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第144回  ちょっと汚い話とオリンピック

2010年に入りました。とうとう今年で50歳。困ったものです。じっさい、この年齢まで生きのびるとはまったく思っていなかったので、この先の人生がどうなるのかまるで見当もつかないし、こうありたいという展望もない。というより老いたときの自分の在り方がよくわからない。ただ、一日一日生きていくしかないと今は思っている。それが楽しいとは思わないが、別にわびしいとも思っていない。

しかし、年々進んでいく老化には閉口する。まず支度に時間がかかりすぎる。朝起きて家を出るまでに2時間、帰宅してから寝るまでに2時間、たっぷりかかってしまう。若い頃は30分で支度を済ませ、帰宅しても30分で眠りについていたように思う。それが今は2時間。
  別にたいしたことはしていない。朝起きて、布団を畳んで、トイレに行って、歯を磨いて、洗濯機を回して、風呂に入って、着替えをして、朝食を食べて、パソコンでニュースやメールをチェックして、洗濯物を干す。それだけだ。これで2時間。寝る前もほぼこれと同じ。たぶん若い頃は動作が機敏だったのが、今では緩慢になり、のろのろとした動きになっているに違いない。なので7時出発の朝なんて、5時に起きなくてはいけない。冬場の早朝なんて、外はまだ真っ暗だ。でも、早起きるのがたいして苦にならないのも老化の始まりで、20代の頃の早起きなんて地獄のように嫌だったけれど、今はまったく平気になっている。そのかわり夜の12時を過ぎると頭がグラグラしてくるのも事実だけれど。

老眼の進行も早まっている。ガラス張りのお店では何度も自動ドアと間違えてガラスに激しくぶつかってしまう。娘達に言わせると、それは老眼のせいではなくて、頭の具合がまずいからだそうだ。もう惚けが始まっていることなのか。うーん、それはちょっと辛い。
  そういえば、お風呂の湯船にタオルと間違えて下着のパンツを持って入ってしまったこともあった。お湯に浸ける前に気がついたからいいようなものの、これはマジでやばいのかもしれない。


風呂といえば、近所の銭湯でのこと。タオルも何も持たずに湯船に入ってきた人がいた。歳のころは40前後。何も持っていないと言うことは、まず下半身がぶらぶらしていて安定しない。こちらは洗い場で頭を洗っていたのだけれど、彼がぶらぶらのまま近くを通り、一物がちょうど座っているこちらの顔の高さにあるものだから、顔面に激突しそうで危険きわまりない。
  「目の前のニンジン」という言葉はよく聞くか、「目の前の一物」は聞いたこともない。せっかく銭湯に来ているのに、緊張しなくてはならないのは納得がいかない。

話を続ける。一物の彼は、手ぶらなのでタオルがない。どうするかと言えば、体を洗うのはすべて己の手。もちろん石鹸なんかもない。手でもってあちらこちらをゴシゴシゴシゴシ。もちろんおしりの辺りも一物の周りもゴシゴシゴシゴシ。ゴシゴシした手を上に持っていき、顔もゴシゴシゴシゴシ。これはたいへん。果たして顔がきれいになったのか、汚くなったのかよくわからない。それでも彼にしてみればサッパリきれいになったのだろう、湯船にゆっくり浸かり風呂から上がった。

しかし、彼はタオルを持っていないのだ。どうやって体を拭くのだろう。気になってついていってみた。彼は番台のおじさんにこう言った。

「すみません、貸しタオルってありますか」

なんだ、貸しタオルを借りるのならはじめから借りればいいのに…、すかさずそう思った。
  番台のおじさんは黙って壁を指した。
  そこには張り紙があり、こう書かれてあった。

(貸しタオルはありません。タオル一枚100円で販売)

彼はその張り紙をジッと見つめ、おもむろに自分のロッカーを開けた。
  あれ、タオル買わないのかなぁ…。しかし、彼の行動は違った。なんと、ロッカーの中から靴下を取りだし、それで体を拭き始めたのだ。
  おいおい、靴下で拭くのかよ…。こちらがビックリしていると、番台のおじさんが口を開いた。
  「おい、せっかく風呂に入ってきれいになったのに、靴下なんかで拭くなよ。俺のタオル貸してやっから、もう1回入ってこい。だいたい何も持たずに銭湯に来るもんじゃないよ」
  彼はおじさんに小さく頭を下げ、タオルを受け取って再び湯船に向かった。

50年近く生きてきたが、靴下で体を拭く人を見たのは初めてだった。そのあと彼が風呂からあがり着替えるまで観察していたが、彼は決して100円が都合つかないほどの貧乏には見えなかった。だとしたら彼はなぜタオルを買わなかったのだろうか。まったくもって理解不能な人だった。


汚い話をもうひとつ。最近、電車に乗っているとipodを聴いている人がものすごく増えた。音楽を聴いている人も多いと思うけれど、podcastを聴いている人もたくさんいると若者から聞いたことがある。このpodcastというのは、わかりやすくいえば、ラジオ番組のダイジャスト版(そうでないのもある)で、パソコンからダウンロードをしてipodに入れて聞くもので、生放送を聞けない人にはもってこいのコンテンツなのだ。
  よく聞くpodcastの番組は、「小島慶子キラ☆キラ」「大竹まことのゴールデンラジオ」「おぎやはぎのメガネびいき」「東京ポッド許可局」「月刊快楽亭ブラック」等々、たくさんある。

それはいいのだが、話は中央線吉祥寺駅の公衆トイレの中でのこと。たくさん並んだ朝顔の中に心地よく小用を足していると、横となりに同い年くらいの、耳にイヤーフォンを装着したおじさんがいきおいよく放尿。よほど我慢していたのだろう、おじさんは上を見上げて夢見心地。ああ、こういうときの人間の顔は、なんて無防備な顔なんだろう。なにか、至福をのひとときを味わっているような、実にいい顔をしている。

こんな幸せそうな人の一物はどんなもんだろう。興味がわき、そのままおじさんの下方に眼を落としてみた。するとどうだろう、おじさんの一物から飛ばされる汁滴が、細かく外に散っているではないか。なぜだ。よく見ると、おじさんの汁滴が耳からぶら下げたイヤーフォンのコードに当たってしまっているのだ。もちろんコードはビショビショ。朝顔の外側もビショビショ。その近くの壁もビショビショ。幸いこちらまで被害は及んでいないがこれはあきらかに小さな事故。でもこういった場合、親切に注意した方がいいのかどうか、よく判断がつかない。注意しようかどうしようかと迷っているうちにおじさんの放尿は終了し、彼は一物をチャックの中に収め、出て行ってしまった。もちろんコードには汚汁滴がたくさん付いたまま。

ああ、汚い汚い。これからはイヤーフォンのコードには十分に注意を払って用を足すようにしよう。でも、こういうことって、ひょっとした自分も知らないうちにやっているかもしれないことなので、イヤーフォンが理由もなく濡れているときは疑った方がいいかもしれない。まぁ、たかがオシッコと言って平気な強者もなかにはいるかもしれないが、汚いものはやっぱり汚い。イヤーフォンは外から帰ったら一応濡れフキンで拭いた方がよろしいと思う。先日テレビで、野山を何日も駆けて行われるランニングスポーツを紹介していたが、これなんかは走りながらオシッコを垂れ流していたから、それに比べれば可愛いとも言える。


オリンピックが始まった。基本的に昔からカーリング競技を見るのが好きなのだが、評判のフィギュアーにも注目している。中でも男子のフランス代表ブライアン・ジュベールの美しい4回転を見たかったのだが、調子が悪くことごとく失敗。演技を終えたときの切ない横顔と、「やってはいけないミスをした、すべてを失ってしまった」というコメントが今の彼の悲しみを際立たせていた。

織田信成の靴紐が切れてしまったのも哀しかった。演技を途中で辞め、審判団のいる場所に向かうときの、彼の悲壮な顔がとてもよかった。どんな言葉を使っても表現できないその表情に、思わず涙してしまった。昨今のスポーツ競技は、どうも相手のミスが勝利を左右するように思える。本番のミスは、その日の運次第。こればかりは神様にしかわからない。メダルを取る取らないは、運任せのところが大きい。だから面白いとも言えるのだけれど、メダルを取った人間が本当に強いかどうかはわからない。だって人生は長いのだから。

今回のバンクーバーオリンピックのフィギュアー男子では、プルシェンコ×ジュベール、高橋大輔×織田信成に注目をしていた。結果プルシェンコが銀、高橋が銅という結果で、それぞれのライバル対決に幕を閉じた。

嘗ての阪神タイガースのエース江夏豊は、ライバル読売ジャイアンツの堀内恒夫に対し、海老沢泰久著「ふたりのプロフェッショナル」の中でこう言っている。

「おれ(江夏豊)はピッチャーとしては絶対に彼(堀内恒夫)に負けない自信があった。負けたとも思っておらんけどね。ただ、彼の持ってる運というかな、それに勝てなかった。これはじっさいにやったもんにしか分からん感覚だから口では説明のしようがないんだけど、野球選手としての全体の何かだな」

そしてこうも言っている。

「しかし、人間には強いものになりたいというタイプと、強いものをやっつけたいというタイプと2種類あると思うんだ。おれはやっつけるほうが好きなんだよ。結局、負けて、負けてのくりかえしだったような気がするけどね」

これはこれで、結局負けたとしても悔いのない生き方のような気がする。勝負も大切だけれど、最終的には生き方になるのかなぁ、としみじみ思う。

男子フィギュアーのことでもう少しだけ言うと、6位に終わったアメリカのジョニー・ウィア選手が、自分の採点にブーイングをしている観客を静かに宥めていたのが素敵だった。

「ふたりのプロフェッショナル」という本もそうだけど、今年はいまのところ面白い本に出会っている。中でもオススメなのが、春日太一著『天才 勝新太郎』と加賀乙彦著『不幸な国の幸福論』の2冊。『天才 勝新太郎』は表現に携わる人に読んで欲しい本で、『不幸な国の幸福論』は悩める日本人に読んでいただきたい。2冊とも買って損はありません。寒い日は、ひきこもって読書でもいかがでしょうか。

それでは、今回はこのへんで。


更新が遅れて申し訳ありません。
  心からお詫び申し上げます。


2010.2.24 掲載

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