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刑法第39条は、見直すべきだと思う?

寄せられたご意見

・『凶刃』著者が、犯人と犯人が入院していた病院の情報を求めています。詳しくはこちら
・日本全国どこへでも著者が講演に出かけます。詳しくはこちら

ロゼッタストーン発行の『凶刃』は、見ず知らずの精神障害者に息子を殺された両親が、「刑法第39条」の不条理を訴えたものです。 ⇒本の内容はこちら
凶刃むらさめの つゆもまだひぬ 真木の葉に
               霧たちのぼる 秋の夕暮れ

矢野真木人(やのまきと)は昭和52年8月20日に英国で生まれました。息子の名前を考えていて、源氏物語(「真木柱」巻)と百人一首に出てくる「真木」という字がヒノキを意味することを知りました。真木人は日本人として誇りを持つように願って名付けたヒノキの君です。

真木人は平成17年12月6日に、見ず知らずの通り魔的殺人にあい28歳で命を失いました。レストランで昼食後、スーパーマーケットの駐車場に出てきたところを、100円ショップで購入した包丁で一刺しされて死んでしまいました。

犯人は近くの病院に入院している精神障害者で、社会再適応訓練のために一人で外出し、わずか20分後に凶行を犯しました。刑法第39条は心神喪失者は無罪と定めます。理不尽な殺人をしても心神喪失であれば無罪になります。何人に危害を加えても、常に前科が消える、無垢の人間となるのです。そしてこの日本では公の記録も報道も、殺人事件そのものがなかったかのような取扱になります。

人一人の命が失われたのに、全く完全な被害者であるのに、社会からはその貴重な命が失われた原因の記録が抹殺されるのです。殺人事件がなかったことになるのです。このため、何の保障も加害者や責任機関に請求できなくなります。これがこれまでの日本の現実です。社会正義に反するのです。

私どもは真木人の死を「今の日本はおかしい」という題材の一つの証にしたいと希望します。私たちは真木人には生き抜いて、ヒノキのような大木に成長して、香り豊かな社会貢献を果たすことを望んでおりました。残念ながら彼は命を失いました。しかし真木人が失った命が、日本の人権問題に一石を投じる証となれば、それも彼が成し得る社会貢献でしょう。真木人にはヒノキの香りで日本の正義に貢献してもらいたいのです。

(ーー矢野啓司・千恵著『凶刃ーああ、我が子・真木人は精神障害者に刺し殺された!!』まえがきより)

刑法第39条には

1  心神喪失者の行為は罰しない
2  心神耗弱者の行為は、その刑を減軽する

と書いてあります。

平成17年版の「犯罪白書」によれば、「平成16年における一般刑法犯検挙人員のうち,精神障害者は915人,精神障害の疑いのある者は1,373人であった。これらの者が一般刑法犯検挙人員に占める比率は,0.6%(前年比0.1ポイント低下)であり,罪名別では,放火(11.2%)と殺人(7.0%)で高い」そうです。

また、同白書には、

「平成16年において,検察庁で不起訴処分になった被疑者のうち,心神喪失者と認められた者は324人,心神耗弱者と認められた者は237人,通常第一審で心神喪失を理由に無罪になった者は7人,心神耗弱を理由に刑を減軽された者は81人であった。これら649人のうち,措置入院は383人,実刑・身柄拘束は55人であった。 心神喪失により不起訴処分になった者については,罪名は,殺人(74人)が最も多く,次いで,傷害(66人),放火(48人)の順であり,精神障害名は,統合失調症(234人)が最も多かった。また,不起訴処分になった者のうち心神耗弱者と認められた者については,罪名は,傷害(50人)が最も多く,精神障害名は,統合失調症(138人)が最も多かった。 通常第一審で心神耗弱を理由に刑を減軽された者については,罪名は,殺人(21人)が最も多く,精神障害名は,統合失調症(24人)が最も多かった」

とあります。

平成16年に「殺人」で検挙された人数は、1391人。そのうち「精神障害者」が45人。「精神障害の疑いのあるもの」が52人。「性格異常者」が5人。「覚せい剤常用者」が12人。「有機溶剤等(シンナーなど)乱用者」が2人。「アルコール中毒者」が5人となっています。殺人をしても「心神喪失により不起訴処分になった者」が74人ですから、「不起訴」になる確率はかなり高いといえます。

精神障害者全体の犯罪率は低いのですが、殺人を犯しても罪に問われないことに、被害者側はやりきれない思いを抱くようです。
みなさんは、この「刑法第39条」について、どんなふうに感じますか。ぜひ、ご意見をお寄せください。
犯罪被害者の方はもちろん、精神障害者の医療や福祉に関わっている方、精神障害者の方のご意見もぜひ、お聞きしたいです。『凶刃』をお読みになった方のご感想もお待ちしております。
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静岡県周智郡森町立旭が丘中学校の社会科の授業でこのテーマが取り上げられ、 生徒のみなさんからたくさんの意見が寄せられました。
Last update:2010.11.12

見直すべき 精神障害者を含む国民の基本的人権が、法的責任能力を目眩ましとして、法曹関係者と精神医療関係者の立場と都合から侵害されている現実が問題です。
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1、矢野真木人殺人事件に関連する事実関係
(1)犯人は心神耗弱で減刑され、懲役25年が確定して、現在は医療刑務所で服役しています。精神科医師も弁護士も統合失調症の患者に対する25年の刑期に驚きます。
(2)いわき病院の責任を問う民事裁判を犯人の両親と協力して係争中で、平成22年1月に人証で1時間半犯人を観察しましたが、病状(アカシジア・根性焼き・発言・論理等)はいわき病院に入院していた当時より随分改善しておりました。
(3)精神科入院患者の頃に、犯人の診察は病状が悪化しても一週間に一回以下でした。
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2、刑法第39条と普遍的であるべき基本的人権の問題
(1)「法的認識力が無い者、自己責任能力がない者に法的責任を問えない」の是非?
(2)刑法第39条の記述と大審院判例(昭和6年)、日本国憲法、精神保健福祉法の関係
(3)精神鑑定の信頼度と客観性および透明性、また記録保存性及び公開性等の問題
(4)刑法第39条の運用事実が提示した、健常者と障害者の人権の普遍性と人道の問題
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3、刑法第39条は運用で専門家の職務上の都合が優先された事実があります
(1)法曹関係者(裁判官、検察官、弁護士、弁護士会等)
(2)精神医学界(精神科医師、精神科医学会、医師会、精神科病院、精神病院協会等)
(3)精神医療専門職(臨床心理士、作業療法士、看護師、ケースワーカー等)
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4、社会的事実として以下の人々が大きな影響を受けています
(1)治療中の精神障害者(人権を無視されて希望しても診察してもらえない実態)
(2)心神喪失を主張する犯罪者(仮病を見つけられない鑑定と不逮捕特権意識の弊害)
(3)精神障害者の家族(多くの方は経済的精神的に疲弊し、安全にも不安があります)
(4)犯罪被害者(心神喪失が認定されると、生存権と事実を知る権利が否定されます)
(5)精神医療現場労働者(両面性がある立場ですが、生命と安全に不安があります)
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5、何が問題?
(1)刑法第39条は精神障害を記述してない!(今では精神障害は治療可能な病気…)
(2)精神障害は本人の責任ではない、偏見が問題、正当防衛だから罪に問えない?
(3)被害者は死ねば人権がない、殺された(原因・理由・過程)は問題とされない?
(4)精神障害者の犯罪に責任を問わない法秩序の下では、社会的対応策がなくて当然?
(5)検察官の起訴便宜主義が問題、警察と検察が法手続を全うすれば問題は解決?
(6)心神喪失を、病名がつくか、飲酒や覚醒剤使用に認定する精神鑑定が問題?
(人を殺す時の精神がまともなわけが無い、誰でも簡単に心神耗弱になれる…)
(7)刑法第39条は正しいが、病院の営利主義、病院システム、精神科医療の問題?
(8)精神障害者の家族と、被害者の人権問題が無視され社会から忘れ去られている
(9)全ての市民に普遍的な人権を実現する法治社会の確立がこの問題の国際標準です
矢野啓司(60代・男)

見直すべき 私も実際、精神障害者から被害を受けていて、10年前から今までずっと解決できずにいます。こちらは全く身に覚えの無いのに、いやがらせの電話や手紙、仕舞には民事訴訟まで起こされました。
もちろん、第1審、第2審も勝訴、最高裁控訴審は棄却され、被告人である私が完全勝訴です。しかし、裁判が終わってもう3年になるのに、いまだに嫌がらせの葉書は届くし、職場にまで中傷する封書を送られます。相手が精神障害者であるゆえに、こちらは何の手段も無いそうです。
何もしていないのに、泣き寝入りするしかありません。毎日、ポストを見るのも怖い。道を一人で歩くのも怖い。相手の方は、「精神障害の認定を受けているから、何をしても罪にならない!」と強気な態度です。
日本の法律はおかしいです。1日も早く法律を改正してください。
(30代・女・専門職)

見直すべき この手を使って刑を軽くしようとする悪徳弁護士が居るから
[ペンネーム] 彼方(10代・女・学生)

見直すべき 「ヤクザに無理やり薬をうたれた」「怪しげな宗教団体に洗脳された」等の他者に責任が起因する例外以外は普通の人間と同じく罰するべきです。こういった場合は、実行犯は無罪でヤクザや宗教団体が正犯が受けるはずだった罰を受けるようにすれば良い。
自分で麻薬を使用して、あるいは泥酔して等の理由で、心神喪失が認められ無罪というケースは当然認められるべきではありませんし、生まれながらの精神異常者でも同様です。他者に責任がない以上、やったことの責任はやった本人が負うしかありません。
責任能力という馬鹿馬鹿しい言葉がありますが「能力」に関係なく責任は存在します。精神障害者だからといって、何をしても刑事責任は問われず民事上の賠償も免れる悪法がまかり通るなぞ、狂気の沙汰としか思えません。
(20代・男・学生)

見直すべきでない  刑法第39条は「心神喪失者」と書いてあり、「精神障害者」とは書いていない。精神障害者であっても犯行時に心神喪失をしていなければ罰すればいい。100円ショップで買い物ができれば充分に「正常」ではないでしょうか。 問題があるのは刑法ではなく、すぐ不起訴にしてしまう検察ではないでしょうか。逮捕後に精神鑑定して不起訴にしてしまうことが多いような気がします。
[ペンネーム] あー(30代・男・無職)

見直すべき 心神喪失、心神耗弱、いったい誰が判断するのでしょう?
鑑定するプロフェッショナルの人たちでさえその判断はまちまちなのに、あいまいな精神状態を線引きすること自体無理があると思います。
(もしかしたら、加害者はそれを演じているだけなのかもしれないのに)それを理由にステレオタイプで問われるべき罪まで軽減されたり、無いものとされたりするのでは、被害者にとってあまりに不条理です。
人の行いとして罪に問われなければならない事はしっかりと罪に問う。
まして人を殺めるような重罪に関してはなおさらです。
情状酌量はその事例ごとに考慮していけばいいだけなのではないでしょうか?
そういう煩雑さを嫌う司法の傲慢と怠慢が今日のような問題を生んでいる気がしてなりません。
[ペンネーム] K.O(40代・男・会社員)

見直すべき ある意味、犯罪を犯す人間は全て精神的に病んでいると言っていいと思う。
もう一つ思うのは壊れた精神を治す期間と刑の期間も分けるべきだと思う。
罪を償う為に刑に服す事と更正させる事は別に思える。
[ペンネーム] 攣り(40代・男・会社員)

見直すべき 刑法第39条は、不確かな地面の上に立っているように思えてなりません。「精神病」が「薬を売るために作り出された」という話は、真剣で真摯な意見が交わしあえるインターネット上や仲間同士などで多く見聞きします。
犯罪をおかした心神喪失者が、100パーセント本人のために心神喪失になったのなら、本人のみが罪を問われるべきだと思います。しかし「精神病が金儲けのために創り出された」もので、犯罪をおかした心神喪失者が精神科に通い投薬を受けていた場合は、(その治療は失敗であり)、犯罪者もある意味で被害者であると私は思います。
決して無罪放免を考えるのではありません、それは被害者にも遺族にも加害者にも、甚だしく道理に外れています。刑法第39条の「矛盾」を見い出し、見直すことによって、「金儲けのために精神病者が創り出された」という意見があるということにまず目を向けていくことが重要だと思います。
血液検査項目の「抗核抗体」という抗体は、5〜20人に1人はある、と言われています。
「重症筋無力症」という難病は、向精神薬で増悪することがあります。
重症筋無力症は、甲状腺機能亢進症や全身性エリテマトーデス、関節リウマチなどという「膠原病」を伴うことがあります。
「膠原病」の検査として必要なのが「抗核抗体」です。
「重症筋無力症」と「膠原病」と「抗核抗体」は関連した部分があります。
重症筋無力症の患者が、向精神薬の使用に厳重注意が必要であるなら、重症筋無力症に関係する「抗核抗体」を持つ人への使用も、注意が必要であると言えるのかもしれない、と考えます。そして膠原病は、精神病状態になることがある、とされています。
遠回りに思えても、薬などの化学物質の使用を個人個人が慎重に考えること、もっと突っ込んでいうと「反精神医学」や「精神病」の歴史を知ることが、「精神病者が薬を売るために作り出される」のを防ぐ第一歩であり、これ以上被害者を出さない対策の一つであると、私は思っております。
[ペンネーム] HK(30代・男・自営業)

見直すべき 「責任能力」例えば、責任をとれないなら何をしてもいいと考えてみる。道徳的見地から、それは許される行為でないのは明らか。
例えば子供が店で何かを壊し、わざとじゃないからと言って許して貰える。そんな簡単な問題ではない。
人の命は何より尊く重いものである。それをいとも簡単に手にかけ、何をしているのかわからない状態だからといって奪う。このような重大な犯罪の責任が問われないのは全く非人道的であると思う。
自分の家族が、意味もなく他人によって命を絶たれた悲しみを思う時、身内は一生その傷を癒す手立てはない。ましてや犯罪として取り扱われず、加害者を保護するような「刑法第39条は悪法」以外の何ものでもなく、責任があろうがなかろうが、平等に犯罪の悪質さで裁かれるべきである。
[ペンネーム] みけ(40代・女・パート)

見直すべき そもそも心身喪失者や耗弱者の犯罪が、この39条のたった二行のみで、減軽や無罪に決まってしまうことが問題なのではないでしょうか?
日本は、罪刑法定主義です。ですから、個々の裁判官の性格や考え方により、いかようにも解釈できる法律を定めていること自体がおかしいと思います。もっと具体的に心神喪失者や耗弱者の定義をし、この犯罪をしたならばこの罰則を適用する、というように固定させてしまえばよいのではないでしょうか。実際に犯罪を犯している最中のその犯人の心の状態など、周りのどんな人間も分かるわけがないのですから。
[ペンネーム] にんじゃ(20代・女・会社員)

見直すべき 善悪の判断ができなくなることが、先天的であれ後天的であれ人間社会の外枠、つまり特例として認めてしまうことに疑問を持ちます。
ただ、責任能力、判断力のない人たちの代りに責任者の制度を充実させてから改正するのが無難だと思います。人間社会のルールの枠からうちがわに入れてあげるのが責任者の役目ですし・・・
[ペンネーム] ポエム(10代・男・ 学生)

見直すべき これは精神障害者に対する差別なのでしかないと思う。
(10代・男・ 学生)

どちらでもない 精神障害者とはいったい誰のことなのでしょうか。私は今福祉の勉強をしていますが、精神障害とは一言でくくれるような病気や障害ではないのです。天性的なものや本人に全く非がなくてもなってしまうものもあります。もちろん薬物など本人の問題もあります。しかし一概には言えないのです。
例えば、他人の言葉に傷ついたり、ストレスを感じ辛い思いをしたことのない人など居ないと思います。こんなことでも精神障害になりえるのです。
確かにどんな事情があれ犯した罪は変わりません。しかし障害者だから見張りを付けろだの一人で出歩かせるなというのはおかしいです。犯罪者の中で精神障害者が占める率はとても低いのです。自立をしている人や、ごくごく軽度の人などに失礼です。
明確な判断方法が明記されていないため私たち一般人は推測で話してしまうのだと思います。責任能力があるかどうかの判断をもっと強化すべきだと思います。
[ペンネーム] 朝来(10代・女・ 学生)

見直すべき 加害者がどういう人間であれ,被害者にとっては関係ありません。
本人に責任を取らせる事ができないのなら,管理者(保護者)に責任を取らせるべき。
子供が悪い事をしたら親が責任を取るのと同じ。 年齢は成人でも,法律上の責任が取れないのなら子供と同じだから,基本的に親が代わって責任を取って下さい。
代わりに親を死刑にするわけにはいかないかもしれないが,今の法律でも支払い能力のない本人の代わりに親が損害賠償金を払うのが当然ではないか。
刑事裁判で無罪でも民事裁判で無罪ってことはないだろう。 現実に被害を受けているんだから。
もし,民事裁判でも無罪としたら「この世の中完全におかしい」と言わざるをえない。
[ペンネーム] ポン吉(30代・男・専門職)

見直すべき 私には重度の知的障害をもつ弟がいます。もしも弟が人を殺すもしくは傷付け、罰を受けずにいつも通りに家に居たらと考えたら、姉として許せないし、怖いとも感じました。罪を受けなくて良かったなんてこれっぽっちも思わないです。人が人を傷つけたのに、加害者に罰が無いようにするなんてどこに利点があるのでしょう。本人もその家族も被害者も誰一人だって喜びません。たとえどんな事情があろうとも、人が人を傷つけたならば罪を受けるべきです。反省をせず同じような行為を繰り返してほしくないのです。それは健常者にも障害者にも言えることだとおもいます。長文、拙文失礼しました。
[ペンネーム] asahi(10代・女・学生)

どちらでもない 私は発達障害がありますが、多くの場合その事を他の人に理解してもらう事は出来ません。 もし、明らかに被告に精神障害が認められたなら理解は出来ます。
被告に精神障害があるのは被告自身の責任では無いと思います。
世論や被害者の感情で死刑にするのは多くの健全な精神を持った精神障害者を理解出来ない人達の言い分だと思います。人はその人自身にならないと心は理解出来ません。おそらく私も健常者でしたら精神障害者には共感出来ないでしょう。
しかし、私の言い分も精神障害者の言い分であって、正しい訳では無いと思います。
どちらの言い分も等しいと思いますが難しいですね。
[ペンネーム] ぬかぽん(20代・男・専門職)

見直すべき そもそも、人を殺してしまった人間が、その後まともな精神状態であるといえるのだろうか? 人を殺して気が狂って、善悪の判断がつかなくなった状態で精神鑑定を受けているのだとしたら? 私はこの部分に疑問があり、見直すべきだと考えています。 また、「見直すべきではない」「障害を持つ人への理解が必要」とする方々へ問いたいのですが、もしあなたの大切な人が殺されて、その犯人が心神喪失を理由に無罪になったとして、それで納得ができますか?
[ペンネーム] tamataraco(20代・男・学生)

見直すべきでない 精神障害者には、一人で外出させずに、付き添いの人がいればいいと思います。そうすれば、そういう問題も少なくなり、あったとしても、処罰は、国民の意見を聞いてみればいいと思います
[ペンネーム] asahi(10代・男・学生)

見直すべき どんな身体の理由があろうが犯罪を犯してしまった償いはきちんとするべきである。精神異常による犯罪も多くあり、どれも許す事のできないものばかりである。しかも犯罪者が正常な人間であっても精神障害を装う事もあり、精神異常をはっきりと区別できないものとなっている。だから刑法39条は見直すべきだと思う。
[ペンネーム] 旭(10代・男・学生)

見直すべき 犯罪に障害者だから軽減するとかは間違っていると思う。同じ人間を傷つけるので誰がやっても犯罪は犯罪だと思う。人間は皆平等なのでこの憲法は見直すべきだ。
[ペンネーム] jack(10代・男・学生)

見直すべき 絶対に見直すべき!身体障害者,精神障害者だからといって、軽減する必要はないと思う。「精神に異常があったから仕方がない」とか「無意識だったから仕方がないとか」言っていても、何の解決にもならないと思う。それだったら、無意識で犯罪をしてしまったという現実を受けとめるためにも、しっかり罪を償ったほうがいいと思う。
[ペンネーム] 旭(10代・女・学生)

見直すべき 精神障害者だとしてもやはり人を殺してしまったのは罪だから、いくら精神障害者だとしても罪を軽くするのはおかしいと思う。
[ペンネーム] 旭が中生徒(10代・男・学生)

見直すべき これは、心神喪失者、あるいは心神耗弱者に対する差別である。いかなる理由でも、殺人は殺人。これは免除されるものではない。 刑法第39条によって、被害者の家族などにとっては、より大きいストレスになりかねない。殺されたにもかかわらず、加害者の罪は軽くなる、あるいは無くなる場合もあるからだ。 罪は平等であるべきであると思うので、刑法第39条は見直したほうがいいと思う。
[ペンネーム] 海苔と昆布(10代・男・学生)

見直すべき 心神喪失であろうが犯罪は犯罪。罪は罪。 だから本当に見直さないといけなくなる!これから、それを武器に多くの殺人が起きてしまったら大変だからである。 こういう刑法があり問題になって取り上げているならば即改正してほしいと思います!!
[ペンネーム] にゃんB号(10代・男・学生)

見直すべきでない 精神異状による犯罪は、本当に自分の意思によって行われたものなのか判断がつきにくい。おまけに精神異常の方たちは自分の行動に対しての責任を十分に負う事ができないと思う。自己責任をしっかりと負う事ができない人に犯罪の責任を負う事など無理な話である。だから精神異常による犯罪は自分の意思がない状態「無意識状態」で行われたものと判断する事ができる。よって、この刑法は見直すべきではない。
[ペンネーム] 旭3年2組(10代・男・学生)

どちらでもない 確かに健常者がやったことでも精神障害者でも犯罪を犯したという事実や、罪の大きさは変わらないと思います。 ただ、健常者の私たちには障害を負っている人のことをもっと理解すべきだとも思います。 刑法を改正するかどうかよりも、そういう方たちに偏見を持たない、そういう方たちが快適に暮らせる社会を作るほうが大切なのではないでしょうか。
[ペンネーム] 旭(10代・女・学生)

見直すべき 罪は罪しっかりと裁いてもらわないと被害を受けたほうの気持ちがすっきりしないと思います。心神喪失者だからといって罰さないのはおかしいと思います。
[ペンネーム] 師走(10代・男・学生)

見直すべき 無意識だったら、ある意味しかたがないように見えても、やっぱり犯罪は犯罪だから、被害者の気持ちを、優先してあげるべきだと思います。
[ペンネーム] 。(10代・女・学生)

見直すべき 被害者の家族のことを考えると、いくら精神に障害があったとしても犯罪を犯したら、その罪を償う必要があると思う。精神に障害があったとしても同じ人なのだから法的に差別をするのはおかしいと思う。
[ペンネーム] 旭(10代・女・学生)

見直すべき  罰とは犯罪を償うためにあるべきだと考える。精神障害だからといって罰を軽くしたり、無罪にしたりすのは良い考えとは思えない。また被害者の人にとっても、許すことができないことだと思う。自分の犯してしまったことは自分で償うこと、それは人として当然のことだ。犯罪をした者に差別というのはおかしいのではないか?自分のした過ちを罰として受けることによって、償いができる。精神障害者といえども、しっかりとした罰を受けることが正しいと思う。
[ペンネーム] トム(10代・男・学生)

見直すべき 最近、心神喪失者へのケアーが進んでいるように思われるが、この刑法39条は「差別」にあたるものであり、心神喪失者へのケアーではないと思う。心神喪失者からしてみればこのような場合に差別されるのは嬉しいことかもしれない。しかし、被害者からしてみれば加害者(容疑者)が心神喪失者であろうとなかろうと受けた罪はおなじなのであるから、罪が軽くなる、又はなくなってしまうととても気が済まないと思う。だから刑法39条見直すべきだと思う。初めは私もこれでいいではないか、と思っていたが、この「ロゼッタストーン」に書いてあることを熟読すると考えが変わった。自分を「心神喪失者」あるいは「その被害者」の立場になって考えて見ることが大切だと思う。
[ペンネーム] 電車女 海苔(10代・女・主婦)

見直すべき 普通に生活できる人も、精神障害者も普段はちゃんと生活できているのです。精神障害者を特別扱いする必要はないんじゃないんでしょうか。普段の生活でも、障害者を特別扱いすると『差別』といわれるように、罪を償わせることに人の精神状況を判断基準にすることは差別だと思います。犯罪者は犯罪者ですから。みんな同じです。
[ペンネーム] 神楽(10代・女・学生)

見直すべき 心神耗弱者だからといって人を殺したことには変わりがないので罪にならないのはおかしい。同じ人間だから平等にするのは当然であるし、そうでなければ被害者側も納得できないと思う。
[ペンネーム] 旭チュー(10代・男・学生)

見直すべきでない 人を殺すことはダメなことだけど、精神が異常なので仕方がないことだと思う!!!!!!
[ペンネーム] よっち(10代・男・学生)

どちらでもない 例えば、正当防衛を例に挙げてみよう。正当防衛は罪になるだろうか?いや、ならない。なぜなら、その本人に相手を傷つけようとか、殺してしまおうという意思がないからだ。そう考えれば、精神障害者の行為に対する罪も同じだと考える。そういった意味では、刑法第39条は正しいだろう。しかし、被害者、及び被害者の遺族の方々の気持ちはどうなるだろうか?政府は今後それを見直し、適切な対応をとるべきだと考える。
[ペンネーム] 旭’S BOY(10代・男・学生)

見直すべき 私は、精神障害者だからといって「罪を軽くする」。また、「無罪にする」というのは間違っていると思います。人間は、誰しも間違いを犯してしまう生き物だと私は思っています。でも、『法律』という一線を越えてしまった時、人はそれそうおうの『罰』を背負わなければいけないと思います。それは、健常者も精神障害者も同じ。もし、精神障害者が、『罪』を背負える状態でなかったのなら、ケアしてあげて自分のしたことがどれだけのことか教えてあげたらどうでしょうか?
[ペンネーム] 生一涙(10代・女・学生)

見直すべき 心神喪失者,心神耗弱者だからといって、犯した犯罪はすべて同じで、罪の重さはどんな人でも変わらない。精神障害があろうとも、罪を犯したことに変わりはなく、その人の精神がその方向へ行ってしまったということは事実。必ずしも精神障害者が悪いとは言わないが、とにかく犯罪は犯罪なので常人と同じ罰を受けるべき。
[ペンネーム] 旭太郎(10代・男・学生)

見直すべき いくら障害者だからといっても、きちんと処罰する必要があるとおもいます。自分はよく『障害者には普通に接してあげるべきだ』という声を耳にします。それならば、犯罪を犯した者なら障害者であろうとも普通に処罰するべきだと思います。
[ペンネーム] 旭ベストマン(10代・男・学生)

見直すべき 精神障害者であるから罪を軽くする、というのはある意味障害者である人に対しての差別だと思う。 また、被害に遭った人やその家族の方も『障害者であるなら仕方がない』と加害者を許すことができるだろうか。 もし自分の友達や家族が障害者である人に殺されたりしたらどう思うか。 障害者であろうとなかろうと、罪を犯したことに変わりは無いのだから償わなければいけないのではないか。 人間はすべて平等であるというのならば、障害者も普通の人と同じ罰を受けるべきだと思う。
[ペンネーム] 旭 FREEDOM(10代・女・学生)

見直すべき 賛成です。なぜ、「精神障害者」という理由だけで、「人一人の命が奪われた」事実が抹消されなければならないのでしょうか。しかも本来ならばそれを裁くべき国が行っていたのでは、刑法自体が間違っていると思います。病院も、精神障害者だとわかっていながら付き人もなしに出歩かせるのはおかしいです。たとえ障害者だろうと、犯した罪は償うべきです。
[ペンネーム] 旭(10代・男・学生)

見直すべき 精神障害者でも犯罪をしてしまったらいくら障害者でもやったことには、かわりがないので見直すべきだと思う。もし殺した人が障害者だとして無罪はおかしいとおもう殺された側のほうも納得ができないとおもいます。
[ペンネーム] 旭の灯(10代・男・学生)

見直すべき 障害者とはいえやってしまったのなら罪は罪。言い方は悪いがケダモノを始末する制度があってもよいのでは?普通の動物だって人を襲えば殺されるわけだし。
[ペンネーム] 旭中MS(10代・男・学生)

見直すべき 結局精神障害者を人間として見ているかいないかの違いだと思う。 人間として見ていないから有罪にはしないんでしょう。 野に下りてきて人を殺した熊は有罪にならないのと大して変わらない気がします。 障害者に人権を与えるのなら、ちゃんと人間として罰してあげるべきだと思います。
[ペンネーム] 鋭牙(旭)(10代・男・学生)

見直すべき いかなる場合も人を傷つけることは許されることでしょうか?その傷つけられた人もその身内のひとも『障害者だから』といって無罪になり、裁判すら行われないのは、納得いかないと思います。そもそも障害者を一人で歩かせるのに問題があると思います。殺人、障害、などと言う前に世の中の社会がそれに適応した案を出し、行っていくことから始まると思います。
[ペンネーム] 竹(10代・男・学生)

見直すべき 「精神障害者だから無実」なんて言葉で、被害者側の無念が収まるとは到底思えない。 と言うか、精神障害者で人に危害を加える奴は、日頃から罰を受けるに値する様な人間だと思う、そういった人間の手で罪も無い人が傷付けられるのは許せないと思う。
誰がやっても犯罪は犯罪、一応同じ人間なら罰を受けてもらいたい。
[ペンネーム] 汐華(10代・男・学生)

見直すべきでない 精神障害の方は、いつ何をしてしまうか分からないということもあるので、しっかり保護者や、面倒をみる人がついていればならないと思う。
[ペンネーム] 旭中(10代・女・学生)

見直すべき 「心神耗弱者」という枠組みは、社会の中では必要だと思うけど、その枠組みを刑法にも結びつけるのはいかがなものかと思います。社会再適応訓練は必要だと思いますが、一人での外出はあまりにも危険だと思います。まず刑法を見直すまえに、社会に蔓延しているこの間違った考えを修正することが先決だとおもいます。
[ペンネーム] 旭中3311(10代・男・学生)

見直すべき 絶対見直すべき。犯罪をしたことには変わりないから。
[ペンネーム] 旭中(10代・女)

見直すべき これは、ある意味で精神障害者に対する差別だと思う。「平等」だと言っている中で精神障害者だからと言って無罪にするのはおかしい。社会を生きていく一員としてそれなりの責任があるのだ。それに、被害者の気持ちとすれば、やりきれないだろう。怒り、悲しみ、苦しみをぶつける対象がない。事件の後の人生を、ずっと加害者を恨んで生きていくことになってしまうのではないか。まあたとえ刑法が見直されたとしても、精神障害者がどれだけ罪を意識して反省するかが問題なのかもしれない・・・
[ペンネーム] 旭が丘3310(10代・女・学生)

見直すべき 精神障害者も、一人の人間であって動物ではない。でも、さすがに殺人を犯しても罪にならないのはおかしいと思う。動物だったらば自然界で人間世界のことではないからいいのだが、人間である以上人間界の問題としてと扱われるから、精神障害者であろうなんだろうと人間である限り罪は罪である。だから、この刑法第39条は見直すべきである。
[ペンネーム] 旭の侍(10代・男・学生)

見直すべきでない 障害を持っている人のことをもっと理解するべきだと思う。
[ペンネーム] 旭が丘中(10代・男・学生)

見直すべき 知的障害があるからと言っても、殺した人の命に差はなく、その罪はとても重いものです。
結局のところ、障害があっても幸せに生きている人もいますし、犯罪を犯した人間は重い刑罰をもって罪を贖うのが当たり前だと思います。
障害があろうと加害者である人間に対して有利である法より、被害者を支えることのできる法をつくるほうが、平和になるとも考えます。
[ペンネーム] 由宇(20代・女・学生)

見直すべきでない わたしは反対です。なってしまった人は好きでなったわけではないので、罪はないと思う。
[ペンネーム] 旭中(10代・男・学生)

見直すべき やっぱり気が狂ってる人は罪にならないのはおかしいと思う。気が狂ってるのなら、なお更社会に出してはいけないんじゃないかな。そういう人はまたすぐに事件をおこすと思うから。
[ペンネーム] 旭が丘(10代・男・学生)

見直すべき あまり難しい事はわからないけど、精神障害者でもそうでなくても、被害者にとってそういう事は関係なくつらい思いをすると思う。
[ペンネーム] ASAHITYU(男・学生)

見直すべき 容疑者の精神状態で刑を軽くするのは、一種の差別行為だと思う。あいまいな内容を改正していくべき。精神状態がおかしくなってしまったのは、追い詰められてしまったためだと考えれば、納得いかない。
[ペンネーム] ジョン(10代・女・学生)

見直すべきでない 刑法39条は「精神的におかしい人は無罪」というような受け止め方をされることが多いのですが、実際には善悪の判断が可能であったかどうか症状に応じて決めています。例えば、快楽殺人者は明らかに異常ですが、判断力には問題がないので完全責任能力となります。
 心身喪失が認められるのは、例えば「隣人が電磁波攻撃で自分の考えを抜き取ってテレビで放送している。このままでは公安に消されてしまう」という動機で隣人を殺した場合です。この人を罰せよという議論は私は理解できません。しかもこの手の患者には抗精神病薬がよく効いて、社会復帰できる場合も多いのです。
 ただし、運用については議論の余地がそれなりにあると思います。例えばうつ病の人が無理心中を図って自分だけ生き残った事件では、心身耗弱が認められるケースが多いようですが、これが妥当かどうかは意見の分かれるところでしょう。また覚醒剤の影響で妄想、幻聴が生じて犯罪に至ったケースでは、なぜか心身耗弱扱いになることが多いようですが、ちょっと理屈が通らないと思います。犯行当時の精神状態は統合失調症同様の心身喪失としか考えられませんし、覚醒剤を使用した時点に遡れば完全責任能力です。フラッシュバックの扱いを含め、薬物の影響をどう扱うかは難しい問題です。
[ペンネーム] 三鷹ブルース(20代・男・学生)

どちらでもない  ケースバイケースでしょう。一概に刑法39条、是か非かという極端な議論が多すぎるように思います。事例によって、責任能力を問うことに意味がないと思われるケースがあり、逆に問うべきだと思われるのに不起訴になるケースがあります。
起訴するかしないかを検察官が決め、検察官は公判が維持できないようなケースはあえて不起訴にするという傾向(起訴便宜主義)があるために、一般の人は精神障害すなわち心神喪失=不起訴と思いこんでいるのではないでしょうか。
個々のケースで、責任の取り方は慎重に判断するべきだと思いますし、それが検察官の判断だけで行われるという制度自体に問題が多いと思います。
[ペンネーム] 蝶輔(40代・男・専門職)

見直すべき  なぜ、心神喪失者の行為は罰せず、心神耗弱者の行為は、その刑を減軽するのか。その理由が理解できません。ある意味、彼らを差別していることにはならないでしょうか。ちなみに私は、故意に人に危害を加える人より、無意識に人に危害を加えてしまう人のほうが末恐ろしく思います。
(30代・男・自営業)

見直すべき  そもそも心神喪失になったのは誰の責任か?
神様が罰したのか?そうならば罪は問えないかも知れない。
しかし心神喪失になったのは本人の責任である。 日常の心の持ち方の積み重ねの結果、人と違った方向にずれていったのだ。 親の影響もあるだろうがそれは言い訳にできない。
悪いことをすれば裁かれる、こんなあたりまえのことを教育されてこなかったのだろう。
[ペンネーム] やすくん(40代・男・会社員)

見直すべき  保護司をしている。加害者の社会復帰を支援しようという立場から一言。
世の中はお互いに害しない、ということで成り立っている。物を盗んだり、人を殴ったりしたら、それなりの罪で罰せられる。そうして二度と同じ犯罪を犯さないようにすることが肝要である。物を取ったら返すことができる。人を殴って怪我をさせても、治療すれば治る。しかし、人の命をあやめたら、取り戻すことはできない。大人はもちろん、子供であろうと(親に当然責任の一端がある)精神障害者であろうと、麻薬中毒であろうと、悪魔がとりついて狂気に及んだと言い逃れしようと、人を害したら、それなりの責任を負うのが当然で、どのような精神状態であろうと、しかるべき厳罰に処されるべきである。
そもそも39条は精神障害者を責任能力のない一人前の人格と認めない存在であるということから発している。それは逆に精神障害者の人格、人権を認めていないことになるのではないか。憲法で保障されたすべての人の人権を精神障害者の人権についても認めると同様に、その犯した罪の責任は持つべきではないか。精神障害者であっても罪を犯したら、厳正に処罰しないと、罪を犯した精神障害者が実質的に野放しになり、社会の片隅で息を潜めるように暮らしている大多数の善良な精神障害者が偏見の目で見られるのではないか。
それに、この法律は加害者の立場しか考えていない。被害者感情を無視している。殺された側の心情、家族の心情を考えても、39条は悪法であるとしか言いようがない。
[ペンネーム] 今人2006(50代・男・自営業)

見直すべき  統合失調症の友人がいます。とても生真面目な方々で、世間からの偏見を恐れ、病気の事を誰にも話せず苦しんでます。 ”犯罪白書”に誤解を招くような記述があり残念に思います。 友人は犯罪を犯すような人たちではありません。 精神に障害があっても犯罪は犯罪だと思います。 私自身も精神障害者ですがもしも被害にあったら・・・ 親や友人やペットでも、傷つけられたら許せない。 精神障害で罪が軽減されるのは納得できない。 処置が違うだけでいいのではと・・・
[ペンネーム] 令(20代・女・無職)

見直すべきでない そもそも立法、行政の力が強すぎです。もっと司法が積極的になって欲しい。
なぜ裁判が開かれないかといえば【刑事訴訟法】第248条を根拠に検察が不起訴にしてしまうからだ。民主制は手続きです、たとえ刑法第39条により罰せられないとしても裁判をひらき、法の裁きを受ける手続きが重要になってくる。検察の一存で決められるのは権力が偏りすぎ、だから99%という異常な有罪率になっているのです。【医療観察法】の第二条3項一項もおかしい、これがあるから心神喪失者は裁判を素通りして法の加護を受けられる、一種の脱法だ。
人権は侵してはならないと同時に保障もされなければならない。もっと被害者には権利があり、真実を求める権利があるはず、そして国はもっと出来る事があるのではないでしょうか。
たしかに刑法第39条だけではあまりに貧弱だけど、国、裁判、法律、刑罰のありかた、専門家は何ができ、誰がどんな責任を担い、侵された後の人権を社会がどうやって手当するか。そう言った全容を捉えた視点で議論しないと肝心な所を見誤ってしまうと考え、敢えて青丸。
[ペンネーム] ノクノク(20代・男・無職)

どちらでもない 私は作業療法士というリハビリテーション専門職で,精神科領域でも勤務経験があり,現在は大学の教員をしています.精神保健福祉士コースの講義で,刑法39条は毎年テーマに取り上げ,学生達とディスカッションしています.著者も述べていますが,精神医学という学問は未熟ですし,精神科リハビリテーションでも,専門職独自の視点(論理)で,「(治療を)やった・(反応が)変わった・(症状が)良くなった」という“3た主義”が蔓延しています.そもそも「精神」とか「心」とか,一体どこにあるのか,専門職と呼ばれる私にさえも分かりません.精神科領域の専門職は「精神心理面を診る」とか言いますが,所詮は「外部から観察可能である行動」を見て,それに無理やり「意味付け」をしているに過ぎません.今回の悲劇のいわき病院でも,現場の“3た主義”と,様々な専門職種における「専門的な事は専門家に任せるべきだ」というパターナリズムによって,起こるべくして起こった必然性であり,決して「人手不足による弊害」とか「精神病院としての重責」とかではありません.得てして,私立精神病院は経営者(病院長)の唯我独尊によって,病院の診療システムが運営されることが多く,いわき病院はまさに典型的な例でしょう.刑法39条の問題というよりも,いわき病院の診療システムそのものが糾弾されて然るべきです.
(30代・男・専門職)

見直すべき  精神障害者を偏見の目でみたり過剰に危険視するのはよくないが、特別に法律で保護するのもおかしいと思う。今回の事件のように、ただ近くにいた人を殺しておいて裁判すら開かれないなどおかしいことだ。
でも、病院のシステムに一番落ち度があったと思う。人手が足りなかったり、大変だということもわかるがプロであるということをもう少し自覚し、責任を持ってほしい。
[ペンネーム]  ジョニー(10代・男・学生)

見直すべき  昔は、精神異常者は、地域の人は知っていて、それなりに警戒をしたし、一見してそれと分かった。今は、一見して異常とは分からない人までも、専門家が異常者にしてしまう。それが、殺人など罪を犯したときに、裁きを受けないのであれば、刑法第39条は、時代にそぐわない問題のある条文といえよう。精神異常者が罪を逃れる免罪符を持つなら、一般にそのことが分かるように、今流行のIDカードでも病院が発行してぶらさげてもらわないと危険を避けようがない。人権は、異常・健常、双方に平等でなければならない。
[ペンネーム]  腹 立蔵(60代以上・男・ 無職)

見直すべき だいたい、精神障害かどうかの診断が、かなり信憑性が低いそうですね。
精神異常を装えば、医者が精神障害者と診断してしまうくらいらしいですから。
そうやって、うまく無罪になってしまった正常者もかなりいるんでしょうね。
[ペンネーム]  ・・・(20代・女・会社員)

見直すべき そもそも精神障害と犯罪を結びつける法律はおかしい。精神障害があっても人を傷つけることなく暮らしている人が大半なのだから。
そして、やはり犯罪者は犯罪者。
どこかで目にした文章だが、罪を犯すものはどこかしら精神異常があるものだ。それを理由に無罪になるのは納得がいかない。
[ペンネーム]  かもかも(20代・女・自営業)

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