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日本演劇界の母 森 光子さん「放浪記」2000回上演達成

2009年5月9日帝国劇場において、森光子さんは「放浪記」上演2000回を達成した。
  当日は森さんの89歳のお誕生日でもあり、記念カーテン・コールには中村勘三郎さん、黒柳徹子さん、栃東親方、王貞治監督など各界を代表する重鎮と、東山紀之、堂本光一他ジャニーズ事務所の若手タレントなども駆けつけ、満席の観客と共に「ハッピー・バースデイ」を歌って「日本演劇界の母」を祝福した。


世界演劇史に新記録

1900年10月10日、20世紀の初頭に生まれ「アメリカ演劇界のファースト・レディー」と讃えられるヘレン・ヘイズさんが彼女の最長ロングラン記録を打ち立てたのは、1946年10月から1948年3月まで2年5か月。タイム誌に「センチメンタルな駄作」と酷評されたが、彼女を一目見ようと観客は劇場に詰めかけ、彼女は「芸術作品と大衆演劇がどう違うのかしら」とコメントしている。

当時ヘイズさんは脂の乗り切った48歳であり、因みにこのお芝居の題名は「ハッピー・バースデイ」。

そのヘイズさんは1970年5月、「ハーヴィー」を最後に70歳でブロードウエイからは引退したが、映画、ラジオ、テレビ、慈善事業などで活躍し、92歳で亡くなるまで「ファースト・レディー」として演劇関係者の尊敬を集めていた。

ヘイズさんは日本では映画「アナスタシア」で、アナスタシア役のイングリッド・バークマンとその訓練士ユル・ブリンナーの出奔を許す威厳に満ち溢れた小柄な帝政ロシアの老女性貴族役で記憶されているようだ。

ブロードウエイのロングランは「長期間にわたる連続上演」をさすので、日本での「長期間にわたる断続的な上演の合計」ではないが、42歳で「放浪記」の林芙美子役を始め、89歳の誕生日を主役で迎える森さんは世界の演劇史でも稀有な存在ではなかろうか。


日本人に懐かしい大正・昭和

「放浪記」は林芙美子がカフェの女給をしながらものかきを目指し、貧乏暮らしの中で友を裏切り恋を失いながら流行作家に上り詰める、大正後期から昭和24年頃までを描いている。

筆者が帝国劇場で目にしたのは三世代に渡る親子連れと男性観客の多さ。
  森さんと勘三郎さんが母息子役で共演した「寝坊な豆腐屋」の新橋演舞場も、「おもろい女」の芸術座最後の公演でも、観客の九割近くは女性であった。

ところが今回の「放浪記」では杖をついた老女性、それを支える中年と若い女性。
  中年女性が親と娘さんに森さんを見せたくて連れてきたのか、森ファンの老女性が二人を連れてきたのか? また、男連れが森さんの鬼気迫る三方礼に涙を流していた姿にも感動した。

「明治は遠くなりにけり」ではなくて、平成22年ともなれば、現在の中・若年にも「大正も昭和も遠くなりにけり」なのだろう。「先の短い」と感じる森世代のファンが懐かしさと応援の気持で肉親や友人を誘ってきたようだ。

カフェの場面でのドジョウすくい、片足をヒョイと上げて下宿の電灯の紐を引っ張る動作の若々しさ。ご飯をたべおえたお茶碗にお茶を注いで掌上でグルグル回し、お米のぬめりをとる所作。行きずりの行商人親子には家に上げてご飯をたべさせる。いずれもこの世代の庶民の暮らしを思い出させる森光子さんならではの名場面だ。

「日本の森光子はヘレン・ヘイズを超えた」
  プレスクラブのバーで観劇の感激を漏らすと、特派員たちが「その名作に同時通訳は入っていないのか?」と聞いてきた。(帝国劇場 5月29日まで)

2009.5.19 掲載

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