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第52回 燃費(2)


前回からつづく
  ほんとうに価格だけを話題にする時(=つまり本来の燃費)の160円/ℓのことを件(くだん)の広告では「燃料単価」と表している。原油価格の暴落により、ここ2〜3か月間でガソリン代が2割も安くなった(*)が、その現象を「燃費が安くなった」とは表現できない。「燃費」という言葉を避けて、「ガソリン代が安くなった」と言うしかないのだ。前述のように、「燃費」という言葉がもっぱら走行効率に用いられるからだ。

そして、走行距離の割にガソリン代が安くあがることを「燃費がいい」と言うのが普通になってしまった。これは、

  燃料消費率が低い
  →同じ量の燃料で長く走れる
 →長く走れるのに燃料代が安い
 →燃費の効率がいい

という論法で、最後の「効率」が省略されて「燃費がいい」となってしまったわけだ。

ことによると、「燃費がすごい」とか言う。ふつう、「すごい」は量、程度などの度合いが高くなることを言うのだが、「燃費」の場合は逆に安くなることを言うようになってしまっている。ガソリンの話以外で「お値段がいい」は「価格が高い」ことを表す。「値段がすごい」と言われたら、価格当たりの効率が高いとの直感は働かないのではないか? 安い割においしい食べ物ばかり食べた時に「食費がいい」とは言わない。LEDの開発、普及で照明効率が上がることを「電気代がいい」とは言わない。バーゲンセールで掘り出し物の服を見つけた時に「衣装代がいい」とは言わない。

ことほど左様に、「燃費」は特殊な言葉になってしまっている。しかし、もう後戻りはできない。数十年前まで、庶民の移動手段は主に公共交通機関だった。
  バスなどの燃費までは一般の人が気にすることはない。長期的な変動は別としてガソリン代が上下するたびに、バス料金が変わることはないからだ。かたや、自家用車の場合はガソリン代の変動がその都度家計を直撃する。
  クルマに乗ることが一部の消費行動のままだったら、こうはならなかったであろう。

(この稿おわり)

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(*) 2015年2月中旬を基準とする

2015.2.15 掲載



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