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帝国劇場 ジョン・ケアード版「キャンディード」

「キャンディード」は18世紀の啓蒙主義哲学者ボルテールの寓話小説を、ウエスト・サイド・ストーリーの作曲家レナード・バーンスタインがマッカーシー上院議員の赤狩りが猛然と芸術界を揺さぶっていた1956年代にミュージカルとして初演したもので、反骨の劇作家として知られるリリアン・ヘルマンなども脚色と作詞に協力した。ところが主題が多岐に広がりすぎ、また思想色が強すぎたためか観客に受け入れられず、ブロードウエイは73公演の短命に終わった。

しかし、ジョン・ケアード版の「キャンディード」は主題をすっきり整理して、世界を放浪する純真な青年が、疫病、戦争、強姦の渦巻く世間を生き抜いて、「楽観主義」でもなく、「悲観主義」でもなく、自ら田園を耕す「環境主義」とでもいうべき方向に成長する姿を観客に分かりやすく描いている。


円環の舞台

舞台中央、地球を象徴する黄金色に輝く円環の真中で、チェストに腰かけているのは狂言回し役のヴォルテール自身と、哲学教師パングロス役を演じる市村正親。

キャンディード

男爵家の家庭教師となり、男爵の妹の私生児としてそこで暮らす純真無垢な青年キャンディード(井上芳雄)と、男爵の息子マキシミリアン、娘クネゴンデ(新妻聖子)、小間使いに、世の中で起こることは全て最善の状態になると「楽天的最善説」を教える。だが、パングロスが小間使いに実験した男女の営みに習って相思相愛のクネゴンデに試みようとしたキャンディードはマキシミリアンの激怒をかい、城外に追放される。

無一文のキャンディードはドイツ軍に徴兵され、戦火の只中に。やっと逃れてオランダの病院まで辿り着くとパングロスが小間使いからうつされた梅毒で病院に。クネゴンデは死んだと知らされるが、やがて彼女が生きている姿を捉え、つかの間の再会を果たす。さらにヨーロッパ、南米と彷徨したキャンディードは、エルドラドで得た富を懸賞金に悲観主義者マーティン(村井国夫)を供にベニスへ。そこで娼婦に身を落としたクネゴンデとまたしても再会する。


人生は楽観・悲観・最後は環境主義か

広い館で沈み込むキャンディードは、クネゴンデとも口を利かない。まさに「悲観主義」に落ち込んだよう。しかし、一夜王座を追われた六人の王たちが真剣に人生論を戦わしながらゴンドラで運河を下ってゆくのに出会い、パングロスとマーティンに振り回されていた自分の楽観的・悲観的人生観を改めて反省する。

翌朝、キャンディードは高らかに全員に旅立ちを宣言。イタリアからアルプス山脈を越え北ヨーロッパに種を播くため、エストニアの荒野を目指す。クネゴンデ、召使たちも自らの意思でキャンディードに従うのである。

天井の黄金色の円環は静かに舞台に下りて、キャンディードの最後の旅の終わりを告げる。

キャンディードとクネゴンデ

井上芳雄のキャンディードはまさに適役。無垢な青年が差別に傷つき、愛する女性に裏切られ、戦火に追われながら、最後は自らの意思によって力強く立ち上がる姿に素直に感動できる。クネゴンデ役の新妻聖子の超高音ソプラノの熱唱は、ミュージカルというよりオペラを思わせた。
「もう少し若ければキャンディードの役」と記者会見では冗談を言っていたが、市村正親の狂言回しは流石はベテランの技。


蛇足ながら「エストニアを目指す」というのは、エストニアの農場で苦労した新大関バルトの故郷に懸けたジョン・ケアード流のジョークなのだろうか(6月27日まで 帝国劇場)

2010.6.26 掲載

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