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第102回 風変わりな人々


僕は生まれてから小学校の三年にあがるまで、名古屋市西区の牛島町というところに住んでいた。
  牛島町は、名古屋駅から歩いて10分。幼い僕にとっては普通の小さな町だったが、今思うと、向かいの家にはテキ屋の一家が住んでいたり、近くには朝鮮人部落が(当時ここにいた友達はその後、甲子園にまで出場した)あったり、ホルモン焼き屋やトルコ風呂(今でいうソープランド)がいくつかあったりして、とてもヘンテコな場所だったような気がする。

ここまで書いて、朝鮮人部落もトルコ風呂も、今は不適切な表現の対象になってしまっているかもしれないことに気がつく。でも当時は、町中のみんなが普通にそうよんでいた。そう、御菓子屋は御菓子屋というようにごく普通に・・・。そこには別に悪意というものはなかったはず。まぁ、中には悪意を持っていた人もいたかもしれないが、世の中、そんな人間はいつの時代にも多少はいる。そんな心ない少数の人たちのために、不適切な表現と言われてしまうのも考えものだと思う。あっ、ごめんなさい、別にここではそんな話をするつもりはまったくないのでした。話を先に進めます。

そのころ、町内を歩いている人たちの中で記憶に残っているのが、まずさっき話したテキ屋のおやっさん。このおやっさんの娘が僕と同い年。近所ということもあり、その子とはよく二人きりで遊んだりした。
  おやっさんは普段はすごく大人しい人なのだが怒ると怖いらしく、「母ちゃんのことを指輪をはめてあるところで殴るんだよ」と、その子はよく言っていた。

おやっさんは、僕たちをよく銭湯に連れて行ってくれた。脱衣場で服を脱いだおやっさんの背中には大きな刺青が彫られていた。僕はもの珍しくて、その皮膚をよく触ったりつねったりさせてもらった。一回だけ噛みついたこともあった。僕は幼いころ、よく人に噛みついた。なんだろう、一種の愛情表現だったのだろうか、好きな人にはところかまわず噛みついていた。でもそのときは、「刺青を噛むのだけはかんべんしてくれ」とおやっさんに叱られた。

おやっさんは円通寺という商店街の夏祭りで、屋台を出していた。たこ焼き、お面、くじ引き、カルメラ焼き等々、毎年違った屋台を出していて、いつも僕にたこ焼きやお面など、そのときの屋台のものをタダでくれた。子供心に、これがとっても嬉しかった。だから、僕は縁日に行くと真っ先におやっさんを見つけ出し、お店に向かって突進して行って、おやっさんの店先で何時間も居座ったものだった。

そんなテキ屋のおやっさん一家がある日突然町から消えた。理由は定かではないが、噂によると夜逃げだったそうだ。
  誰も居なくなったテキ屋の家に入ってみた。荒れた空っぽの部屋に新聞紙が散乱していて、なぜか加山雄三のドーナツ盤が転がっていた。「夕日赤く」というドーナツ盤の若大将は、二枚目だけれど、笑顔が嘘くさい感じがした。

次に覚えているのが、傴僂(せむし)のおにいちゃん。このおにいちゃん、いつも仲良く二人連れ。連れの男の人はおにいちゃんの恋人だとか、親戚の方だとか、いろいろな噂があった。家の前の通りを午前中の穏やかな時間におにいちゃんたちは優雅によく歩いていた。おにいちゃんの職業を母に聞くと、なんだか絵描きらしいよ、と返ってきた。へぇー、絵描きなんだ・・・・。漠然と絵描きという職業とおにいちゃんを結びつけ、妙な納得をしたことを覚えている。

ある日、家の前で、針金を鼻にくくりつけて遊んでいると、いつものようにおにいちゃん達がやってきた。おにいちゃんたちの行く手の方からは、犬を連れたおじさんが。ちょうど、家の正面でおにいちゃん達とおじさん達が擦れ違う形になった。
  そのとき、突然犬がおにいちゃんに吠えた。おにいちゃんは犬を指さし、何か言おうと口をパクパクさせた。しかし、その口からは、言葉ではなく、白いあわがモアモアと出てきた。そして指をさしたまま、おにいちゃんは倒れた。

癲癇(てんかん)だぁ!! お向かいの御菓子屋のおばちゃんが叫びながら電話をかけに走る。僕はなんだかわからない状況に自分が置かれ、どうしていいかわからずに、ただ泣いていた。声も出さずに、ただただ・・・。
  それから救急車が来るまで、おにいちゃんの連れの男の人は、ずっとおにいちゃんの身体をさすっていた。そして救急車がおにいちゃんをどこかへ連れて行ってしまった。それ以来、町でおにいちゃんの姿を見かけることはなかった。

立ちションばあさんは凄かった。いつ、どんな場所でも、ところかまわず立ちションを始めるのだ。一度なんか、買ったばかりのアイスクリームを道端で座って食べていたら、いきなり横で放尿が始まり、オシッコがアイスに飛んで往生したことがあった。
  立ちションばあさんは町の人ではなく、なんでも遠くから行商に来ているおばあさんだと母から聞いたことがある。町の人も、自分の家の塀に立ちションをされるのは嫌なので、どうぞ家のお便所を使って下さい、というのだが、絶対によその家の便所を借りない変わり者だとも聞いた。今思うと、ほんと迷惑な人だけれど、当時の僕たちはそんなおばあさんの存在さえも、ある意味受け入れて楽しんでいた。

町に風変わりな人たちがいなくなったのはいつからだろうか?
  いや、実際には今でも風変わりな人はたくさんいると思う。でも、それに気がつかないフリを僕たちがしているか、それとも、そういう人たちが町を歩けなくなってしまったのか、または僕たちが歩けなくしてしまっているのか・・・。

話を現代に移す。
  この間、都知事選があった。
  我が家の近くにも、候補者の掲示板が立った。そこには吉田万三・外山恒一・石原慎太郎・黒川紀章・ドクター中松・桜金造・浅野史郎らの方々のポスターが貼られていた。

その掲示板の前に、一人の小太りの女性が立っていた。腕組みをして、熱心に見入っている。
  ああ、この人は選挙に対して真面目に考えているのね、そんな印象を抱きながら、僕も彼女の横に立ち、ポスターに目をやった。
  横に立ってはじめて気がついた。この女性、ブツブツと候補者のポスターに向かって文句を言っている。

お前がいるから世の中駄目になるんだ、もっと考えてやってくれ、お前になんか投票しない等々、罵詈雑言をポスターに浴びせていた。
  あらあら、よっぽど今の政治に御不満なのね、僕はもう少し様子を見守ることにした。

その女性は、ひとしきり悪口が終わると、今度はポスターにパンチを浴びせ始めた。吉田万三に一発、浅野史郎に一発、石原慎太郎には連打、黒川紀章にも連打、ドクター中松にはジャブ程度、外山恒一はなぜか無視、そして桜金造には連打の上に蹴りまで入れ、最後にアカンベーまでしていた。
  おいおい、桜金造にそこまでしたらかわいそうじゃないか。かれは泡沫候補なのだよ。彼女のあまりの剣幕に、僕は思わず声を上げて笑ってしまっていた。
  笑い声に気がつき、彼女がこちらを振り向く。
  一瞬目があった。
  隣に僕が立っていたことを気がつかなかったのか、彼女はものすごく驚いていた。そして、もの凄い早さで走り去ってしまった。

ああ、彼女の時間を邪魔してしまったかな・・・。
  彼女の時間を遮ってしまったことに、僕は少しだけ後悔した。
  ハッキリ言って、彼女のような存在は、今でいうところのアブナイ人なのだろう。でも、僕が子供の頃は町中にそんな人たちはたくさんいた。そう、町全体がいろいろな人を受け入れていたような気がする。そんな時代が、なんだか懐かしい。
  人生において、自分の心の幅をひろげてくれるのは、人との出会いと関わり方。僕はなるべく、多くの人を受け入れられるような人間になりたいと思う。

         

2007.5.7 掲載

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