に行ったり、上手と下手が逆になったり、もう大変。遅々として稽古は進まない。

10月7日

稽古後、仮設テントが立つ場所に行くと、なんと小屋の骨組みが完成していた。地元の方々が作ってくれたのだ。
  足場で組んだ、縦10間・横3間・高さ3間の建物は夕日を浴びて光っていた。ただの工事現場の足場なのだが、これまでの思いが重なり、僕の目にはとても荘厳で、美しい建造物に映った。
  これまでの苦労や嫌な思いが一瞬で吹き飛んだ。この一瞬が芝居作りの面白さ。自分たちが考え、地元の人たちの協力で建った小屋。この芝居だけのための僕らの劇場。僕たち以外、誰も使うことのない空間。

よし、この足場だけの建物に、みんなで魂を入れていこう。なにがなんでもいいものをつくってやるのだ。また新たな闘志が湧いてきた。この建物、本番が終われば、次の日には解体される。芝居の運命と同じ、儚い命である。

(つづく)


■演劇公演「寿歌(ほぎうた)」 の詳細はこちらをご覧ください。
http://www.mikuni-minato.jp/home/pj/play/2006hogiuta.html

2006.10.30 掲載

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