ロゼッタストーン コミュニケーションをテーマにした総合出版社 サイトマップ ロゼッタストーンとは
ロゼッタストーンWEB連載
出版物の案内
会社案内

第127回  父と子

暑い日が続いている。連日の熱帯夜に、ただ寝ているだけで、すごく疲れる。暑さに睡魔がはっきりと勝ち名乗りをあげるまで、布団の上で滲み出てくる汗にまず降参。ボワッーとしたまま、少し寝ては寝汗の不快感ですぐ目を覚ます。汗を拭き、水分を補給して再び眠りに入るのだが、しばらくするとまた寝汗。そんなことを繰り返しているうちにいつしか朝になり、気がつくと身も心もグッタリ。仕方なく、寝不足のまま起床。無理矢理一日をスタートさせることになる。今年の夏はほんとうにキツイ。

そんな中、次女がまたまた旅に出た。行き先はベトナム、タイ、インド等々。いつものようにふらっと旅立っていった。彼女の行く海外は、結構治安の悪いところが多い。──自分の人生なのだから自分で決めて、自由に生きなさい──常日頃そう言っている身ではあるが、親としてはやはり心配にはなる。どこかで悪い人にお金を騙し取られていないか、金目的の誘拐に会っていないか、夜道で強姦されていないか等々、ありきたりな事を当たり前のように思い浮かべては、その考え出したらキリのない妄想にやられ、またまたグッタリ。しかし、可愛い子には旅をさせろ、この言葉を思い出しては妄想にケリを付ける。

可愛い子には旅をさせろ、実にイイ言葉だと思う。親と子のほどよい距離を作るには、子供に旅をさせるのがいちばん。親元を離れ、子供は自分の足で自分の意思で、異国の地を渡り歩く。きっと様々なトラブルが否応なしに「こんにちは」と厚かましいぐらいにやって来ているに違いない。そんなときでも自分しかいない。自分一人の力で、もしくは誰かの手を借りて、困難を切り抜けていくしかない。いつものように親や友人がアドバイスをくれたりすることはないのだ。自分の考えで、自分の力で、道を切り開いて行くことを無理にでも学び、そして成長していく。

近くにいたら手を貸してしまうに違いない親も、子供が異国の地ではどうしようもない。ただ子供を信頼し、無事を祈るだけ。最近、頭を下げられない子供が多いと聞くが、異国の地ではそんなこと言っていたら、とてもじゃないが生きていけない。他人の世話になり、他人に頭を下げることができてこそ、世の中で生きていけるのだ。とにかく、次女には多くの経験を積んで来て欲しいと思う。

そうこうしているうちに、やっと次女からメールが入った。旅に出て二週間ぶりの音沙汰だ。今はラオスの首都ビエンチャンにいて、その後インドへ飛ぶとのこと。元気で何より。ひとまずホッとする。

長女が久しぶりに東京に出てきたので、一緒に食事をした。二人きりの食事はかなり久しぶり。下北沢のおいしい蕎麦屋に入り、長女の結婚についていろいろ話を聞いているウチに、なんだか悲観的になってしまった。ああ自分はなんて何も出来ない父親なのだろうか、どうして絵に描いたようにニッコリ微笑み「おめでとう、良かったね」の一言が言えないのだろうか、とどんどん自分を責めはじめ、激しく哀しい気分に落ちていく。いかん、今日はゆっくり楽しげに過ごすことにつとめなくては・・・そう思い直し、必死になって話を盛り上げてみるのだけれど空回りの連続。長女には悪いが、無理に盛り上げるのはやめて、どよーんとした感じのまま箸を動かした。

蕎麦を食べた後、二人でゆっくり下北沢から東北沢まで歩いた。これからの人生において、彼女とゆっくり歩くことはもうあまりないだろうなぁ、下北沢から歩いて帰るこの道のりを一緒に歩くことはないだろうな・・・そう考えると、今度は泣きたくなってしまった。暑さで感情がどうにかなってしまったのかもしれない。別れ際、長女に「頑張れ」と伝え、東北沢の駅で別れた。

その数日後、今年の4月から東京に住む息子が映画に行こうというので、渋谷の映画館に行った。息子と映画に行くのは大好きだ。息子に限らず、子供たちと映画に行く時間は、何事にも代え難く、自分にとってとても楽しみな行事のひとつになっている。息子とはいちばん長く離れて生活していたせいか、近くに住むようになっても、すごく気になって仕方がない。ご飯は食べているのか、洗濯はしているのか、寂しくしていないか、悩みはないのか等々、すぐに声をかけてしまう。これがいけない。18歳の男の子にとって、親の言うことは、ただの雑音でしかない。そう私はノイズ。ノイズに対して、息子はいつもふて腐れた顔で「ああ」とか「おお」とか返すだけ。それはそれでとてもわかるのだけれど、もう少し話をしてくれてもいいのになぁ・・・と、よくある過保護の女親の心境になってしまう。

これまで離れて暮らしていた分だけ、会話で埋めたい父親は実にみっともよろしくない。息子にとってはありがた迷惑。とうとう映画の帰りの食事中、将来のことについて言い争いになってしまった。自分がろくな人生を歩んでいないせいか、子供に対してつい高圧的な態度に出てしまい、一方的に子供を責めてしまう。お互い嫌な気持ちのまま家に帰った。楽しい時間の筈なのに、悲しい時間になってしまった。暑さもあって、ついついヒートアップしてしまったのだ。

次の日、「昨日はごめんな」とこちらから謝った。何度同じことを繰り返せば気が済むのか。親と子は死ぬまで親と子とよく言うけれど、ほんとそのとおりなんだなぁと思う。親が持つ理想の親子像と、子が抱く理想の親子像がきっと違うのだろう。そこからしてズレているのだから、なかなか交わりを見つけるのは難しいのかもしれない。もっとフランクに親子の会話が出来る日を夢見て、お互い努力するしかない。期待をしないで信用する、これが我が子に出来る日はいつの日か・・・。

以上のように、僕にとって子供はアキレス腱である。
  子供のことになると全く見えなくなってしまう自分がいる。
  原因の一つは、子供に対してものすごく感情が動いてしまうこと。
  それと、離婚をしているため、それが負い目となっていること。
  あとは、自分が胸を張れる立派な人間でないこと。
  だいたいここら辺りに要因があると思う。

感情が動いてしまうのは、そこに我が身を見てしまうからで、特に我が子の中に自分の劣等感を強烈に感じてしまうときほど感情的になってしまう。だから、どうしても他人に対するように冷静なジャッジができなくなり、子供を一人の人間として見なくてはいけないと思いつつも、ついつい興奮して、言わなくてもいいことまでぶつけることになる。これではどっちが子供なのかわからない。まぁ、そんなみっともない父親の姿を見て、子供なりに成長を遂げてくれることを願うしかない。これに関しては、これからの努力と、時の流れが必要だと思うので、長い目でゆっくり考えていこう。

次に離婚。正直、離婚を負い目に感じてしまうのはよくない。しかし、何かあると、離婚のせいにしてしまう自分がいる。きっと、そのせいにして安心したいのだろう。でも、親子の問題は、きっとそういうことではない気がする。もっとこう、お互いの人間としての在り方に理由があるに違いない。もう離婚のせいにするのはやめよう。もう何度もしている決意だけれど、改めてしよう。
そして、自分が立派な人間でないことを悔やんだりするのもやめよう。そんなことを思っていても何も解決はしないし、それこそ、今まで自分に関わってくれた人たちに対して失礼だ。僕の父親もべつに立派な人間ではなかったが、今ではちゃんと感謝も尊敬もしている。

これからは、子供に対して、決して威張らず、卑屈にならず、ニュートラルでいよう。無理かもしれないけれど、心懸けていこう。
  親も子も、もっとお互い考えて、自分の悪いところに気がついたら、お互いに直していけばいい。
  何度も同じことを繰り返しながら、ゆっくり学んでいこう。
  血の繋がりだけは、たとえどちらかが死んでも解消できないのだ。
  子供とは、生涯を通して、たくさん喧嘩をしながらも仲良くやっていきたい。
  生涯親子、一生親子、死んでも親子。

最近、埼玉県で中学三年の女子が父親を刺殺したとされる時間があった。「寝ているときに父親が家族を殺す夢を見て、父親を殺そうと思った」と供述していると聞く。子供にとって、親というものはどうしても自分を支配者する人間に見えてしまうらしい。我が家でも、長女は父親のことを「母親や私たちを虐める悪い人というイメージがある」というし、息子は「父母、両方とも怒ると暴力を振るいそうなイメージがある」という。比較的、普段はふつうに会話している親子の間にも、心のどこかにそんなイメージがある。もちろん僕は子供を虐めた事なんかないし、暴力を振るったこともない。そうなると、子供たちの勝手なイメージが一人歩きしている気がしないでもない。僕だって、親は怖かったし、勝手にイメージをしていた時期はある。しかし、だからと言って、親を殺そうなんて思ったことはなかった。

今の子供たちは、自分の身を守ることで精一杯だ。ほんの些細なことで注意をしても、すぐに言い訳をして保身につとめる。劣等感と被害者意識が強すぎてしまうため、自分が傷つくのが怖くて仕方がないようだ。一つのミスが、心の挫折を生んでしまう恐怖。そんな子供たちの心が今回の事件の要因の一つにあるのかもしれない。しかし、その恐怖心が、人生において、取り返しのつかない事件に繋がってしまうなんて、とてもじゃないけれど、やりきれない。

人は傷ついてなんぼ。傷つくことや失敗を恐れていては先に進めないし、成長もしない。そんなことでは人を愛する事なんてとうていできないし、戦争なんていつまでたってもなくならないのではないだろうか。もう少し、勇気を持って、人や社会と接してみてはどうだろう。失敗してこその人生なのだから。

もちろん大人もやるべき事はある。子供のしでかした失敗をどう受け止めてあげればいいか。まずそれを考えよう。受け止めてあげられない、もしくは受け止め方がわからないから、子供を一方的に責めたり、力によって支配しようとするのだと思う。もっといろいろ考えよう。大人も子供も諦めずに考えよう。答えが出ないからと言って、すぐに諦めたら駄目だ。だって、こういうことは時間がかかる。答えなんかそう易々とは出ない。親も子も、先を急ぎすぎてはいないか。よく考えよう。時間はたっぷりある、そう、人生は長いのだから。

とここで書き終えようと思ったら、今度はJR平塚駅で34歳の女性が刃物を振り回しながら通行人7人を次々と切りつけた事件が飛び込んできた。容疑者の女性は「父親を殺したいと思ったが、それもできず、人を道連れにして死のうと思った」と供述しているらしい。
  考える間もなく、次の犯罪が起こってしまう。
  こんな状況がいつまで続くのだろうか。
  もういいかげん人を殺すのはヤメにしないか。
  なんだか生きているのが嫌になってくる。
  なんとか踏みとどまって、凌いではいるが、いやはやなんとも・・・。
  おまけにこの猛暑。
  生きていくのが不安になって仕方がない・・・。
  もっともっと考えて生きないと、この国はそのうちどうにかなってしまうだろう。
  いや、もうなっているかもしれない。
  このなんともしれない「嫌な感じ」は、とうぶん続くだろう。
  やれやれ。



2008.7.31 掲載

著者プロフィールバックナンバー
上に戻る▲
Copyright(c) ROSETTASTONE.All Rights Reserved.