また来ん春と人は云う
しかし私は辛いのだ
春が来たって何になろ
あの子が返って来るじゃない
おもえば今年の五月には
おまえを抱いて動物園
象を見せても猫といい
鳥を見せても猫だった
最後に見せた鹿だけは
角によっぽど惹かれてか
何とも云わず 眺めてた
ほんにおまえもあの時は
此の世の光のただ中に
立って眺めていたっけが……
「また来ん春…………」は1937年『文学界』2月号が初出である。同じ2月15日中村古峡療養所を退院して、27日に鎌倉の寿福寺境内に転居した。
「また来ん春と人は云う
しかし私は辛いのだ
春が来たって何になろ
あの子が返って来るじゃない」
と歌い始めるこの詩は、前年に作られていると思われる。文也の死は11月10日だからそれ以後年末までの制作であろう。12月15日には次男愛雅が生まれる。中也は生まれた愛雅にではなく、死んだ文也の方へより深くのめりこんでいく。そして最後の3行が現われる。
「ほんにおまえもあの時は
此の世の光のただ中に
立って眺めていたっけが……」
ご感想
ひーさん 2021/10/22 0:39:26
近年、幼い息子を亡くした母です。中原中也さんのこの詩は、子供を亡くされた方のブログの中で偶然拝見し、胸を打たれました。何度読み返しても涙があふれます。どれだけ息子さんを愛されていたことかとても伝わってくる詩ですね。
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