ホラホラ、これが僕の骨 中原中也ベスト詩集

秋日狂乱しゅうじつきょうらん

僕にはもはや何もないのだ
僕は空手空拳くうしゅくうけん
おまけにそれをなげきもしない
僕はいよいよの無一物むいちもつ

それにしても今日は好いお天気で
さっきから沢山たくさんの飛行機が飛んでいる
――欧羅巴ヨーロッパは戦争を起すのか起さないのか
誰がそんなこと分るものか

今日はほんとに好いお天気で
空の青も涙にうるんでいる
ポプラがヒラヒラヒラヒラしていて
子供先刻せんこく昇天しょうてんした

もはや地上には日向ひなたぼっこをしている
月給取げっきゅうとり妻君さいくんとデーデー屋さん以外にいない
デーデー屋さんのたたつづみの音が
明るい廃墟はいきょただひとりで讃美さんびまわっている

ああ、誰か来て僕を助けて
ヂオゲネスの頃には小鳥くらいいたろうが
きょうびはすずめも啼いてはおらぬ
地上に落ちた物影でさえ、はや余りにあわい!

――さるにても田舎のお嬢さんは何処どこったか
その紫の押花おしばなはもうにじまないのか
草の上には陽は照らぬのか
昇天しょうてんの幻想だにもはやないのか?

僕は何をっているのか
如何いかなる錯乱さくらんかすめられているのか
蝶々ちょうちょうはどっちへとんでいったか
今は春でなくて、秋であったか

ではああ、いシロップでも飲もう
冷たくして、太いストローで飲もう
とろとろと、脇見わきみもしないで飲もう
何にも、何にも、求めまい!……

『在りし日の歌』より
デーデー屋
雪駄・下駄を直す職人。
ヂオゲネス
ギリシャの哲学者。

朗 読

解 説

秋日狂乱

この詩は、1935年10月『旗』第13輯に「秋日閑居」として発表され、のちに「秋日狂乱」と改題して『在りし日の歌』に収録された。中也は同じ年の6月に四谷の花園アパートから市ヶ谷の借家へ移った。生まれて来た文也を迎えるためである。

「僕にはもはや何もないのだ
  僕は空手空拳だ」

と始まるこの詩は、3連目には「子供等は先刻昇天した」という1行が出て来る。これは富永太郎の散文詩の一節だ。富永太郎は、中也が京都で知り合った画家詩人だ。ボードレールやランボー等、フランスの世紀末詩人を中也に教えた人物である。

中也はこれらの光景を「明るい廃墟」として描き出す。そして、「ああ、誰か来て僕を助けて呉れ」と叫ぶのだ。

「秋日狂乱」は1937年5月に発表された「春日狂想」と対になっている。

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