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ミュージカル「ミス・サイゴン」

ドキュメンタリー・ミュージカル

アメリカで生まれたミュージカルの演劇界での存在意義は「観客を楽しませ勇気を与えること!」と理解している筆者にとって、“Miss Saigon”は強烈で重い作品だ。「ドキュメンタリー・ミュージカル」として劇団四季の「李香蘭」、「異国の丘」「南十字星」の戦史三部作と同じく、舞台で学ぶアジア近代史だった。今まで「人種差別劇だ」と拒否していた観客にも、初めてこの伝説のミュージカルの存在を知った若い層にも、この新バージョンを是非とも観て頂きたい。

J.F.ケネディー大統領によるヴェトナム参戦、彼の暗殺後にはリンドン・ジョンソン大統領による北爆開始。'60年'70年のアメリカで広がる反戦運動や厭戦社会をリアル・タイムで経験し、またヴェトナムで取材した筆者にとって、“Miss Saigon”はキャッチ・コピーの「究極の愛」以上に革新的広がりを持つ超大作だ。

ミュージカル「ミス・サイゴン」

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もともとこの作品にはオペラ「蝶々夫人」やミュージカル「南太平洋」に繋がる白人のアジア女性蔑視があった。「蝶々夫人」では子どもの父親、アメリカ海軍士官ピンカートンは白人の夫人ケイトを伴って長崎に蝶々夫人を再訪し、その姿に絶望した蝶々夫人は日本女性の誇りを胸に自ら命を絶つ。

「南太平洋」ではアメリカ人の看護婦ネリーは、フランス人の男やもめ農園主エミールと彼の現地人女性との混血の子どもへの偏見を乗り越えて、白人同士結ばれる。しかし、アジア女性のライアットを恋人にした海兵隊中尉のジョセフは自分自身の偏見を乗り越えたところで戦死してしまい、結局二人は結ばれないまま幕が下りる。

それでも米国南部州を巡業すると「異人種間の結婚を奨励するエンターテイメント作品は、アメリカ本来の生活習慣を破壊させる恐れがある」と排斥を受けた。

「歌は世につれ、世は歌につれ」というが、今回の“Miss Saigon”の新版バージョンは、アメリカ発のミュージカルがアメリカの観客層を超えてアジアの女性や広く世界各国の人種問題に敏感な観客にも抵抗なく観賞できるものに近づいてきた。

それが今回新しく挿入された、クリスの妻エレンの歌“Maybe(メイビー)”である。クリスの幼馴染のエレンはヴェトナム戦争のPTSD(心的ストレス障害)で夜な夜な悪夢に苦しむ彼を救い、自分も一緒に苦しみながら妻の座を得たことになっている。


アメリカの良心

サイゴン(現在のホー・チ・ミン市)陥落直前を舞台にGI(アメリカ兵)相手にキャバレーを経営し泡銭を掴むフランス系ヴェトナム人、通称エンジニア(市村正親)。因みに市村の熱演が舞台冒頭からフィナーレまで支え、特に「アメリカン・ドリーム」の歌と踊りは彼のミュージカル・スターとしての正念場だ。

戦火で村を焼かれ、この店で働くことになった初々しいキム(知念里奈)。この戦争に疑問を持つGIクリス(山崎育三郎)とキムは惹かれあい永遠の愛を誓うが、米兵救出のヘリコプターは無情にも二人の仲を引き裂く。

ミュージカル「ミス・サイゴン」

このミュージカルの売り物の舞台を圧するヘリの映像と客席を巻き込む轟音、救いを求めてアメリカ大使館の門に押し寄せるヴェトナム群衆の姿は圧巻だ。

エンジニアはキム母子と共にバンコックに逃れ、キムはナイト・クラブで働きながらクリスの迎えを待っている。

クリスの戦友ジョンは、ヴェトナム戦争終了後に現地に残されたGIと現地女性との間の子どもたちの福祉と教育のためにブイ・ドイ財団を立ち上げる。クリスにキムが男の子タム(荒川槇)を生んだと知らせるのもジョンだ。

クリスとエレンはキム親子をどう扱うのか? ここにもアメリカの良心が問われる。初めてクリスの妻の存在を知ったキムのヴェトナム女性としての誇りは? タムをアメリカで育てるため彼女が出来ることは何なのか?「命をあげよう」タムを抱いて歌う知念の悲痛な叫びに、観客は改めてハンカチを取り出す。

ミュージカル「ミス・サイゴン」

しかし、混血児には救いの手を伸べるジョンも甘くはない。タムの親戚としてアメリカ行きを懇願するエンジニアを冷酷に拒絶し、アメリカ行きの夢が破れたエンジニアは、フィナーレでタムを抱きかかえたクリスの妻エレンの傍らに崩れ落ちる。


子役への拍手

このかなり重いミュージカルに救いがあるのが児童俳優の存在だ。エンジニアに「おじさんにキスしてくれ」と頼まれて素直にキスしたタムは、次の動作で手首を使って自分の口を拭い観客の笑いを誘う。

最初はヴェトナム民族衣装のアオザイで母に縋っていたタムは、アメリカ行きを目指すとTシャツ、ショート・パンツ、スニーカーで米国小市民としてアピールする。本物の子どもと小柄な女優の子役では感動の度合いが違う。

何より嬉しいのは開演時間を通常の18時半から15分早めているため、児童福祉法で夜間労働時間に制限のある児童俳優が大人の俳優と並んでカーテン・コールに登場できること。

主役の市村正親に舞台に招かれたタム役の可愛い荒川槇君へ観客は満場の喝采を送り、暗いフィナーレから一転して明るい気分になって家路に向かう事が出来た。(青山劇場 9月9日まで。その後も来年1月まで全国巡業)


2012.9.4 掲載

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