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第116回  「ものを書く」ということ

ものを書くのはとても難しい。編集長の好意で、月二回書かせて頂くようになり、今回ですでに116話。こんなダラダラとした拙い文章を載せて下さるロゼッタストーン編集部の方々や数少ない読者の皆さまには、毎回本当に頭が下がる思いで一杯になる。

時にはもう書けない、書きたくないと思ったりもすることはあるが、それでも一生懸命に書く、必死に書く、意地になって書く。それがいいことなのかどうかはわからないけど、自分の心の隙間を埋めるようなつもりで書く。書くことで自分を見つめ、立て直す。そのおかげで客観性というものが自分に多少なりとも備わってきたと思う。ありがたい。

だけど、読んだ人の反応、これがさっぱりわからない。長年芝居という、お客さんとの生の反応の中にいたせいか、対象が見えない人たちに発信するという表現の難しさにはとても苦労する。誰に対し何を思い、何を投げかければいいのか・・・。気がつくとどうしても自分のことばかり書いてしまい、自慢や自己憐憫が多くなってしまう。掲載されたものをしばらくして読み返してみると、気持ちの悪くなることも少なくない。

もともと書きたいという気持ちは人一倍あるのだが、書くという行為に自信があるわけではない。ではなぜ書くのか。それは僕が活字というものによって、これまで何度も救われてきたからだ。本の中には現実を忘れさせてくれる何かと、現実を見つめ直させてくれる何かがある。この何かは、読んだ本によって様々。中にはたった一言でそれまでの自分の人生を否定されるときもあるし、また肯定してくれることもある。言葉の持つ重みは大きい。

もちろん本を読むより自分の人生を歩むことで自分を掴まえる人もいるとは思う。でもそこには限界がある。自分という人間はこの世の中でたった一人しかいない、経験できることはたかが知れている。でも経験できないことは書物で補うことができる。本によって自分の知らない世界を垣間見るのはなんと贅沢なことだろう。

2007年もたくさんの本に出会い、たくさんの言葉に出会った。その一つ一つが気づかないうちに己の血肉となり、心を少しずつほぐしてくれていると思う。いつか人の心を豊かにできるくらいのモノを書いてみたい、と思ってはいるのだが、これがなかなか・・・。もっともっと頑張らなければ。

なぜ今回、急にこんなことを言い始めたのかというと、理由がある。本田靖春著「我、拗ね者として生涯を閉ず」、保阪正康著「自伝の人間学」、車谷長吉著「世界一周恐怖航海記」、この3冊を立て続けに読んでしまったからで、この3冊を読むと自分のようなものがこうやって文章を書いていることがとても恥ずかしくなる。つまり、必死に生き、必死にものを伝える心構えがないのならものを書くな、というのである。もう、どうもすみません、というほかない。久しぶりに身の引き締まる3冊だった。ありがたい。

2007年も終わり、2008年が始まる。2008年は48歳になる。この歳になると、人生の半分を過ぎたせいか、一年一年がとても大切に思える。これは若かったときにはまったく感じなかったこと。人間は歳を重ねないと気がつかないことが多すぎる。まったくもって我が儘な生き物だ。この残り少ない人生、少しでも経験を積みたい、少しでも勉強がしたい、少しでも成長したい、そうしながら、いつか死ぬための準備をしていきたいと今は願っている。

45歳を過ぎたあたりから老いを意識するようになった。まず食欲が減った。下半身の筋肉が落ち、上半身がブヨブヨしてきた。体重は58キロ前後で、若いころとあまり変化はないけれど、肉体全体に締まりがなく緩い。つまりだらしない身体になった。食欲は減ったけど、甘欲、甘い物に対する欲がすごい。特に餡。こし餡、つぶ餡、どちらも大丈夫。和菓子全般に目がなくなってきた。朝一で餡。おやつに餡。食後に餡。コンビニでも大福の前でつい足を止めてしまう。餡があればシアワセ・・・と思うようになってしまった。

頭髪もかなり減った。先日、知り合いの絵描きの子に似顔絵を描いてもらったら、髪の毛が15本しかなかった。実際はもっとあるのだが、彼女には15本くらいにしか見えなかったのだろう。これでは磯野波平さんになる日もきっと近いに違いない。

体力もかなり衰えた。食後は毎回横になって休みたい欲求にかられ、朝起きは苦にならなくなり、夜更かしが苦痛になった。深夜、ヘタに目が覚めてしまうとそのまま何時間も眠れなくなり、面倒くさくなって起き出してしまうこともしばしば。老眼も進み、近くも遠くも見えなくなった。ついに遠近両用眼鏡を購入。これが高かった。1本10万円もする。単純に計算して普通の眼鏡の倍。廉価眼鏡だったら10本は作れる。歳を取ると金がかかるものだと思った。

あと着るものが似合わなくなった。なにを着ても似合わない。スーツや背広を着ると、ヤクザとかダフ屋にしかみえないし、流行りのカーキ色を着れば右翼にしか見えない。思い切って和服を着てみると、書生さんか三文文士。結局カジュアルな格好になるのだが、これも若作りをしている悲しい中年にしかみえない。

講師をしている大学には、ほとんど学生と変わらぬ格好で出かけていく。細見のパンツにパーカーとかスウェットを着て教壇に立つ。校内で教授と見られる方とすれ違ったりするとき、こちらは取りあえず頭を下げ挨拶をするのだが、向こうは学生と勘違いして随分と横柄な挨拶を返してくる。講師に見えないのだから仕方がないが、少しだけムッとする。

大学のある場所は東京都青梅市の山の中。都心に比べると5度近く気温差があり、冬になるとかなり寒く、早朝なんか耳がちぎれそうなくらいになる。こういう日は帽子をかぶるのにかぎる。だけど、この帽子がまた似合わない。ニット帽をかぶれば頭に病気を抱えている人にしか見えないし、野球帽は犯罪者にしか見えない。ヘルメットなんかかぶろうものなら、オウム真理教のヘッドパッドを付けた狂信的な信者そのもの。仕方がないので耳当てなる物を購入して装着してみる。これがまたまたまったく似合わない、鏡に映った自分は人間なのかなんだかわけがわからない。どこかの星のヘンテコな生物にしか見えないのだ。もう帽子はかぶれない。寒さは堪えるしかない。歳を取ることは堪えることなのかもしれない。

そんなことで、2007年は終わり、2008年が始まる。2007年もなんとか生き抜いた。2008年も無事に生き抜きたいと思う。
  頑張らなくては。

2007.12.31 掲載

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